インターミッション08 カレンとコシローの南海外道発見伝

 ときを少しさかのぼり、まだラウツカの街を魔物が襲っていないころ。


 木枯らし吹きすさぶ冬の峠道を歩いている二人組があった。

 一人は日本からリードガルドに転移した剣客のコシロー。

 そして彼の隣にはカレンと言う並人(ノーマ)の女性。


 二人は小さな可愛らしいロバに、旅荷物を乗せて曳いている。

 ラウツカの街からは西にずいぶん離れたこの峠を抜けると、目的地であるイサカの街だ。


「イサカとか言う街に着いてからはどうするんだ。俺はお役御免か?」


 少し雪のある道を歩きながら、コシローがカレンに尋ねた。

 イサカの街までの道中を護衛して欲しいというのが、当初にカレンが出した依頼内容だ。

 比較的に大きな街なので、冒険者ギルドもある。

 引き続き道中護衛が必要だとしたら、イサカのギルドで新しく契約し直せばいいわけだ。


「向こうに着いてからギルドも覗いてみるけど、もう少しの間は付き合って欲しいかな」


 別の冒険者に依頼をし直すとしても、条件に適合した人材がすぐに見つかるとは限らない。


「なんでもかまわん。金はよこせよ」


 ラウツカに早く戻るほどの用事も特にない、と考えているコシロー。

 この依頼で時間を取られても、金銭が手に入るなら特に文句もないと思っている。

 あくまでも、このときは、だが。


「それはもちろん。大きい街だからね。私も結構稼げると思うよ」


 カレンは流しの歌唄い、吟遊歌人と呼ばれる生活をしている。

 行く先々の街や村でギタラと言う弦楽器を鳴らし、歌を歌うのだ。

 旅の道中で歌詞を考えており、自然を歌うこともあれば、魔物に立ち向かう冒険者を題材にすることもある。

 

 歌詞を書きとめているところをコシローは見たことがないので、それらはすべてカレンの頭の中にあるのだろう。

 ひょっとすると事前に考えてすらおらず、曲も詞も即興なのかもしれなかった。

 歌戯芸能に疎いコシローには、よくわからない領域である。


 歩みを続け、峠を越えようとするカレンとコシロー。

 この日は早朝から移動を始めており、順調に行けば暗くなる前にイサカの街が見えてくる算段だ。


 しかしそう簡単にいかないのが旅の常で、コシローは道中、何匹かの野犬を撃退した。

 魔物にはなっていないようだったが、野山の獣の雰囲気が少しおかしいのではないかと、カレンもコシローも感じていた。


「近くでなにかあったのかな。大型の魔物が出たとか」

「どうだかな。手ごたえのある奴がたまには出て来て欲しいもんだが」


 相変わらずのコシローの物言いに、カレンはクスリと笑った。



 峠の山道を抜けると、二人の視界の先に街の姿が見えて来た。

 途中で獣たちを追い払ったりなどしたせいで思ったより時間がかかり、陽はほぼ落ちかけている。


 この街にはラウツカのような石の城壁はない。

 そのかわりか、丈夫そうな大きい木の柵と高楼、おそらく見張り矢倉と思われる設備に守られた街だった。

 柵の外周をさらに水濠が取り囲んでいる。

 コシローはそれを見て日本の城、特に江戸城の近辺を思い出した。


「あれがイサカの街だよ。とりあえず、宿のアテを付けよう」


 カレンはそう言って、コシローを導いて街に入って行った。

 イサカの街はラウツカと違い、出入りするものを一人残らず検問していた。

 ラウツカでは城門から街に出入るものの取り調べは、基本的に抜き打ちであり全員ではない。


 街の入り口で二人も簡単な身元確認を受ける。 


「ラウツカから来たのか。おかしな話が出ているらしいな?」


 通関検査はすんなり終わったが、門衛がそんな世間話をコシローに振った。

 コシローは詳しく知らない話なので首を捻った。


「なにかあったのか」

「森の獣が大量に城壁の前まで押し寄せたらしいぞ。悪いことの前触れでなければいいけどな」


 門衛のその言葉に、コシローは気色ばむ。


「おい、それは物の怪が騒いでるってことか!?」


 自分が留守をしている間に、ラウツカが魔物などに襲われたのだとしたら、コシローにとっては一大事である。

 彼はなによりも戦場の、生と死が隣り合い剣戟の音と血の香りが満ちるその空気を渇望している。

 そのチャンスを、旅と山歩きで失ってしまってはかなわない。


「猿や鹿が騒いだ程度で、魔物が出たという話はまだ聞かないな。なにかあれば、ラウツカの衛士が調べるんだろう」


 特にそれ以上の情報は、今の時点ではないようだった。

 心の片隅にわだかまるものを覚えながらも、コシローはこの話題についての情報を追求することを保留にした。

 今はカレンの依頼を遂行することが優先事項である、

 噂話程度のことを深く考えている場合でもないからだ。


「ラウツカが心配?」


 コシローの顔色を見てカレンがそう尋ねた。


 転移者であり、根無し草のようにふらふら生きているコシロー。

 彼にとって、ラウツカと言う街そのものにはそれほど思い入れはない。

 しかし彼はこう答えた。


「あの街にいれば、面白い敵には困らんからな」

 

 それはコシローにとって飾らない正直な気持ちだった。



 二人はその後、手ごろな宿を見つけて荷物を置き、ロバを預ける。

 宿には浴場も備わっていたので、久しぶりにゆっくりと温かいお湯に浸かって体の疲れを癒した。


「せっかく大きい街に来たんだから、飲みに行こうよ。夜のお店がどんなものなのかもじっくり見たいし」


 カレンはそう言ってコシローを外に誘った。


「今日は歌わんのか」

「うん、明日からにする。とりあえず美味しいもの食べたり飲んだりしたいかな。今まで質素な旅だったからね」


 カレンは流しの歌唄いを今日は休養日として、純粋に夜の繁華街を楽しみたいと言った。

 もちろんボディガード役のコシローはそれに異を唱える理由もないので、黙ってカレンに付き従った。 


 賑やかな大通りから少しはずれた路地。

 そこにはいかにも通好みと言った、隠れ家的な飲み屋が何軒かあった。

 見るからに怪しい風体の通行人もいるが、コシローにちょっかいをかけてくる勇者はない。


「どのお店がいいか、コシローの鋭い勘で当ててみてよ」

「知るか」


 カレンの無茶振りに、コシローは付き合わなかった。

 仕方なく、カレンは通行人の中でも身なりのまともな男を捕まえて、このあたりで評判のいい店を聞くことにした。


「酒なら、そこの角を折れたところにある『蜜柑時計』って店が、そろってるよ。そこで飲みながら、余所の店からメシを運ばせればいいんじゃないか」


 いきなり話しかけられた男はカレンとコシローに少し警戒しているようだったが、きちんと店の情報を教えてくれた。


「なるほど、そのお店の店主さんなら、美味しい他の料理屋さんも知ってるってことね」

「ああ、この一角では顔役みたいな店主だからな。そうそうおかしなものを勧めてはこないはずだ」


 カレンは男に礼を言って銀貨を渡し、別れる。

 さっそく教えてもらった飲み屋「蜜柑時計」と言う店に、コシローを伴って入っていった。


 重い木の扉の奥に、香草や酒の匂いが満ちていた。

 数種類の酒を提供するとともに、さらに数種の香草、薬味などをブレンドして味を変えた飲み物として楽しめる店だ。 

 ラウツカにもこの類の飲み屋は何軒かあり、いわば地域の新しいブームになりつつある業態だ。


 店の作りはウナギの寝床のように細長い。

 立ち飲み形式ではなく、脚の高い椅子と細長いカウンターテーブルで席が構成されており、ボックス席のようなものはない。


 カレンは店主の男性に、この店で食事も済ませたいという旨を伝えて酒を頼んだ。


「お客さん、ラウツカから来たのか。あそこは魚も肉も美味いからな。ここの街だと、なにがいいかねえ……」


 店主はカレンの要望に少し悩むそぶりを見せた。

 やがておすすめが決まったようで、他の店員を使い走りに出して、イサカの街で評判のいい店の料理を集めた。


「トビボラの卵巣を塩と香料に漬けて、燻製にしたものさ。イサカ一番の珍味だよ。よその食通さんもこれには唸って帰るね」

「カラスミか」


 ボラの卵巣が飛び切りの美食であるのは、コシローも知っている。

 もちろん彼が食べていた魚と、この世界の魚とは同じではないのだが、それでも味が絶品なのは間違いなかった。

 塩辛さだけではなく、薬味と燻製の香り、そして魚卵の濃厚な旨味がふんだんに感じられる。

 さらに舌にねっとりと絡みつく感触は、店主の言うとおりに極上の珍味であった。


 そのようにカレンとコシローは店主の勧めに応じて、少量ずつではあるが、多種の美食を楽しんだ。

 カレンも酒の量を重ね、いつしかその頭はフラフラ揺れ、舟をこぐ有様になっていた。 


「おい、こんなところで寝るな」 

「うーん……」


 コシローが肘で小突いたが、カレンは卓の上に顔を突っ伏して、ムニャムニャと寝息を立ててしまった。


「あちゃあ、お客さん、困りますよ。ここで寝られちゃあ」

「俺に言うな」


 やれやれとコシローは溜息を吐く。

 カレンを背負って宿まで戻らなければならないのかと思うと、さすがの彼も気が滅入るのだった。


「とりあえず、今までの分のお支払いを先にお願いしてもよろしいですかねえ」


 店主はもうじき店じまいなのだと言い、帰るなら支払いを済ませてくれとコシローに言った。

 至極当然のことではある、が。


「ツケておけ。金は宿だ。後で払いに来る」

「それはききませんよ、旦那」


 コシローはそれほど多くの現金を手元に持っていないので、宿に預けてあるカレンの軍資金が頼りである。

 しかし初めて来店した、見知らぬよその街のものが「後で払う」と言ったところで、信用されるわけはないのであった。


「くそったれ。いくらだ」

「へえ、大金貨1と、小金貨6になります」


 ちっ、とコシローは舌を打った。

 高い、高すぎる。

 この世界、このイサカという街の物価相場をコシローはよく知らない。

 しかしラウツカで職人に特注して作らせた、コシローの脇差風刀剣と同程度の金銭を一晩の飲み食いで要求されている。


 コシローの頭に一つの考えが浮かぶ。

 刀を預けてカレンを連れて宿に戻り、翌日に店に代金を払うか。

 しかしそれはコシロー自身、すぐに却下した。

 始めて来る勝手のわからない街であり、武器を手放すわけにはいかない。


 しかし、今ここにカレンを置き去りにしてコシローが宿に金を取りに行くというのも難しい。

 金を預けているのはあくまでもカレンなのだから、コシローがそれを引き出そうとして通るかどうかわからないからだ。


「コイツが起きるまで待つか、払いを少し負けるか、どっちかだな」


 憮然としてコシローは店主に言い放った。

 カレンが目を覚ませばなにかしらの対応を考えるだろう。

 もしくは、金額が安ければ、今のコシローの手持ちで支払うことができなくもない。


「こっちも商売なんでねえ、あまり迷惑なお客さんは……」


 店主がぎらついた目でそう答えて。

 店の奥から、屈強そうな犬系獣人の男が一人、姿を現した。


「そのねーちゃんを置いて、アンタが金を取りに行けって言ってんだよ!」


 獣人男はコシローに凄んでそう言ったが。


「断る。こっちも仕事だ」


 コシローは取り合わない。

 雲行きが怪しくなってきた以上、この場にカレンを置き去りにするとどうなるかわかったものではない。


「少し痛い目に遭ってもらわないと、わからねえかぁ……?」


 ぽきぽき、ぽきと指の関節を鳴らして大柄な獣人男がにじり寄って来る。

 コシローは相手が仕掛けてくる前に席から立ち上がって。


 グワッシャァッ!!


 自分が座っていた椅子を思い切り振りまわし、獣人男の脳天に食らわせた。


「むぎぃ……」


 小さなうめき声と共に、獣人男は床に仰向けに倒れた。


「あ、ヒィィィ……」


 あまりに突然のことに店主はすっかり腰が抜けてしまう。

 コシローはカウンター越しに店主の服の胸ぐらをつかんで、噛みつくのではないかと思うほどに顔を寄せて、言った。


「払わんとは言ってないんだ。俺に脅しが通用すると思うな。女が起きるまで大人しく待ってろ」


 コツコツ、とコシローがカレンの椅子の足を蹴る。

 そうするとカレンは体をもぞもぞと動かし、うーんと唸って顔を上げた。


「あれ、寝ちゃってた。ごめんごめん」


 目を覚ましたカレンを見て、店主が驚きの表情を浮かべる。


「な、なんで、こんなに早く……」

「あらあ、ひょっとしてお酒に眠り薬かなにか入れてたのかな? ごめんねー、私、あまりその手の薬が効かない体質でさあ」


 そう、店主は最初からカレンを眠らせ、物を知らなさそうなコシロー相手に値段を吹っ掛けるつもりだったのだ。


「ったく、クソッタレな店だな」


 恐らくは、最初に道端で店の情報を教えてくれた男も、この店がそう言う店だと知ってて教えたのだろう。

 店主の知り合いかなにかなのだろうなとコシローは思った。


「コシローの方のお酒は大丈夫だった? 変な物とか入れられてない?」

「知らん。最初の一口で口に合わなかったからな。残りは床に捨てた」

 

 ぶっ、とカレンは吹き出して笑い、店主に向き合ってこう言った。


「私はここのお酒、結構好きだよ。ちゃんと真面目に商売した方がいいよー。こういう、オッカナイお客もいるからね、中には」


 カレンはそして、適正価格と思われる金貨を店主の方に放り投げて、こうも言った。


「そこで質問なんだけどさ、店主さん」

「は、はい……なんでしょうか」

「他にも、最近この街、この店に変わった客、変な客が来なかった?」

「変わった、客……?」

「私、いろんなところの面白い話を集めて歌にしてるんだよね。参考までに聞かせてくれると嬉しいなあ」

「へ、へえ……やたら払いはいいのに、だんまり決め込んでる無口な客とか、いましたがね……」


 などと、コシローの眼光に怯える店主からしばらく話を聞いて、二人は店を出たのであった。


 

 店を出て、カレンとコシローは宿に戻ることにした。


「散々な目に遭ったねえ。あんなお店ばかりじゃないとは思うんだけど」

「勝手を知らないよそ者だからと、甘く見られたんだろうな」


 二人はすっかり冷めた気持ちで、未明の路地を歩いていた。


「ねえコシロー、私が心配だったから、店に置き去りにしなかったの?」


 そう尋ねたカレンに、コシローは呆れて口をあんぐり空けて、応えた。


「お前になにかあったら、俺の雇い賃を誰が払うんだ」

「そこは、心配だったって言ってよ。つれないなあ」


 二人はその後も少しだけ、イサカの街に留まって。


「次の目的地が決まったよ、コシローもついて来てくれる?」

「別に構わん」

「そこの街までで、多分、お別れになると思うけど」

「そうか」


 次に旅に向かった頃に、ラウツカの街が騒ぎになっていたのだが。

 コシローはそれを知らない。

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