85 捨てられて拾われた少年の、その後の話(1)
新年を迎えたキンキー公国、ラウツカ市。
そこで暮らすアキラやリズたちの身の回りにも、若干の変化が訪れていた。
「明日から、港湾の治安部隊で研修でな……」
年明けになってもまだ休暇を消化している最中のフェイが、ギルドに顔を出してそう言った。
普段であれば北の城門で門番の小隊長を務めるフェイ。
このたび、仕事上の研修でラウツカ市の港の治安活動に、しばらく従事するという話だった。
「ギルドからも近くなりますね。ちょくちょく顔を出してください」
受付嬢のリズがそう言って、フェイにお茶を出す。
フェイは門番の隊長さんというポジションが似合っている。
しかし港の治安部隊というのも、ある意味では門番に近い仕事だ。
街に出入りする人々や荷物を見守り、なにか怪しいことがあればそれを調べ、事件が起これば鎮圧にあたる。
フェイの異名の一つである「ラウツカの守護神」にふさわしい役目である。
「港の仕事かあ。俺も作業で行くことあると思うから、そのときはよろしくね」
一緒にお茶を飲んでいるアキラもそう言った。
冒険者ギルドには、港湾の積荷降ろし作業などの依頼が来ることも多い。
短い期間で小銭を得たい場合などは、アキラもその手の作業に行くことがあった。
十人小隊長という中間管理職のフェイが、別の部署に研修に行くということは。
これは、フェイの昇進、出世が近いのかな、とアキラはなんとなく想像した。
「うむ、まあ、こちらこそ、よろしく頼む」
しかしフェイはなにやら、浮かない顔をしている。
現場主義のフェイのことだから、あまり出世や昇進に興味がないのだろうかとアキラは思ったが。
「フェイさん、泳げないんですよね、確か。海に落ちないように、気を付けてくださいね」
「り、リズ、余計なことを言うな! 少しは泳げる!」
不意打ちの話題過ぎて、アキラはお茶を噴き出してしまった。
運動神経抜群、ラウツカが誇る鬼神とまで呼ばれる格闘の達人であるフェイであったが。
どうやら、カナヅチであるようだった。
「俺、教えてあげようか?」
「誰が冬に好き好んで泳ぐか!」
フェイの水着を想像し、ニヤニヤしている健全な男子、アキラ。
あっけなく怒鳴られ、拒否られてしまった。
ちょっと凹む。
なににしても、ギルドから港はすぐ近くだ。
そこでフェイが働くと聞いて、アキラは楽しい気分になっていた。
もちろん仕事なので、楽しいことばかりでないのが世の常である。
「おいおい、なんだこれは……」
アキラたちとギルドで話した、その数日後。
抜き打ちで検査をした船の貨物室で、フェイは頭を抱えていた。
魚の発酵食品を大量に積んだ、その船の貨物室。
並んで積まれている樽から放たれる強烈な臭いだけでも頭が痛い。
そのうえ、さらにフェイや衛士たちを難義させる光景が、目の前に広がっていたのだ。
「きみたち、言葉はわかるか? 自分や両親の名前は言えるか?」
他の衛士が、事務的な口調でそう言う。
船の貨物室、樽や他の荷物が押しこめられたその更に奥に、並人(ノーマ)やエルフの少年、少女たちが、下着だけの姿で隠れ潜んでいたのだ。
「この子たちは、密航しているわけ、では、ないのだろうな……」
「はい、奴隷、人の売り買いかと」
フェイの呟きに、港湾衛士の男は平然と答えた。
船の積み荷に隠すように、人が商品として、ラウツカの港から「出荷」されようとしていたのだ。
たまにあることらしく、他の港湾衛士たちは、特に動揺している様子がなかった。
とりあえず船の関係者は全員、衛士に逮捕されて衛士本部に連行された。
「身元の分かるものに関しては親元に帰されることがありますが、まあほぼ、いないでしょう」
エルフ族の男性、スーホがその後の経緯をフェイに説明する。
衛士本部に詰めて、主に市内警邏に従事している衛士で、フェイとも親しい間柄だ。
「みなしごということか?」
フェイの言葉を否定するでも肯定するでもなく、スーホは端的に説明した。
「こう言った人買いは誘拐されて遠くに売られる場合もありますが、親が自ら子を捨てたり、売ったりすることも多いですね」
「じゃあ、あの子たちはどうなるんだ」
フェイの機嫌は悪くなるばかりである。
気の進まない港での研修早々に、最悪な事件に当たってしまった。
「親族と連絡がつかない場合は、ひとまずラウツカの孤児施設預かりです。そこであの子たちは自立支援や職業訓練を受けると思いますよ」
「ふむ……」
ラウツカはこの国の中でも、比較的に大きな街だ。
教育施設や福祉施設が、他の町村にくらべて、まだ充実している方である。
そして、彼らが暮らすキンキー公国自体が、社会福祉の意識が高い文化風土を持っている。
「孤児や障害者の扱いは、この国は随分と、いい方です。私の故郷など、馬に乗れなくなったものは打ち捨てられて、つまはじきものですから」
スーホは苦い顔をしているフェイに、そう言った。
彼は幼少期に別の国からラウツカに移ってきたエルフである。
「彼らが預けられる施設がわかったら、あとで教えてくれ。様子を見に行きたい」
フェイはそう言って、衛士本部を後にした。
自分が知らない世界というのは、どうやらまだまだたくさんあるのだな、と改めて思った。
帰宅後、フェイは家にいる養父母に、奴隷売買や孤児施設のことを話した。
フェイの父代わりの老夫はその話を聞き、哀しそうに、しかし懐かしそうに目を細めて、言った。
「わしや婆さんがラウツカで教員をやっていた頃も、そういう、売られたみなしごの世話をしたもんだよ。あの子たちも、元気にしているといいんだがなあ」
よくよく考えると、転移者であるフェイ自身も、この世界では独りぼっちのみなしごであった。
仕事を引退したこの夫妻に、山の中の村で幸運にも出会えたからこそ、今の自分があるのだ。
「それだけの人数なら、おそらく市内中央の孤児院で預かるんでしょうねえ」
優しい目でお茶のおかわりを淹れながら、老母はそう言った。
「わしと婆さんも、たまに様子を見に行って、子供たちに読み書きなんかを教えようかな」
「そうですねえ。家にいても、どうせヒマですからねえ」
そういう経緯があって。
フェイと養父母は、時間を見つけては市内にある孤児院に、子供たちの様子を見に行くことになったのだった。
「フェイさん、最近なんか、忙しそうだね。ギルドにもあんまり顔を見せないし」
ある日の昼下がり、ギルドのロビーにアキラはいた。
「そうね。学舎とか孤児たちのいる施設に行って、子供たちに勉強や体操を教えてるみたいよ」
掲示板をアキラと一緒に見ていたエルツーもいる。
学舎というのは公営の教育施設、学校のようなものである。
「久しぶりに、稽古つけて欲しいんだけどな。道具も新しく揃えたし」
アキラは先日、道具屋に頼んで革の打拳用グローブと、打撃を受けるためのミットを作らせ、入手していた。
ボクシングや空手のトレーニングで使うような代物だ。
格闘技の稽古を安全に効率よく行うために、前々から欲しいと思っていた。
金銭に余裕の出てきた今、それをようやく購入したのだ。
「今日はろくな仕事もなさそうね。どうする?」
「久しぶりに一局、打とうぜ。今日は負けねえ。いつもは振り飛車だけどな、新しい戦法を考えたんだ」
アキラはそう言って、ロビーのテーブルに将棋盤を広げた。
「そもそもの話として、アキラはもう少し後先を考えながら打った方がいいと思うわよ」
「根本的な全否定やめてくれない? それ、俺がバカってはっきり言ってるのと同じだからね?」
「いいじゃないの、本当のことなんだし。さっさと始めましょ」
そう言って始まった、二人の将棋対決。
「も、もう、ありません……」
七十二手で、アキラは投了した。
アキラが組もうとした矢倉は、エルツーの銀と角の猛攻に遭い、無惨なまでに崩壊させられていた。
自分が敵から取った持ち駒を、思いがけない場所に打つことにかけて、エルツーは恐ろしいひらめきを持っているのだった。
「コシローのやつ、早く帰って来ないかしら。アキラじゃ物足りないわ」
すっかり将棋が強くなったエルツーは、溜息と共にそう言うのだった。
意外にもコシローの将棋は粘りと守りの将棋であり、エルツーと対照的である。
エルツーはそのこともあって、コシローと打つ将棋がかなり刺激的で、楽しい。
そんな穏やかな、新春の夕方。
ギルドのロビーを、仕事終わりのフェイが訪れた。
「アキラどの、エルツー、紹介しよう。カルという男の子だ」
「……どうも」
フェイは傍らに、年の若い、痩せた並人(ノーマ)の少年を連れていた。
体質なのか、髪の毛の右半分が黒く、左半分が白髪である。
そのために眉毛も左右で白黒に色が分かれていた。
「こ、こんにちは。俺、アキラって言います」
「よろしく。あたしはエルツー」
素性はわからずとも、フェイが連れてきた人物である。
失礼があってはいけないと思い、アキラもエルツーも頭を下げて、笑顔で挨拶をした。
「……この人たちが、伯父さんと最後に会ったって言う、冒険者?」
カルと紹介された少年が、フェイに訊く。
「ああ、そうだよ。もう一人いるが、今はいないようだ」
フェイはカルにそう答え、アキラとエルツーに告げた。
「この子は、緑の魔人に襲われた商人の、甥っ子なんだそうだ……どうしても、アキラどのたちに、会いたいというので、こうして連れて来た」
一瞬、なにを言われているのか、アキラもエルツーも、わからなかった。
人買い商人の船から救出され、奴隷として売られそうになっていた、半分白髪の少年、カル。
彼は、アキラとエルツー、クロが護衛に失敗して死なせてしまった商人の、血を分けた親族だった。
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