86 捨てられて拾われた少年の、その後の話(2)
自分たちの依頼の失敗で、死なせてしまった商人。
遺族が、きっとどこかにいるだろう。
その考えはアキラやエルツーの頭の片隅に、常にあり続けていた。
しかしその人物と、こんなタイミングで会うことになるとは、二人とも全くの予想外だった。
「あ……そ、その、俺たち……」
アキラは、カルという少年にかけるべき、適切な言葉が全く浮かばなかった。
しかしその逡巡をよそに、エルツーが叫ぶ。
「ご、ごめんなさいっ!! 私たちのせいで!!」
頭を下げ、そして頭を上げ、カルの目を真っ直ぐにエルツーは見つめた。
深い謝罪の念と、そして責任から逃げないという意志。
それを強く持って、エルツーは真っ直ぐな視線を、カルに向けていた。
「え、いや……悪いのは、魔物なんでしょ?」
カルは、そんなエルツーの視線を少し恥じらうように、戸惑いながらそう言った。
エルツーより身長は高いが、まだ子供といった表情だ。
彼らのやり取りを少し心配そうに見ていたフェイも、力強い笑顔を取り戻して、言った。
「そうだ。彼らは必死に魔物に立ち向かった。偉いぞ、ちゃんとそれがわかるんだな」
わしわし、とフェイはカルの頭の撫でる。
苦い顔で、カルはその愛撫に甘んじている。
照れくさいのだろう。
アキラも緊張が少し解け、肩の力を抜いた。
「も、もしかして、船で売られそうになってた子供たちの中に……」
奴隷売買の船が衛士に摘発されたというのは、ラウツカの中でも有名なニュースである。
アキラたち冒険者の面々も、事件の概要だけは知っていた。
「そうだ。この子の母親は、どうやら金に困っていたようでな……」
フェイとカルの話によると、ことの顛末は以下の通りだった。
カルの母親は、夫と別れて、キンキー公国の首都でカルと二人暮らしをしていた。
しかし約半年前の夏ごろに、身分の高い貴族の男性と、不倫の関係を結んでしまった。
怒り狂ったのは、その貴族男性の夫人である。
カルの母に多額の示談賠償金を請求した。
更に、それが受け入れられないなら、淫売と姦淫の罪でカルの母を訴えると騒いだのだ。
「……キンキー公国では、既婚者に色目を使った側が、裁判で負ける傾向が強いからな。アキラどのたちが護衛した商人は、妹に久々に会うついでに、その賠償金を肩代わりしてやるために、首都に行くつもりだったようだ」
そうフェイは話を締めくくった。
魔物と盗賊が襲撃してきた事件なので、衛士もその内情を調べていた。
そのためにフェイも、詳しい経緯を知ることができたのだ。
「でも、この子が孤児施設に預けられたってことは……」
「ああ、商人の妹、カルの母親は、姿をくらましてしまっている。首都の衛士も、まだ見つけられていないようだ」
エルツーの言葉にフェイはそう答えた。
一人息子を街に置き去りにして、逃げたのだろう。
アキラはそこで、一つの疑問を抱いた。
「で、でもリズさんが言ってたよ。商人さんのご遺族に、ちゃんと補償金を払う手続きを、進めてるって……」
アキラは自分たちの仕事が失敗してしまったことで、関係者がどうなるのかをリズに詳しく聞いたことがあるのだ。
「……母ちゃんは、その金を受け取ったよ。伯父さんの遺産も、ほとんど母ちゃんが相続したんだ。それでも、どこかに行っちゃった」
カルは下を向いてそう言った。
彼は母がいなくなった自分の家で、食事も金もない状態で、しばらくの間、待ち続けた。
そして母はもう戻って来ないだろうと悟り、首都の片隅にあるスラム、貧民街へ足を運んだのだ。
やがて空腹で行き倒れて、いつの間にか人買いに、身柄を攫われていた。
「……う、うう。うぐぅ。ふぐっ!」
話を聞き終えて、アキラが膝から崩れ落ちた。
「ごめん、ごめんよぉ、カルくん、つらかっただろうなあ……」
ボロボロと涙を流しながら、カルの体を抱き締める。
「え、ちょ、ちょっと、お兄さん、泣かないでよ……お兄さんのせいじゃ、ないってば」
細く、痩せた体だった。
「ごめんなあ、今はちゃんとご飯、食べてんのかあ?」
そう思うとアキラは、余計に涙があふれてくるのだった。
「アキラどのは、涙もろい方なんだ。今は気の済むまで泣かせてやってくれ」
「いつもこうなのよ。放っておけばそのうちおさまるわ」
「はぁ……」
フェイとエルツーがそう言う。
カルは気まずい表情を浮かべながらも、アキラの好きにさせていた。
「でも、その、困ったことがあったら、なんでも言ってよね。できる限り、力にはなるから。せっかくこうして会えたんだし、これも縁よ」
アキラが大泣きしているので、かえって冷静になってしまったエルツーが、そうカルに声をかける。
「とりあえず、施設の暮らしに不便はないかな。メシがちょっと少ないって思うくらいで……」
「じゃあせっかくだし、魚の揚げ物、奢ってあげるわよ。さっきから食べたくなっちゃって」
そう言ってエルツーは、最寄りの飲食店である「眠りの山猫亭」に走って行った。
アキラはしばらくの間、泣き続けていたが、次第に立ち直って、皆で一緒に魚肉ミンチの揚げ物を頬張った。
「ちょっとアキラ、アンタの分は奢りじゃないわよ。ちゃんとお金を払いなさい」
「ええー……フェイさんには奢ってるのに? けちんぼなロリっ子だよ……」
「その呼び方やめてって言ってるでしょ。次言ったら殴る」
その様子を見て、カルも気がほぐれたのか笑って言った。
「変な兄ちゃんだね、この人。さっきまで大泣きしてたのに」
「こら、情緒が豊か、と言ってあげるんだ」
生意気を言って、フェイにたしなめられた。
「じゃあお休み、カル。施設で他の子と喧嘩するんじゃないぜ」
「しないよ、そんなガキみたいなこと。兄ちゃんたちも、お休み!」
カルはあっと言う間にアキラたちと打ち解けて、皆に送られて施設に戻って行った。
アキラはすっかり「兄ちゃん」と呼ばれて、気分が良くなっている。
エルツーも家に戻る。
二人残ったフェイとアキラは、久々に一緒に、飲み屋へ向かった。
「最近、羽振りがいいそうじゃないか、アキラどの」
「おかげさまで、仕事の調子が上向いてきた感じがあるんだよね。あ、そうだそうだ」
アキラは武術の練習用に買った、グローブや打撃ミットの話をフェイに詳しく言って聞かせた。
「ほう、拳の部分に綿を詰めた手袋と、殴る的か」
「うん、それがあれば、思いっきり蹴ってもらっても大丈夫だよ。一度フェイさんの本気の蹴りを、受けてみたかったからさ。奮発して買っちゃった」
と言っても、馴染みの道具屋でかなりワガママを言って値切ったので、大した出費ではない。
「良ければ明日にでも、それを持って孤児施設に来てくれないか?」
「わかった。子供たちにも、武術を教えてるんだっけね」
「まあ、前からやっていることだがな。うちの庭よりも広い分、やりやすい」
そんな話をしながら、二人は酒と食事を楽しんだ。
久々にフェイと稽古ができると思うと、ついつい気持ちが明るくなり、酒も進むアキラであった。
どっぷりと日が暮れて、ギルドの営業はとうに終わった時間。
支部長のリロイが、残業を切り上げた受付職員のナタリーと、ロビーで話している。
ちなみにリズは定時になるや否や、さっさと帰った。
「人買いの船に乗っていたという少年少女たちのことで、政庁から相談があったよ」
「それは、どう言ったお話でして?」
「軽い職業訓練や社会復帰訓練のために、何人かの少年たちを、ギルドで冒険者登録してくれ、ということだ。もちろん、彼らの中でも健康な、年長の者たちを優先にね」
ラウツカ市のギルドと政庁は、一時的に悪化した関係にあった。
それを修繕するため、政庁の側もギルドに気を遣って、連絡を密にしている気配がある。
今回の打診はその流れの一環だろう。
「仕事がないまま社会に放り出されても、治安を悪くするだけですものね。理屈はわかりますけど、そう上手く行きまして?」
「なんとかするしかあるまい。危険な仕事を避ければ、大丈夫だろうとは思うのだがね」
「はあ……」
受付担当として、冒険者たちを管理し仕事を斡旋する立場のナタリー。
あまり楽観的に考えられない、面倒な案件に渋面を作るのだった。
年端のいかない少年たちの世話というのは、それだけ大変なものだ。
「暗い顔をしないでくれたまえ、ナタリーくん。有望な若者が来ることを期待しようじゃないか」
「そうですわね。そう言えば先ほど、フェイ隊長さんがそれらしい男の子を連れて、ギルドに来ていましたわ」
「ほう、どんな人物だった?」
ナタリーは、人の顔と名前を一目見て記憶することに優れている。
加えて、独特の人間観の持ち主というか、人相を見抜くことも得意だ。
これは魔法力云々ではなく、ギルド受付として日頃から多種多彩な人物を観察して得た能力であろう。
「年頃らしく、少し生意気そうな、でも利口そうな子でしたわ」
「そうか。そういう子になら、ぜひ来て欲しいものだね。きっと冒険者向きだろう」
そう笑って、リロイはナタリーを夕食に誘った。
もちろんナタリーは、二つ返事でリロイの誘いを受けたのだった。
入った店にはフェイとアキラがいて、酔った大声でわけのわからない議論をしていた。
「蜀の黄忠の方が、強いに決まっているだろう!?」
「いや、俺は仮に戦ったら、魏の張遼の方が強いと思うね! この二人、多分戦ったことないけど、俺は絶対そう思うよ!!」
ナタリーもリロイも、他人の振りをして、離れた席に座るのだった。
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