89 捨てられて拾われた少年の、その後の話(5)
ラウツカ市北部の城壁修理、その最終日の三日目。
作業をしているアキラたちのもとに衛士が来て、こう言った。
「ギルドへの連絡や手続きはこちらの方で行うので、できればもう二日間だけ、作業を延長していただけないだろうか」
クロとカルの表情をアキラは確認する。
二人とも、問題なくオーケーという顔をしていた。
作業が延長すればそれだけ収入も増えるのだから、基本的には良い話である。
「それは構いませんけど、仕事の進みが、遅かったりしましたか……?」
アキラは不安に思っていたことを、衛士に尋ねた。
「いやいや、そういうわけではなく、急遽決まったことでね。せっかくだから城壁の前の塹壕(ざんごう)と、槍衾(やりぶすま)も、こうして人手があるうちに、整備し直そうと」
冒険者や他の派遣労働者を使った城壁の修繕作業は、思いのほか調子よく進んでいた。
衛士本部のお偉方が、それならばこの際、かねてから気になっていた部分を修繕しきってしまおう、と決めたらしい。
城壁の外には、敵の侵入を妨げるための、塹壕が掘られている。
その付近には樹の杭で作られた槍衾もある。
どちらもこまめに修繕しておかなければ、肝心なときに役には立たない。
「そういうことなら、喜んで」
街を守るための仕事の手伝いができるのは、アキラにとっても嬉しいことだった。
「坊主、面白い経験ができて良かったっスね、今回は」
「アキラ兄ちゃん、いい加減クロが俺を坊主って呼ぶの、やめさせてよ」
クロとカル、元気な若者を引き連れて、アキラたちはその後も、城壁周辺の作業に従事することになった。
最終日の五日目、夕方近く。
アキラたちは槍衾の木材を結わえつけてまとめている、縄の張り直し作業を行っていた。
ところどころ縄は朽ちて緩んでおり、このタイミングで修繕するのはいい機会だったんだなとアキラも思う。
「さむ……手に力、入んないよ」
しかし真冬の、屋外作業である。
温暖なラウツカとは言え、吹きさらしの状態で肉体労働をするのは、カルには少し、厳しいようだった。
「港とかギルドがあるあたりより、城壁の外はめっきり寒いっスからね」
クロがそう話した視線の先、ラウツカ北城壁の真北の方角。
遠く遠くに山が見え、すっかりと雪をかぶっている。
冬の時期はあの山から、冷気が街まで下りてくるのだ。
逆に、海沿いは南からの浜風が吹いて、ここよりは多少、温かい。
「クロちゃんの地元って、あのデカい白い山の向こうなんだっけ?」
「そっスよ。地元に帰るときは、東から回ることの方が多いっスけどね」
「どして?」
それだと、ずいぶんの遠回りなように思えて、アキラは聞いた。
「あの山は峠もキツイし、俺の田舎に帰るまでに、途中に小さい村が二つあるっきりで、不便なんスよ」
「田舎あるあるだな。途中の休憩も、楽しみたいもんね」
「あとは年がら年中、吹雪いてるっスからね。真夏のいっときだけはマシっスから、そのときだけはあの山道を通るっスよ」
吹雪、という言葉を聞いて、傍らにいたカルは余計に体を震わせた。
「これ以上寒くなる話、やめてくんない……」
「ああカル、ごめんごめん。なにかかぶれる布みたいなのあったかな……?」
アキラは手荷物をごそごそ漁って、肩掛けショールに使えそうな布をカルに与えた。
皮下脂肪が少なそうな体つきをしている分、寒さに弱いのだろうか。
もうじき作業時間は終了である。
今、手を付けた仕事を仕上げたら、衛士の詰所に戻って終わりを知らせるとしよう。
そう思ったとき。
「グルルルルル……」
山の方を見ていたクロが、不愉快そうに低く、唸った。
敵か、魔物か、そう思ったアキラは緊張してその視線の先を追ったが。
「ウキーッ!」
「キャッキャッ!!」
「キキッ! キキッ!」
小さなサルの群れが、こちらに走って来ただけであった。
アキラも知っている、近隣の山林に群れで棲んでいるサルたちだ。
うるさいし、小石や小枝を投げてきたり、果樹園から作物を盗んだりすることはある。
が、基本的にはそれほど大きな害のある獣ではない。
なによりラウツカ市の保護動物、シンボル的な存在であり、基本的には狩って殺してはいけないのである。
「なんだよ、驚かせやがって」
布で体を包み、縮こまりながらも、カルは気の抜けた様子で言った。
「このあたりまで、サルが出て来るって珍しいな。もっと林の近くなら、よくいるけど」
アキラは果樹園の作業を手伝いに行くとき、必ずサルたちに挑発されて小枝を投げつけられる。
「ったく、うるせぇエテ公どもっス……ん?」
イライラして舌打ちをしながらそのサルたちを眺めていたクロだが。
次第に驚きと不安の顔を浮かべるようになった。
「数が、多すぎるっス……」
北の山から平原を超えて、クロが視認できるだけで百匹近いサルが、なにかにおびえ、逃げるように叫び、走って来るのだ。
城門の前にいる衛士や作業者に近づくことはせず、四方八方に散ったり、その場に留まってキーキーと泣きわめき続けたり。
いつの間にか、ラウツカの城壁近くに、数百匹のサルの群れが集まっていた。
「と、とりあえず、衛士さんたちに知らせよう……」
そう言ってアキラは、城門の衛士詰所に走った。
「アキラ兄ちゃんの力じゃないと、この縄、結べないんだけど……手が、かじかんで……」
「いや、もういいっスよ、それは」
律儀に最後まで仕事を終わらせようとしたカルに、クロが突っ込んだ。
アキラ、クロ、カルの三人が来たときには、衛士隊も、事態の異変には気付いていたようだ。
詰所の内外は騒然としていた。
「あ、隊長の知り合いの……確か、アキラさん」
そのうちの一人がアキラの顔を見て、言った。
「ども、久しぶり」
北門衛士一番隊の若手隊員であり、アキラの方にも見覚えがある。
確か、市内で悪さを働いていた盗賊団のアジトに、フェイと共に立ち入り捜査に行った青年だ。
アキラはそのとき、盗賊たちのことをフェイや衛士に聞かれ、話したことがあったのだ。
フェイと同じ隊の人物とわかり、アキラたちはそれぞれ自己紹介し合う。
「サルの群れに、なにか危害を加えられましたか?」
「そういうことはなかったっスけど、あいつら、怯えてたっスよ、なにかに」
衛士の質問に、クロが答えた。
クロは山育ちであり、好き嫌いは別として、山の獣全般に詳しい。
獣人の持つ特性もあり、獣たちがどういう心理状態なのか、なんとなくわかるのだ。
「とりあえず、もう市内へお入りください。詳しいことは衛士の方で調べますので、ご安心を」
ちょうど作業者たちも終了時刻間際であり、城壁周辺の仕事はこれで、終了になった。
アキラたちは衛士の指示に従い、帰ることにした。
ふと、アキラは自身の日本での人生が終わった、二六歳の夏のことを思い出した。
あの地震が到来する少し前に、神奈川県の浜辺に、多数のイルカやクジラが打ち上げられて、死んだというニュースがあったことを。
アキラはバイクを飛ばして、海岸にその様子を見に行ったことがある。
砂浜で動かなくなった何十匹ものイルカとクジラを目の当たりにして、なんとも言えない気分になった。
その少し後、あの地震が発生した。
今、アキラはそのときに似た悪寒を、全身に感じていた。
「……アキラさん、鳥肌凄いっスけど、大丈夫っスか?」
「これだけ寒いんだし、仕方ないじゃん」
クロとカルが、帰り道にそう言った。
翌朝。
前日までの仕事の報告と報酬の受け取りのために、アキラは早くからギルドに来た。
カルとクロはまだ顔を出していないようだが、そのうち来るだろう。
「おはようございます、城壁の外で、なにかおかしなことがあったって聞きましたけど」
「リズさん、おはよう。実はね」
受付のリズにそう訊かれて、アキラは北の山麓からサルの群れが大量に、ラウツカ市の近くまで来たことを話した。
「うちのボスも、そのことで早いうちから政庁に行っているんですよ。そうですか、山の方から、獣たちが」
ギルド支部長のリロイは日の出前から政庁舎に行って、話し合っているということだった。
もしも、山の中でなにか、おかしなことが起こっているとすれば。
「調査とか、冒険の依頼が来る?」
「その可能性は、高いと思います」
アキラとリズの想像は、当たった。
昼近くになって、ラウツカ市の政庁が、正式な依頼としてギルドに仕事を出したのだ。
「えーと……街の衛士隊と、北門衛士隊と、冒険者の合同で、北の森を調査っスか」
おっつけギルドに来たクロが、掲示板に貼られたその依頼票を、頑張って読む。
しかし、そこには但し書きがなされていた。
「中級冒険者以上限定って、書いてあるじゃん」
カルがそっけなく言った通り。
今回の仕事は初級冒険者のアキラやクロ、見習いのカルの出る幕は、なかったのだった。
それもある意味、無理のない話である。
冒険者は登録制で身元が明らかにされている。
とは言え、初級冒険者というのは、どんな人間がいるかわからないものだ。
実際に問題を起こす冒険者というのはそれなりにいて、そのほとんどが初級冒険者である。
キッチリと仕事をこなす信頼や実績では、中級、上級冒険者と初級の間には、天と地ほどの差がある。
公(おおやけ)の仕事、しかも衛士たちと同行する森の中での調査任務。
そこに参加するためには能力はもちろんのこと、協調性や目に見える実績も必要なのだ。
「クソッ、悔しいなあ、これは……」
アキラは自分の経験や実力が足りないことを、改めて情けなく思った。
今回の調査は、明確に「この街を襲う不安」と戦うための仕事だ。
調査をした先で、なにか悪いことがあればそれを解決するために、対処をする。
逆に調査の結果、なにもなければ、街で暮らす皆が安心を得ることができる。
ラウツカに住む一人の冒険者として、その仕事に参加できないのは、不甲斐ないとしか言いようがなかった。
「仕方ないじゃん、つーか今日も寒いな……温かいお茶、飲もうよ」
カルがそう言いながら、フットワークも軽く給湯室へ向かった。
面白くない思いを抱えながらも、アキラたちはロビーでお茶タイムにした。
そこに、もっと面白くない顔をした、別の人物が加わった。
「邪魔するぞ。カル、私にも茶を淹れてくれ」
研修のために港湾の衛士隊で仕事をしている、鬼の隊長さん。
制服姿のフェイが、まさに文字通り、渋面という顔つきで、アキラの隣の椅子にどっかりと、腰を下ろした。
まだ就業時間中であり、昼食時間にも早い。
「あ、フェイ姉ちゃん、仕事が面倒になって、抜け出して来たな?」
アキラとクロが思っていても言えなかったことを、子供ながらの怖いもの知らずか、カルが平気で言ってのけた。
「相変わらず、生意気が治らないようだなあ~。悪いのはこの口か~?」
「いひゃい、いひゃい!」
フェイは両手でカルのほっぺたを引っ張る。
この様子からすると、今日の隊長さんは「不機嫌、だが激怒ではない」というところだろう。
そのときふと、アキラは疑問が生じた。
ギルドに政庁から出された、北の山林の調査依頼。
冒険者と、市街の衛士と。
そして、北門衛士の中から数人が参加するはずだ。
港湾隊で研修中と言っても、元々は北門衛士、小隊長のフェイ。
彼女が不機嫌な顔で、仕事をサボってギルドで油を売っている、と言うことは。
「そうか、フェイ姉ちゃん、森の調査に行きたいけど、ダメだったんだな」
「うるさい! お茶はまだか!」
調査隊に参加したくてもできないフェイの不機嫌が、アキラには痛いほど、わかるのだった。
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