92 街を守るものたち、街で生きるものたち(2)

 翌日のラウツカ市、北の中央城門、衛士詰所。

 その中の休憩仮眠室。

 狼獣人の青年、クロと、同じく狼獣人の少女、マリはそこにいた。


 自分の村で起きた惨劇をラウツカの衛士に報告したのち、マリは衛士詰所で休んでいた。

 彼女が不安がらないように、ずっとクロが付き添っている。


「こんな殺風景な詰所では、休まらないでしょう。別に宿を手配しましょうか?」


 北門一番隊、フェイの部下である衛士の一人が、マリやクロを気遣ってそう言ってくれた。


「いえ、大丈夫です……ありがとうございます」

「遠慮することないんスよ。どうせ俺らの税金から宿代は出るんスから。こういうときに使ってやらないとっス」


 マリは昨日よりも、ずいぶんと落ち着きを取り戻していた。

 クロは少し安心し、役人に対しての軽い皮肉を言う程度は、余裕が出ていた。


 その詰所の仮眠室を、アキラとエルツーが訪れた。

 アキラはエルツーの家に行って事情を説明し、そしてこの詰所に一緒に来たのだった。


「クロちゃん、俺たち、魔物退治って言うか、防衛戦に参加することにしたよ。衛士隊からギルドに依頼が来たんだ」

「初級冒険者でも、参加できるようになったっスか?」


 前日にギルドの中であった悶着を、クロは知らない。

 アキラはクロにもかいつまんで事情を話した。


「あ、でもクロちゃん、その子の側に、いた方がいいよね……」

「私、大丈夫です」


 アキラの心配をよそに、マリは力強い目で言った。


「クロ、私も戦いたい。村のみんなの、母さんや父さんたちの仇を討ちたい」


 マリはこの一晩をラウツカの北門詰所で過ごしている中で、心境の変化があった。

 強大な魔物が、得体の知れない脅威が迫っているのに。

 衛士たちの誰一人として、絶望していないのだ。

 緊張した面持ちではあるが、一人一人がやるべきことをこなしながら、忙しく立ち回っている。


 泣いて叫んで絶望して、寝台で横たわっている場合ではないのだ。

 壮大で力強いこのラウツカの城壁と、そこで働く北門衛士たちの表情を見ていると、マリはそう思うようになってきたのである。


 この街の人たちと力を合せれば、あの恐ろしい脅威に、立ち向かえるのではないか。

 家族の、同朋の弔いを、果たせるのではないか。

 その想いが、ふつふつと胸に再び、力強く湧き上って来るのだった。


「む、無茶っスよ。俺たちの仲間が共同で借りてる家があるから、そこで大人しくするっス。獣人ばっかりだから、きっとマリも、気安いっスよ?」

「ううん。力仕事じゃなくてもいいの。なんでもいい、戦って街を守る人たちの、役に立ちたい」

「そうは言うっスけど……」

「私、足が速いよ? 覚えてるでしょ、前に、夏のいつか、クロと駆けっこをして、私の勝ちだったじゃない」


 マリの意志は固かった。


「ガキの頃の話じゃないっスか……」

「今はもっと速いわ。村の中でも、ううん、近くの山の、他の村の獣人にも負けないんだから」


 クロはどうしたものかと、困った顔をアキラに向けて助け船を求めた。


 マリを心配するクロの気持ちは、わかる。

 しかしそれ以上に、なにかしたい、しなければ気が済まないという、マリの強い思いも、アキラにはわかった。


 かけがえのない家族を、大切な仲間を失ったのだ。

 体を動かして、悪い感情を少しでも追い払う必要があるとアキラも思う。

 しかしマリになにをどう言っていいか、アキラにはわからない。


 その場で同じく話を聞いていたエルツーが、思い付いたように言った。


「これから、魔物に対する準備も含めて、城壁の外の仕事が増えるわね……ご飯の炊き出しとか、あるかもしれない」


 仕事をすれば腹は減る。

 腹が減っては戦はできない。

 どんな場合でも、食事を用意するというのは、大事な役目だ。

 

「料理だって得意よ。家族のご飯、私が作ってたんだから。いっぱい作って、みんなに運ぶわ。お願い、やらせて」

「そ、それなら……」


 クロも根負けして、渋々マリの言い分を聞き入れた。

 アキラは衛士たちに、炊事や物資の運搬などの作業で人手が必要ではないかを聞くことにした。


 ちょうどそのとき、フェイが彼らのいる中央門の詰所に姿を現した。

 衛士隊の制服に身を包み、腰に打撃鞭を提げて。

 その右手には、自身の背丈より若干長い、片鎌の刃を持った槍を携えている。


「城門近く、中央大通りに、炊事の部隊を敷く。もしよければ、そこを手伝ってほしい」


 危機を前にしても、普段通りの無表情に近い、落ち着いた顔つきをしていた。

 以前よりバッサリ短くなってしまった、おかっぱの黒髪。

 活動的なフェイにはそれもよく似合っていて、アキラはついつい、その姿に見惚れてしまった。


「わ、わかりました、一生懸命やります! 絶対に、絶対にあの魔物たちを、やっつけてください!」


 マリは目を輝かせて、フェイに言った。


「大丈夫よ、マリちゃん。フェイねえはどんな魔物よりも強いんだから。私たちの倍くらい背丈がある、緑色の山みたいな巨人の魔物を、蹴ったり殴ったりして倒したこともあるのよ」


 アキラたち三人がかつて苦渋をなめさせられた、大緑(おおみどり)と言う魔人。

 フェイは一人で、無傷で、その魔物を打ち斃したことがある。

 自分たちの街の守護神、フェイと言う女性の強さを、エルツーはマリに誇らしげに言って聞かせた。


「み、緑色の、巨人……?」

「そ。とんでもない奴だったけど、フェイねえにかかれば、朝飯前の、一撃よ」

「いやエルツー、さすがに一撃は無理だぞ。百発以上は殴った。そもそもあのときは、エルツーの強化魔法があったからでな?」


 辛い思い出を、ようやく笑って話せるようになったエルツー。

 しかしその話を聞いて、マリは生唾を飲みこんで、言った。


「む、村を襲った魔物の中に、そんなやつが、いたわ。おぞましい、青かびみたいな肌の色……そ、そいつの口元から、父さんの、血の匂いが……」


 その場にいた全員が目を見開き、顔を見合わせた。


 アキラたちを襲った大緑は、フェイが完全に退治した。

 その死体はラウツカの政庁や公国の学術機関が研究するために、切り刻まれるなどして肉、骨、血が保存されていることを、フェイは知っている。


 しかしマリの村を襲った魔物の中に、大緑の、新たな別の個体がいるのだとしたら。


「……厄介な、戦いになりそうだな」


 フェイが小声でつぶやいた言葉は、アキラたち冒険者全員の気持ちと、同じだった。

 大緑がどれだけ危険な相手なのかを、みなが嫌と言うほど、その身で思い知っているのだから。



 アキラとクロは一旦、城門の外に出ていた。

 先日の防衛設備の点検、修繕作業で、見落としていた箇所があったことを思い出したからだ。


「アキラさん、ここっスよ、ここの縄を、結び直すのを忘れてたんス」


 城壁の前面に、塹壕と共に設置されている、尖った木の杭を並べた槍衾。

 それをまとめて結わえている縄の一部が、朽ちて緩んでいる。


「よく覚えてたね、クロちゃん」

「これを忘れたせいで負けたら、嫌っスからね。きっと死んでも地獄に行って、後悔するっスよ」


 アキラとクロは縄をしっかりと結び直す。

 作業を終えて、クロが語る。


「正直言うとさっきまで、マリを連れてラウツカから逃げようと、思ってたんス」


 あくまで軽くいつもの口調で。

 しかしクロは、切実で哀しいことを、その口から語った。


「わかるよ、ってか俺がクロちゃんの立場なら、そうしてるかもって思うし……」


 アキラはその思いを否定できなかった。


 クロはラウツカの出身ではない。

 同郷の仲間とともに、出稼ぎ的にラウツカに来て働いているだけの立場である。

 ここで危険な戦いに身を投じるより、仲間と一緒に他の土地へ、この機会に移ろうと考えていても、ある意味で当然と言えた。


「でも、マリの奴が、あんなこと言うんスもんねえ。俺が逃げたら、滅茶苦茶恥ずかしいやつじゃないっスか?」

「ははは、確かに。女の子の前では、カッコつけて生きなきゃな」


 アキラもクロも、いつも二人で話している、その同じ空気のまま、笑った。


「そっスよ。カッコもつけられなくなったら、つまんないっスからね。モテないっス」

「前回は、俺たちみんな、フェイさんに仇を取ってもらっちゃったからな……カッコついてねえもんなあ……」


 アキラもクロも、自分たちの仇を取ってくれたフェイには、言葉で表せないくらいに感謝している。

 しかし、男として冒険者として生きていて、悔恨と言うのは、どうしてもあるのだ。

 

「これで見事に勝ったら、俺ら、かなりカッコいいっスよ」

「だよな。モテるかな。俺にも春が来たりするかな」


 男同士の馬鹿話をしながら、アキラはニヤついて言った。


「……アキラさん、自分がモテてる自覚がないんスか?」

「ないよ。実際モテないよ。灰色の、男だらけの青くない春しか過ごしてないよ」

「いや、あの人たちの気持ちに気付いてないわけ、ないっスよね? 結局は誰が一番なんス?」


 呆れてクロはそう言ったが。


「え、なんだって? 風が強いせいで、よく聞こえなかったよ」

「便利な耳っスねえ……」


 鋭敏な聴覚を持つ狼獣人のクロとは違い、並の人間族であるアキラ。

 彼の耳は、都合の悪いことに対してだけ、聞こえが悪くなるのであった。



 ときを同じくして、ラウツカ市中心部にある、孤児施設。

 半分白髪の見習い冒険者少年、カルはそこにいた。

 施設で共に暮らす子供たちの、勉強の面倒を見ているのだ。

 

 こんなときであっても、いや、こんなときだからこそ。

 なにも知らずに笑っている、施設の子供たちと、カルは普段通りの日常を送っていた。


 カルはもう十五歳になっていて、そろそろこの施設を出て、独立しなければいけない。

 冒険者の仕事が軌道に乗って来たら、施設で他の子と共同生活を送る日々は、終わってしまうのだ。


「そこ、計算間違ってるぞ。足し算じゃなくて、問題は引き算」

「あー、たまたまだよ。うっかり。カルにいちゃんは、こまかいなあ」

「いや、計算は、細かくやらないと、意味ないだろ……」


 年少の子に簡単な計算問題を教えてやりながら、自分の今までと、これからについて、思いを馳せる。


 母親が消えて、食事もないまま待ち続けたとき。

 家を出て、首都の貧民街の路地裏で倒れたとき。

 朦朧とする意識の中で、見知らぬものたちに身柄を攫われたとき。

 食事もろくに与えられないまま、暗い荷馬車に放り込まれ、長い道のりを運ばれたとき。


 そして、異臭を放つ荷物とともに、冬の船の貨物室に押し込められたとき。


 すべてのとき、カルは自分の死を想像し、覚悟し、色々なことを諦めた。

 もう、なにをどうしても、無理なんだなと、一度はすべてを、割り切った。


 それでもフェイたち港湾の衛士隊に発見され保護され、この施設に預けられて。


 久しぶりに、温かい食事と、暖かい寝床を与えらた。

 いつしか笑って話せるようになり、天気のいい日は外で遊べる日々を取り戻した。 


「まあ、上等かな……」


 自分が失った光輝く物を、一度にすべて、再び与えてくれた、ラウツカという街。

 消えそうだった自分の命を拾い上げてくれた、フェイと言う女性の笑顔。


 それらを守るために、カルは戦いに行く。


 彼の勘は、この戦いが楽で安全でないことを十分に察知している。

 それでいて、逃げることなど全く考えていない。

 

 自分は人生を捨てて、やけになっているのだろうか。

 奴隷として、商品として攫われて以降、カルはそう自問することがある。

 しかしどうやら違うらしいと、最近気づき始めた。 


 命というのは、きっとこういうときのために使うものなのだろう。

 そう、カルは思うようになっていたのだ。


「それに、約束、しちゃったもんな……」


 自分は、フェイとギルドのロビーで、約束した。

 決して死なないと、固くフェイの前で誓ったのだ。


 だから死ねるわけがない。

 どんなに激しい戦いであっても、どんなに傷付いても。

 絶対に、死ねないし、死なないのだ。

 死んだらきっと、どんな魔物よりも恐ろしい形相で、フェイに怒られてしまうのだろう。


 死地へ赴くことを理解し、すっかり覚悟を決めているのに。

 理屈ではなく不思議と、カルは自分が死なないことを、確信していた。

 その矛盾する想いを、カルは自分で、楽しく感じていた。


「できた! もんだい、おわった!」

「お、ご苦労さん」


 与えられた問題を、子供がすべて解く。


「カルにいちゃん、あそぼう! おそとで、たたかいごっこ! アキラおにいさんと、やってたやつ!」

「はいはい、ちょっと待てよ。ちゃんと正解してるか?」


 カルは、子供に教えた計算が正しいかの確認をする。

 教えた引き算が、今度はちゃんとできている。


「おお、やるじゃん。俺が同じ歳の頃より、覚えが早いんじゃね」

「ふふーん、カルにいちゃんなんて、まだまだだよ?」

「生意気言いやがる。じゃあ約束だし、庭に行くか」

「やったー! あのねあのね、ひだりふっくってやつ、おしえて!」


 その子は、施設の庭でアキラとカルが格闘技の稽古をしているのを、夢中になって観察していることがあった。

 左フックの練習も、先日に確かに行っていた。

 よく見てるもんだなあ、とカルは笑った。


「他の子にしないって約束できるか? 俺やアキラ兄ちゃんにだけだぞ、思いっきりやっていいのは」

「フェイおねえさんも、つよいよー?」

「うーん、フェイ姉ちゃんにも、やっちゃダメ」

 

 外の庭に出ると、快晴だった。

 カルは子供と戦いごっこをして、自分がアキラから教わったパンチや防御の技を、遊びを通して、教え込む。

 いつしか、カルは夢中になっていた。

 これでは、アキラが自分にしていることと同じだと思い、また笑った。


 生き続けていけば、こうして繋がって行くものも増える。


 決戦を前に、カルが思い描く未来。

 それはカルの頭上に今まさに果てしなく広がる晴れた空のように、まばゆく爽やかで、美しいのだった。

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