98 街を守るものたち、街で生きるものたち(8)
ラウツカ市北城壁、その前に広がる草原地帯の西側。
クロとアキラに先行して、カルが巨人の魔物、大緑(おおみどり)めがけて走る。
カルは、自分の力で大緑にまとまったダメージを与えられるとは思っていない。
あとから来るクロとアキラのために、経路上の敵を露払いするのが目的だ。
「ガキ! ヤセテル!」
「カタソウ! マズソウ!」
二匹の怨鬼(えんき)がカルに襲い掛かる。
カルのアッパー気味に放たれた左フック、いわゆるスマッシュの攻撃が唸りを上げる。
それを食らって、魔物の片方は顎と頸椎を粉砕され、吹っ飛んだ。
「お、いいな今の」
たった今思い付いて、斜め下から振り上げるように拳を放った。
不慣れな攻撃にしては意外と体重が乗り、威力が高い。
練習を繰り返し、無駄な動きを削ぎ落とせば、もっと速く、強く打てるだろう。
彼の左手にはパンチ力強化と拳の保護を兼ねる装備がなされている。
思い切り殴っても、手や拳へかかる負担は少ないのだった。
次の敵が襲い掛かって来るのを簡単に避けて、上から下に打ち下ろすような軌道で殴った。
怨鬼のこめかみに拳が直撃し、頭蓋骨が陥没する。
こちらもあまり試したことがないパンチだが、悪くない手ごたえだった。
どちらのパンチも、今までの戦いでアキラがしていた動きを参考にしたものだ
トンファーを振り上げたり、叩き下ろして敵を攻撃していたアキラ。
あの動きを拳を使って真似してみたらどうなるだろうと、カルは戦いながら考えていた。
結果は上々のようで、死地にあってカルの機嫌がどんどん上向いていた。
敵を倒した後でも、油断することなく。
攻撃を出した後も素早く防御と警戒に戻り。
足を使い、上体を振り、敵に的を絞らせることをせず。
カルはアキラに教わった基本を忠実に守り、次々と邪魔な魔物を打ち倒す。
いずれ、カルも大人の体が出来上がり、今よりもっと筋力がつくのだろう。
そのときに、武器や戦い方の変更を考えるかもしれない。
しかしアキラとトレーニングして身に付けた基本の動き。
基本的な防御と足運び、そして隙を作るなという心構え。
それを忘れることは、決してないのだろうとカルは思った。
カルはここから始まった。
捨てられて、拾われた少年は、ギルドに入り戦いを覚え、仲間を得た。
ここから本当の自分の人生を、まさに始めるのだという、決意の産声を上げる戦いだった。
「クロちゃん、速すぎ!!」
「置いて行くっスよォ、アキラさん!!」
強化魔法を受けたアキラたちが、一直線に彼らの宿敵、大緑のもとに向かう。
さすがに狼系獣人のクロである。
魔法で強化されていることもあり、その速さは人や獣の範疇を超えて、ツバメやハヤブサかと思うほどだ。
アキラも遅れまいと必死に走るが、差はどんどん開いていく。
途中、彼らはカルを追い越した。
自分たちのために、邪魔な魔物をある程度片付けてくれていたのだ。
指示も説明もしていないのに、そのためにいち早く走り出したカル。
その判断と行動の速さに、アキラは心から驚嘆した。
クロが、大緑の間合いに入る。
敵は武器として、一本の樹を持っている。
「え、えへへ、エサ、くう!」
敵がその樹を、片手で大きく振り回す。
「遅いっスねー!」
クロは自分の走りに急ブレーキをかけ、すぐさま後ろに飛び退いた。
大緑の豪快な一撃は空を切っただけではなく、周囲にいた怨鬼や骸骨屍鬼を吹っ飛ばした。
「クロちゃん! まず脚だ!」
「かしこまりっス!!」
大型の、急所を狙いにくい相手と対峙した場合。
まずは脚を狙い、その動きを鈍らせる。
アキラが最初の冒険に出てから、今までに何度も何度も繰り返してきた、クロとアキラの基本戦術。
「グララァ! ガァッ!!」
獣の咆哮が大きく放たれる。
攻撃を振り抜いて隙だらけになった大緑の足元。
そこにクロの右手の爪が唸りを上げて襲いかかり、その肉を裂く。
「や、やりや、がった、なあー」
大緑には、刃物や棍棒といった武器による攻撃がどういう理屈なのか、効かない。
しかし、歯や爪、殴打や蹴りの攻撃は、確実に相手に通る。
前回に遭遇した同じ種類の魔物よりも、一回り以上は大きい相手だが。
そのことを今こうして確かめて、アキラもクロも目を輝かせた。
「う、うご、くなあー」
足元のクロを叩き潰そうと、武器を持っていない方の手を振りかざす大緑。
巨岩のような拳がクロの頭上に落ちてくる。
「止まって見えるっスね!!」
クロは難なくそれを避ける。
強化魔法は、運動に必要な神経の働きも向上させる。
研ぎ澄まされたクロの動体視力は、周りの動きがコマ送りのようにすら見えていた。
「ガァウッ!!」
続けざまに二発目、三発目の爪の攻撃を相手の脛やアキレス腱の付近に食らわせる。
強化された握力と鋭い爪によって、大緑の下肢の肉がどんどん裂け、削ぎ落とされていった。
「う、うっとう、しい、ぞおー」
しかし敵の動きを止めるまでには至っていない。
体の芯にまで、骨にまで響く攻撃を当てなければ。
一方、少し遅れてアキラも闘いの場に追い付く。
樹を振り回す敵の攻撃を警戒しながら、クロと同じように敵の足元を狙う。
「どぅおりゃあ!!」
アキラの渾身の右回し蹴りが、相手の膝横にぶち当たる。
「もう一丁!」
すぐさま、左回し蹴り。
べごぉんと、肉と肉、その奥にある骨がぶつかり合う音が響く。
「い、ぎいー」
痛みに顔をゆがませながら、それでも敵は暴れて、クロやアキラを振り払おうとする。
主に拳を振り下ろしたり、足で蹴ったり、踏みつけようとしたり。
単純な動きではあるが、もちろん一発でも喰らえばこちらは致命傷だ。
「クッソ、前の奴より、タフだな……!!」
アキラもクロも、攻撃を当てることはできている。
しかし相手の耐久力が高いのか、それとも痛みに対して「我慢強い」個体なのか。
以前にアキラたちが戦った、別の大緑の個体よりも、この敵の方が確実に、しぶとく、硬い。
こんなにも執拗に攻撃を食らわせているのに、音を上げる様子が、まったくないのだ。
地道な下半身への攻撃で、相手の気持ちを折りつつ急所を晒させる戦術は、失敗だったのだろうか。
せめて、少しの間でも相手が動きを止めてくれれば。
あるいはなにかの拍子に敵が体勢を崩し、急所を晒してくれれば。
持久戦になると、明らかにこちらが不利である。
エルツーから受けた魔法の効果時間には限界があり、身体強化は長く続くものではない。
魔法が切れたら、等身大の、いつもの自分の力で戦わなければいけないのだ。
そうなった場合、勝てるだろうか。
一度撤退することも考えなければならないだろうか。
アキラがそう思ったその瞬間、声が響いた。
「離れて!!」
いつの間にか戦闘の場に入り込んでいた、見習い冒険者のカルの声だった。
カルが、敵の巨木のような脛に、抱きつくような形でしがみついた。
「ぼ、坊主! こいつは危ないって言ったじゃないっスか!!」
「クロちゃん、むしろ俺らが危ないんだ!!」
アキラはクロの襟を掴み、無理やり引っ張って魔物から距離を取った。
カルがなにをしようとしたのか、アキラには想像がついたのだ。
そして、その考えは的中していて。
「ん、あ、あー?」
ちっぽけなカルがしがみついているのを、大緑はすぐに、認識できていなかった。
木の枝か葉っぱが足元に絡みついた、程度にしか思っていなかったのか。
特に痛くもないので、攻撃ではないと判断しているのか。
その判断の鈍さが、大緑にとっては運命の分かれ目だった。
「くっらえぇぇ!!!」
ドウゥゥン!
大きなスピーカーから、重い楽器の音が強烈に鳴り響いたような衝撃が、あたり一面に広がった。
「い、フィフィフィフィフィ……」
そして大緑の魔物が、全身を痙攣させていた。
まるで感電したように。
雷にでも、打たれたかのように。
「あ、もう、無理……」
カルは掴まっていた大緑の脛から落ちて、ばたりと地面に倒れ伏した。
アキラとクロの激闘に紛れ、敵の死角に忍び寄ったカル。
彼が、敵に魔法を叩き込んだのだ。
全力全霊の、電撃魔法を。
右手を装備で覆っていないのは、この魔法を素手で相手の体に通すためだった。
カルが使えるたった一つの魔法は、いわば魔力によるスタンガンである。
もう少し正確に言えば、自分の体を電源とし、触れた相手の体との間に電流回路を作ってしまう魔法だ。
リードガルド出身のカルは、機械的な電流回路の仕組みなど知る由もない。
しかし、雷の精霊が相手の体の中を走り抜ければ、それで動けなくなったり死んだりするということを、カルはイメージとして理解していた。
魔法を使った直後のカルの消耗は、自分自身の体を電流の害から守るために起こるのだ。
武器でも炎でも、毒でもない攻撃であるため、この魔法攻撃は大緑にも通用した。
しかしどれだけ効果があるのは、試してみるまで未知数だった。
一撃ですべてを使い果たしてしまったカル。
もしも敵に電撃が効かなければ、自分はすぐに死ぬことを理解していた。
それでも迷いなく、全力で、余力のかけらも残さずに、カルは魔法を放った。
利発であるのに、その行動が少し、いやかなり、狂気の沙汰で、おかしかった。
アキラはカルの思惑に予想がつき、巻き込まれて感電する危険を察知して、慌てて離れたのだ。
以前、自分たちを驚かすために、カルが魔法を使ったとき。
体の大きなアキラとクロでも、数秒間はまったく身動きが取れないほどの威力があった。
魔法を撃ったカルは、その程度ではまったく消耗せずに、ケラケラ笑っていたのにもかかわらず、だ。
それを全力で放つとどうなるかが、今、目の前で証明されていた。
「うぐうぐうぐうぐ……あがあがあがあが……」
4m前後はあろうかという背丈と、分厚い筋肉に覆われた巨岩のごとき体を持った魔物。
恐ろしい力を持つそんな大緑という名の怪物が、口からよだれをたらし、膝をがくがくと震わせている。
この機を逃すことはできない。
「クロちゃん!」
「アキラさん!」
二人は吠えて、敵に向かった。
カルは残された少ない力を振り絞って、二人の邪魔にならないようにゴロゴロと地面を転がり、その場を離れる。
「だっしゃあっ!!」
アキラの全力の回し蹴りが、敵の足を撃ち、敲く。
「座れ! こんにゃろう!!」
巨木を揺らし、へし折るのではないかというほどの勢いで、重ねて相手の膝横を、蹴り続ける。
ゴウゥン、ドズゥン、と鈍い音が鳴る、重い回し蹴りを、何度も、何度も。
「ウガルルルルルゥ!!!」
クロが敵の脚の腱に狙いを定め、咬み付く。
ブチブチミチィ! と音が鳴り、肉が抉り取られ、引きちぎられる。
両足を崩壊された魔人がバランスを崩し、ずしんとその膝を地面に付ける。
膝を折り、背を丸くし、、頭を下げて無防備になった敵の急所。
べっ、と敵の肉片を吐き捨てたクロが、敵の首に飛びついて、血まみれの牙を立てる。
「フングルルルルル!! ガルルルルゥッ!!!」
首を捻って深く深く相手の喉笛あたりに自分の牙を食いこませる。
そして両腕がだらりと下がって、防御のなくなった、敵の体。
クロが攻撃を仕掛けていると同時に、アキラは狙いを定める。
その胴体、胸の中央部分にある、最大の急所に。
腰を落として右手を引いて息吹を吐き。
そして、叫んだ。
「一撃、必殺っ!!!!」
強化魔法を施された、大砲のようなアキラの右正拳、上段突き。
その必殺の殴打が、大緑の分厚い筋肉と、それに守られた胸骨にめり込んだ。
更にその奥にある最大の急所、心の臓にまで衝撃を通す。
手ごたえが、確かにあった。
「うぐぃ、ああ……」
最後に、大緑は力なく叫び、口から血を吐く。
そして、ぶしゅうううう、と首の傷口から、大量の血を噴き出す。
クロの咬みつきは、喉笛から頸動脈にも及んでいたのだ。
クロもアキラもその返り血を浴び、真っ赤に濡れた。
ガクン、と大緑の首が力を失って、垂れた。
大緑はその活動を停止した。
「はは、やった……やったぞ、クロちゃん」
「勝ったっスね……」
クロとアキラはその場にへたり込み、お互い、笑顔を見せた。
同じく、近くの地面に突っ伏しているカル。
うつ伏せで土や草を舐めているような有様ながら、パチパチと小さな拍手をした。
無事のようで、アキラもクロも安心した。
「クロちゃん、あいつはもう一人前の、冒険者だよ」
「わかってるっスよ。もう坊主なんて、呼べないっス」
その賞賛が、果たしてカルに聞こえているかは、わからない。
じきに、二人にかけられていた強化魔法の効力が切れた。
とてつもない疲労感が、アキラとクロを襲う。
この状態で他の魔物が彼らを襲えば、まず生きては帰れないだろう。
しかし、そうはならなかった。
「見てたぜ! お前ら、すごいな!」
「本当に、素手で、こんなに少ない人数で、やりやがった!」
「私は、最初から信じてた。この子たちならやれるって」
冒険者たちがアキラとクロ、カルを守るように取り囲み、口々に祝福と称賛を叫ぶ。
彼らはアキラたちが全力で戦えるように、大緑との戦闘の間中、他の中小の魔物を撃退してくれていた。
周囲にいるものが、魔物の残党を始末しながら、一足早い勝利の雄たけびを上げる。
喜びの声はどんどんと伝播して、やがてアキラたちのいる平原一帯を埋め尽くした。
敵の数がこの平原から、どんどん減っていくのがアキラやクロにも見えた。
大緑が退治されたことで、武器を手にした冒険者たちの行動範囲が広がったのだ。
散り散りになっている、あとに残った魔物。
それらを衛士や冒険者たちが追い詰め、一匹、また一匹と、確実に仕留めて行く。
もちろん最後まで油断や楽観視は禁物だが、少なくとも、自分たちが果たす役目は終わり、もうできることはないと二人は思った。
「アキラさん、風呂屋、行きたくないっスか?」
「だな。温泉、この時間にやってるかなあ……でもその前に」
クロとアキラは、静かさを取り戻しつつある深夜、未明の草原を眺めて、言った。
「ギルドに、報告しなきゃっスね!」
「うん。帰ろう、ギルドに」
「はいっス!」
元気よく笑うクロの顔。
それを見て、しかしアキラは一つの気がかりを、思い出した。
「マリって子にも、知らせないとな。城壁の近くにいるみたいだし」
「ま、まあ、そっスね。あいつにも、言わないとっス」
古い顔なじみの狼少女の名が出て、珍しくクロが少し照れて、鼻をこすった。
ラウツカ市を守る城壁、その北に広がる平原。
夜の闇が、少しずつ白み始める。
また、ここには日が昇る。
戦い終えた彼らは、地面から身を起こし、立ち上がって歩きはじめる。
待っている人のところへ帰ることができる。
その喜びの思いを胸に、冒険者たちは帰るのだった。
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