97 街を守るものたち、街で生きるものたち(7)
アキラたちが決戦を覚悟して走っていた、その頃。
冬の長い夜の中であっても、冒険者ギルドには、灯りがついていた。
ラウツカ市に危機が起こっている。
ギルドに登録している冒険者が多数、防衛戦の依頼任務に参加している。
今は非常緊急の事態であって、突発的な業務が多数、発生しているのだ。
特に今回の依頼は、状況が特別だ。
発生する連絡行動や事務的作業も、通常とは勝手が違う。
そのためにギルドは終日営業として、交代で職員たちは出勤して各種の仕事に邁進していた。
「リズ、少しお茶を飲まなくて?」
「いいですね、今、これをやっちゃってから……」
受付嬢を務めるリズと、その先輩のナタリーも同様に、夜中なのに出勤していた。
二人は夕方から夜に少し仮眠を取って、すぐに仕事の席に戻った。
関係各所との連絡のやり取りを、文書を作成し、鳩を飛ばしてひたすら行っている。
リズの顔には明確に疲れが出ている。
それを先輩のナタリーは見逃さず、休憩を提案した。
もともとリズは体力がないので、普段はめったに残業や休日出勤をしないのだ。
無理をしているのは、付き合いの深い同僚でなくとも一目瞭然であった。
「なんでしょう……音が」
「入口の扉を、誰か叩いてますわね」
二人がお茶を飲んで一服しているとき、ギルド正面入り口のノッカーが鳴った。
通用口は鍵が開いているので、関係者ならばそちらに来るはずである。
それを知らず、夜間は施錠されている正面の扉を叩くのは、ギルドに関係しない、一般来訪者だろうか。
「こんな時間に、誰だろうかね」
ロビーで休んでいる受付嬢の二人のもとに、ギルド支部長のリロイも顔を出して、言った。
夜中のことである。
もしも不審者なら大変だ。
そう警戒しながら、リロイは通用口を出て、正門側に確認に行った。
リズとナタリーのいるロビーに、扉越しに話し声が漏れ聞こえてくる。
外にいる人物と、リロイが、お互いになにか言っている声だった。
両者ともに声を荒げている様子はないので、ひとまずリズとナタリーは安心した。
その後、リロイは通用口からギルドの建物の中に戻って来た。
一人の、痩せた小さなエルフの少女を連れて。
部屋着のような、簡素なワンピースに、羊毛の外套を着ている。
耳がそこまで長くはない。
エルフとしても特に真っ白い肌、そして緋色の混じった金髪、という特徴を持っていた。
「こんな夜中に、子供が出歩いたら、危ないじゃないか」
「ご、ごめんなさい……」
落ち着いた優しい声ではあるが、リロイが説教する。
リロイが確認したところ、孤児施設で暮らしている子供のようだ。
保護監者である政庁の役人の目を盗み、夜中にこっそり抜け出して、ギルドまで来たらしい。
そして、少女は簡単に、自分の身の上を話した。
少し前に半白髪の見習い冒険者少年、カルと同じ「事情」で、ラウツカの孤児施設に保護された、と。
「そうですか、カルくんと……」
このエルフの少女も、どこかからか攫われて、船の貨物室に押し込められ、奴隷として売られる予定の子供だった。
「わ、私、ユリーナって言います。どうしても、今日、ギルドに来たくて……」
伏し目がちにエルフの少女、ユリーナはそう言った。
なにかしらの用や、ギルド職員に話したいことがあるのは、その顔色や視線からも明白だった。
しかし、こんな夜中に、子供が訪れるにふさわしい場所でないことは確かだ。
「困ったな、いくらそう遠くないとは言え、施設から迎えに来させるのも、こちらから施設に送るのも気が進まない」
リロイはそう頭を抱え、ナタリーの顔を見た。
ナタリーは鋭く察して、こう提案した。
「ギルドから、孤児施設に鳩を飛ばしますわ。もう遅いので、朝になってから丁重に送らせていただきます、と」
「それがいい、ぜひそうしてくれ。リズくん、その子が眠るまで、面倒を見てやってくれるかな」
ユリーナを仮眠室で眠らせて、朝になって施設に帰ってもらおう。
ナタリーは仕事に戻るが、リズはユリーナと一緒に仮眠室に行け、とリロイは言っているのだ。
リズに無理をさせないための、二人の気遣いであった。
溜息をついて、リズは二人の判断に従った。
この状況で休むのも不本意だが、無理をして倒れてしまっては、今後の仕事にも支障が出る。
「わかりました、じゃあ、ユリーナさん。ミルクを温めますね」
こくり、と頷いて、ユリーナはリズの仕事服の裾をつまみ、ついて行った。
ギルドの仮眠休憩室。
リズとユリーナは、備え付けのベッドに二人で腰かけて、温めた砂糖入りミルクを飲んでいた。
「どうして、こんな時間に、危ない思いをしてギルドまで来たんです?」
優しくリズが問いかける。
責めているのではなく、純粋にそれが知りたい、という表情と声色で。
そこまでして、今、この時間にギルドに来たかった理由が、ユリーナという子にはあるのだ。
「……わ、私、カルの次にお仕事の見習い、することになってて」
「施設からあと何人か、色々なところに働きに行くって、言ってましたね」
年長の孤児の子に、職業訓練を施して、自立の手助けをする。
そのためにカルは冒険者ギルドで見習いとして登録し、仕事に従事している。
二人目の見習いは、ユリーナになる予定だということだった。
身なりは小さく華奢だが、エルフとしてはそれなりに、自立の準備をしていい年齢なのだろう。
「どんなお仕事を見てみたいとか、ユリーナさんは、もう決めてるんですか?」
「……わ、わかんない。でも、カルは冒険者になってから、毎日、すごく楽しそうで」
カルがもともとどういう風であったのか、リズは知らない。
しかし確かに、見習い登録して働いているところを見ると、ウマが合っているというのか、楽しそうには見えた。
「そうですね、周りの冒険者のかたからも、カルくん、評判がいいんですよ」
少し生意気なところも、なんだかんだと周りから可愛がられているのがカルという少年だ。
なにより度胸があり、頭が回るのは、まさしく冒険者向きと言えた。
「で、でも、危ない仕事だって。今日も、本当は施設の先生たち、カルには行って欲しくなかったって。死んじゃうかも、しれないって」
眼に涙を溜めて、早口でユリーナは言った。
確かにまかり間違えば、カルは死ぬ。
それはもうどうしようもない、この仕事をしていれば運命のようなものだ。
ギルドで働く受付職員として、果たしてそのことをどう、ユリーナという少女に伝えればいいのだろう。
リズはその答えに窮していた。
残酷な現実の可能性を、今ここで突きつけていいものなのだろうかと。
「どうしてそこまでするんだろうって、私、わからなくて。カルが、もう帰って来なかったら、どうしようって……」
ああ。
この少女も、自分と同じだ。
大切な人が帰って来ないのではないか、そう思いながら待ち続けるのが、たまらなく苦しいのだ。
いつもそこにある、いつもそこにいる。
当たり前になっているその暮らしを失うのが、恐ろしくてたまらないのだ。
いくら仕事であっても。
いくら冒険者は死ぬかもしれないと頭でわかっていても。
結局、心が苦しいのは抑え込みようもないのだ。
リズは自分の気持ちを重ねながら、ユリーナの手を握る。
「そういうときは、カルくんが帰って来たら、なにをしようか、って考えるんです」
「え……?」
待つ立場の先輩であるリズは、優しく教え諭すように言った。
「帰って来ないことを考えるんじゃなくて、帰って来た後になにをしよう、って色々考えるんです。思い付く限り、色々」
「カルが、帰って、来た後……」
「ええ、どこか行きたいところがないですか? なにか、一緒にしたいこと、ないですか?」
問われて、ユリーナは顔を上げて、答えた。
「……施設で、勉強、教えて欲しい」
出かけるわけではないのか。
リズは面白く思ったが、少し悲しくもなる。
それだけ施設の子は、外の街を具体的に知らないということだろう。
しかしそのリズの、いわば大人のお節介な想像は、少し外れていた。
「どうして?」
リズの問いに、ユリーナは恥ずかしそうに、こう答えたのである。
「小さい子には、カル、面倒見て、ちゃんと教えてあげてる。でも、私は……」
もう大きいから大丈夫だろう。
そう言われて、ユリーナはあまり、カルに勉強を教えてもらえていない。
苦手なところは、カルに教えて欲しいところは、たくさんあるのに。
その話を聞いてリズは、少し面食らった。
これは思ったよりも、青く、甘酸っぱい話だった。
そのことにリズは、少し頬を赤らめる。
擦れた大人になってしまった自分が、失ってしまった大事な大事な宝石を、ユリーナは今、その胸に抱えている。
続けて、少し早口になり、ユリーナは話した。
「あと、カルばっかり、仕事でどこに行った、なにをしたって自慢するから、私も早く仕事をして、カルが羨ましがるようなこと、したい。カルは魔法が得意だって言ってるけど、それを絶対に見せてくれない。魔法なら、私もちょっとは、使えるのに、興味なさそうで……」
「ふふふ、いいですね。それは私も、協力できそうです」
いつか、この子を美味しいお店に連れて行ってあげよう。
カルやアキラたちでは入るのに躊躇するような、女性向けでお洒落な、落ち着いた雰囲気のお店がいい。
値段が手ごろな割には、素敵なアクセサリーを揃えている店を知っている。
身近な女の子が、綺麗な指輪を身に付け始めたとき、そばで見ていた男の子はどういう顔をするだろう。
この子もいずれ働きに出て、自分の暮らしをするようになる。
そのときはびゅうびゅうと先輩風、お姉さん風を吹かせて、大人の女性の世界を見せてあげよう。
優しい目で、リズは教え諭すように、ユリーナに話す。
「男の人って、いつまでも子供なんです。だから大人ぶりたいだけなんですよ。ユリーナさんが働きはじめたら、すぐにカルくんが子供に見えてきますよ?」
「そ、そうなのかな……」
「ええ、そのための、とっておきの技を教えちゃいましょう」
リズはすっかり楽しくなってきて、彼女が持つ秘奥義の一つをユリーナに伝授する。
それはとてもまっすぐで、基本的で、ありふれていて、当たり前の技。
だからこそ会心になる一撃。
「カルくんが帰ってきたら、ユリーナさんの、一番の笑顔で、お帰りなさい、って言ってあげるんです」
「……それだけ?」
「ええ、それだけできっと、カルくんは、ユリーナさんに勉強を教えてくれるようになりますよ」
自信満々に言ってのけるリズ。
半信半疑のユリーナが、指先を合せてもじもじしていた。
「で、でも、面と向かってなんて、恥ずかしい……」
「恥ずかしいからこそ、効き目があるんです。さ、寝る前に、笑顔の練習をしましょう?」
むにむに、とリズはユリーナの頬を両手で揉みほぐし、必殺の笑顔を伝授する。
最高の微笑みで、冒険者の帰還を出迎えるために。
二人は、笑顔の特訓を繰り返す。
「こ、こう……?」
顔を赤くしながら、口角を上げて目を細め、ユリーナが微笑む。
それをリズが小さく手を叩き、賞賛する。
「いいですね、最高です。破壊力は抜群です。カルくんなんて、いちころですよ?」
「そ、そうかな……」
「ええ、ところでユリーナさん、お休み前に一つだけ、質問していいですか?」
「う、うん。いいけど」
「まだお仕事見習いの先が決まっていないと、言ってましたよね?」
「やりたいこととか、わからないから……」
誰でも、できること、やりたいことをはっきりと見つけるのは難しい。
リズも通ってきたその道で、迷い、躊躇うユリーナの手をリズが取る。
そしてにっこりと、最高の笑顔をユリーナに見せて。
「それなら、ギルド職員のお仕事に、興味はありませんか?」
リズはそう言い、自分の勤める職場の、人材登用を始めるのだった。
結局二人は、眠らずにその夜を、色々な話を交わして過ごした。
待つというのはこういうことなのかなと、ユリーナはなんとなく、知った気持ちになったのだった。
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