102 アキラは新たな日々に戸惑いを抱かずにはいられない

 冬も終わりの足音が聞こえてきた曇天の昼、ラウツカ市、その政庁施設の中。

 政庁というのはいわば市役所のような施設のことである。


 街の衛士であるウォン・シャンフェイ、通称フェイ隊長は、一人の異邦人の相手をしていた。


「この様子だと、休日は完全に潰れそうだな……」


 小さくつぶやいたが、相手はそれが聞こえなかったようで、フェイに対して疑問の声を向ける。


「じゃあ、ここはコンスタンティノープルでも、チナやジパングの港街でもないってことかい!?」 

「違うと言っているだろうが、さっきから」


 ついさっき出くわした、地球からの転移者、ヴェネツィア出身のロレンツォという男の相手を。


 彼の言うコンスタンティノープルというのは、現在のトルコ首都、イスタンブールの旧名である。

 ロレンツォは、自分が分けも分からず見知らぬ港街に立っている現状を、いつの間にかコンスタンティノープルに流れ着いてしまったものだと解釈していたのだ。


「帰れない、帰る手段がないと言われてしまってもね。なら一体おいらはこの先、どうすればいいんだろう?」

「そのために貴殿の住民保証を、今ここで行っている最中だろうが。あまり騒ぐな。面倒事は早く済ませてしまいたいんだ」


 休日を楽しんでいたフェイであったが、持ち前の責任感から、異邦人であるロレンツォの身元保証のために、こうして一緒に政庁に来ているのだった。

 フェイ自身が地球、中華の元時代からこの世界、リードガルドに転移してきたという事情がある。

 そのためにこうした、いきなり転移者に出くわした場合にどうすればいいのかという手続きの全般に詳しい。

 街のお巡りさん的な存在、衛士という仕事柄もあって、必要なことはすっかり頭の中に入っているのだった。


「しかしあなたは親切で魅力的な女性だね。僕はすっかり安心して離れられそうにもないよ」


 真面目な役所での手続きのさなかだというのに、隙あらばロレンツォはフェイを口説きにかかる、が。


「そうか。これからも困ったことがあれば政庁や衛士詰所に相談しろ。仕事だからな、たいていはちゃんと応対してくれる」


 フェイには、取り付く島もなかった。

 

 各種の面倒な手続きを終えて、フェイとロレンツォは政庁を後にする。

 これでロレンツォは正式にラウツカ市民として登録されるだろう。

 ひとまずは流民、難民を保護する集合居住施設にロレンツォは住むことになる。

 最低限の暮らししかできないが、無料である。


「他になにか質問はあるか?」

「寝床とおまんまを貰えるのなら、なんとでもなるとは思うよ。女神のごときあなたの慈悲に感謝だ!」


 わかっているのかわかっていないのか、ロレンツォは現状を悲観してはいないようだった。

 フェイにとっては安心材料ではある。

 しかし一度関わってしまった以上、ロレンツォという人物がこの先どのように暮らしていくのか。

 きちんと自立して生計を立てて行くのかまで、ついついフェイは気にしてしまう。


「後でまたアキラどのに時間を貰っている。頼りになる男だ。転移者の男同士、なにかしら相談に乗ってくれることも多いだろう」

「ああ、平たい顔の兄さんか。うーん、いかつい男に相談したいことなんて、おいらにありゃあしないのだけれどね」


 フェイの心配をよそに、ロレンツォは全く緊張感のないことを言っていた。



 ときを同じくしてラウツカ市ギルド、その応接室。

 アキラが支部長のリロイに呼ばれ、話し合いの席に座っていた。


「と言うわけで、初級冒険者二等への昇格とともに、春の特別褒賞ということでギルドから僅かばかり、アキラくんたちに出させてもらうことになったよ」


 リロイがそう言って、向かい合っている席に座るアキラの手を握った。

 精力的に依頼をこなしていることや、大討伐依頼で大物を倒した功績が認められ、アキラたちの昇格とボーナス支給が決まったのである。


「本当にありがとうございます……これも職員のみなさんや、仲間のおかげです」


 アキラは感激で目を潤ませながら、リロイの手を握り返した。

 自分の仕事が評価されるというのは、誰であっても嬉しいものだ。

 この仕事を選んでよかったと思うと同時に、この仕事に自分を引きこんでくれたリズたちへの感謝がアキラの胸に強く湧き上がってくる。


「ところでアキラくん、いずれこのまま頑張ってもらって中級以上の冒険者になるとして、だね。私からひとつ質問があるのだが」


 リロイは会話の最中、そんな質問をアキラに投げかけて来た。


「なんでしょう?」

「これからの大きな展望というか、目標や指針のようなものは、なにかあるかな? 冒険者として仕事をし、金銭を稼ぎ、生活を安定させていく、という以上の、なにかをだ」

「それは……」


 言われてアキラは、言葉に詰まった。


 そう言った展望がなにもないというわけではない。

 大事な仲間たちと、笑って幸せに暮らして行きたい。

 もっと便利で、もっと豊かな生活を獲得したい。

 そこには愛情方面の充実というのももちろんあるわけで、アキラが未来を志向していないわけではない。


 しかしそれは、冒険者でなくとも、アキラでなくとも、誰でも持っている望みだ。

 冒険者の東山暁は、リードガルドというこの世界で、この先どうありたいのか。

 そうした大きく根源的な問いに対して、はっきりと答えることはできなかった。


「難しく考えることではないがね。もし時間があれば、そんなことも自問してみてくれたまえ。どんな答えを出したとしても、ギルドとして協力することを約束するよ」


 リロイは優しくそう言って、励ますようにアキラの肩を叩いた。


 冒険者として一人前になりたい。

 一人の人間として、男として、逞しく頼られる存在になりたい。

 それと繋がるかはわからないが、火薬や銃器を開発してこの世界の発展に寄与したい。

 

 アキラはそう思って日々を送っているが、それが「なんのために」であるのかを考えたことはなかった。

 

 リロイに送り出され、応接室からロビーに出たアキラは、そこに居並ぶ他の冒険者たちを見渡す。

 

 きっと一人一人がそれぞれ、違う理由、違う目標を持って日々を生きている。

 ある者は愛する者を守るために生きているだろうし、ある者は復讐心に生涯を捧げて魔物を討伐したりもしている。

 一発当てて大金持ちになりたい、と毎日のようにロビーでうそぶくものもいる。


「大きな、望みかあ」


 アキラはそのことについて自問するのが怖かったし、今まで避けてきた理由がある。

 自分を見つめて、自分と向き合えばどうしたって「手の届かない物」と決着を付けなければならない。



 一つは、この世界から地球に帰るという望み。


 一つは、この世界のどこかにいるという、魔王を倒すという望み。



 大きすぎる、目指すには遠すぎるその二つの希望とアキラは真摯に向き合って、すっぱりと「諦める」という決断をしなければならない。

 そのことが、アキラにとっては怖いのであった。

 要するに、アキラはまだまだ精神的に若く、老成しきっていないのである。


 そもそも自分は地球に帰りたいのだろうか?

 魔王を倒したいと心から思っているのだろうか?


 アキラは、いずれ時間があるときに、そのことについて心から向き合おうと考えた。

 頭を使うことは苦手であるが、たまにはそう言う時間も必要だ。



 夕方、アキラは再びフェイとロレンツォと合流し、一緒に食事を採るために市街地中心部へ向かった。

 ギルドの事務方は今、仕事に追われていて変則シフトに入っている。

 リズは遅番を務めているために同席できないのがアキラにとっては残念であった。


「忙しい中たびたび済まないな、アキラどの。どうもこの男、緊張感に欠けるようで。貴殿からも少し喝を入れてやってくれないか」

「ははは、まあ楽観的なのはいいことだよ。精神衛生的にも」


 フェイはロレンツォの相手をしているのに少し辟易している様子で、苦い顔をしていた。


 ラウツカ市西横丁にある「怨霊庵」という居酒屋に、三人は入る。

 赤髪エルフ博士、上級冒険者であるルーレイラの行きつけの店だが、今日は彼女はいないようだ。


「ところで黒髪の兄さん」

「アキラだよ。いい加減名前を覚えてくれよ……」


 ロレンツォが遠慮なく二人の奢りで酒を飲みながら、アキラに話を向けた。


「あんたは、おいらの国の金貨を知っていたね。ジパングでも使っているのかい?」


 二人とも簡単な自己紹介は済ませてある。

 アキラが「黄金の国ジパング」の出身であると知っても、ロレンツォはへぇと言っただけであったが。


「違うよ。裏にイエスさまが彫ってあったから、ロレンツォが俺たちの世界から来た転移者だってすぐにわかっただけだよ。この世界にあるわけがないからね」

「なんてこった。なら、この街には教会も聖書も十字架もなにもないってことかい? いったいなにを信じてみんな暮らしているんだろうねえ」


 宗教的な話は面倒臭いことになるのがわかっているので、アキラも苦笑いするしかなく、話をいちいち繋げない。


 それはともかくとして、アキラにとってはロレンツォの持っていた金貨は価値がある、珍しいアイテムだ。

 中世のヴェネツィア共和国で使用、流通していた金貨は「ドゥカート」と呼ばれる。

 ロレンツィオが持っているそれは、表面に「聖マルコと、その前で跪くヴェネツィアの君主」が彫られ、裏面には「聖書を持って立つイエス・キリスト」が彫られている。

 

「その金貨、使い道がないなら俺が両替っていうか、この街の貨幣と交換してもいいけど?」


 ロレンツィオのこれからの生活を助けるためもあり、アキラはそう言ったが。


「うん? ダメだダメだ。ヴェネツィアに帰ることができない以上、この聖マルコやイエスさまはおいらの守り神だからね。そう簡単には譲れない」


 すげなく断られた。

 元の世界から持って来たもの、元々身に付けていたことはこの世界での宝物になりうる。

 他者に譲ることに抵抗があるのも納得がいく話ではあった。

 その夜は適当な話をして食事を済ませ、三人は別れた。


 が、後日。


「やあやあアキラくん、見てくれたまえよこの金貨、面白い作りだろう?」


 ロビーで依頼の物色をしていたアキラに、ルーレイラが一枚の金貨を見せびらかしてきたのである。

 

「……これ、ロレンツォが持ってたヴェネツィア金貨じゃん」

「ん? あの優男を知っているのかい? 遠くの国の、珍しい、今しか手に入らない物があるって言うからねえ。興味本位で買っちゃった。確かにこれは珍しい代物だよ。金の純度も含有量も素晴らしい!」


 そう、ロレンツィオは、自分の持っている金貨を、より高く買ってくれるであろうルーレイラに目星をつけて売りつけたのである。

 しかもたった一枚を、驚くような価格で。


「あの野郎……最初から胡散臭いとは思ってたけど……」

「どうしたんだいアキラくん、そんなに怖い顔は似合わないよ?」


 上機嫌でルーレイラは、金貨を撫でて眺めている。


 ロレンツィオは、決して嘘をついてルーレイラを騙したわけではない。

 ルーレイラはアキラが及びもつかないほどの金持ちでもあるので、少し珍しいものに大枚をはたいたとしても生活が破たんするわけでもない。

 なにより珍しいものを手に入れて喜んでいる彼女の気分に水を差すことは、アキラにはできなかった。


 そのためにロレンツィオに対して憤りを向けることができないアキラは、一人懊悩して、頭をかきむしる。

 

 冒険者として、リードガルドの住人として抱くべき大きな展望よりもまず先に。

 ロレンツォを、なんとかしてぎゃふんと言わせられないか、そんなことばかり考えてしまうのだった。 


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