100 そして、新しい朝を

 太陽が昇り、戦いの終わった冬のラウツカ市に朝が訪れた。

 まだ早い時間帯であるにもかかわらず、ラウツカ市ギルドの建物は、人の群れでごった返している。


「報酬の支払いは、申し訳ありませんけれど後日になりますわ!」


 ギルド入り口、大扉の前で、受付職員のナタリーが叫ぶ声が聞こえる。


「ひとまず仮の依頼達成確認票をお渡ししますので、冒険者証が見えるようにお並びくださいませー!」


 など、これからの手続きの進め方について案内していた。

 

「やっぱりこうなったか……」


 人だかりと喧騒の光景を見て、アキラは予想通りといった声を漏らした。

 今回の依頼は突発的で特殊だったために、事務的作業が追い付いていないのである。


 ギルドに来る前、アキラは一度、部屋に戻ってお湯で体を拭き、返り血だらけの服を着替えた。

 ある程度、身支度を改めてからこうしてギルドの様子を見に来たら。

 人、獣人、エルフ、ドワーフ、色々、そしてその行列である。


 一度にたくさんの冒険者が同じ依頼を受けて、同じタイミングで仕事を達成したのだ。

 その報告で人が押し寄せて、ギルドが芋洗い状態になるのは十分に予想ができた。


 職員たちの苦労を想像すると、アキラは若干、胃が痛い。

 アキラもギルドの事務方手伝いを、短い間やっていたことがあるので、その大変さがわかるのだ。


「エルツーたちもいないしな……手続きは後からでいいかなあ」


 ここ最近、アキラたちは仕事の調子が良かった。

 そのおかげで、日々を暮らす金銭に困っているわけではないのだ。

 リズに一刻も早く会いたい気持ちはやまやまであったが、ギルドの様子が落ち着くまで、自分の部屋で休んでいようか。

 そう考えていたとき。


「アキラさん、なにを帰ろうとしてらっしゃいますの! 早く中にお入りになって!」  


 ナタリーに腕を引っ張られて背中を押されて、アキラはギルドの中に放り込まれる。


「いや、今忙しそうだし、行列も長いしさ」


 とアキラは言ったが、自分は行列をすっ飛ばしてギルドの中に入っている。

 手続きを優先的に行ってもらえるような、ファストパスポート的なものを手に入れた記憶はないのだが。


「そんなものあとでよろしくってよ。まずは会うべき相手に会って、言うべきことを言ってからですわ!」

「会うべき、相手って……」


 促されてロビーを見ると。


「お帰りなさい、アキラさん!!」


 受付嬢のリズが、満開の花のような笑顔で立って出迎えてくれた。


「はい! ただいま戻りました、リズさん!」


 アキラも、自分の中から自然と最高の笑顔が出て来て、そう答えた。


 因縁のある魔物、大緑との戦いを終えて。

 今回は、今回こそは見事に斃し、そして五体満足でギルドに戻って来た。


 以前のことを思うとアキラの目にはこみ上げるものがあったが、今は、泣くときではない。

 笑おう。

 とびっきりの笑顔で、帰還を喜ぼう。

 共にそれを祝ってくれる大事な人が、今こうして目の前に、いるのだから。


 リズは昨夜から不規則に休憩と勤務を繰り返しており、一度部屋に戻ってゆっくり休めと上司に言われた。

 忙しい中ではあるが交代要員もちゃんといるから、と。


 危機を脱し、街もギルドも、既に日常を取り戻しつつあった。

 この活気や生命力のようなものは、ラウツカの本当にいい所だなとアキラは思った。

 

「じゃあ俺、部屋まで送るよ」


 手続きは後日、エルツーたちと一緒の方が、混乱がなくていい。

 アキラはそう思ってリズを部屋まで送り届け、自分も帰って休むことにした。


「ありがとうございます。アキラさんだって、疲れてるのに」

「いやあ、なんかハイになっちゃってね。我ながら、すげえ戦いだったなって思うし……」


 疲れを感じさせない爽快感を見せて、アキラが言った。


 帰り道、街の中はどこも歓喜の声が満ちていた。

 この街を自分たちが守ったのだと思うと、アキラは改めて誇らしい気持ちで胸がいっぱいになる。

 勇気を出してこの依頼に参加して、本当に良かった。


「アキラさん、英雄(ヒーロー)なんですよ? 自覚あります?」

「勝ったのは、みんなの力だろ。俺だけ頑張ったわけじゃないよ」


 謙遜でも卑下でもなく、アキラは正直な気持ちでそう言った。

 事実として、アキラの言葉に間違いはない。

 たまたま、自分やクロが素手の喧嘩に向いているタイプだったから、武器の効かない敵に対抗し得ただけだ。

 それも周りの協力があってこそであり、アキラ一人でなにかができたわけではない。


「でも、巨人の魔物を倒したのは、アキラさんですよね? ギルドに来たみんなが噂してました。すごい武術だった、すごい戦いだったって」

「トドメを刺したのはクロちゃんの噛みつきだよ。あれはヤバい。思い出してもビビっちゃうよ」


 自分たちの成果、その詳しい内容は後日、ギルドでゆっくり報告する機会がある。

 だからアキラは、自分が戦場で見た他の光景をリズに話して聞かせることにした。


「馬に乗って、槍を振り回して敵を蹴散らしてるフェイさんを、一瞬だけ見たんだ」

「フェイさん、過酷な任務の隊長さんをやってたんですよね」

「うん、ものすごい勢いで、まるで雑草や藪の小枝を払ってるみたいに、ばっさばっさ敵を倒しちゃうんだ。本当に、カッコよかったよ……」


 他にも、フェイの後を追うように奮闘していた、戦槌を持ったドワーフの勇ましさや力強さや。

 アキラの近くで戦っていた、連携のとれた見事な動きの冒険者たちについて、夢中になってアキラは話す。

 

 なによりも、以前にアキラが怪我を負った際に、ラウツカに運んでくれた、森の衛士とも会った。

 命をかけた戦場、しかもあのときと同じ因縁のある、大緑と戦う直前にだ。

 その衛士も突撃隊という決死の精鋭部隊に参加するほどの、屈強なつわものだというのが嬉しかったし、格好良かった。


 今までに知ることのなかった衛士や冒険者の一面を一度にたくさん見て、アキラはいくら話しても足りなかった。


 しかし、リズは若干、口を尖らせてつまらなそうにしている。

 

「ご、ごめん。なんかつまんなかったかな、俺ばっかり話して。リズさんも疲れてるのに」

「違います」


 ぷくう、と頬を膨らませ、アキラの目をキッと見つめて、リズは言った。


「私は、アキラさんの活躍を、聞きたいんです。アキラさん本人の口から」

「それは、ギルドに後で報告を……」

「お仕事の報告みたいな無味乾燥な話じゃなくて、面白おかしく、カッコよくアレンジされたアキラさんの武勇伝を聞きたいんです」


 そんな他愛もない、可愛らしいワガママを面と向かって言われて、アキラも流石に困惑した。


「え、ええ? いやあ、自分で自慢みたいな話を、べらべらしゃべるのは、ちょっと……」

 

 その手の冒険者も多いが、もちろんアキラは違った。

 基本的にはシャイな、日本人の一般男性なのだ。

 俺が俺がと、ガンガン行くようなタイプではない。


「好きな歴史のことだったら、夢中になってたくさん話すのに……」


 オタクに対して痛いことを言うリズであった。


「自分のことじゃないし、好きな分野だから色々話せるよ。日本のお城の石垣についてだけでも、三時間くらい延々と語り続ける自信がある」


 そしてどうしようもなく、アキラはダメなオタクであった。

 リズが聞きたいのは面白い話や珍しい話ではないのだ。


「私、アキラさんから今回の活躍の話が聞けると思って、楽しみに待ってたんですよ?」


 そう、なによりも「アキラの話」が聞きたいし、知りたいのだ。


 魅惑的な女性から上目づかいでそんなことを言われ、アキラは心臓の鼓動が一瞬、止まりそうになった。

 せっかく無事に生き延びて帰還したのに、こんなところでキュン死しては、ラウツカに長く残る伝説になってしまう。

 今、この場で倒れるわけにはいかない。

 戦場にいるとき以上に、アキラは気をしっかりと張った。


「そんなふうに話そうと思ってもなあ、難しいなあ……」


 頬をかくアキラの右腕に自分の腕をからませて、リズの攻撃は続く。


「少し遠回りして、浜辺を歩いてから帰りましょう?」


 年頃の女性に、甘えられるように腕を、組まれた。

 非モテの暗い青春を送ったと自称するアキラにとって、これは深刻な事態である。


「ちょ、リズさん、俺、汗臭いって! それに魔物の血とか、一応洗ったけど、まだついてるかも!」

「ぜんぜん気になりませんよ? それより、どんなふうだったのか、帰るまでの間に色々、聞かせてくださいよ」


 むぎゅむぎゅ、と抱えられたアキラの右腕に、とても大きく、そして柔らかい感触がある。

 クリティカルヒットであり、効果は抜群だった。


「い、い、色々、ねえ~? そうだなぁ~……」


 致命傷を与えられ完全に無力化されたアキラは、IQがダダ下がりである。

 だらしなく変な顔で、たどたどしく、自分の戦いを振り返りながら。

 にこにこと笑って横を歩くリズに、今回の物語を言って聞かせる。


 ゆっくりと、ゆっくりと歩き、二人は帰路を楽しむのだった。


 この日、本当はリズはこんな態度を取るつもりではなかった。


 心身ともに疲れているだろうアキラを、戻ったらいっぱい、労わってあげよう。

 アキラの方が年上だが、今日はいっぱい、アキラの方から甘えてくるように仕向けよう。

 ギルドで待っている間、リズはそう考えていたのである。


 しかし、帰って来たアキラが、あまりにいつも通りで、疲れを見せない元気な顔をしている。

 胸が裂けるほど心配して待ち続けたリズは、その顔を見てなんだか悔しくなった。


 本当は、戦いに疲れたアキラを、慈母のように優しくねぎらってあげようとしていたのに。

 そのアキラがケロッとしている。

 丈夫でとぼけた、いつものアキラである。


 肩すかしを食らった気持になったリズは、意地悪をしたくなった。

 アキラに甘えて、ワガママを言って、困らせてしまいたくなったのだ。


 なにより。

 フェイの話を、あんなに楽しそうに、キラキラした目でアキラがしているのを見て。

 リズは余計にむかむかしてしまったのだ。


 二人の思いは、寄り添っているようであり、すれ違っているようでもあり。

 それでも、一つの、心から思うその願いだけは、二人とも、同じだった。


 この時間が、いつまでも続けばいいという、その願いは。



 ラウツカ市内、北東の城壁前広場。

 仮設の天幕が張られ、その下にムシロが敷かれて、多くの冒険者や衛士たちがいた。

 主に疲労で動けなくなったものが休んでいたり、軽傷を負ったものが治療を受けたりしている。

 ここは防衛戦にあたって用意された、救護所であった。


 重傷者や死者は、別のところに運ばれて対応されているため、ここにはいない。


 北門一番隊の小隊長、そして今回の防衛戦で、突撃騎馬部隊の隊長を担ったフェイが、そこに顔を出していた。

 怪我を負った衛士や冒険者たちに、声をかけていた。


「大丈夫か、エルツー。大手柄だったな」

「ああ、フェイねえ。大丈夫、ダルいだけ……甘いものが欲しいわ……」


 強化魔法を使って魔力と気力を使い果たしたエルツーも、そこで休んでいる。


 近くには半白髪の見習い冒険者少年、カルもいた。

 こちらは、くうかあと気持ちよさそうに寝息を立てている。

 まだ起こすことはないかと思い、フェイはそっとしておいた。


「どうやら大通りに出店が出ているようだ。なにか買って来てやる」

「あれ、全部タダだと思うわよ。とにかく、よろしく……」


 エルツーの言うとおり、無料で飲み物や食べ物が振る舞われていた。

 戦いに参加したものや市民たちが、飲んで、食って、騒いで、躍ってを繰り広げている。


 飲み物を杯に入れて配っているものの中に、知っている顔の獣人の男女もいた。


「クロどの。それと、確か、マリさんだったな」

「あ、フェイさん、お疲れっス!」


 二人は炊き出しから派生したお祭りに参加して、料理を提供する作業を手伝っていた。


「隊長さん、ありがとう! これ飲んで! 美味しいよ!」


 砂糖とミルクを混ぜた温かい茶を手渡しながら、マリが喜びの笑顔を見せる。


 この獣人少女、マリの暮らしている村が、最初に魔物の群れに襲われた。

 彼女はその後、わき目もふらずに、危機をラウツカに知らせるために走ってくれた。

 だからこそ今の勝利があると、フェイは思う。


「礼を言うのは私たちだ。あなたのおかげでラウツカは救われた。本当に、本当にありがとう」

「そ、そんな。私はただ、村のみんなの仇を、討ってほしかっただけで……」

「あなたのその気持ちが、この戦の決め手になった。私たちの勝利であり、あなたの、勝利なんだよ。あなたが、勝ったんだ」


 フェイの言葉にマリは、嬉しさのあまりに、泣いて崩れた。


「う、うう、良かった……父さん、母さん、みんな……勝ったんだよ。みんなで、勝ったんだよ……」

「マリ、お前はよくやったっス。みんな、お前に感謝してるっスよ」


 クロがその背中や頭を、優しい手で撫で続けていた。  



 飲み物を受け取って、フェイはエルツーのもとに戻る。


「……犠牲は、何人くらいかしら」


 飲み物を受け取って、ゆっくりと口に運びながら、エルツーが聞いた。

 

「衛士隊が、諸々の隊を合わせて、十五人。冒険者の方はハッキリとしないが、おそらく十人前後だろうという話だ。重傷者はその倍以上いる」


 死者は二十五人前後、重傷者は五十人以上というフェイの言葉。

 エルツーが直前に予想していた通り、中央よりも東西の防衛ラインが激戦区だった。


 フェイからその説明を聞き、エルツーは長い溜息を吐いた。


「多いのかしら。それとも、これだけの数の犠牲で、よくやったって思うべきなのかしら……」

「それは、私にもわからんよ」


 もっと上手くできたのかもしれないと考え出しては、きりがない。


 ちなみに、フェイが率いていた突撃隊。

 総勢百名のうち、死者は二名だった。

 重傷者は十名前後いる。


 たいていは、戦場の混乱で馬から落ちてしまったものたちだ。

 落馬自体が大怪我に繋がったか、あるいは体勢を立て直す前に魔物の群れに取り囲まれて襲われたという状況が多い。


 フェイが最初に乗っていた馬も、怪我を負ってそのまま死んでしまった。

 あのとき、フェイも一歩間違えば命を落としていた。

 自分が生きて帰り、今ここにこうして立っているのも、ほんの些細な分かれ目でしかないとフェイは思った。


 他の犠牲者の多くは、空飛ぶ毒トカゲの吐く粘液を浴びてしまった衛士や冒険者だ。

 あっと言う間に人や馬の体を溶かしてしまう、恐ろしい攻撃だった。

 毒トカゲが一番の脅威だと評価したフェイの直感は、正しかったのである。

 ルーレイラが炎の精霊戦士で対抗しなければ、どれだけ被害が広がったか、わからない。


 突撃隊からも死者が出たと聞いて、エルツーは沈んだ顔でフェイに聞いた。


「トム……トマスって言う、郊外の森の衛士さんは?」


 彼は、エルツーの目に、とても勇敢な戦士に映った。

 怪我をしているのに、すぐに回復を受けて戦闘に戻ろうとしていた。


 責任感の強い、闘志あふれる立派な衛士だからこそ、戦場では真っ先に――。

 そういった、暗いことをエルツーは考えてしまったのだ。


「ああ、彼なら……おお、ちょうどいいところに」


 そう言ってフェイが顔を向けて示した先に、一人の男が見える。

 右腕を布で吊り下げた衛士が、フェイやエルツーを見つけて歩いてこちらに向って来たのだ。


「また会えましたね。ご無事のようで、なによりです。ご活躍を聞きましたよ」


 頭と顔の半分も、包帯でぐるぐる巻きだ。

 そのためにわかりにくいが、その爽やかな声と話しぶりは、確かにトムであった。

 怪我が多かったために、こことは別の場所で手当てを受けていたようだ。


 その姿を見て、エルツーは安心し、顔をほころばせる。


「良かった。あなたが死んでたら、アキラがまたきっと大泣きするところだったわ」

「確かに、アキラどのならそうなりかねんな」


 エルツーとフェイがハハハと笑う。

 トムは、いやいやいや、という風に掌を横に振る。


「初対面に等しいような自分になにかあったとしても、そうはならないでしょう」

「なるのよ。アキラってやつは」

「ああ。貴官はアキラどのを甘く見ている。彼は人前であろうがなんであろうが、感極まったらすぐに泣くのだ」


 笑いながら、三人はアキラの噂話に花を咲かせた。

 トムはエルツーに、改めてこれからもよろしく、と丁寧に挨拶する。


「自分はこの怪我ですので、しばらくラウツカの街で療養になりそうです。不甲斐ない。アキラと飲みに行く約束も、先になりそうだ」


 トムが飲み会の話題を出したので、フェイも目ざとく反応した。


「そのときは私が、店を予約して貴官の回復祝いを取り仕切ろう。まさか私を邪魔者扱いはするまいな?」

「い、いえ、めっそうもない。ウォン隊長と飲める機会など、同僚に話せば羨ましがられます」


 フェイは、トムの体の、傷がなさそうな部分に気を付けてポンと手を置き。


「飲みの席を設ける前にトマス、貴官に折り入って相談があるのだが」

「は、なんでありましょうか、ウォン隊長」


 フェイに相談と言われて、トムは明らかに緊張していた。

 ラウツカの鬼隊長はそこまで郊外の衛士たちにも知られ、恐れられている存在なのかと、エルツーは見ていて面白かった。


「怪我が治ったら、うちの北門一番隊に来ないか?」


 そう言ってフェイは、勇敢で礼儀正しい郊外衛士のトマスという好青年を、自分の隊に誘った。


 今回の戦いで突撃隊から出てしまった、二人の不幸な犠牲者。


 そのうちの一人は、フェイの直属の部下である、北門一番隊の衛士だった。

 一番隊からは、赴任してから日の浅い二人を除いた八人が突撃隊に参加していて、その中でも年の若い並人の男性が、犠牲になった。

 もう一人の戦死者は、一番隊に入ることをかねてから熱望していた、市中衛士の女性だ。


 若い二人の死に、フェイは誰にも見られていないところで、しばらく泣き続けた。

 なにもなかったような顔ができるまでに立ち直ってから、ここに来たのである。


 優秀な隊員を一人失い、熱意のある隊員候補を一人、失った。

 フェイの心にもそれは大きな傷になってしまった。


 しかし、彼女は顔を上げてその先を見なければいけない。

 一番隊を預かる小隊長として、下を向いているわけにはいかないのだ。


「じ、自分ごときが、え、栄誉ある、一番隊に、ですか……!?」


 突然の誘いに、トマスは絵に描いたように困惑していた。


「ちゃんと上の方には揉めないように根回ししておく。すぐにとはいかんが、怪我を治している間、ゆっくり考えてみてくれ」


 犠牲者が衛士からも多く出た。

 ラウツカと近郊の衛士は人事、配属が大きく変わるだろう。

 トムが一番隊に来るのは、早くても春頃の見込みになるとフェイは話した。


 フェイの目や口調は冗談や社交辞令を言っている風ではなく、話す内容も具体的だ。

 そこまで言われて、迷い以上に喜びと興奮に胸を躍らせて、トムはこう言った。


「じ、自分でよければ是非、お願いします! 必ず全力を尽くします!!」


 爽やかな決意の声が、城壁前の広場に響き渡った。



 その後。

 救護所で寝ていたカルが目を覚ますと、横にフェイが座っていた。


「お、起きたか」


 フェイはエルツーやトムと話して別れた後、カルが起きるまでここで待っていたのだ。


「あれ、フェイ姉ちゃん……仕事とか、もういいの?」

「まだ色々残ってはいるがな。今日はもう帰って休めと上役に言われたよ」


 街を無事に守っても、そこで仕事が終わるわけではない。

 諸々の事態が落ち着きを見せるまでには当分かかるだろう。


「そっか。じゃあ俺もそろそろ帰るかな」

「送っていくよ。歩けるか?」


 街を走る乗合馬車はこの日この時間、数が足りていないようで、乗客は長い列を作っていた。

 帰るとしたら徒歩になるので、フェイはカルの体調を案じたのである。


「いや、全然大丈夫だし。一人で帰れるし」

「途中でふらついて倒れるかもしれんだろう。魔力のことは私はよくわからんが、そういうこともよくあると聞いたぞ?」


 確かにそれはフェイの言うとおりであった。

 カルの全身には、まだだるさが残っている。

 ムシロの上で雑魚寝をした程度では、全快したとは言えなかった。


 渋々とフェイの言葉に従って、カルは一緒に歩き、孤児施設に戻る。

 道すがら、フェイは他の冒険者たちから聞いた、カルの活躍について話した。


「お前の魔法で大緑の動きを完全に止めたそうだな? すごいじゃないか」

「ま、あんなもんでしょ……俺じゃあ身体強化の魔法を貰っても、あんなデカブツに有効な攻撃は当てられないと思ったからね」


 エルツーの魔法はあくまで身体能力や体力の強化、回復である。

 それを授かったところで、魔法威力が向上したりはしないのだ。


 だから物理攻撃はクロとアキラに任せて、自分は魔法での支援に専念しようとカルは思った。

 いわば効率的なリソースの分配である。


「それにしても、見習いのうちからそんな無茶ばかりしていては、すぐに死んでしまうぞ。せっかくの命なんだ、無駄遣いするな」

「無駄じゃないし。つーかそれ、フェイ姉ちゃんだって同じだし」


 いつものように生意気な口調でカルは言い返す。


 カルは、フェイに会って間もない頃から、すでに見抜いていた。

 自分と同じ目をしていると。

 すぐ隣にある「死」を常に見つめて生きている、一種の化物なのだと。


 そしてフェイも同時に、カルという少年が持つ、そんな部分を理解していた。

 死んでもいいや、と捨て鉢になっているわけではない。

 最善は尽くすが、それで死んだのなら仕方がないと、割り切って生きている子だと。

 

 二人はお互い、自分と似たそんな部分を持っていることを、直感で理解し合っていた。

 恐らくは若い年頃に、地獄を見て体験した共通点があるからだろうとフェイは思っている。


 それらを全部、言葉にせず分かりあっていてなお、フェイは哀しそうに小さく笑って、こう言った。


「生意気を言うな。まだまだ子供のくせに」

「ガキじゃねえよ。そのうち凄い冒険者になって、フェイ姉ちゃんよりたくさん稼ぐからね」


 そうなのだろうなとフェイも思う。


 カルの切れるような素質は、フェイが今まで出会った誰よりも抜きんでている。

 無茶ばかりしているように見えて、なんだかんだ死ぬことも大怪我をすることもなく。

 このまま、とんとん拍子で、フェイも手の届かぬような大人物になる未来が見えるのだ。

  

「大した自信だ。確かにお前のようにしたたかで小賢しいやつが、世の中、大成するのかもしれん」

「そうだよ。だからさ、俺がもうちょっと稼げるようになったら、フェイ姉ちゃん、仕事、辞めなよ」


 唐突になにを言うのかこの小僧は。

 そんな顔でフェイはカルの顔を見た。

 しかしその瞳に冗談の色は混じっておらず、真剣そのものだった。


 フェイはそのときに、二人の間に流れる空気を察した。

 戦いとは別の緊張を肌で感じ、冷や汗が流れる。


「バカなことを、言うな。私は今の仕事が気に入っている。辞めるつもりなど毛頭ない。養う親もいるしな」

「俺が、辞めてほしいんだよ。いつまでも危ない仕事、続けて欲しくないんだ。その分も俺が稼ぐよ」


 いけない。

 これ以上、カルに言わせてはいけない。

 それを予感しながら、フェイはカルを黙らせるための上手い言葉が、出てこない。


「なんで、お前にそんなことを言われなきゃ、ならないんだ」


 鬼の小隊長が、どんな悪人や魔物に相対しても怯まないラウツカの守護神が。

 カルという少年のまっすぐな気持ちと、その口から次に出て来るであろう言葉に、怯えていた。


 そのフェイの危惧と予想は、残酷にも的中していて。


「フェイ姉ちゃんのことが好きだからに決まってるだろ!」

「な……」


 カルはハッキリと、言った。

 フェイのことが好きなのだと。

 男と女として、フェイを想っているのだと。


「俺の嫁さんになって、家で猫でも撫でて、子供を産んだりみなしごを引き取ったりして、のんびり楽しく暮らして長生きしてほしいんだよ!!」


 ド直球のプロポーズであった。

 しかも中々に甘味の強い未来予想図だった。

 意外とカルは、ロマンチストなのかもしれない。


 哀しいことにフェイは、この攻撃に対しての有効な防御や回避、カウンターを知らずに今まで生きて来た。


「ばばばば、バカなことを言って、お、大人を、からかうんじゃ、ない……!!」

「からかってないよ! 俺の命は、フェイ姉ちゃんのために使うって決めたんだ! だから、俺と一緒になって欲しいんだ!」


 普段、斜に構えて生意気ばかり言っているカルという少年が。

 フェイという一人の女性に、その真っ直ぐすぎる気持ちをぶつけてきた。


 フェイはそれに応える言葉が、出てこない。

 ここまで、一人の男に、言わせてしまったのだ。

 なにをどう言ったところで、自分か相手か、あるいは両方が、傷付くしかないのだ。


 歩みを止めて、俯いて。

 フェイは表情をぐしゃりと歪ませて、必死で言葉を探す。

 

 せめて、カルにも、自分にも、嘘ではない言葉を。

 どうせお互い傷付くのなら、真っ正直な、真実を。


「カル、お前の気持ちは……嬉しくないわけでは、ないのだが……」


 もちろん、フェイにも女性の部分はある。

 本人はこれでも乙女であり、淑女であるのだと自認しているくらいだ。


 カルという少年を生理的に嫌っているわけでもなく、むしろ好感を抱いているのは間違いない。

 その彼に向けられた好意と熱意に胸を打たれてしまうのは、仕方のないことだ。


「じゃあ、いいじゃん。決まりじゃん! 俺が年下だから嫌だとかじゃないんだろ!?」

「そう言うことではない。お前は、大した奴だ。それは素直に認める」

「だったら!」


 はっきりしない言葉を出し続けるフェイに、カルは必死で食い下がる。

 ここが自分の決め所だと、大一番の決戦だと、カルは魂で理解しているのだろう。


 しかし、それでも。

 カルの本気を完全にフェイは理解できていても。


「……私はお前の気持ちに、応えられない」


 フェイは、まったくいつもの彼女らしくない、ぼそぼそとした自信なさげな声でそう呟いて。

 長い沈黙の後で、ようやくその顔を上げ、カルの目を見て、言った。


「他に、想っている相手が、私にも、いるんだ」


 言葉にしてしまった。

 今まで、自分で自分に蓋をして、閉じ込めていたその気持ちを。

 フェイは今、ハッキリと口に出してしまったのだ。


 フェイの明確な答えがあり、カルの若く、瑞々しい恋の花は、散った。

 カルは、はぁー、と溜息を吐き。


「そっかぁ……」


 拳を握りしめて、俯いて少し、ふるふると震えて。

 その直後、すっきりしたような顔で、こう言った。


「やっとはっきり認めたね。見てて、まどろっこしいんだよ、フェイ姉ちゃん」

「な、なんだと……?」


 決意の告白を断り、断られたシーンだというのに、なにか、軽い。

 覚悟を決めてフェイも誠実に、自分の気持ちを伝えたのに。


 なにか違う。

 こうじゃないだろう、もっと別の反応があるだろうと、フェイは混乱した。

 死んでしまいそうに、鼓動を早くしていた自分は、いったいなんだったのか。


 やれやれ、と言った顔でカルはフェイに、こう言った。


「まあでも、ちゃんと認めたのは、フェイ姉ちゃん、偉いよ。嘘をついてごまかそうとしないのはいい。よくできました」


 カルお得意の生意気が全開で炸裂している。

 まさか、とフェイは思った。

 フェイがはっきりさせていない気持ちを、明確に言葉として引き出すために、この小僧は芝居を打ったのかと思った。


「……わ、私をからかったのか!?」


 この生意気小僧にコケにされたのか、この自分が。

 フェイは混乱と怒りが湧いて来て、叫ぶ。


「おお、怖っ!」


 カルは逃げるように走り出す。

 引き留めようとするフェイの手は、するりと躱されてしまう。


「カル! 待て! どういうことだ!! 逃げるな!」

「じゃーね! もうここでいいよ! 一人で帰れるから!」

「こ、こら!! 説明次第では許さんぞ!! 尻を叩くくらいでは済まさんからな!!」


 フェイもそれを追いかけるが、カルの走りに、追い付けない。


「お、追ってくんなよ!」

「待て! 待たんか!!」


 この世界に住む、魔法を抜きにした駆けっこ比べで、同じ並人(ノーマ)に負けた記憶などないフェイが。

 カルの走りに、全くついて行けないのだ。


「な、なんなんだ、いったい、あいつは……」


 そのうちフェイはカルを見失い、呆然と朝の街に立ち尽くすのだった。


 しかし。

 フェイは、認めてしまった。

 閉じ込めていた気持ちを、心の箱の蓋を開けて、口から、言葉として出してしまった。


 そのことに、胸をじりじりと焦がしながら、フェイはただ、路地の真ん中に立っていた。

 


 曲がり角をいくつも曲がり、フェイの追跡を撒くことに成功した、哀しき玉砕少年、カル。


「くそーー!! ちくしょーー!! バカヤローー!! うわあああああ!!」


 真っ赤な顔で、失恋の涙を流しながら絶叫し、朝のラウツカをひたすら、駆け抜け続けた。


 真剣な気持ちだった。

 冗談であるはずはなかった。

 嘘偽りのない、本当の心が言葉として、彼の口から出た。


 しかしその思いが受け止められることは、叶わなかった。


 最後は照れ隠しでフェイをからかったが、そうしていないとフェイの前で泣いてしまうと思ったからだ。


「俺のなにが気に入らないってんだ……どうして俺じゃダメなんだよ……」


 路地裏に隠れるように入り込み、そこでウジウジ、グジグジとカルはぼやき続ける。


「あの兄ちゃんより俺の方がずっと、フェイ姉ちゃんを大事にできるのに……他の女に鼻の下伸ばしたりしないし……」


 まだまだ吹っ切れるには、時間がかかりそうだ。

 キンキー公国の公用語でも、若いという字は苦しいという字に似ているのだった。


「まあ、優しいのは、そりゃそうだけどさ……俺のことも、ガキだからってバカにしないし……周りのことも見てるし……理不尽に怒ったりしないし……」


 この場にいない誰か、カルが恋敵と思っている人物を想定し、怨嗟のボヤキは続く。

 でも自分は負けていない、決して負けていない、俺の方がイイ男だと、カルはブツブツ独り言を繰り返す。

 泣きわめいたり無理に強がったり自信家だったりと、実は忙しい情緒の持ち主だった。


「優しいばっかりの男が、なんの気なしに女を泣かせるんだって、母さんが言ってたな……」


 少し、切ないことを思い出してしまい、カルはまた泣いて鼻をすすった。


 泣き疲れ走り疲れ、カルは空腹を覚えた。

 そのため、もう施設に戻ることにした。

 試練を経て大人への階段を一歩昇りはしたが、そこはまだ子供。

 一人になりたい気持ちも強くあったが、空腹には勝てなかった。 


 あまり帰りが遅くなっても、孤児施設の仲間や保護監督者たちが心配するだろう。

 まさか、戦場で死んだなどという誤った連絡が行っていないことをカルは祈った。


「ただいま……」


 施設の扉を力なく開けたカル。

 いつもより、その扉は重く感じた。

 ご飯を食べて、一刻も早く寝てしまいたい気持ちでいっぱいだった。

 

 同じ孤児施設で暮らすユリーナという名のエルフ少女が、扉を開けた先にいた。

 さっきまでカルの帰りを待ち続けて、懸命に笑顔の練習と確認をしていた。


 これから、ユリーナは自分にできる最強の笑顔で、カルの帰還を出迎える。

 そのことをもちろん、カルは知らない。

 傷心の中で自分は不幸だと思い込んでいる少年は、目の前から迫ってくる幸せを予測することすらできなかった。


 虹の足元にいるものは、自分が今、虹と一緒にいることを、知ることはできないのだし。

 幸せの鳥と一緒に暮らしているものは、その鳥が幸運をもたらしているということに、なかなか気付かないのだから。



 戦いを終えたラウツカの街と、そこに住むものたち。

 彼ら彼女らはこうして、日々の暮らしに戻って行った。 


 次の日も、さらにその次の日も、新しい朝を、繋いでいくために。

 皆、幸せになるために、毎日を紡いでいくのだった。

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