109 キンキー公主催、武芸大会本選(3)

 武芸大会は8人が勝ち残り、ベスト4を決めるところまで進んでいた。 

 アキラの相手は、北方地域から来た大男、ドルフ。

 先ほど、控室でアキラたちと一悶着ありそうだった、たちの悪い男である。


「ぐえ……」


 試合が始まる前、闘技舞台に上がろうとしたドルフは苦い表情で声を漏らした。

 一番近い場所、かぶりつきの席を陣どって、ロレンツィオが観戦している。 


「ドルフ! しっかり見ているよ! 頑張っておくれ!」


 しかも、声援と熱視線を送って。


「あいつは、とうとう敵の応援をし始めちゃったよ……」

「やっぱりアキラが負ける方に賭けてるのね。見下げ果てた大馬鹿野郎だわ」


 それを見たアキラとエルツーも、げんなりして言った。

 二人は、先ほど起こったトイレでの出来事を、もちろん知らない。

 ロレンツィオの奇行を見たおかげで、先ほどまで怒りに震えていたアキラも、冷静に試合に臨むことができるのだった。


「はじめっ!」


 かけ声とともに、珍しくアキラは自分からいきなり突っ込んで、仕掛けた。


「シャオラッ!!」


 相手が集中力を切らしているような表情をしており、構えも隙だらけに感じたからだ。


 左右のフックをガードさせて、左ローキック。

 ビシィィィン! と鈍く音の鳴る、体重の乗った蹴りが相手に炸裂する。

 太もも部分には革防具が装備されていないルールなので、ローキックは有効な攻撃になる。


「この野郎ッ!」


 接近戦になり、ドルフも両の拳を振り回す。

 アキラはそれをなんとかガードし、ローキックやミドルキックを返す。


「来いやオラァ!」


 アキラは叫ぶ。

 相手を挑発するためと言うよりは、自分を鼓舞し、戦意を高揚させるために。

 エルツーを侮辱したドルフに、すんなりとやられてやるわけにはいかない。


「おお、いいぞー! やれやれ!!」

「凄い殴り合いだ!!」


 勝負は、お互いの体を寄せ合った激しい打撃戦になった。

 中間距離で相手のパンチを食らうのは、アキラにとって極めて危険だ。

 体の大きな相手の打撃と言うのは、一発でKOされてしまう恐れがある。

 その力が最も発揮されやすい距離、それは打撃のミートポイントである中間距離なのだ。


「倒れろこの野郎!」


 自分の近くにしつこくまとわりついてくるアキラを、ドルフはかなり嫌がっていた。

 顔面へのクリーンヒットこそないが、アキラは執拗にボディ打ち、腿へのローキックを連打する。

 こうなるとドルフの打撃威力は激減されて、勝負の行方は純粋な持久力勝負、忍耐力勝負になって来る。


 体力の削り合いになれば、運が絡む要素も必然と減ってくる。

 これで負けたら、明確な力負けと言うことでアキラも納得がいくというものだった。


「一日中だってやれるぞ!」


 アキラは不敵に笑って言った。

 それはさすがにハッタリだ。

 しかし日々のトレーニングをしっかり続けていることもあり、アキラは体力や持久力がきわめて高い。

 体力おばけのフェイとちょくちょく稽古をしていて本当に良かった、とアキラはこのとき、心から思った。

 

 壮絶な拳と蹴りの応酬に、観客も総立ちで喝采を送る。

 しかし、ドルフの体重、体格から繰り広げられる重い打撃。

 それを何発もガードしていて、革の防具越しであってもアキラの両腕は限界を迎えつつあった。


「死ねェィ!」


 ドズドズン、とドルフの重い拳撃が降り注ぐ。


「クッソ……! 負けるかよ!」


 アキラは、先日のカルとのスパーリングを思い出していた。

 自分より一回り以上も小さいカルが、諦めずに脚を使い、拳を繰り出し、最後まで勇敢にたたかった、その姿を。


 右、右、右。

 アキラの右ローキックが、相手の足を三連続でとらえる。


「ぎっ!」


 それでもドルフは倒れずに構える。


「負けるな、ドルフー!」


 ここにきて、ロレンツィオが今日一番の大きな声で声援を飛ばした。

 それによりほんのわずかな隙がドルフに生じる。

 それをアキラは見逃さずに、また右回し蹴りを放とうとして。


「バカの一つ覚えが!」


 ドルフが若干膝を曲げ、腰をかがめて右ローキックへの鉄壁の防御姿勢を取る。

 が。


 ベキィッ!!!!

 

「……ぅあ?」 


 アキラが放ったのは、ローキックと同じ初動で放たれるハイキック。

 空手の世界では通称、マッハ蹴りと呼ばれる、上中下段のどれが来るのかわからない必殺の一撃だった。

 それはアキラが最も熱心に練習し続けた、得意技でもあった。 


「時間! それまで!」


 最後まで、ドルフは倒れなかった。

 アキラもすっかり息を切らしているが、ちゃんと両の足で闘技舞台に立っている。

 時間切れ終了を知らされたとき、ふらついて今にも倒れそうなのがドルフであるのは、誰の目から見ても、明らかだった。


「終わった……」


 勝負は判定に持ち越しとなり、アキラは結果の声を待つ。

 審判員たちが集まって協議をし、ややあって。


「勝者、ヅルマのドルフ!!」


 主審がそう叫び、アキラも、戦いを見ていた観客も、一瞬、呆気にとられ。


「どういうことだよ!」

「小さいあんちゃんの方が勝ってただろうが!!」

「いやいや、引き分けだ! 延長しろ! もっと楽しませろよ!!」


 あたり一帯、大ブーイングに包まれたのだった。



 勝負はときの運、そして判定もときの運である。


「ごめんなエルツー、負けちゃったよ」


 しかし全力を尽くしたことで、どこか清々しい笑顔を浮かべて、アキラは言った。


「怪我をしなくて、なによりだったわよ。腕は凄い、痛そうだけど」


 力を振り絞って勇敢に戦ったアキラを、エルツーも讃えた。


「マジで、ビリビリ痺れすぎてて、ヤバい。もう俺、試合ないから魔法で回復してもらってもいいよな?」

「そうね。とりあえず控室に戻りましょ。そこで魔法をかけてあげるわ」


 アキラとエルツーが戻るその後を、つまらなそうな顔でついて行く男が、一人。

 結局はアキラの勝ちに残りの金をほとんどかけていて、それを失ったロレンツィオだった。



「ふう、痛みもひいて来たし、気分も爽快。ありがと、エルツー」

「いいのよ。ここまでタダで連れて来てもらったんだし、こういう役目は織り込み済み」


 精霊魔法の力で傷と疲労を癒してもらい、アキラは見事に復活した。

 最低限の活力付与であり、身体をことさら強化したわけではない。


 しかし、ここで問題が発生した。

 大会運営の役人らしき男が、血相を変えてアキラたちのもとに走って来たのである。


「い、今、精霊魔法を使ってしまったのですか!?」


 なにか不味かったのだろうかと思いながら、アキラは正直に答える。


「ええまあ。負けたし、もう残りの試合見てから帰るだけだったから、いいかなと思って……」

「た、大変こちらとしても心苦しいことなのですが、トーヤマさまにはまだ、戦ってもらわなければならないことに……」

「え、なんで?」


 アキラの疑問に、役人は顔を近づけて、声を限りなく小さくして、こそこそと説明した。


「勝者のドルフですが、どうやら昨日の晩、ドルフの関係者が審判員の一人を会食に誘い、買収したという疑いが発覚しまして……」

「ほら見たことか! 正々堂々戦おうなんて奇特な男は、アキラくらいしかもう残っていないんだよ!」


 役人の暴露に、ロレンツィオが天を仰いで両手を上げた。


「ねえ、それならアキラの次の相手も、あたしの魔法で回復させれば対等じゃない?」

「おお、冴えてるなエルツー、それで行こうぜ。役人さん、そう言うわけにはいきませんか?」


 エルツーとアキラの申し出に、役人は少し思案して。


「う、上の者と、対戦相手に、ひとまず話を通してみます。ここで待っていてくださいね! 帰らないで下さいよ!」


 ぱたぱたぱた、と役人は靴を鳴らして、関係者の調整に走っていくのであった。


「どこの世界も、ろくでもないやつのせいで苦労する人ってのはいるもんだな……」


 そんなアキラの嘆息に、ロレンツィオも腕を組んで頷く。


「まったくだ。悪人はしっかり地獄に落ちて、ああいう真面目な人が報われるような世の中にならなきゃいけないね」

「あんたが言わないでよ……」


 なんにせよ、アキラは改めて試合の勝者となり、ロレンツィオは賭けの結果として金銭を稼ぐことができたのだった。

 もっとも、ロレンツィオは先だっての一回戦で大損をこいているので、まだまだ元本を回収しきってはいないのだが。



 大会の運営組織、そしてアキラの次の対戦相手に話が通った。

 今日、最後の試合となる準決勝でアキラが当たる相手が、アキラたちの控えているところへ挨拶に来た。


「精霊魔法による回復を頂けるという話、誠にありがとうございます。ですが、こちらは傷も負っておりませぬので、お気持ちだけ頂いておきます」


 なんと、女性だった。

 背はやや高めだが、どう見てもほっそりとした、麗人と呼んでいい容姿の持ち主だ。

 年齢は、ややアキラよりも上であろうか。

 こんなときに限って、ロレンツィオはまた賭け事でもしに行ったのか、席を外していた。


「あ、そう。いらないならいいけど」


 エルツーにとっては、どうでもいいようであった。

 フェイのように強い女性を見慣れているので、こういうこともあるだろうと思っている。


「こ、こんにちは、俺、ラウツカから来たアキラって言います」


 まさか準決勝の相手が女性だとは思わず、アキラは若干の混乱と緊張を持って自己紹介した。


「わたくし、流しで用心棒稼業をやっております、チェンと申します。聞けば、アキラ氏も冒険者で、転移者とか。お仲間ですね」

「ちぇ、チェンさんも転移者? いや、うん、その雰囲気、バリバリあるわ。中国?」


 チェンと言うのは姓であり、漢字で書いた場合は陳となる。


「はい。中華は清の皇帝の御代、北京の生まれ育ちです。若い頃に都が少々荒れまして、それに巻き込まれて、後はご想像の通りかと」

「義和団事変かなあ……いやはや、ご苦労なさったんですね……」


 チェンもフェイと似たように、中華の激動の時代に戦渦に巻き込まれ、命を落とした。

 そうしてこの世界、リードガルドに飛ばされてきたのだった。

 

「そろそろ冒険者、用心棒として一人で仕事を切り盛りするのも疲れてくるようになりましてね。この大会で名を売れば、首都の官職にでもお誘いがあるかなと思い、参加いたしました」

「ははあ、なるほど……」


 並人限定の素手格闘部門は、大会のメインではない。

 いわば前座扱いの余興に近いもので、大会の目玉は種族の区別なしで行われる、木剣や棍棒ありの試合だ。

 しかし、前座扱いと言っても決勝に進んだ、優勝したというのであれば、首都の貴族や高官の目にも留まるだろう。


「では、お互いに心残りのないように戦いましょう。先に武舞台でお待ちしております」


 風のように、涼やかにチェンは去って行った。


「アキラにとっては、最大の強敵ね」

「うん、どうしよ……」


 エルツーの言うとおり、アキラは怨みもない女性相手に、本気で殴りかかったりすることはできない。


 しかし、その心配はある意味杞憂であった。

 アキラはチェンとの試合が始まって早々、目にも止まらぬ速さの水面蹴りを喰らい、地面に仰向けに転ばされ。


「続けますか?」


 アキラの顔面を踏み抜く直前で足を止めたチェンがそう言って。


「参りました」


 まともにやっても、到底かなわないという実力差を散々に思い知らされただけだったのだから。

 おそらく、チェンはずっとこの調子で相手にすぐさま負けを認めさせ、無傷で疲労もなく勝ち上がったのだろう。


「フェイねえと、どっちが強いのかしら……」


 試合を見ていたエルツーは、世の中は思っているよりも、ずっと広いのだということを実感した。


「今度こそ終わったな。メシ食いに行こうぜ、エルツー。とびっきりうまいもの」

「ええ、公爵さまのツケで食べられるって言うんだからね。ここぞとばかりに首都の美味しいもの、食べまくりましょう」


 そして山海の美食を心行くまで味わいながら、思い切って今回、首都までついて来て良かったと、心の底から思うのだった。

 ロレンツィオのことを二人とも全く忘れていたが、どうでもよかった。


 

「ろ、ロレンツィオ氏。今度は、いつ会えるのです……?」

「安心してくれよ。近いうち、必ずまたきみに会いに来る。今度は、きみに会うためだけに、たくさんの山を越えて、このシロマの街に駆けつけるよ」


 その夜、ロレンツィオがアキラたちの宿に戻らなかったのは。

 流しの武芸家用心棒、チェンをその腕に抱いていたからだということを、アキラもエルツーも、知らない。


 あくる日。

 前の夜に骨抜きになったチェン女史は、決勝で嘘のようにあっけなく、負けた。

 首都から帰るとき、最後の賭けで大勝ちしたロレンツィオの懐は。

 火が出るほど、温まっていたのだった。


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