104 ロレンツォが絡むと話がろくなことにはならない

 ギルドの近くにある宿屋、兼、食事処。

 看板に「眠りの山猫亭」と掲げられたその店は、その夜もいつものように繁盛していた。


「じゃあ、みんなの昇級とボーナスを祝って、乾杯!」


 アキラが音頭を取り、エルツーとクロも杯を掲げる。


「ええ、お互いに乾杯」

「やっとここまで来たっスね!」


 そう、アキラ、クロ、エルツーの三人は、冒険者等級があがったお祝いのために集まったのだ。

 アキラとクロは初級冒険者二等、そしてエルツーは初級冒険者の第一等になった。

 この調子でキャリアを重ねて行けば、ベテランの証でもある中級冒険者へ至る道筋が、現実味を帯びてきたのである。


「それにしてもよかったわね、クロ」


 エルツーは酒ではなくお茶を飲みながら食事を口に運んでいる。


「ん? 昇級の話じゃなく? 他になにがっスか?」

「あんたのお友だちの、マリさん。この山猫亭で働くって話じゃない。ギルドから近いし、いつでも会えるわね」

「しょっちゅう会う用事は、別にないっスよ」


 クロの顔なじみである、山奥の村出身のマリという獣人女性。

 彼女は近いうちに、この山猫亭で住み込みで働くという話に決まった。

 不幸にも故郷での暮らしを失ってしまったマリだったが、新しい生活への確かな足掛かりを得たのだ。


「クロちゃんも隅に置けないねえ」


 仲間のいい話を聞き、アキラもついつい酒がすすむ。

 少し飛ばし過ぎのペースで飲みながら、クロの背中を叩いてケラケラと笑っている。


「別にそんなんじゃないっスよ。マリなんて、まだ子供みたいなもんッス。俺はもっとこう、胸もお尻もぷりんとした大人の色気を持った女の方がッスねえ……」

「わかったわ。あたしに喧嘩を売ってるのねクロ」


 などと一同がそんな話で盛り上がっている席に、一人の痩せた男が近付いてきた。

 羽飾りのついた派手な毛の帽子をかぶっている、顎髭を生やした人物。


「やあやあ、やっぱりここにいたのかい! 方々探し回って、まったく脚が棒になってしまうところだったよ」


 中世の地中海はヴェネツィアから、この世界リードガルドに転移してきた、ロレンツォ・デ・フランキである。


「げえっ、ロレンツォ」


 酔っていていつもより人当たりがおざなりになっているアキラが、露骨に顔をしかめた。

 と言うのも、転移して来るなりすぐに、ロレンツォは山師や詐欺まがいの怪しい話を周りに持ちかけて回っているからだ。

 良くも悪くも、ラウツカの最新ニュースにちょくちょく名前があがるほどの、評判の人物なのである。


「なにか用?」


 エルツーもその噂話をアキラやその他の人物から聞き及んでおり、ロレンツォには警戒して応対する。


「ああ、用も用、とても耳寄りなお話を持って来たのさ、愛らしいお嬢さん。楽しい話なので、是非とも僕をこの席に混ぜて聞いてくれるだろうか?」

「自分が飲み食いした分は、自分で払うっスよ」


 酒に酔わない性質のクロも、冷静な目でロレンツォを一瞥して言った。

 

 苦い顔をしているエルツーの隣に遠慮なくロレンツォは座り、きゅっと麦酒を呷ってこう話を切り出した。


「聞くところによると、この国の公爵さまが、春に武芸大会を開くそうじゃないか」

「ああ、そんなこともあるらしいっスね」


 一同、武芸大会という物がこの国の首都で年に一回、開催されるということ自体は知っていた。

 話が早いと顔を明るくさせて、ロレンツォはこう続ける。


「さらにさらに聞くところによると、アキラ、おまえさんは随分と達者な武術の使い手だそうだね?」

「あ? 別に、そんな大したもんじゃないけど……」


 並人(ノーマ)に限定した話で言えば、アキラは街で喧嘩に巻き込まれても、そうそう負けるようなことはない。 

 しかしこの世界には、体力膂力に長けた獣人種などが数多く存在している。

 なにかの拍子にそういう連中から絡まれた場合、アキラは戦わずに一目散に逃げている。


「またまたご謙遜を! それでだね、その武芸大会の本試合に参加する者は、本人と付添いの人数分、馬賃や宿賃を公爵さまが出してくれるという話じゃないか!」

「へぇ、タダで首都まで行けるんだ……」


 酒がまわってぼんやりとした頭のアキラ。

 交通費や宿泊費が相手持ち、という魅力的な情報だけが頭の中をリフレインする。

 もちろん、常識的な金額としての上限は設定されているのが、あまりアキラはそのことに考えが及ばない。


「そう、ゼニの心配をすることなく首都まで行けて、上等な宿に泊まることができる、これは素晴らしいことだと思わないかい?」

「確かに、いいなあ……」


 興味を持ち始めてしまったアキラに、エルツーが釘を刺す。


「ちょっとアキラ、こんなやつの話を真に受けてるんじゃないわよ。なにより、首都の本選に出るためにはラウツカでの予備選に勝たなきゃいけないのよ。怪我するわよ」


 ラウツカ及び近郊地域から参加者を募って予選試合が開催されるのは、もうすぐだった。


「確か、並人さんしか出られない素手の部門があるはずっスよ。それだったら、アキラさんに勝てる奴、ラウツカの周りには滅多にいないんじゃないっスかね」

「クロも余計なこと言ってアキラを焚き付けてるんじゃないわよ!」


 ついつい、獣人男性としての血が騒ぐ話なので話を広げてしまったクロだが、エルツーに叱られた。


「まあ腕試しに、予選くらいは、出てもいいかな?」

「おまえさんならそう言うと思っていたよ! 他の街を見て見聞を広めるのは大切だからね! 人生とは大いなる旅路なわけだよ!」


 ということで、なしくずしにアキラは武芸大会のラウツカ予選に参加する約束を、ロレンツォ相手にしてしまったのである。


 酔いが醒めてから冷静に考えると、ロレンツォを付添いとして首都に連れて行くメリットなど何もないことに気付き、アキラは自分の酒癖を心の底から呪うのだった。



「素手の武芸大会かあ。防具を装着したうえでのなんでもあり、って話だったっけ……」


 予選の日にちが近付いたある日の朝、早くからアキラは浜辺で体を動かしていた。

 参加すると約束してしまった以上、反故にするわけにはいかない。

 なにより、腕試しとしてその手の試合に出てみたいというのは、アキラの正直な気持ちとしても、確かにあったのだ。


 ランニングや技の素振り、相手がいると想定しての一人稽古にアキラが汗を流していると、一人の男の子が近付いてくる。


 孤児施設で暮らす見習い冒険者の、カルだった。


「おお、久しぶりじゃん。なんか最近会わなかったけど」


 アキラは笑顔で声をかけた。

 カルとこうして面と向かって話すのは、大討伐任務以来のことである。


「まあ、ここのところちょっと、ウィトコさんに付いてって仕事教えてもらってたから」


 どことなく緊張したような、固い顔でカルは言った。


 カルは、まだ完全に吹っ切れていないのだ。

 フェイに想いを告げ、それが遂げられなかったことに。

 それはフェイの心の中に、アキラがすでにいるからだ。


 アキラを憎んで怨んでも仕方のないことだし、カルにそんな気持ちはない。

 言わば、誰も悪いわけではないことを頭で理解していても、胸の中が割り切れていないのだ。

 

 しかしアキラは罪なことに、カルのそんな胸の内を知らないし、気付かない。

 むしろ、カルがフェイに恋焦がれていたことすら、気づいていないまである。


「カルは今日はギルドに行くのか?」

「うん、まあ」

「そっか。またたまには稽古しようぜ。カルの動きは見てて眼が冴えるからな。俺もいい刺激になるし」


 アキラに誘われたカルは少しの間だけ考えて。


「今日、ギルドが開いたら、中庭でやろうよ。革の拳当て、持ってきてよ」

「グローブか? いいぜ、じゃあギルドまで持って行く。先に行って待ってな」


 カルはグローブを用いたスパーリング、あるいはミット打ち形式の練習がしたいようだ。

 アキラはそう思って楽しい気分で部屋に戻り、練習道具などを用意したが。


 カルは、本気であった。

 本気の勝負を挑むつもりで、心構えて。


 そして、ギルドに行く前に、港湾の衛士隊詰所に顔を出して、フェイを呼び付けた。


「……ど、どうした。なにかあったか?」


 フェイは、気まずい顔でカルを迎える。

 カルの気持ちを受け止められなかったことで、カルを傷つけてしまったのではないかという思いが、フェイにはどうしてもある。


「仕事の合間にでもさ、ギルド、覗きに来てよ」

「ま、まあ、業務の時間が空けば、顔くらいは出させてもらうが」

「見て欲しいもの、あるから。絶対だよ」


 そうしてカルは、本気のスパーリング、彼にとっての真剣勝負を、フェイに見てもらおうと思い、誘った。


 こんなことをしてどうなるのだろう。

 なにかが変わり、動くとでも言うのだろうか。


 そんなこと、ありはしないとカルも頭では分かっている。


 しかし、そうしないと、次の一歩を踏み出せない。

 自分の気持ちにケリをつけるために、カルはアキラに、本気で挑む。

 そのために、しっかりと地面を踏みしめながら、ギルドへ向かうのであった。

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