110 帰り道
「結局、この国の公爵さまにはお目通りできなかったねえ。アキラが油断して負けるから、こんなことになるんだ。なんてこったい」
宿の馬小屋で帰りの荷造りをしながら、ロレンツィオが愚痴を述べた。
「うるせえな。文句があるなら自分でやってみろ」
アキラはこのたび首都での武芸大会に出場し、惜しくも準決勝で敗退した。
優勝すれば、それでなくとも決勝まで残れば。
試合後にこの国の貴賓と会食する機会などが、あったかもしれないのだが。
「無名の初出場でこれだけ勝ち上がったんだから、いいじゃないの。来年は優勝するんじゃない?」
エルツーはそう言ったが、アキラは首を振る。
「やっぱり俺、こういう舞台は慣れないな。観客が多いと緊張するし。変に注目されるとダメだわ」
いい経験にはなったものの、やはり自分はラウツカで冒険者をする方が性に合っているとアキラは思うのだった。
荷造りを終えて、アキラたちが宿から離れようとしたそのとき。
「おお、まだいたようだ。間に合ってよかった。アキラどので間違いないですかな?」
従者らしき取り巻きを連れた、金髪赤ら顔の男が現れた。
上品な身なりをしてはいるが、なにかこう、肥っているし、顔が赤いし、汗ばんでいて脂っぽい。
「えーと、どちらさまですか?」
とりあえずアキラは、相手に失礼がないように腰を低くして応対する。
「ラウツカの、代表選手であったねえ、アキラどのは」
「はい、そうです。ラウツカで冒険者業をやっております」
ひょっとすると試合でアキラを見て、物好きなお金持ちや高官などが、ねぎらいの言葉を与えるために、宿まで足を運んでくれたのかもしれない。
挨拶くらいは愛想よく、失礼にならないようにとアキラは思い、かしこまって応対した。
「私も、つい先日までラウツカに行っていたのだよ。武芸大会の時期になったので、こうして急いで戻って来たのだがね」
「そうなんですか。遠いところ、お疲れさまです」
どうやらこの貴人、高官らしき人物は、なにかの用事でラウツカに行っていたようだ。
アキラと似たようなタイミングで、首都に戻ってきたということらしい。
「アキラどのの試合、大いに楽しませてもらった。途中敗退は残念だが、来年もまた、出てくれるのだろう?」
「え、いや、その、はい! 頑張りたいと思います!」
なにやら偉そうな人から「来年はどうなの」と聞かれて「出ません」とハッキリ言えるほどに、アキラは肝が太くなかったようである。
「そうかそうか。これは些細だが、私からの労いと激励の気持ちだ。受け取ってくれたまえ。来年も、楽しみにしているよ」
そう言って謎の貴族(仮)は、絹織物で包まれた小さな箱を、アキラに手渡した。
「え、いや、その……」
どうしていいものか、所作がわからないアキラは戸惑ってしまったが。
「アキラ、こういうのは受け取っておくのよ。頭を下げて」
エルツーがそう教えてくれたので、腰を低く、恭しく贈り物を素直に受け取った。
「うむ、今日は会えてよかった! 帰り道、くれぐれもお気をつけて!」
そう言って謎の貴族は颯爽と立ち去ってしまったのだった。
「アキラ、なにが入っているんだい、早く開けて見せてくれよ」
贈り物の内容が気になって仕方ないロレンツィオ。
アキラが半ば放心状態で包みの封と箱を開けると、そこには金の首飾り。
そして、内容は短いが、文章の書かれた手紙が折りたたまれて納まっていた。
『貴殿の健闘を、心より祝福する』
それだけ書かれているだけの、短い手紙。
しかし差出人の部分に押されている印章を見て、エルツーが蒼白になる。
「だ、だだだだ、第二公子、クリスさまの印……!!」
エルツーが口にしたその名は、ラウツカ市にお忍びで視察に来ていた、公爵家次男、クリス殿下だったのだ。
ラウツカで見るべきものは見終わったのか、武芸大会開催に合わせて首都に戻っていたようである。
冒険者嫌いで有名なはずの公子クリスが、何故かアキラのファンとして、心付けを自分から、届けてくれたのだ。
「た、確か冒険者相手に恋のバトルで負けて以来、冒険者も冒険者ギルドも、大嫌いだったはずの公子さまだよね……?」
アキラの疑問に、エルツーが手紙を持ちながら、震えて答える。
「う、噂ではそのはずなんだけど……ただの、噂だったってことなのかしら……?」
第二公子と言えば、将来の国主になることもありうるような、超がつく貴族である。
雑に言ってしまえば、この国で三番目に、少なくとも五本の指に入る、偉い人間なのだから。
「わざわざアキラが寝泊まりしている宿まで自分から足を運ぶなんて、庶民派なんだね」
ふふん、なるほど、しめしめ、と言うようないやらしい顔をしながら、ロレンツォが含みを持たせて言った。
「お前がお近付きになれるような人じゃないとは思うけど……」
「アキラに興味を持ってくれたんだ、攻めようはいくらでもあるさ」
不吉なことを言うロレンツォに、アキラは心底、気が滅入るのだった。
一方、アキラにささやかな贈り物を施し、彼らを多少の混乱に陥れた第二公子、クリス。
「ラウツカの政庁とギルドの間にあった問題、もうすぐ片付くんだろうな?」
公子公邸に帰るその道すがら、付き人と会話を交わす、その目つきは笑っていなかった。
「は、各地に間者を飛ばしておりますので、元内務局長のエヴァンスの行方も、じきに」
「それならいい。絶対にエヴァンスの身柄は、ギルドよりも早く押さえろ。あいつらに恩を売れるし、重要な情報もこちらが取れるからな」
「心得ております。全力を尽くして、対処にあたります」
ひところ、ギルドを貶めようとしていたラウツカ市政庁の重役、エヴァンスと言う男。
彼は行方をくらまし、その身柄はまだ政庁や国の機関も、ギルドも確保できていなかった。
ギルドの情報、そしてラウツカ市の情報、その表も裏も深く多く知るエヴァンスの身柄を確保できれば。
ラウツカ市出身の官職にあったものが不正を働いていた、その処罰に関する主導権を握ることができれば。
「公国の中でも特に生意気な存在、ラウツカ市と冒険者ギルド。この両方の権勢を削ぐためだ。失敗は許さん」
やはり第二公子のクリスと言う男は、冒険者ギルドのことも、ラウツカ市のありかたも、快く思っていないのであった。
もちろん、高価な金細工と手紙をわざわざ手渡されたアキラは、そんなことを露とも知るはずはない。
そのようなことがあり、アキラはリードガルド、キンキー公国に降り立ってから初めての首都行脚を終えた。
山々の間を縫って帰る道すがら、多くの旅人、行商人、そして衛士たちとすれ違い、挨拶やお互いの土産話を交わしたのも。
おそらくは、アキラにとって永遠に忘れられない、大事な思い出になったことだろう。
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