82 幽霊の棲む神殿と、流浪の冒険者(5)

 翌朝、幸運にも天候に恵まれ、森の中には十分に陽光が差し込んでいた。


「これなら今日も、光の精霊さまのお力をふんだんに借りることができるよ。助かった」


 ルーレイラは先日と同じく、仲間たちの武器に光の精霊魔法を、そして頭部に防御用の魔法を付与する。

 これで幽鬼への対抗手段は確保された。


「むにゃ。そろそろ出発するかや? わらわの探知が必要かの?」


 もそりもそりと樹の洞の中からフレイヤも起きて這い出し、周りの仲間に確認を取る。


「ちょっと待って。もうこの先は大神殿しかないみたいだし、建物に魔物が密集しているなら探知をしてもあまり意味はないわ」


 朝食を摂取しながらの作戦段階で、エルツーがそう言った。

 ルーレイラもその意見に同意する。


「確かにそうだね。敵が近ければ僕やエルツーでも十分に魔物の瘴気を感知できる。お嬢さまの探知魔法に回数の制限があるなら、むやみやたらに使うのは控えた方がいい」

「ええ、お嬢さまの力は温存しておいた方がいいと思うわ。最後の最後まで、なにがあるかわからないんだし。どうせなら戻るときに使いたいわね」

「なぜ、わらわの呼び方が『お嬢さま』で統一されておるのじゃ?」


 フレイヤの抗議は無視されて、一行は神殿内部に突入するための最終準備に入る。


 大神殿というだけあって、その作りはとても大きい。

 石壁と石の柱で作られた、大小の神殿が連結されて形成された遺跡だ。


 放棄された長い年月を物語るように、木の根やツル、草花のツタなど、多くの植物が絡み付いている。

 植物の浸食によって、屋根はところどころ崩落している。

 壁にも穴や隙間が空いている部分が見受けられた。


「ねえ、ルーレイラ。植物って魔物化したりするの?」


 踏み込む前に、エルツーがそう質問する。


「して欲しくない、というのが正直なところだけれど、残念ながら植物の魔物も存在するよ。その場合は油をかけて焼いてしまうのが一番確実だろうね」

「こんなごちゃごちゃした建物と森の中で火なんてかけたら、あたしたちもただじゃ済まないわよ」

「植物の魔物は主に『妖樹』とか『魔樹』とか呼ばれるのだけれどね、核となる根っこを探し出してそこを攻撃すれば退治できる、と魔物の目録には書いてあったよ」


 ルーレイラも情報として知っているだけで、実際に植物系の魔物に遭遇した経験はないようだった。


「なんでも知っておるのう。さすがは年の巧じゃ」

「そうだよ、ルーは凄いんだ。ラウツカ市ギルドでたった一人の、上級冒険者だからね」


 フレイヤが感心し、アキラは自分のことのように誇らしげに自慢する。


「嬢ちゃんもこのまま”博士サマ”に弟子入りしたらどうだァ? ラウツカから二人目の”上級冒険者”になれるかも、しれねーぞゥ?」

「ふふふ、それも面白そうじゃの。考えておくとしよう」


 ドラックが軽く放った言葉に、フレイヤは笑って答えた。


 最後尾を歩くティールが、黙ってその様子を見つめていた。

 アキラはフレイヤの気丈な笑顔と、常に態度を崩さないティールを見て、胸が詰まる思いをした。



「さっそく出やがったかァ!!」 

「アキラ、右をお願い! あたしは左を片付ける!」


 最初の大きな部屋に入り、パーティはすぐさま魔物たちの歓迎を受ける羽目になった。


「モンスターハウスだなこれ……!!」


 アキラは目の前の魔物の数があまりに多いことに辟易していた。

 悪いことに、幽鬼以外の魔物も、膨大な数が巣食っているのだ。

 魔獣化した狼の群れと、コウモリの群れだった。


「コウモリには普通の攻撃は当たらない! 奴らの動きを止められるかどうか魔法で試してみるから、その間に僕のことを守ってくれたまえよ!!」


 ルーレイラは手持ちの荷物の中から魔法の砂を取り出し、自分の目の前の地面にぶちまけた。

 そしてその場に座り込み、目を閉じて手指で印を結ぶ。

 直接攻撃の手段を持たないルーレイラだが、他に補助魔法の手がないわけではない。


「なにをするつもりなのじゃ?」

「この砂を魔法の虫に変えるんだ! それでコウモリたちを攪乱する!」


 しかしそれを行うためには、かなり精神を集中させねばならず、時間もかかる。


「色々と手品のように出て来るものじゃのう。ご老体がその体に鞭を打っておるのじゃから、わらわも少しは働くか」


 そう言ってフレイヤは背負っていた短弓を手に持ち、狼たちからルーレイラを守るように立った。 


「幽鬼たちに、攻撃が効きにくい……!」


 アキラのトンファーの攻撃を何度か喰らっているのに、退治されずに動き回る幽鬼がいる。

 建物の内部で日の光が届きにくいから、光の精霊の加護が働きにくいのだろう。


 屋根天井のところどころには穴が開き、日が差し込んでいる。

 しかし彼らの頭の上にはコウモリが多数、飛び交っている。

 それがために室内全体がまばらに暗くなっているのだ。


「コウモリの数が、多すぎるわ! これじゃ、ジリ貧……!」

「並人の小娘よ。おぬしもずいぶんと魔法が達者なようじゃが、なぜ出し惜しみするのじゃ?」


 背中合わせに弓とボウガンを撃ちながら、エルツーとフレイヤが話す。


「あたしの魔法は回復や身体強化なのよ! でもこんなに攻撃が当たらない状況じゃ……」


 コウモリは純粋な素早さではなく、超音波で相手の動きを感知する獣だ。

 身体強化魔法で戦闘員の能力を向上させたからと言って、劇的に攻撃が当たるようになるとは思えない。


「おお、なんじゃ、いいものが使えるではないか。早く教えるが良いに」


 にやりとフレイヤは笑い、そして叫んだ。


「ティール! あと先のことは考えずとも構わん! ありったけをぶちかますが良いぞ!」

「わかった」


 小声でティールは応答し、そして部屋の隅に走った。

 室内全体を一望できる場所だ。

 そこに陣取って、左の手を前に出し、腰を落として右拳を引き、構えを取る。


「正拳、中段突き……?」


 見慣れたその構えを取っているティールの全身が、うっすらと光るのをアキラは見た。


「霊光拳(れいこうけん)、二式……」


 ティールは構えたまま、なにかの文言を呟きながら、かはーっと息吹を吐いて呼吸を整える。


 そして。


「破っ!!」


 バチィィンッッ!!!!!!


 なにもない空間に向かって裂ぱくの気合いと共に放たれた、ティールの正拳。

 その拳が空気の壁にぶち当たり、音速を超えて衝撃波(ソニックブーム)をあたり一帯に生む。


 同時にティールの拳の先から、極めて細い無数の、千条と言っていい光線たちが、空中へと飛散する。

 ティールの拳から放たれた。数多の光の矢に撃ち落とされて、コウモリたちが虚空からバタバタバタと、床に落ちて行く。


「な、なんだい、これ……」


 呆気にとられ、その光景を見るルーレイラ。

 精霊魔法特有の、力のうねりが全く感じられなかった。

 ルーレイラが知る魔法とは全く別の力学が働いた、未知の攻撃をティールは放ったのだ。


「惚けるでない! 敵はまだおるぞよ!」

「お、おお、そうだった……」


 フレイヤの一喝で我に返ったルーレイラは、魔法の虫を生む術に戻る。

 部屋を満たしていたコウモリの半数以上と、おまけとして何匹かの幽鬼や狼は、ティールの不可思議攻撃で倒された。

 しかしその一撃を放って、ティールは困憊の有様で両の膝をがくりと地面に落とす。


「あ、あんた、いったいどういうことよ……」


 エルツーは混乱しながら、ティールの回復のために駆け寄った。

 精霊魔法でない、別の力でこんな大それたことができるなど、エルツーは聞いたことも見たこともない。

 この世界、リードガルドの魔法は大なり小なり、精霊たちから力を借りることで、使うことができるものだ。

 自分が持つ生命力や精神力といった霊的な力、そして精霊への信仰心を捧げものとし、天地に満ちる神秘の力を分けてもらうのだ。


 しかしティールの拳にその気配はなかった。

 ティールは、自分自身の生命力だけを素材として、今の奇跡を発動したのではないか。

 エルツーはそう思ったが、そんなことができるわけがない、とかぶりを振った。


「気合いがあれば、なんとかなる」

「んなわけないでしょ……!?」


 エルツーの強化魔法で心身を回復されてもらいながら、ティールは冗談か本気かわからないことを言うのであった。


「砂粒、遊べ。宙を舞え。鳥でも人でも獣でもなく、しかして天地を統べる者と成れ」


 ルーレイラの魔法が発動され、地面に撒かれた砂の粒が、まるで浮塵子(うんか)のように空中を漂う。

 その魔法の虫の群れにコウモリたちの動きはすっかり乱された。


 こうなってしまえば攻撃は当たり放題であり、一行はそれぞれの武器を振るって魔物の群れを討伐した。


「だいたい、片付いたね……」

「疲れたぜ、俺はよォ……」


 肉体労働担当のアキラとドラックが、ぜはーっと息を吐いた。



 室内の敵を殲滅して、小休止したのちに一行は探索を続ける。 


 入口に近い第一の神室が、最も魔物が多く集まる地帯だったようだ。

 その後の道中は少数の魔物が、散発的に姿を現すだけで、まとまった襲撃というものはない。


 そして大神殿最奥部の、最も大きい広間の扉の前に、パーティーは辿り着いた。


「デカいのがいるわね。幽鬼じゃなく、実体の魔物が。しかも三匹」


 エルツーが扉を開けるまでもなく感じ取った。


「一度、ここでセーブしたいなあ……」


 アキラが弱気につぶやいた言葉を分かるのは、この場でティールだけ。

 彼はそれを聞いて笑いを噛み殺していた。


 一行は、精神防御用の紋様が汗で落ちかかっていたので、それを改めて塗り直す。

 最深部の部屋は陽の光にもっとも乏しいが、相手が実体系の敵であるなら光の付与魔法は特に必要ない。

 しかしルーレイラは別の考えがあるようだ。


「ちょっときみたち、また僕を囲んで、武器を持って集まりたまえ」


 今回は、フレイヤも自分の弓矢を構えてルーレイラを囲む輪に入る。

 ルーレイラは、足元に小さな火を起して、火の精霊に祈りをささげた。


「灼熱の精よ。万物を滅ぼし、そして新たに生み出すこの天地で最も偉大な神々よ……」


 長めの詠唱、祝詞が続き、各人の武器に炎と熱の精霊が宿る。


「クックック、やっぱ、コレだよなァ!?」


 赤熱した大ナタを眺めて、ドラックが上機嫌で言う。

 彼は炎の魔法を武器に付与するのが、大のお気に入りらしい。


 アキラのトンファーも、持ち手から離れた先端部分が赤黒く光り、高熱を帯びる。


「扱いには気を付けてね」

「木が燃えないのが不思議だよ……」


 魔法に詳しくないアキラは、木材でできているトンファーが炎の精霊魔法を付与されて、燃え尽きない理由がわからなかった。


「あとは、各自の判断に任せるけれど、一応、薬を渡しておくよ」


 そう言ってルーレイラは、全員に紙包に入った粉薬を渡した。

 アキラは初めて見る物なので、その内容を質問する。


「どんな効果がある薬なの?」

「痛みを感じにくくさせる薬だよ。大怪我したときとか、怪我の治りかけとか、古傷が痛むときに使うようなものだ。ただ、副作用がひどいから、僕個人としてはあまり好きじゃないんだ」


 原料は魔物の骨などであり、まさに毒が転じて薬になるという代物であった。


「使わないにこしたことはない、ということじゃの」

「その通り。みんな無事で帰るのが、一番の最優先だ。その想いは共有してくれたまえ」


 大仕事を前にして、ルーレイラはいつも通り、ルーレイラだった。

 アキラはそれをとても頼もしく思う。


 大型の魔物。

 恐らくは巨大な猪など、足元にも及ばないような危険な存在が、扉の向こうにいる。


「大丈夫よ、今度は」


 ぎゅっ、っとエルツーがアキラの手を握る。


「あのときとは、違うもんな」


 頼もしい仲間がこれだけたくさんいる。

 戦闘の準備、心構えもできている。


「エルツー。アキラくんとドラックに、軽めでもいいから強化魔法をお願いするよ」

「わかったわ。無口なお兄さんは、疲れたときにあたしを呼んで。すぐ回復するから」


 エルツーの言葉に、ティールがこくりと頷く。


「よし、行くよみんな! 総仕上げだ!」


 ルーレイラの号令で、ドラックが扉を開けた。

 

 提灯に似た携行ランプの照らす先には。


 大熊のような黒い毛の巨体に、獅子の頭と蛇の尾を持った怪物。

 大トカゲ、いや、龍のような骨格の、大剣を持った巨大な骸骨の魔物。


 そして中央の奥に、まがまがしい色の樹皮を持ち、毒の瘴気を噴き出す花を持った、魔樹がいた。

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