101 フェイ隊長は氷の山へ調査に行けない

 ラウツカ市を襲った危機を、衛士や冒険者、市民が総力を上げて撃退してから数日が経った。

 防衛戦に参加したギルドの冒険者たちも、功績に応じた報酬を受け取り、街は普段の日常を取り戻しつつある。


 しかし、目に見えた異変、非日常の光景も、新しく発生した。

 

「まだいるのか……」 


 不機嫌を隠さない顔と声色で、フェイが呟く。

 その横にいるアキラも、渋い顔をして眼下の景色を眺めている。


 二人は今、ラウツカ市の城壁の上にいて、城外の平原を見下ろしていた。

 先日にアキラやフェイたちが、魔物の大軍を相手に死闘を繰り広げた場所だ。


 アキラとフェイはこの日、ともに仕事が休みであった。

 軽い運動として一緒に城壁の上をランニングしている、その途中である。


 彼らの視線の先には今、キンキー公国首都から派遣された、国軍の兵士たちが数百人あるいは千人ほどだろうか。

 ある作戦行動のために待機していた。


「あの人たちが、魔物が発生した北の雪山を、調べに行くんだよね」


 アキラの問いにフェイが黙ってうなずく。


 目の前にいる兵士たちは、今回のラウツカ襲撃の前に、王都から招集されたのだった。

 魔物が襲撃に来る前から、北の山に異変があるということはあらかじめ予測されていた。

 そのために衛士たちは調査隊を組んだのだが、そこに余計な介入をしてきた人物がいる。 


 国主である公爵家の二男、クリス殿下という男だ。

 クリスは先日から、お忍びと称して査察のためにラウツカ市を訪れていた。

 その間に北の雪山に異変が起こった。

 そしてその雪山の調査を、首都から呼ぶ国軍と、ラウツカの衛士の共同で行えと指図して来たのだ。


 元々はラウツカの衛士と、冒険者が行うはずの調査活動だった。

 クリス殿下の横槍が入って、冒険者はつまはじきにされた形になる。


 しかし、そこでアキラはいくつか疑問が生まれた。


「どうしてその王子さまだか公子さまは、余計な口を挟んできたんだろう?」


 国の貴族、国主の息子だから強権を揮いたいというのはわからないでもない。

 しかしわざわざ王都から軍隊まで呼び寄せる必要があったのか、その動機がわからない。


 アキラの疑問にフェイが答えた。


「これは私も又聞きだから詳しくないのだが、まず単純にクリス殿下は、ギルドの冒険者を快く思っていないらしい」

「え、なんで? 首都にも、冒険者ギルドはあるんだよね?」

「うむ。かなり大きなギルドだ。ラウツカのギルドよりも大きい。クリス殿下は若い頃、首都のギルドに所属する冒険者と、揉め事を起こしたことがあるそうだ」


 どうやら個人的な事情らしかった。


「それはどんな?」

「若い頃に、クリス殿下は身分を隠して街中の酒場で遊んでいたことが多かったらしいのだが」

「遊び人な貴族って感じだね。羽目を外したい気持ちはわかるけど」


 その手の逸話は、地球の歴史上でも枚挙にいとまはないので、アキラも特に驚きはなかった。

 有名なところでは、後漢の創立者、光武帝などが挙げられる。


「殿下は飲んで遊んでいた酒場で働く女性を見初めて、その、なんだ。夜に、仕事終わりの時間、誘ったのだそうだ」


 色っぽい話なので、フェイは少し言いよどんだ。

 アキラも聞いていて、少しむず痒い。

 しかし、その後の展開がアキラには不思議と、予想できた。


「でもその酒場の女の子が、嫌がった、とかかな。他に恋人や旦那がいる、とかの理由で」

「まさしくその通りだ。酒場の女性は、王都のギルドに出入りしている冒険者の恋人だった。大事な人を裏切れないと、あっけなく袖にされたらしい」

「わろす」


 正直な感想が、アキラの口を突いて出た。

 調子に乗っている貴族の鼻を、冒険者が明かす。

 そんな展開は、アキラにとって聞いていて気分のいいものだ。


「それでもクリス殿下はかなりしつこく迫ったようだが、女性の心は動かない。酒場の他の客に、相当な笑いものにされたらしい」

「完全な逆恨みでは……ギルド、なにも悪くないじゃん」

「ふふっ、この話だけを聞くと、確かにそうだな」


 フェイは軽く笑って、続きを話す。


「他に考えられる理由は、純粋に国軍の力を、ラウツカの市民たちに見せたかったのだろう」

「自分の息がかかっている軍隊が活動しているところを見せて、権威を示したかったんだね」

「だろうな。ラウツカは首都から遠く離れていて自治意識が強い。公爵家を尊敬する意識が市民の中に薄いんだ」

「まあ、どこの国でもある話だね……」


 アキラは一般論的にそう言った。

 しかし目の前で静かに待機している国軍の兵隊が、ラウツカ市民の尊敬を改めて浴びるというのは、難しいだろうと思った。

 なにしろこの軍隊がラウツカに到着する前に、衛士と冒険者たちが魔物たちの群れと戦って、それを殲滅してしまったのだ。


 間が悪い公子さまだ、とアキラは若干、同情した。

 軍隊を呼ぶのが、到着するのがもう少し早ければ、ラウツカ市の防衛戦に彼ら国軍も参加しただろう。

 そうなれば市民の間で、国軍万歳、公子殿下万歳と讃えるものも確実に増えたはずだ。


 しかし今、国軍の兵たちはいるのは、戦いが終わり静かになった平原だ。

 そして、おそらく魔物が残っている可能性の低い、雪山調査へ出発するために待機している。


 この調査活動は、参加予定であったラウツカの衛士も結局、外された。

 戦いで疲れているだろうから休息を取らせろという名目だった。

 しかし内実は、調査の成果を国軍で独占するためなのは明白であった。


「どれだけ詳しく調べるのかわからないけど、寒そうだよね、あの山……」


 アキラは遠くに見える北の雪山を見て率直な感想を漏らす。

 フェイの目にははるか遠くのその山の姿はぼやけてしまってハッキリ見えないが。


「衛士になりたての頃、訓練で山の中腹まで行ったことがある。マリさんの村があるあたりだったな」


 その近辺にフェイは若い頃、実際に行ったことがあるという。


「どうだった?」

「かなり厳しい環境だった。私は寒いのは割と耐えられる方なのだが、寒さにあまり強くない種族の獣人の同僚などは、訓練初日で音を上げて下山していたよ」


 タフなフェイがそう言うのだから、よほどのところなのだろう。

 温暖なラウツカから目に見える距離の山が、そんなに厳しい環境なのだということにアキラは驚いた。

 標高や地形による気候の変化が、地球や日本の常識とこの世界では違うのかもしれない。


「兵隊さんたち、大変だろうね……」

「そうだな。しかし見たところ、食料などの物資や防寒も、しっかり準備をしているようだ。部隊を編成した指揮官は優秀なのだと思うよ」 


 今回、公子の思い付きで干渉されたこと自体は、もちろんフェイの気に入るところではない。

 だが、国や民を守る役割という意味では国軍の兵も自分たちの仲間である。

 せめて調査を無事に終えて、彼らも五体満足で、誰一人欠けることなく帰還して欲しいと願った。


 

 その後、アキラとフェイは一緒に馴染みの飯屋である山猫亭に向かった。

 アキラは午後からギルドで話し合うべきことがある。

 暇なフェイも海辺を散歩しようと、市内の南側に移動したのである。


「済まないな、アキラどの。忙しいのに今日は付き合ってもらって」

「いやいや、午前中はヒマだったし。体も動かしたかったからね」


 二人は食事をしながら話す。

 今、フェイは上官から「出勤するな」と指示されて、休暇中、厳密に言えば非番である。

 家に居続けても鬱屈とするだけなので、アキラを誘って外出した。

 ランニングなど軽い運動ついでに、城壁の外の兵を見に来たのだ。


 孤児施設に顔を出しにくい理由がフェイにはあるのだが、それはアキラには話していない。


 フェイが自宅で休んでいるのは、先日に行われた魔物との戦いが原因だ。

 彼女は、活躍しすぎたのである。

 その凄まじい戦いぶりは瞬く間に街中の噂話の種になっている。


 もしも、国軍の一部隊を統括する立場にあるクリス公子がその噂を耳に入れたら。

 フェイに興味を持ち、ヘッドハンティングを受けてしまう恐れがある。

 だからフェイは衛士の上官と相談して、自分の功績を公式には低く記録し、今は目立つ行動を避けている最中なのだ。

 フェイもラウツカを出て行きたくはないし、ラウツカの衛士隊もフェイを手放したくはない。

 両者の希望はその一点で強く合致していた。


「公子殿下も国軍も、調査を早く終わらせて帰ってくれないだろうか……」


 フェイは力なく正直な気持ちを吐露した。

 その両者がラウツカの街にいる以上、フェイは目立った行動ができない。

 いつも通りの、体に染みついた生活が送れないというのは、ストレスがたまるものだ。


「フェイさんはその公爵次男の、クリス殿下って人の顔は知ってるの?」


 アキラはなんとなく疑問に思って聞いた。


「いや、知らないと言うか、覚えていないよ。首都に仕事の研修で前に行ったとき、遠くから拝謁することはあった」

「会ったこと、あるにはあるんだ」

「ああ、しかし私は目が遠目があまり利かないし、時間も短かったからな。細かい顔のつくりまではよくわからなかったんだ」

「そっか、意外とこの店の客の中に、紛れ込んでたりしてね。お忍びで出歩くのが好きな人みたいだし」

「気の滅入る冗談はやめてくれ。ろくに話したいことも話せなくなってしまうではないか」


 ハハハと二人が笑い、食事を終えて会計をしようとした、そのとき。

 店主の女性と他の客、若い男がなにやら押し問答をしていた。


「なんだいお客さん、この金貨や銀貨は? キンキー公国の通貨じゃないねえ。うちじゃ使えないよ」

「おお、なんてことだろう! とても困ってしまった! 信じてくれ、おいらは決して偽金を出そうとしたわけじゃないんだ。これは公爵の名のもとに造られた、やましい所のない金なんだよ!」


 どうやら客の支払おうとした貨幣が、ここキンキー公国のものではなかったらしい。

 ラウツカは港町なので、この手のトラブルは珍しいわけではない。

 事情を知らない外の国からの来訪者が、両替していない通貨を使えずに右往左往することは、ままあるのだった。


「やれやれ、私は今日は休みだというのに」

「いつも大変だね、小隊長さんは」


 フェイはそのやりとりを見て、男に怪しいところがないかを観察する。

 アキラもフェイの仕事熱心と真面目さに苦笑いして言った。


 男は革のパンツに革の靴、幾何学模様に織られた綿の外套に、毛の帽子をかぶっている。

 ラウツカではあまり見ない品物ではあるが、外の国や遠い街から来たものとしては特に驚くようなこともない外見だ。


 話しぶりからしても、嘘を言っている雰囲気はない。

 フェイは店主の助太刀に、そのやりとりの中に割って入った。


「失礼、港で衛士をやっているものだが、両替所まで案内しようか? ひとまずここの払いは待ってもらうように私から店主に頼んでおくが」

「おお! なんて幸運なのだろう! こんなに美しい淑女が手を差し伸べてくれるなんて、聖マルコの加護に感謝だ!」


 横でそのやりとりを聞いていたアキラが、驚いて真顔になった。

 聖マルコ、とこの男は言った。

 キリスト教圏で聖人として崇敬される、新約聖書の福音書記者、マルコの名を、この男は確かに口にした。


「お、お兄さん、聖マルコってのは……」


 アキラが話しかけると、男は目に見えて怪訝な顔をした。


「なんだい? まさか聖マルコを知らないわけはないだろう? ところであんたの顔は随分、平たいな?」

「そんなこと言われても……」


 初対面の見ず知らずの人間に、顔のつくりをダメ出しされてしまったアキラは泣きそうである。


「そんな知り合いは私にはいないが、とりあえず金貨をあらためさせてもらうぞ」


 フェイは男の言うことを聞き流しながら、男が店に払おうとしていた貨幣を確かめる。

 表面と裏面に人物らしき図が刻まれた金貨と銀貨だったが、フェイは全く見覚えがない。

 

「これは両替もできるかどうかわからないな……済まないが、衛士本部までご同行願えるか」

「ああ! どうすればおいらは身の潔白を証明できるのだろうね? お嬢さん、どうかおいらの目をじっくりと見てくれ! 嘘偽りなどかけらも言っていないことがわかるはずだ!」


 そう言って男は、フェイの手をぎゅっと握り、口がついてしまうのではないかと思うほどに顔を寄せた。


「な……離せ! 顔が近い!」

「おわっ!?」


 フェイはその手を捻って、バタンと男を店の床に転がし、叩きつける。

 そして自分の手を衣服の裾で拭い、アキラの方を見て、顔を紅くして言った。


「な、なにもされていないからな? こいつが急に近付いて来ただけで、私はなにも!」


 なにか、弁明するようなフェイの口調であったが。

 アキラはフェイと男の手からこぼれた金貨を見て、頭を押さえた。


 両面に人物と、アルファベットの文字列が刻印されたその金貨。

 裏面に描かれている髪の長い人物の像は、歴史オタクのアキラには見覚えがある。

  

「おー、ジーザス……マジか」


 中世ヨーロッパ、特にヴェネツィア共和国で使われていた、聖マルコとイエス・キリストが描かれた貨幣。

 そして確信と共にアキラは、フェイにこう教えた。


「フェイさん、こいつ、転移者だわ……」

「なんだと!?」

 

 二人が驚く横で、男は起き上がりながら腰をさすって、言った。


「アイタタタ……おいらがなんだって? おいらは、フランキ家の三男、ロレンツォだよ! ところで黒髪の美しいお嬢さん、あなたのお名前を聞かせてくれないか?」


 13世紀、中世と呼ばれたイタリア、ヴェネツィア生まれの商人の子。

 ロレンツォ・デ・フランキが、冬のラウツカの街に転移した。


「そして一体、ここはなんて言う街なんだ? 誰か教えてくれるかい? まさか寝ている間に、チナやジパングに来てしまったのかな? ポーロ家のほら吹きオヤジが言っていた、はるか遠きジパングに!」


 しかも、史上名高いマルコ・ポーロの知り合いだった。

 アキラは歴史の生き証人が目の前にいる感動にうち震えながら、フェイに笑ってこう言った。


「良かったね、フェイさん。時代的には結構、フェイさんに近いよ、こいつ」

「知らん! どうでもいい、そんなこと!」


 港の飯屋に、不機嫌なフェイの叫びが響き渡った。

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