111 嬉し恥かし、牧場デート
ときは春の初め。
ヒバリたちの啼く朝早く。
ラウツカ市のギルド、その扉を推し開ける人物がいた。
初級冒険者第二等、転移者男性のアキラである。
「おはようございます!」
「はい、おはようさん、アキラくん」
同じく、朝早くからギルドに来ていた赤エルフのルーレイラが挨拶を返す。
彼女はギルドのロビーに座り、モーニングティーをのんびりと飲んでいる。
なにやらの書類の束に目を通していた。
「ルー、相変わらず政庁から貰った仕事? 忙しそうだね」
ルーレイラはこの頃、政庁から依頼された仕事に取り組んでいる。
効率のいい家畜用のエサ、あるいは家畜の病気などに効果の高い薬の開発が主なものだ。
「うん、忙しいしまだやっていないことも山積みだ。それでどうだろうアキラくん、ちょっとお使いに行って来てくれないかな」
簡単なことだからギルドを通して金銭を発生させるまでもない。
そんな個人的なルーレイラの頼みごとのようだ。
「別にいいけど、なに?」
「この書類の束を、ちょっと城外にある試験牧場に届けに行ってくれたまえ」
本当に簡単なお使いだった。
アキラは軽く書類を眺めてみた。
なるほど確かに家畜、動物用の薬や飼料によることがいろいろと書かれていた。
「アキラくんは動物は、別に苦手じゃないだろう?」
「まあ、そうね。普通に可愛いと思うよ」
アキラの実家では室内犬を飼っていた。
白い毛並みの小型犬である。
「僕はどうも、牧場の獣臭が苦手でねえ。自分で行くのは億劫なのだよ」
ラウツカ市の城壁の外、北西のエリア。
そこには市政庁が管理、運営している公営の試験牧場と言うものがある。
そこで牛、羊、豚、鶏など多種の動物を飼育し、繁殖させたり育成させたりしているのだ。
効率的に太る牛や、よく卵を産む鶏、上質の毛を得られる羊。
それら重要な経済動物を研究、開発するための牧場である。
二人がその話をしていると、受付嬢のリズも混ざって来た。
「いいですよね、牧場。羊が可愛くて」
リズもどうやら、動物が好きなようである。
「牧場かあ、言われてみるとじっくり立ち入ったことなかったな。いい機会だしのんびり見て来るかな」
そうアキラがなんの気なしに放った言葉を、リズは聞き逃さなかった。
「じゃあ、今から一緒に行きましょう、アキラさん。私、お休みを貰ってきますね」
「え、きゅ、急だな……」
そんなに簡単に、当日中に仕事に穴をあけていいものなのだろうか。
日本人的にアキラは不安になった。
「お届けものなんだから、早い方がいいでしょう?」
「そ、そうかもね」
そのやりとりを見ていたルーレイラは。
「はあ暑いこと暑いこと」
と言いながら、手を顔の前ではためかせた。
ひとまず二人は乗合馬車で北の城壁まで行く。
そこで、もっとも西にある門をくぐって別の馬車を拾う。
城壁から出た郊外でも、ある程度人の出入りの多い箇所だけは、政庁公営の乗合馬車が機能しているのだった。
「歩くとちょっと遠いもんな、牧場の中も広そうだし」
「そうですね。馬車があるおかげで体力のない私でも、意外といろいろなところに行けるのが本当に便利でありがたいです」
うきうきした気分を全く隠そうとせず、リズが上機嫌でそう言った。
そりゃあ、仕事を休んでの牧場見学は楽しいに違いないと、アキラは苦笑いする。
馬車が牧場に着くまでの間、アキラとリズの他に乗ってくる客はいない。
アキラはルーレイラから受け取った書類を軽く眺め、リズにこんな話を振った。
「リズさんは、狂牛病問題とか、知ってる世代?」
「なんです、それ?」
BSE問題とも呼ぶそれらのことが、リズには伝わらなかった。
「世界中で家畜の牛とかがね、不治の病にかかるニュースが、俺が若い頃にあったんだ。凄い騒ぎだったよ。牛が狂ったみたいにね、脚や体をがくがく震わせるんだ」
狂牛病関連の問題が世界を震撼させたのは、21世紀のごく初期である。
当時、まだ物心ついていなかったリズは、そのような世界情勢を記憶していないのであった。
「深刻な病気だったんですね。なにが原因なんです?」
「簡単に言うと、牛のエサの中に、牛の肉や骨を細かく砕いたものを入れると起こる病気なんだ。肉骨粉って言ってね」
アキラの話に、リズはぎょっとしたような瞳をした。
「牛のエサに牛の肉とか骨を入れちゃうなんて、共食いみたいなものじゃないですか」
「そう、いわば人間の作るエサが、牛に共食いをさせてたことになったんだ。それで脳に問題が起きるんだったかな……」
アキラも別に専門家ではないので、詳しい病のメカニズムまでは知らない。
「牛って、草とかトウモロコシとかを食べてるんですよね? どうしてそんなものを……」
「肉骨粉を入れることで、牛が餌を食い付く意欲が高まるとか言ってたね。安い値段で、牛を太らせることができるエサだったんだと思うよ」
商売上の利益とは言え、ある種の動物に共食いを促したのだ。
人間の業は、実に深いものであるとアキラは思う。
アキラは続けて、こうも言った。
「で、同種の肉や骨を共食いすると深刻な病気になるのは、牛だけじゃなくて豚や羊、人間も同じなんだってさ。きっと哺乳類全般が、そう言う体の仕組みになってるんだろうね」
「あまり人間の共食いは、想像したくないですけど……」
少し表情に影を落としたリズを見て、アキラは「しまった」と思った。
話題のセレクトを間違えたか、無駄なことを喋りすぎてしまったかもしれない。
オタクはえてして、こういう失敗を犯すものである。
「ま、まあ、きっとそう言う風に、神さまが俺らの身体を作ったってことだよね。共食いなんかしちゃダメ、させちゃダメだぞって」
「そうなんでしょうかね」
アメリカ人であるリズの前で神という言葉を軽薄に使ってしまったアキラは一瞬、ひやりとしたが。
リズはその話題に、特にこれ以上快も不快もないようで、鼻歌交じりで景色を見ているだけだった。
アキラはこのとき、そもそもリズがクリスチャンであるのかどうかさえ、知らないことに気付いた。
遠い父祖の家系はユダヤ系だと言っていたことがあるので、ユダヤ教徒なのかもしれないが。
なにか、今この場で聞くのは、躊躇われてしまうのだった。
少なくとも、ルーレイラの作った書類には、肉骨粉の利用を促すような記述はない。
そこに関しては、アキラは安心した。
「あはっ、アキラさん、見てくださいあの黒い毛の羊! 面白いですね!」
牧場に着き、関係者に書類を渡し終えて、アキラとリズは場内を散策する。
見学などは自由のようであり、柵に囲まれた草原に数頭の黒毛種の羊がいた。
「確かに丸っこくて可愛いね! 夏になったら毛を刈るのかなあ」
「毛刈り体験、確かできるはずですよ! アキラさん、夏にまた来ませんか?」
「そ、そうだね。夏にまた来られるよう、覚えておくよ」
そんな話をしながら、アキラは内心、激しく緊張し始めた。
これは、デートではないのか。
少なくとも、デートに準ずる行為ではないのか。
ルーレイラのお使いと言うだけであるなら、アキラ一人で片付く話だった。
動物を見て楽しみたいというだけなら、リズも一人でいつだって来られるはずである。
そのほかにも、虹色の美しい毛を持ったキジに似た肥った鳥などがいる。
くーくー、どぅーどぅーと低く啼きながら、よちよちと歩く姿が滑稽だった。
「可愛い~……こういうとき、スマートフォンがないのが、本当に悔しいですよね」
リズが無念そうに言った。
「確かに。写真撮ったり動画録ったりしたいねえ。異世界にスマートフォンはあらず、か」
「あ、絵に描きましょう! アキラさんも一緒にどうですか?」
リズは自分の荷物から、紙と炭ペンを取り出してアキラにも手渡した。
「い、いいねえ、せっかく来たんだし、忘れないようにしっかり、残そう」
「ふふふ、どっちが可愛く描けるか勝負です。負けませんよ?」
そうして、二人は帰る時間までを、動物観察とスケッチをして、大いに楽しんだのであった。
ちなみにリズはかなり絵が上手い。
アメリカンポップなカートゥーンのようなイラストで、動物たちを上手くデフォルメし、コミカルに描いている。
素人と比較できるようなレベルではなく、それなりに自信があったアキラよりも圧倒的に画力が上であった。
アキラは、少し凹んだ。
その後日。
「で、ゆっくり”お楽しみ”だったわけだなあ、色男さんよォ」
港近く、山猫亭とは別の居酒屋で、アキラは竜族獣人、いわゆるリザードマンの船乗り兼、冒険者のドラックに絡まれていた。
「ドラックさん、いつも思うんだけど、飲み過ぎ……」
「あァ? 最近、全然俺と飲んでくれねェから、まあそんなこったろうと思ってが、もう帰りてェだァ!?」
酔っ払っていて、話も半分ほどしか通じない、悪い酒である。
「そもそもドラックさん、港の仕事が忙しいから、最近ほとんどギルドに来ないじゃん」
「まァなァ。このあたりの海は”冬”から”春”が一番、魚が獲れる時期だからよォ。荷揚げや運送も”商売繁盛”ってもんだぜェ」
好景気でなによりである。
酔っ払いながらドラックが話していることがどれだけ真実かはわからないとしても。
アキラが聞いて驚くような金額を、ドラックは運送船関連の仕事で稼いでいるようだった。
「はあー、俺もなにか一発当てたいなあ」
ちょうどアキラがそうボヤいたとき、招かれざる男が宴席に突入してきた。
「なになに!? 儲け話が欲しいって? それを早く言ってくれよアキラ!」
「うるせえ、どっか行け」
当然のように、ロレンツィオであった。
「まずね、おまえさんが公爵から貰った金の首飾り、あれを僕に預けてくれ! あれを見せることで信用を得て、会員と資金を集めて」
なにやらマルチ商法的なことを思いついたらしい。
ロレンツィオはその手法を、詐欺ではない、確実にもうかる、など浪々と説明したが、アキラは聞いていない。
そんなふざけたやりとりをしているものの。
アキラは内心、気が気ではない、深刻な事態を抱えるようになった。
今、アキラが研究している火薬製造のことを、ロレンツィオに知られるわけには、絶対にいかない。
ロレンツィオの手に火薬が渡ったとき、どうなるのか。
それをアキラは近頃、真剣に考えるようになった。
おそらくは、小規模な取引で済むはずもない。
どのような結果を生むのか、正確な予測は難しいが、不吉である確信がアキラにはあった。
「アキラァ、俺はコイツの言ってることが”全然”わかんねーんだがよォ? 俺の頭が、悪いんかよゥ?」
「ドラックさんがまともだから、安心していいよ。あとこいつの話を聞かないで、頼むから」
それよりもまず、酔った頭のドラックが、ロレンツィオから銭を巻き上げられないかが心配で。
結局、この夜の飲み会はロレンツィオとドラックが酔いつぶれるまで、アキラは付き合う羽目になるのだった
「こらー! 朝だぞ! いくらなんでも飲み過ぎだ! いい加減に帰らないか!」
警邏のために港湾地区を回っていた衛士のフェイに、三人ともこっぴどく怒られた。
ひどく頭が痛む中で、部屋に歩いて戻るさながら。
アキラは一つのことに気付き、立ち止まった。
「ロレンツォなら、すでに火薬を知っててもおかしくない……」
彼の故郷は、ヴェネツィア共和国。
中世ヨーロッパ世界において、技術面でも経済面でも恵まれた先進地域である。
近隣都市国家との戦争に赴いた経験もあると、ロレンツィオは軽く語っていた。
彼が歴史初期の火薬と、それにまつわる武器を実際に知っていたとしても、不思議ではないのだった。
アキラは、しばらくその場に立ち尽くし、考え込んだ。
季節は春。
アキラがリードガルドの地に転生して、もうすぐ一年が経とうとしていた。
悩むアキラを笑うかのように、あるいは励ますかのように。
ラウツカの桜が、そのつぼみを開かせようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます