88 捨てられて拾われた少年の、その後の話(4)
後日、朝早い時間帯の冒険者ギルド。
再びフェイに連れられ、半白髪の少年カルがやって来た。
「おはよう、フェイさん、カルも」
研修で港湾の守備隊に配属されてのち、フェイは時折こうしてギルドにも顔を出す。
港にある衛士詰所から、ギルド施設は歩いて数分の距離であるためだ。
そのとき、ギルドのロビーではアキラと一緒に、狼獣人の冒険者、クロがいた。
二人でめぼしい短期の依頼を探しているところだったのだ。
クロは元々、字の読み書きが苦手であったが、最近努力して覚えようとしている。
アキラの協力も得ながら、懸命に掲示板に貼られた依頼内容を読み比べ、先ほど依頼を受ける手続きを終えたところだった。
「はよっス、フェイさん。これ、地元のお土産っス」
クロは先日まで故郷に帰省していて、ラウツカを留守にしていた。
故郷の仲間たちと作った、大ネズミの干し肉燻製品を、お土産としてフェイに手渡す。
「ありがとう、これは旨そうだな」
アキラはネズミと聞いて少し心配していたが、フェイは全然、イケるらしい。
「ところでクロどのに紹介がまだだったな。この子はカル。仲良くしてやってくれ」
「アキラさんたちから、話は聞いてるっスよ! よろしくっス、坊主!」
「坊主じゃないよ。もう十五だし」
カルは先日に十五歳の誕生日を迎えたばかり。
キンキー公国の並人は、慣例的に十五歳を迎えた時点で「準成人」という扱いを受ける。
法的な成人ではないが、いずれ独り立ちしなければいけない自覚を持ち始める年頃、ということだ。
せっかくフェイたちが顔を出したタイミングだが、あいにくとアキラやクロはこれから、仕事であった。
「ゆっくり話したいのはやまやまなんだけどね、俺ら、これから出るんだわ」
「城壁の点検と、補修の助っ人依頼があったんス。城壁の作業依頼は珍しいっスね」
奇遇にも、アキラたちが向かう仕事はフェイの本来の職場、ラウツカ市の北城壁である。
今のフェイは港湾の守備隊で研修中であり、一緒できない。
「ほお、城壁か。カル、どうする?」
「別にいいけど」
話を聞いて、フェイとカルはなにやら相談を始めた。
「なら決まりだな。一番隊の連中に会ったら、よろしく言っておいてくれ」
「わかった。フェイ姉ちゃんの、仲間の人たちだね」
アキラたちには事情が分からないが、なにやら話が決まったようであり、フェイはこう言った。
「政庁とギルドの取り決めでな。ひとまずカルを、ギルドの冒険者として仮登録することになったんだ。城壁の作業に、連れてってやってくれないか?」
「よろしく、兄ちゃんたち」
いきなりのことで目を白黒させるアキラとクロ。
そこにリズがやって来て、説明した。
「孤児の子たちも、いつまでも施設にいるわけにはいかないようなんです。基本的には十五歳を境に、施設を出なければいけないようで」
「ま、まあ、どこもそういう事情は、あるよね」
慈善事業や社会福祉とは言え、そこに注がれる資源は無限ではない。
子供たちはいずれ独り立ちしなければいけないというのは、アキラにも納得のいく話である。
「で、手に職をつけるために、こうして何人か、ギルドの冒険者に登録することになったんですよ。カルくんはその第一号なんです」
「はー、若いのに、苦労するっスね、坊主……」
相変わらず、クロはカルを子ども扱いしていた。
「だから坊主じゃないってば! あんたいくつだよ?」
「俺? 十八っスよ」
なにげに、クロはエルツーよりも歳下であった。
「十五の俺と、大した変わらねーじゃん!」
「狼獣人の歳は、並人さんたちとは違うっスよぉ」
クロとカルは、しばらくの間、やいのやいのと騒いでいた。
「アキラどのが行くなら心配はないだろうな。くれぐれも、よろしく頼む」
とフェイに言伝されて、アキラはカルを引率し、教育する役目を担ってしまうのだった。
ラウツカ市を象徴する、白い石灰岩が積まれて建造された北城壁。
東西約16kmの長さのあるその防御機構は、建てられてから長い年月が経っていることもあって、ところどころが破損している。
アキラはこの城壁の上を、端から端までランニングしたことがある。
城壁上部は、日中であれば市民に開放されているので、誰でも出入りして、散歩やランニングができるのだ。
「と言うわけでこれから三日間、みんな、頑張っていこー」
アキラがクロとカルを前にして、号令をかけた。
この日から三日の間、割り当てられた区間を点検し、必要があればレンガや漆喰を使って修繕する。
あるいは鳥の糞などで汚れた表面を磨きあげ、本来の岩の色を取り戻す作業だ。
それがアキラたち冒険者に出された、仕事の依頼だった。
傍らには大八車のような荷車があり、ここに石材や補修用具、その他もろもろの掃除道具などを積んでいる。
城壁を本格的に積み替えたりする工事ではないので、おそらくは冬季の雇用対策の一環だろうとアキラは思った。
もちろん、だからと言って手を抜いて良いわけはないが。
「ラウツカの城壁、見たの、初めてだ……」
長く東西に広がる、威厳を持った石の壁を見て、カルは嘆息を漏らす。
カルはキンキー公国の首都の生まれ育ちである。
そこから、暗い荷馬車の中に閉じ込められて、ラウツカに運ばれて来た。
自分の目で評判の城壁を見るのは、初のことだったのだ。
「立派だろ? この石灰岩の巨大建造物、壮大で色っぽくていいよなあ……ロマンだよなあ……歴史を感じるよなあ……」
石材の表面を撫でて、アキラが恍惚の表情を浮かべて言った。
真っ白い岩肌の中に、ところどころ、黒ゴマのような点々が見える。
その「かすかな黒い点」が、特にいいのだ、独特の風合いを出しているのだと、アキラは力説した。
「別に……」
「アキラさん、たまに謎な性癖を出すっスね」
カルもクロもその感覚はわからないようであった。
その美しい白灰色の一面に見える城壁も、ところどころに小さな汚れや損壊が見られる。
城壁はラウツカの「顔」でもあるので、化粧の意味合いで補修して常に美しく保つことは大事なのだ。
こまめに点検していれば、深刻な損傷にもいち早く気付く、と言う意味もある。
アキラたちは掃除をしながら、破損個所を修復する作業に入った。
純粋な、そしてハードな肉体労働である。
しかしアキラもクロもこの手の作業は慣れっこのものだ。
カルも不平不満を言うようなことはなく、真面目な態度で仕事を手伝っっていた。
城壁の上で「胸壁」と呼ばれる、凸凹の壁を修繕したり磨いたりしている、そのとき。
「真っ直ぐじゃなくて、曲がってるんだね、この城壁」
周囲を一望して、カルがそう言った。
ラウツカの城壁は、真一文字ではなく緩やかに湾曲して構築されている。
これは城壁を拠点として弓矢や投石器を放つ際に、敵に対して角度を調整しやすいという利点のある構造だ。
「そうだな。この城壁を作った人は、本当に頭がいいよ。百年も二百年も先のことを考えて、長く役に立つ設備を作ろうって思ったんだろう」
アキラは自分が知っている範囲で、城壁など、都市の防衛設備について、カルに教える。
湾曲構造だけではなく、城壁の上部には、足場の広くなっている部分が等間隔にある。
兵隊を配置する人数を調整したり、馬や大きな攻撃兵器を設置することが、ちゃんと考慮されたつくりになっているのだ。
「うちの親分が言ってたっスけど、キンキー公国は昔の戦争でヤバかったときに、王様がラウツカに退いて陣取って、そこから反撃したことがあるそうっス。だからラウツカは首都から離れてても、特別な市の扱いを受けてるんだそうっスよ」
クロが、仲間からの伝聞でそう言った。
ラウツカは、正式には「キンキー公国、特級市ラウツカ」と言う名前の街だ。
市の最高長官、市政庁の上級役人や衛士の責任者に、貴族や公子を一人も赴任させていないと言う、いわば半独立市である。
郊外の小さな村も含めてラウツカ市の行政管轄区域となっており、公国の中でも「特別扱い」されている、名誉ある街なのだとクロは語った。
「伯父さんも、ラウツカは良い街だって言ってたもんな……」
カルの口からその人物の話が出ると、アキラはやはり、まだ胸が痛い。
いくら許してくれていると言え、カルの伯父である商人が死んだ責任の一端は、アキラたちにあるのだから。
しかし、そのことから逃げてはいけない、カルとちゃんと向き合わなければいけないとも思う。
アキラは作業の休憩中に、カルの家族の話を、聞いてみることにした。
「母さんは……多分、他にも男がいたんだ。だから金が入った途端に、一緒になって街から消えたんだと思うよ。伯父さんが死んだとかそういうのは、ただのきっかけだったんだと思う」
カルは、少し冷めた表情で自分の境遇を、そう話した。
「その……カルはさ、お母さんから、虐待されてたりは、してなかったのか?」
「母さんは、俺に興味がなかったんだと思う……いや、怖がるようになった、って言うかな」
アキラの質問にカルはそう答えた。
そして少し長くなる、自分の昔話をした。
「俺、十歳くらいまでは母さんと上手くやってたんだ。ちゃんと学舎にも通わせてもらってた。
物心ついたとき、もう父さんはいなかったけど、それなりに楽しくやってたよ。
でもいつだったか、寝てるときにさ。家に雷が落ちたんだ。
そのときに住んでいた家は、雷のせいで半分、燃えちゃってさ。
俺はたまたま無事で、怖くなって家の中から外に逃げて。
大泣きしてたら、隣の家の人が助けに来てくれたんだ。
母さんはそのとき……家にいなかったから、やっぱり無事だった」
恐らくは、そんなことがあった日も、カルの母は男と遊び歩いていたのだろう。
アキラもクロもそう思って聞いていたが、そのことは口に出さなかった。
「俺、すごい怖くて、すごい泣き続けてさ。
それからだよ、髪の毛がこんなふうに、半分だけ白くなったのは。
今でも直らないんだ。不思議な話だよな。
それから、母さんは、俺を怖がるようになったんだ……」
カルは話し終えて、少しだけ、鼻をぐずらせた。
しかし今の話を聞き終えたクロは、素朴な疑問をカルにぶつけた。
「なんで、めでたく生き残って、怖がられるっスか!? おかしいっスよその母親は! まず、自分の子供の無事を、喜ぶべきっス!!」
「ま、まあ、その通りなんだけどなクロちゃん。言い方ってものがね、ほら……」
アキラがなだめる。
二人の様子を見て、カルはくすっと苦笑いして、言った。
「ごめん、説明が足りなかったね。母ちゃんが本当に怖がったのは、これなんだ」
言って、カルはアキラとクロの手を左右に握った。
「すー……」
そして、なにか精神を集中させるように目を閉じ、深呼吸をして。
「ふっ!」
カルが小さくそう叫ぶと。
ビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリ!!!!
アキラとクロの体中に、まさに「電撃」が、走った。
二人とも腰を抜かしのけぞって。
「だだだだだだだだだ!」
「ぢぢぢぢぢぢぢッス!」
そう、叫んで、震えた。
命にかかわるようなものでなくても、数秒の間は、身動きもとれなかった。
喰らったことはないが、スタンガンやテイザー銃の攻撃はこんなものか、とアキラが思うほどの痺れだった。
「あっはっはははは! 二人とも、その、顔!!」
半ば、涙が出るほどに笑って。
「ね、俺、怖いだろ? ちゃんとメシ食ってると、これだけ強い魔法が使えるんだな」
してやったり、と言うような顔で、カルは体をカクカクと揺らし続けている二人に、そう言ったのだった。
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