99 街を守るものたち、街で生きるものたち(9)

 平原の戦場、中央北東の区画。 

 爆発するような闘気を孕んだ叫び声が、弾ける。


「たりゃああああっ!!!!!!!」

「ヒ、ギヒィ!!」


 荒れ狂う北門衛士一番隊、小隊長フェイの凄まじい戦いぶり。

 それは普段は逃げることも知らない知能の低い魔物すら、恐怖に怯えさせるようになっていた。


 必死に逃げ惑う怨鬼(えんき)を馬で追い、フェイは四つ目の武器となる長柄の戦斧で、その首を叩き斬った。

 強化魔法を付与された武器を、フェイはこの戦いで三つ、使い潰していたのだ。


「次はどこだあ!」


 猛り狂った闘志をむき出しにして、フェイは次の敵を探す。

 見当たらない。

 元々フェイは近視気味なこともあり、遠くの敵を素早く察知することは苦手だ。

 しかし視力以外の感覚で敵の位置を感じ取る力は、コシローほどではないが発達している。


「隊長! もうここいらにはいませんぜ!」


 フェイの仕事仲間、北門一番隊に所属する後輩衛士が、返り血だらけの姿でそう言った。

 ハーフドワーフ男性のその衛士が持つ戦槌は、先端の武器部分が折れて単なる長い棒になっていた。

 その上、彼は馬も失っていた。

 徒歩で武器も折れた、そんな状態でも、彼は果敢に敵と戦い続けていたのだ。


「……そうか。お互い、頑張ったな」


 フェイの額に、血がにじんでいる。

 魔法を使う上位の屍鬼(しき)に、氷のつぶてを食らった傷だ。

 彼女が敵から負わされた傷は、ただその一つだけだった。


「結局、うちの隊長さまは魔物より怖いってことを、みんな思い知らされただけですなあ」

「お前も、大した傷を負っていないじゃないか」

「ま、かすり傷程度ですわな。日頃の行いがいいんで、敵さんが手加減してくれるんですわ!」


 ハーフドワーフの衛士は、がははと笑ってそう言った。

 

 うかうかしていると、部下や後輩に先を行かれてしまうな。

 フェイはそう思うと楽しくなり、競争心が湧くのであった。


 二人は一緒の馬に乗って残敵に警戒し、後方の陣、城壁のある場所へと戻った。

 敵はまだいるが、そのほとんどは冒険者や、他の衛士たちに取り囲まれ、始末されて行っている。


「被害者の数はわかるか?」

「詳しくはわかんねえです。こちらの損害は軽微とは、口が裂けても言えんくらい、でしょうな」


 フェイの疑問に、後輩の衛士が答える。

 戦って死んだものが、一桁でおさまらないのは確かだった。


「一人でも多く、無事に帰してやりたかった……」


 勝利、戦闘の終了が近付くにつれ、フェイはそのことを考えずにはいられない。


 フェイの言葉を聞いて、後ろに乗っていたハーフドワーフの衛士は、ぐずる鼻をすすった。

 仲間を思って涙をこらえている隊長に、自分が涙を見せるわけにはいかない。

 そう思って、必死で歯を食いしばった。

 さっきまで平気な顔を見せてはいたが、彼もギリギリの精神状態で戦っていたのだった。



 いったん後輩衛士と別れたフェイが、ラウツカの城壁、その中央門付近まで来る。

 このあたりも戦闘はほぼ終了しており、敵へのトドメを確認しているものがいるだけだった。


 しかし、地面に座り込んで泣いている、一人のエルフがいた。

 長く赤い髪で、右の瞳を隠したエルフだ。


 上級冒険者にして、精霊魔法の大家にして、魔法道具作成の第一人者。

 周囲から「博士」と呼ばれることの多い、フェイの親友、ルーレイラである。


 ボサボサと伸びて乱れていた後ろ髪を、バッサリと切ったようで、短くなっていた。


「う、うぅ……さよなら、僕のアキラくん……」


 ルーレイラは、小声でそう言いながら泣いていた。

 一つの、木か草が燃え尽きてできたような、灰の山を前にして。

 さめざめ、しくしくと泣いていた。


「ま、まさか、そんな……!」


 馬を飛び下りて、フェイはルーレイラに駆け寄った。

 

「あ、アキラどのが、アキラどのがどうしたと言うのだ、ルーレイラ!!」

「フェ、フェイ……うわぁぁああぁ」


 ルーレイラは泣き崩れ、フェイの胸に顔をうずめた。


 まさか、そんな、アキラが。

 フェイは、こらえよう、こらえようと必死で耐えた。

 しかしとうとう目から溢れ出るものを押しとどめることができなくなった。


「う、うう……そんな、アキラどの……」

「フェイ、きみも、一緒に泣いてくれるんだね……彼のために……」


 二人は抱き合って、涙を流し続ける。 


 そこに、心配して目の色を変えた、一人の男が現れた。

 背が高く丈夫そうな体格の、並人(ノーマ)の男だ。


「ル、ルー! フェイさん! どうしたの!? 誰かが、やられたのか!?」

「う、うう、アキラどの……そうだ、アキラどのが……アキラどの……!? あぁ!?」

 

 そこに現れた人物、初級冒険者のアキラの姿を見て、フェイが驚く。

 服は魔物の返り血にまみれているが、顔や手などの素肌は、一度水で洗ったようだ。

 とりあえず、怪我らしい怪我をしている様子はなかった。

 心配しているのか表情は曇っているが、元気でいつも通りの、見慣れた顔だった。


「はい、アキラです。フェイさん、怪我でもしたの……?」


 フェイは次第に羞恥と怒りで、顔を真っ赤にして、叫んだ。


「どういうことだ、ルーレイラ! アキラどのはピンピンしているではないか!!」

「うう……アキラくんも、弔ってやってくれ……僕の、炎のアキラくんは、よくやってくれたんだ……使命を果たして、灰になったんだ……」


 ルーレイラの発言の要領をいまいち掴み切れず、アキラも混乱した。


「いや俺、生きてるからね!? まだ弔われたりしないからね!? なにこれ、新手のイジメ!? ショックで泣いちゃうよ!?」


 そこに顔なじみの冒険者である竜族獣人、ドラックが姿を見せた。

 彼は戸惑うフェイとアキラにこう説明した。


「博士サマが、炎の魔法で”人形”を作って、戦わせたんだァ」

「炎の、人形を、魔法で……?」


 ルーレイラは泣いていて詳しく説明してくれないので、ハッキリとしたことはわからない。

 しかしアキラは、それを世に聞く「召喚魔法」のようなものだと解釈した。

 大きな力を持つものを呼びだして、敵と戦ってもらうタイプの魔法、そんなところだろう。


「この灰は、その人形の”成れの果て”だァ。まったく、ただの”人形”が灰になったくらいで、メソメソ泣きやがってよォ」


 ドラックは呆れて言ったが、ルーレイラは大声を上げて反駁した。


「炎のアキラくんは、人形なんかじゃない!! 僕の最高の友だちなんだ!! 次にそんなことを言ったら、許さないぞ!!」


 アキラとフェイも事情を理解し、無言で真顔になった。


 どうやらルーレイラは、魔法で召喚した人形に「炎のアキラくん」という名前を付けたのだろうと、察したのだ。

 あきれ果てた話だが、ルーレイラならそう言うことをするのかもしれない。

 二人とも哀しく納得した。


「まったく、紛らわしいにも程がある……アキラどの、落ち着いたら、飲みに行こう。まだちょっと私は、仕事があるのでな」


 フェイは力なくそう言った。


「う、うん。お疲れ、フェイさん。またね」


 仲間の衛士たちとの連絡や確認作業のために、フェイはひとまずその場を後にした。

 アキラは、炎の精霊人形、もとい、ルーレイラの大事なお友だちが灰になってしまった山を見て、呟いた。


「俺の火葬が、まさかこんな形で実現するとは……」


 秋に大緑の魔物に襲われ、死にかけたとき。

 アキラは下手をすると死んだと間違われ、火葬されて弔われる寸前だった。


 そのときに葬式の段取りがどうのと話していたコシローは、この戦場にはいない。

 幕末に生まれた人斬りのコシローは、この世界に転移しても、常に血を、戦う相手を求めていたのに。

 今回の大きな戦いに参加する機会を、逃してしまったのだ。


「こんなことがあったなんて知ったら、悔しがって機嫌悪くなるだろうな……」


 ラウツカにコシローが戻ったときのことを考えると、アキラは暗澹たる気分になった。


「ところでドラックさん。今回の戦いって、ウィトコさんも来てたよね?」


 アキラが尊敬する寡黙な先輩冒険者、北西アメリカはスー族出身の転移者、ウィトコ。

 彼の所在が気になり、ドラックに聞いた。


「ああ、もう帰ったぜェ。脚の調子も、あんまりよくねェみてェだったしなァ」

「そっか、会えなかったか……」


 アキラはドラックから、ウィトコの活躍を聞いた。

 この暗い中でも敵と味方を間違えることなく、もちろん狙いを外すことなく、相変わらずの狙撃の腕を発揮していたと。


「俺、ウィトコさんと、冒険や魔物の討伐をしたことはないんだ。だからカッコよく戦ってるところ、今回は見れると思ったのに」

「まァ、あの”足”だからなァ。山歩きとかが長くなるような遠出は、きついんじゃねェかァ」


 アキラがウィトコと一緒にしたことがあるのは、近場の山林での鹿狩り、猪狩り程度のものだ。

 体力を使う仕事は主にアキラが行っているが、それでも時折、ウィトコはしんどそうに動いていることがあった。


「昔のアイツは、馬も達者だがそりゃあ”身軽”でよォ。樹なんかすいすい登っちまうし、そっから”敵”に雨あられと”矢”を降らせてなァ」


 ドラックの口から語られる、過去のウィトコとの冒険の武勇伝。

 それをアキラは少年のように夢中になり、目を輝かせて聞いたのだった。


 いかつい二人が、男くさい話をしている、その横で。

 ルーレイラは、かつて「炎のアキラくん」であった白い灰を拾い集め、皮袋の中に詰め始めた。

 骨を拾って壺などの容器に入れる、日本式火葬のしきたりのようにも見える。


「うう……また会える日まで、しばしのお別れだよ……」


 泣きながらモタモタとその動作を繰り返すルーレイラ。

 見かねて、アキラも手伝った。


「この灰、集めてどうするの?」

「次に『炎のアキラくん』を呼びだす儀式の時に、触媒として使えるからね……大事にとっておくんだ……」


 どうやら、召喚し直せば何度でも会えるようだ。

 だったら死んだように悲しんで弔わなくてもいいのでは、とアキラは思った。


「で、その名前は、どうしても変えられないもの?」

「精霊の神さまに力を借りるときに、そう決めて名づけてしまったからね……もう変更はきかないよ」


 という、ルーレイラの説明だった。

 ひどい話もあったものだ。


「こいつが呼び出されるたびに、またこの火葬モドキな愁嘆場と、灰拾いが繰り返されるのか……」


 やはりこれは新種の手の込んだイジメでは、とアキラはげんなりした。


「まァ、いいじゃねえかァ。強かったぜェ。この、にんぎ……じゃねェ、オトモダチ、はよォ?」


 ドラックもなんとなく灰集めの作業を手伝いながら、アキラに説明した。

 炎のアキラくんが、どのような能力を持っていたか。

 どれだけ勇ましく戦い、多彩な技を繰り出し、周りのものを守ったか。


「俺よりスゲーじゃん、炎のアキラくん……」


 ちょっと悔しくなり、自分と同じ名を持つ炎の精霊戦士に、アキラは嫉妬した。

 それ以上に、炎の精霊が人の形を取って、大いに暴れて戦う光景を、見られなかったのが残念でもあった。


 冒険を続けていれば、そのうちルーレイラがまた使う機会があるだろうか。

 オリジナルのアキラと、炎のアキラくんが肩を並べて戦う日が来るのだろうか。

 それを思うと、楽しみでもあり、面倒臭そうでもあり、色々と気分は複雑だった。


 しかし一つの、大きな疑問がある。


「ルー、武器や兵器は作れない、使えないんじゃなかったっけ。日常道具程度のもの以上の、強力なものは」

「そうだよ」


 あっけらかんと言われる。

 炎のアキラくんは、誰がどう見ても「超強力な精霊魔法兵器」なのだが。


「これはどうなの? 神さまとの約束に違反してないの?」

「きみは、炎のアキラくんが、ただの武器や兵器だとでも言うつもりなのかい!? 言っていいことと悪いことってのがあるのだよ!?」


 本気の叫びだった。

 ルーレイラにとって、この精霊戦士は本当に、大事なお友だちなのだ。


 兵器や武器を作って行使しているわけではない。

 友人と一緒に戦っているだけなのだ。

 だから誓約を破ったことにはならないのだろう。

 さすがに屁理屈じみているのではないかと思うが、それを言ったらルーレイラはまた怒るだろうと思い、アキラは黙った。


 灰を袋に詰め終えたころ、ルーレイラはすっかり泣き止んで、立ち直っていた。

 それでも魔力を使い果たして疲弊しているので、歩くと少しふらつく。


「アキラくーん、帰りの馬が拾えるところまで、負ぶっておくれよー」

「はいはい、ルーも、お疲れさま」


 アキラも疲れている。

 しかし細身で体重の軽いルーレイラを背に負って、歩く程度のことはできる。

 いつもは、飲み屋でへべれけになってしまった彼女をこうして部屋に送り届けるのが、アキラの役目だった。

 今回は、飲み屋に行く前にこうなった。

 そんなことを思って、アキラは少しおかしくなった。


 これからどうしようか。

 ルーレイラを馬に乗せて、いったんギルドに顔を出そうか。

 

 エルツーとカルは、疲労で動けなくなって、救護隊に運ばれて行った。

 ドラックは港の仲間たちのところへ戻った。

 クロは一旦、アキラと別行動をしている。

 知り合いである狼獣人の少女、マリに報告に行きたい雰囲気を出していたので、アキラは気を使ったのだ。


 フェイも衛士の仲間たちと、仕事の話が残っている。

 アキラは一人になるが、まだまだ眠れそうにもない。

 疲れているのに、勝利の高揚で頭も目もすっかり冴えてしまっていた。

 

「アキラくん、これからギルドに行くのかい?」


 背の上にあるルーレイラが、アキラの耳元でそう聞いた。


「そうしようかと思ってるけど」

「なら、リズによろしく言っておいてくれたまえ。徹夜で無理するなって」

「わかった。ルーが心配してたって、伝えておく」


 すべての戦闘が終わった。

 戦いの総指揮を取っていた衛士長の部隊が、終了を告げる合図の狼煙を上げ、金属の丸い板を打って盛大に音を鳴らした。


 城門が開け放たれ、戦士たちが市内に入る。

 あるものは歩きで、あるものは馬を借りて。

 それぞれが、疲れを癒すところへ、あるいは待つもののいるところへと帰っていく。



 手ごろな乗合馬車を拾い、アキラと別れたルーレイラ。

 大きな戦闘のさなかであっても、城壁の内側、街の中は経済がちゃんと動いている。

 勝利の噂を聞いた市民が、窓を開けて、音を鳴らす。

 あたり一帯が、喜びの声であふれていた。


 市内中央大通りには、大きな炊き出し設備がある。

 戦うもの、戦いの後方に詰めるものたちのために、食事を提供する部隊が用意したものだ。

 

「このまま、お祭りができればいいのにね!」

「用意した食材はまだ余りがある! やっちまおうぜ!」

「どうせ全部タダで食ってもらうために用意したんだ! 街のみんなに呼びかけよう!」

 

 誰が言い出したのか、そこは大きな祭りの場になりつつあった。

 衛士たちもそれを止めようとしない。

 おそらくこれからしばらく、どんちゃん騒ぎだろう。


 この街を七十年以上もの間、見守って来たルーレイラはその光景を見て。

 

「これで、良かったんだ。この街は、僕の大事な、子供だから……」


 嬉しさと、そして寂しさとともに、優しい声でぽつりと呟いた。


 役人として都市機能の開発、郊外の整備などを何十年も担当した。

 この街で皆が便利に使う施設、制度の多くは、ルーレイラの発案と尽力で作られたものだ。

 役人を退いてギルドに所属してからも、街に関わる様々な仕事に従事した。


 ルーレイラが勝利のために失ったもの。

 それはラウツカの街を守るための、必要な代償だった。


 彼女は炎の精霊を戦士の像として形作り、使役させるにあたって、とても大きなものを、神に捧げた。

 火薬や毛髪はただの素材、原料であり、精霊の神と契約するにあたっての本当の供物は、別のものだ。


 それは、彼女の胸の奥に、大事に大事にしまっていたもの。


 アキラという並人(ノーマ)の男への、甘く切ない、恋心だった。


「さようなら、僕の、甘い思い出の日々」


 そう呟いても、涙は出なかった。

 ルーレイラは自身の、かけがえのない「心の宝石」を捧げて、精霊戦士、炎のアキラくんを生み出した。


 犠牲者を増やさないため。

 大事な街を、魔物の手から守るため。

 少しでも、街に住む者たちの笑顔を増やすため。

 手塩にかけて育てた我が子同然の存在である、ラウツカと言う街を傷つけさせないために。


 ルーレイラはアキラに抱いていた恋心に、永遠の別れを告げたのだった。


 アキラに背負われて馬車まで運んでもらったとき。

 ルーレイラはその契約が、滞りなく果たされたのだと、強く知ることになった。

 以前のようなときめきがなかった。

 熱く燃え上がり、じりじりと胸を焦がす炎がなかったのだ。


 あったのは、安心と安堵。

 楽チンだ、早く帰って寝よう、という思いだけ。


 時間が止まればいいのに、このままずっとこうしていたいのに。

 以前は幾度となく抱いていたそんな想いが、かけらも湧かなかったのだ。


 最初は、一目惚れだった。

 ギルドの仮眠休憩室で目覚めたアキラの、生命力に溢れた、逞しい体。

 柔和でありながら、ころころと変わる表情。

 アキラの口からもたらされる、知らない世界の、楽しい話。

 そのどれもが愛しく愛らしく、興味を惹かれた。


 出会ったときからルーレイラはアキラのそんなところに魅せられて。

 その気持ちは変わらないどころか、どんどん膨らんでいった。 


 しかし、いつかはこの想いとお別れしなければならない。

 ルーレイラはあるときを境に、そう考え始めた。


 周りの仲間がアキラを見るまなざしが、どんどん変わっていった、その日から。

 あの子たちを悲しませてはいけないと、ルーレイラは思ってしまったのだった。 


 短い準備時間しかない状態で、今回、大規模な魔物の群れが街を襲った。

 大きな犠牲を払わなければ、大事なものを生贄にして力を得なければ、街が傷付き、多くの命が失われる。

 自分の中のかけがえのない想いと決別する機会が訪れてしまったことを、彼女は運命として受け入れた。


「アキラくんはこれから、どうするんだろうなあ……」


 それでもルーレイラは、アキラのことを気にかけ続ける。


 先輩冒険者として。

 姉代わり母代り、保護者代わりの年上として。

 なんでも話せる、心の奥底の深い所で繋がり合った親友、仲間として。


 アキラに抱いているそれらの感情は、恋を失った今でも変わらない。

 恐らくこれからもずっと、変わることはないのだろう。


 ルーレイラは自室までの短い距離を、馬車の中でそう思いながら過ごした。

 


 大通りの道端に、いくつもの花が置かれている。

 注意深くルーレイラが見ると、衛士の詰所の前など、花だらけだった。


「街のみんなが、自主的に置いたのかな……?」


 戦いに出た衛士や冒険者たちを讃え、慰労するために、市民が置いた花の数々。

 真冬だというのに、どこからこれだけ集めたのだろう。

 花を咲かせる魔法の名手なんかが、ひょっとするとラウツカの市内にいるのかもしれない。

 この街のことはなんでも知っているつもりだったが、まだまだ知らないことがありそうだ、とルーレイラは思った。


 ルーレイラが寝起きと研究のために借りている部屋の前にも、小さな花束があった。

 手紙も添えられている。

 孤児施設の職員が書いたものだった。


「子供たちが、施設の庭に咲いている花を摘んで集めたものです。

 冒険者や衛士のみなさんに渡して欲しいと頼まれました。

 なので、あなたに花を贈るのがふさわしいと職員たちで決めました。

 たしかお花、好きでしたよね。

 大変なお仕事と思いますが、気を付けて、頑張ってください。

 街を、みんなを守ってくれて、ありがとうございます」


 そういう内容だった。


 ラウツカ市の中央孤児施設を立派な建物に改築、整備したのは、役人時代のルーレイラである。

 政庁の仕事を辞めてからも、ルーレイラは稼ぎの中から、定期的に施設への送金を続けている。


 施設の子供たちは、ルーレイラという赤毛のエルフ博士が、自分たちの生活を支えてくれていることは知らない。

 しかし職員が気を回して、部屋の前に花を置いたのだ。


「……こちらこそ、ありがとうね。頑張った甲斐があったというものだよ」


 涙を流しながらその花束を大事そうに抱えて、ルーレイラは自分の部屋に戻った。


 ラウツカの街に朝日が昇る。

 光が祝福するように、ルーレイラの部屋を照らした。


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