90 脅威

 冬のラウツカ市ギルド、ロビー。

 昼休憩の時間が近くなる。


 数人の中級冒険者たちが、北の山の調査依頼に参加の申し込みを済ませている。

 そのなかなかに高額な報酬について、笑顔で話し合っていた。


「俺も、行きたかったな……」


 その光景を見て、アキラが心底羨ましそうに、言った。


「もう言うな、仕方のないことは、世の中いくらでもあるんだ」


 かっぱかっぱとお茶の杯をカラにしながら、フェイもムスッとした顔をしている。


 クロとカルは初級冒険者でもできる仕事を探しに、再び掲示板を眺めていた。

 アキラやフェイの不機嫌に当てられないため、というのが本当の理由である。

 

 そこに、フェイの心情をさらに悪化させそうな人物がやって来た。


「おやおや、仕事熱心な隊長さまは、今日はギルドで治安情報の交換かな? いやあ、毎日精が出るねえ」


 赤い髪を持つエルフの冒険者、ルーレイラである。

 明らかに仕事をサボっているフェイに、慇懃無礼な挨拶をした。


 この街のギルドでただ一人の、上級冒険者でもある彼女は、掲示板に貼られている依頼票を確認し。


「政庁の連中が言ってたのは、これかあ」


 そう呟いて、調査依頼に参加予約の名前を書いた。

 どうやらルーレイラは、北の山を調査する依頼について、どこからか情報を得ていたようだ。


「と言うわけで僕は調査に行く準備を進めるのだけれど、隊長どのも、お仕事、頑張ってね!」

「うるさい! その長い耳を引っ張って、もっと長くしてやろうか!」


 ルーレイラはフェイをからかって、またどこかへ行ってしまった。


「ええい、あの赤毛妖怪め、まったくむしゃくしゃする。アキラどの、中庭に行こう」

「ま、まさか」

「そうだ、稽古だ。こういうときは体を動かすに限る!」


 孤児院の子供たちに当たらないだけ、マシなのだろうか。

 そんな風に思い、アキラはいつもより激しめなフェイの稽古に付き合うのだった。



 昼食時。

 体を十分に動かし、仕事場に戻ろうと思う程度の冷静さを取り戻したフェイは、ギルドを後にした。


 アキラ、クロ、そしてカルはロビーで三人揃い、もそもそとパンを食べていた。

 そのとき、彼らの席に近付いてくる男がいた。


「ウィトコさん、こんにちは」

「ああ」


 中級冒険者、ネイティブアメリカン出身の転移者にして弓矢と騎乗の達人、ウィトコである。

 初対面のカルとウィトコは、お互いに言葉少なに自己紹介し合った。


「ウィトコさんも、北の山の調査っスか?」

「いや、知らん。なんだそれは」


 ウィトコは山の調査や、サルの群れたちのことをまだ知らないようであった。

 ルーレイラからは特に連絡が行っていないのであろう。

 クロはそれら最近の出来事について、簡単な経緯をウィトコに説明した。


「サルが、城壁の前にか」


 ウィトコは何らかの興味を示したようだが、表情が変わらないためにその感情は読みにくい。


「そうなんスよ。うるさいし気味悪いし、早くいなくなって欲しいっス」

「様子を見に行く、お前も一緒に来い」


 いきなりウィトコはそう言って、クロの衣服の肩口を掴み、席から立ち上がらせようとした。


「ちょ、ま、待ってくださいッス! まだメシが!」

「馬の上でも、食える」


 言葉少なに、無理矢理クロは連行されてしまった。



 二人は馬の背に乗り、全速力で城壁まで行って。

 郊外の様子を確認し、またすぐにギルドに戻って来た。


「サル以外の獣も、なんだか森の方からちらちら、出て来てるみたいっスね……」


 ギルドの中庭で待っていたアキラとカルに、クロはそう報告する。

 他にめぼしい依頼も見つからなかったため、アキラとカルはボクシング風の武術稽古をしていたところだった。

 

「昨日よりさらに増えてるのか。なんだか、気持ち悪いな」


 不安を口にするアキラを、ウィトコはじっと見つめた。

 長い間無言で見られる、

 アキラも流石に、なんなのかと疑問に思い、訊いた。


「な、なんか、俺の顔に、ついてますか?」

「アキラ、お前はまだ、初級だったな」


 ぶしつけに、ウィトコはアキラの冒険者等級を確認した。


「そうです、まだしばらく中級には、なれなさそうですね。もっと頑張らないと」

「なら、あの依頼は、行かないんだな」

「はい、行けないです……」


 わずかに心の痛む質問だったが、アキラは素直に頷いた。


「嫌な予感がする。もしも後から、初級でもいいという条件になっても、行くな」

「え……」

「ルーレイラに、連絡する。見かけたら、あの依頼には行くなと伝えろ」


 真剣な顔でそう言って、ウイトコは急ぎ気味に出て行った。

 いつも無表情で冗談を言うタイプではないが、今回は特に緊張した面持ちをしていたように、アキラには感じた。

 

「あのおじさん、なんかすげー、怖いんだけど」


 ウィトコがその場を去った。

 なにか緊張が解けたのか、カルが息を吐きながら言った。


「いや、顔と話しぶりは、あんなだけど。いい人だぞ?」


 アキラの物言いも、若干失礼であった。


「そっスよ。結構優しいし、たまに奢ってくれるっス」


 物を奢ってもらったらいい人扱いなのか。

 クロの人物評にアキラは突っ込みたくなったが、それはさておき。

 ウィトコが寛容で落ち着いた人物というのは、間違いではない。


「んー……上手く言えないけどね。敵に回したら、むちゃくちゃ厄介そうな感じ」

「そりゃあ、あの人も凄腕だからなあ。ってなんでウィトコさんが、お前の敵になるんだよ」


 アキラがカルのバカげた想像に突っ込みを入れる。


「もののたとえだよ。わかんないかなあ」


 カルは、冷めた顔で含みのある、生意気な言い方をするだけだった。



 翌日の朝。

 ラウツカ市内は相変わらず城壁の外にいる、獣の群れの話題で持ちきりである。

 しかし、衛士隊と冒険者が共同で調査にあたるという情報も人々の間に徐々に広まっていく。

 それなら大丈夫なのだろうと、安心する市民の顔も同時に増えていた。


 城壁郊外にたむろするサルたちは、かえって名物になりつつもあった。

 どんなものかと見物しようとする市民が、急激に増えつつある。


 フェイもこの日、仕事の非番を利用して北城壁に来ていた。

 孤児施設の子供たちが駄々をこねたから、仕方なく連れて来たのである。

 城壁の上から動物を見たい、サルを見たい、と。


「お前たち! 絶対に城壁の端から身を乗り出すんじゃないぞ! 落ちたら死んでしまうんだぞ!」

「わかってまーす」

「うわー、高いねー」

「おサルさんたち、いっぱい! かわいい!」


 子供たちはめいめい騒ぎ、駆ける。

 フェイ一人では到底、面倒を見きれないだろうが。


「子供は、なにも考えてなさそうで、いいわね」

「エルツーは、大人にでもなったつもりっスか?」


 狼獣人のクロと、赤茶髪の魔法使い冒険者、エルツーも一緒にいた。

 子供たちの引率手伝いとして、フェイに頼み込まれ、駆り出されたのだ。

 アキラとカルは、港での積荷降ろし作業に出ており、この場にはいない。


「カルおにいちゃんがねー、このかべを、つくったんだよ!」

「ちげーよ! なおしただけだよ! ウソつくなよおまえ!」

「うぅ、うそじゃ、ないもん。うわぁ~~~~~ん」


 いつの間にか、城壁の話題で子供たちが喧嘩を始めた。

 幼児の行動と思考は無軌道すぎて、脈絡がなく先が読めないものだ。


「ああもう、仲良くしなさいよ。どうしてこう聞き分けがないのかしら」

「サルなんて眺めて、なにが楽しいんスかね」

「ちょっとクロ、子供たちから目を離さないでよ」


 辟易しながらエルツーはボヤき、クロに抗議する。

 クロは城壁の上からサルたちを通り越した先、はるか北の山の方角を見つめて。


「フェイさん、すごい勢いで、馬に乗った人が近付いて来るっスよ」

 

 そう伝えた。

 遠くから響く馬のいななきが、クロの鋭敏な聴覚に届いたのだ。

 

「な、なに? おいみんな、走り回るな、今、クロおにいさんと大事な話をするからな、頼むから大人しくしてくれ」


 騒ぐ子どもたちを必死で押さえて、フェイもクロと同じ方向を見つめる。

 子供たちも、その視線を追って、口々にはしゃいだ。


「わははー、おうまさん、はやーい!」

「うまなんて、みえねーだろ! ウソつくなよ!」

「みえるもん! ほんとうだもん!」


 フェイは若干の近視気味なので、遠くの景色を見るとぼやける。

 子供たちの中には随分と目のいい子もいるようだった。

  

「む、たしかに馬だな……乗っているのは誰だ?」


 まだ点のような大きさであるが、確かに人を乗せた馬が走っているのがフェイにも確認できた。

 子供たちは遠くから来る馬を見つめ、口々に、フェイに教えるように叫んだ。


「フェイおねーちゃんと、おなじ、おしごとのふく!」

「えーしさんが、おうまさんにのって、こっちにくるよ!」

「もうひとり、のってる! おうまさんに、ふたり、のってる!」


 子供たちに加え、馬で走り来る人物たちを確認したクロ。

 突然、城壁から降りるために、猛烈な勢いで階段のある場所へと駆けて行った。

 クロの背中にエルツーの声が飛ぶ。


「ど、どうしたのよクロ!」

「衛士と一緒に馬に乗ってるの、知り合いなんス!」


 そう言ってクロは城門から市外に出た。

 衛士の馬と、その背に一緒に乗っているものの所へ、走った。

 遠目ではあったが、クロは匂いの記憶から、それが見知った獣人だとすぐにわかったのだ。


 クロたちラウツカに住む獣人族が故郷に帰省する際、一年に一度、夏の時期だけ訪れる、北の山道にある村。

 そこに住んで家族と炭焼きを営んでいる、狼獣人の少女だった。

 クロたちはその村に立ち寄ったとき、必ずその少女の家族に、納屋を寝床として借りていたのだ。


「マリ! どうしたっスか!?」


 クロが少女の名を叫ぶ。


「ああ、クロ! 魔物が、魔物が!!」


 マリと言う名の狼獣人の少女は、見知ったクロの姿を認めるなり、馬から飛び降りて抱きついた。

 恐怖と混乱で、マリの体はガタガタと震えていた。


 子供たちを連れて、慎重に城壁の階段を下りたフェイとエルツー。

 フェイは北門衛士の一番隊に子供を一旦預け、クロたちのいる場所へ行く。

 そして、マリを馬に乗せてここまで連れてきた衛士に、何事なのかと尋ねた。


「ふ、吹雪が丘の、ふもとの村が……」


 衛士も全速力で馬を駆っていたからか、疲労で息が荒かった。

 吹雪が丘と言うのは北の山中にある、峠の一つである。

 一年の大半を吹雪に見舞われているからその名がついた土地だ。

   

 衛士の呼吸が落ち着く前に、マリが泣きながら叫んだ。


「死んだの! 殺されたの! 魔物の群れに襲われて、私の村の、全員!!」


 そして、続けてこう言った。


「あいつら、山を降りてこっちに来るわ!! ラウツカが、魔物の群れに襲われる!!」


 十人や二十人の、盗賊団などではなく。

 一匹や二匹の、大型の魔物でもなく。


「熊や大猪の、何倍もあるような大きな、見たこともない化物、魔物が何匹も!! そいつらが小鬼どもを何百って連れて、ここに向かってるのよ!!」


 新年を迎えた、冬の港街、ラウツカ市。

 その街に、とてつもない大きさの脅威が、音を立てて、近寄って来ていた。


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