106 いつかは通ることのできなかった、あの道を越えて

 アキラ、エルツー、そしてロレンツォの三人が馬車を借りて、ラウツカを出発する。

 目指すは北西の峠を越え、山の向こうにある、キンキー公国の首都、シロマの街である。


 ラウツカの真北にある大きな雪山は、夏場以外は通るのが危険であるためにやや西側に迂回したルートになる。

 それに加えて、現在は山の奥を国軍が調査中であり、直進の峠道は基本的に封鎖されているのだ。


 山嶺を北西に舐めるようにたどるその道は。


「秋にここのドワーフの村がね、盗賊たちに襲われたんだ。でっかい、魔物もいた……」


 そう、アキラたちが最初に大緑の魔物に襲われた際の、あのルートである。

 三人はドワーフの村に立ち寄り、まだ壊れた建物がある中、村の片隅を借りて小休止を取っていた。

 

 村は事件の痛ましい爪痕を今も残しながら、それでも復興のためにドワーフと、そして獣人たちがせわしなく動き、働いていた。

 さらによく見れば、村の中を衛士隊服に身を包んだ並人(ノーマ)の女性が、巡回しているようでもあった。 


「この村も、変わったのね。前は並人の役人や衛士たちをあまり快く思っていなかったはずなのに」


 あのときと同じように、パンをかじってスープを飲みながら、あの時とは違う感想をエルツーが口にした。


「失礼します。馬車の中を確認させてもらっても?」


 物腰柔らかに、衛士の女性がアキラたちに近付いて来て言った。

 怪しい者が村に出入りしないか、山道を通っていないか、適宜、臨検しているのだろう。


「どうぞどうぞ。そのままおいらのことも調べてくれるかな?」

「ええ、お仕事ですので、いくつか質問が。どちらまで行かれるご予定ですか?」


 さっそく、衛士の女性に色目を使っているロレンツォだったが、やんわりといなされていた。

 エルツーもアキラも、呆れて白い目でロレンツォを見る。


「見境ないから、逆にモテないのよあんた。絶対そうよ」

「うん、俺もそう思うな。女の人には、真摯で誠実であるべきだ」

 

 その辺りの価値観はアキラとエルツーは近いものがあるようだったが、説教されたロレンツォと言えば、肩をすくめてこう言い返す。


「おいらは誠実だよ。魅力的な人だなあと思うから、声をかけるしお近付きになりたいのさ。次にこの機会がまたあるとは限らないんだからねえ」


 そして、エルツーの手を取り、こう続ける。


「今回の旅、エルツーが一緒に来てくれて、本当に気分が晴れやかでいられるよ。アキラと二人きりなんて、想像しただけでも息が詰まってしまうというものさ!」

「ああもう、触んないでよ」


 ぺいっ、とその手を払ってエルツーがあしらう。

 見ていたアキラも、さすがに不愉快になり、強い調子で言った。


「あんまりエルツーに、その、なんだ。嫌がることするなよ。あまりひどいようだったら、俺もう帰るぜ」


 アキラが武術大会に行かなければ、無料で首都を観光するということもできない。

 おそらくロレンツォは、首都シロマでなにか美味しい、ぼろい商売の種を探したいのだろうが、そのもくろみもご破算となる。


「わかった、わかったよ。そうへそを曲げないでくれ。できる限り自重しよう。不愉快なら謝罪するよ、エルツー。悪かったね。これから気を付ける」


 いつもよりは若干、真面目ぶった態度でロレンツォはそう言った。

 アキラもエルツーもそれで良しとして、再び彼らは旅の歩みを進めるが。


 エルツーが御者、後ろの粗末な客車に男二人を乗せて進む馬車。


「摘むなら今日だよ(カルぺディエム)、アキラ」


 ぽつりとロレンツィオは、そう言った。


 蕾を摘むなら今。


 今日この日を楽しめ。


 今を、生きよ。


 そう言った意味を持つ、古来の詩であり、格言だった。

 歴史好きのアキラも、そのフレーズは、よく知っている。

 若い頃、青春時代に読んでいた様々な本に、形を変えて登場した詩句だったからだ。


 景色をぼんやり眺めながら、ロレンツィオは続ける。


「明日、くたばるかもしれない。今この馬車から転げ落ちて、腕を折るかもしれない。そうしたら、好きな人がいても、抱き締めてあげることすらできないんだよ?」

「そりゃ、そうだけど……」

「おまえさんも『わかってここにいる』と、おいらは思ってたんだけどねえ」


 ロレンツィオは理解していた。

 それは誰かから聞いたことなのか、それとも自分で感づいたことなのか。


 自分が悲惨な死を、あの地中海、南の岸で地獄を見たように。

 他の転移者もなにかしらの地獄を経験し、この世界にたどり着いたということを。


 馬車が、隘路に差し掛かった。

 御者であるエルツーの背中が緊張しているのがわかる。


 そう、ここで秋ごろに、アキラたちは襲われた。

 大緑の魔物と、その取り巻きである大勢の盗賊に襲撃されて、命からがら逃げのびた。


 アキラは、確かに二度目の死を覚悟した。

 クロとエルツーを逃がすためならと、本気で命を賭した。


 しかしあのとき、死んでしまったとして、後悔はなかっただろうか。

 その自問に、かつてのアキラは耐えられなかったが、今は違う。


 馬車が隘路を抜けて、アキラがまだ見たことのない景色が広がる。

 ただの、山に挟まれた、なんてことのない、静かな道。


 ここにも巡回中の衛士がいて、アキラたちとお互い、手を掲げて挨拶をし合う。

 ああ、自分はもう乗り越えたんだな、と、アキラは晴れ晴れしい気分で馬車での旅を楽しむ。


「そりゃあ、後悔して死ぬなんて、もう二度とまっぴらだよ」

「だろう? だからおいらは、今度こそ、好きに生きる、やりたいことをやるって決めたんだ」


 そう言ったロレンツィオの顔は、いつもより少し大人っぽく、精悍に見えたのだが。


「モテたくて生きてるのに、その行動で女の子に嫌われちゃあ、本末転倒だろ」

「わかってないねえ、おまえさんは。おいらは女に追いかけられたいんじゃない、ずっと、女を追いかけて、求めて行きたいんだよ」


 非モテを長く拗らせている奥手のアキラは、この言葉にぎゃふんと言わされてしまった。

 やはり、話していると神経が穏やかになれない相手だった。



 野を越えて山を越えて、首都に至る最後の峠を越えようと差し掛かったとき。


「わぁ……」


 御者を務めるエルツーの眼下に、文字通りの大都市と言っていい、建物の群れが広がった。


 キンキー公国の首都、シロマの街は盆地であった。

 彼らが見晴らしている高台から、山裾にびっしりと建物や田畑が建設されている。

 都市の規模、建物の数で言えば、ラウツカの2倍ではきかないだろう。


「おお、これは絶景……」


 日本の東京や横浜と言った大都会を経験して知っているアキラ。

 そんな彼にとっても、このリードガルドの世界でこんなに大きな都市を見た感動は、また別ものだった。


 しかしアキラの感動と余韻には構わず、ロレンツォが街を眺めながら、こう言った。


「アキラ、お前さんとおいらと、そしてエルツーは生き別れの、離れ離れになっていた兄妹ということにしようじゃないか」

「お前はまた、なにをろくでもないことをたくらんでるんだ……」

「いいから聞くんだ。武芸大会の闘技場に上がったおまえさんを見て、おいらとエルツーはこう叫ぶ。ああ兄さん、ずっと会えなかった兄さんじゃないか! なんてね」


 それで相手の同情を引いて、試合に勝とうとでも思っているのだろうか。


「あたしはイヤよ、そんなふざけたお芝居」

「それでも結構! ならエルツーは、終始だんまりを決め込むといいね!」

「楽でいいわね。そうしたい所よ」

「憐れな妹は幼い頃に生き別れてのち、預けられた先で凄絶な仕打ちを受け過ぎて、その声を発するすべを失ってしまった! とか」


 アキラもエルツーも、聞いていて頭が痛くなってきた。


「これで、客も審判員たちも完全においらたちの味方さ。ね、簡単だろう?」


 ドヤ顔でロレンツィオが言ってのける。


「アキラ、こいつ、縛ってどこかに閉じ込めておいた方がいいんじゃないかしら」

「俺もその意見には賛成だ、エルツー」


 あれこれと喋り倒すロレンツィオをそれ以降は黙殺して。

 せっかくの感動気分が台無しになったまま、アキラたちはキンキー公国の首都へと入っていった。 

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