81 幽霊の棲む神殿と、流浪の冒険者(4)

 実体の定かならぬ幽霊のような魔物が出没する、森の中の遺跡。

 アキラたちが早朝からその場所の探索を始めて、半日近くが過ぎようとしている。


 一行はたまに出没する幽鬼と呼ばれる魔物を退治し、また森の中に普通に棲む狼や山犬などを退けながら、進み続ける。


「ティールさんの回し蹴り、鮮やか過ぎだな……全盛期のミルコやアーツみたいだ……」


 茂みから飛び出してきた狼を、文字通り一蹴したティールの蹴り技。

 空手を長く経験してきたアキラから見ても、文句のつけようがなかった。

 道場通いで青春を熱く過ごした時代を思い出し、アキラは歩きながら空中に向かって突きや蹴りを放つ。


 あのときの仲間やライバルたち、師匠は日本で元気にしているのだろうかと思うと、アキラはたまに寂しくなる。


「変に対抗意識燃やしてるんじゃないわよ。男ってのはこれだから」


 気持ちが盛り上がっているところをエルツーに突っ込まれて、アキラは恥ずかしい。


「い、いいだろ別に。こういうのに燃えるのは、男の性なんだよ。部屋の電燈のヒモが永遠のライバルなんだよ」

「はいはいそうですか。なに言ってるのか全然分かんないけど。それにしてもこの森、思ったより広いわね……」


 マッピングをしながら、エルツーは懸念を示す。

 起伏の激しい丘陵地帯、更に森林の中を歩いているだけあって、地図上で見るよりも移動に時間がかかる。

 このままでは神域最深部、東の大神殿まで到達するまでに、陽が沈んでしまう計算であった。


「日没になったら、光の攻撃が敵に効かなくなるんだっけ……」

「うん、一度休んで朝を待つか、このまま進むか、決めなければならないね」


 アキラとルーレイラは顔を見合わせて考えた。

 ここでの敵は、冒険者たちの精神を侵す。

 攻略に時間をかければかけるだけ、他の場所を探索している冒険者たちに犠牲が出る可能性が極めて高いのだ。


 もちろん、彼らにそんなことを気にする義理はないと言ってしまえばそれまでである。

 しかし一行の指揮を執っているルーレイラの性格上、見知らぬ他の街の冒険者と言え、犠牲が増えるというのは好ましくない事態だった。

 冒険者ギルド全体の利益を考えても、犠牲は少ない方がいいに決まっている。 


「わらわの探知は、使えるとしても今日はあと一回じゃの。寝ればまた気を張ることもできるが」


 悩んでいるルーレイラに対し、フレイヤはそう言った。


 フレイヤの探知魔法を上手く使えば、他の冒険者や魔物の動向を探りながら、休憩を取って朝から仕切り直すことができるかもしれない。

 ルーレイラはそう結論付けて、日没を機に休憩を挟んでキャンプを張ることに決めた。


「お嬢さまほどではないけれども、僕だって魔物の感知は多少できるからね。確実を期するために、一度、休もう」


 目的地までの道のりを少し残し、一行は開けた草原をキャンプ地と決めた。

 ルーレイラは周辺に魔法の砂で円形の陣を描き、幽鬼の侵入を食い止める措置を図る。


「そう言った術の知識や魔法を、老師どのはどこで学んだのじゃ?」

「故郷の村に伝わってた呪いを自分なりに改良したり、ギルドで情報を集めたりだよ」

「老師どのの故郷は、みな、赤い髪と瞳なのかや?」

「みんながみんなじゃないよ。あと、老師と呼ぶのをやめてくれたまえ……」


 フレイヤの好奇心の虫がまた目覚めて、ルーレイラは質問攻めに遭っていた。

 言葉ほどにルーレイラも嫌がっている風ではないので、誰も間に入って止めはしない。


 フレイヤは仮眠をとる前に、もう一度周囲の状況を魔法で確認した。


「十人、いや十三人か、最初の橋に戻っておるな……他の冒険者たちは健在じゃ。上手くやっておるのじゃろう」


 探索が困難だと見切りをつけて、いくつかの冒険者パーティは元来た道を引き返したようである。

 下手に災難に見舞われるよりはその方がいいと、ルーレイラは安心した。


「ご苦労さん。もう休みたまえ。起きたらまた探知を頼むよ」

「うむ。みなも無理をせず、休めるときに休むのじゃぞ。見張りはうちのティールに任せておけば十分じゃ」


 フレイヤはそう言って、大樹の洞に入り込み、毛布をひっかぶった。

 焚火があるとはいえ、冬の夜の空気は冷たい。

 ドラックとアキラが、余っている上着の布をフレイヤに重ねてかけてやった。 


「エルツーも、寒くないか?」

「大丈夫よ。来るまでの間に馬車で十分眠ったから、このまま夜明けまで起きてるわ」


 ルーレイラとエルツーは焚火のそばで、魔法談義を始めた。

 光の精霊を武器に付与する魔法に、エルツーは興味を持ったようだ。


 ドラックは樹の洞の近くで、フレイヤを守るようにどっしりと胡坐をかいて、寝息を立てている。

 冬になると古傷が痛むとドラックは前に言っていたが、大丈夫なのだろうかとアキラは少し、心配した。


 アキラは、ほんの少しの間だけうとうとして。

 木々の間から漏れて差し込んできた月の光を浴び、再び目を醒ました。


 少し離れたところにティールが仁王立ちしており、自分たちを見守っている。

 アキラは腰を持ち上げて、見張りを交代しようと思い、ティールのもとへ歩いた。


「ティールさんも、休んだ方がいいよ」


 アキラの言葉に、ティールはフルフルと小さく、首を振った。

 このまま眠らずに見張りをしようとする意志は固そうだ。


「じゃ、俺も見張りの手伝い」


 ティールの隣にアキラは立ち、ティールが見ていない方の、木々の間を見張ることにした。

 少しの間、沈黙が続き、こらえきれなくてアキラは口を開いた。


「押し付けるわけじゃないけどさ……仲良くしたいなあって思うんだけど、どうだろう?」

「……別に」


 かすかな声でティールが言った。

 どういう意味の「別に」なのか、アキラはわからず、少しおかしくなって笑った。

 別に仲良くしたくないということなのか。

 仲良くするのも別にかまわない、ということなのか。


 言葉というのは、難しい。

 フードの奥でティールがどんな表情をしているのかがわからないから、なおさらだった。

 アキラは言葉を選んで、自分の言いたいこと、伝えたいことを吟味して、それでも話し続けた。


「俺、ちょっと前の冒険で、死にかけてさ。みんなのおかげで助かったんだけど、一緒に仕事してる人を、死なせちゃってさ……」


 ぴくり、とティールが動いたようにアキラは思った。


「もう二度と、あんなのはゴメンだって思うんだけど、それでもやっぱりこういう仕事だから、この先なにがあるかなんて、わからないと思うんだ」


 月を見て、木々のざわめく音を聞きながら、アキラは語り続ける。


「だから、こうやって一緒に仕事してる仲間はさ、絶対守りたいって思うから、フレイヤさんのことも、ティールさんのことも、守りたいって思うし……危なくなったら、俺のことも守ってね」


 最後だけ、照れ隠しに少し、おどけた。

 

 そのとき、ふふっ、と。

 ティールが息を漏らして笑ったのが、アキラにハッキリと聞こえた。

 アキラもそれにつられ、顔を崩して笑った。


「いやあ、ティールさん、すげえ武術って言うか、格闘技、強いじゃん。さっきの掌底の角度とか、回し蹴りの軌道とか、完璧だったよ。横目で見てて、マジパねえって思ったし」


 心を開いた証か、アキラが話すごとに、ティールはくっくっくっと喉を鳴らして笑う。


 ふー、っと息を吐いて、ティールは顔を覆っていたフードを頭の後ろに避けた。

 月明かりの下、アキラの目をまっすぐに見つめて、こう言った。


「久しぶり、アキラ。全然変わってなくて、驚いた」


 フードから露わになったその顔に、アキラは見覚えがあった。


 いや、面影は痩せて変わっているが、その意志の強そうな真っ直ぐな瞳と、低く優しい声色は、今でも忘れていなかった。


「……と、透(とおる)にいちゃん?」


 アキラが生まれ育った横浜の街で。

 幼いころから一緒に空手道場に通い、同じラーメン屋でバイトをしていた、一つ年上の幼馴染。

 

 にいちゃんと呼んで、半生を共に育ち慕っていた、佐田(さだ)透という青年。

 彼が異世界のリードガルド、カイト神聖王国の森の奥で、アキラの目の前に立っているのだった。


「しーっ」


 再会の喜びと混乱にあるアキラを目の前に、ティールもといトオルは、人差し指を自身の口の前に立て、アキラの声を制した。

 

「な、なんで!? どうして!? トオルにいちゃんもこっちの世界に、飛ばされて……!?」

「俺も、フレイヤも、色々、本当に色々あって、周りに素性を明かせないんだ。だから、今まで通り、俺に対しては、知らないふりをしてくれないか」

「で、でも……!」

「頼む、アキラ。心からの、一生のお願いだ」


 詳しい事情を、トオルは話してくれない。

 しかしアキラは理解し、思い知った。

 トオルはこんなたちの悪い嘘や冗談を言う人間ではない。

 本当に、自分たちの身を隠し通さなければならない、深刻な事情が、この世界では、あるのだ。

 小さなころからトオルの人となりに接してきたアキラだからこそ、それが身に沁みてわかる。


 地球から、日本から、故郷の横浜から遠く離れたこの土地で。

 せっかく兄として慕っていた大事な友人に再会できたのに。

 それを大声で喜ぶことも、抱擁を交わすこともできない。


 それだけの理由と事情を、トオルが抱えてしまっている。


 おそらくそれは、アキラたちが心に見た、フレイヤの凄惨で、壮絶な記憶に関わることで。


「ごめんな、アキラ」

「いや、いいんだ。会えただけで、今は、十分だよ……」


 ルーレイラたちに怪しく思われないように。

 アキラは天を見上げて、声を殺して泣いた。

 嬉しさと悲しさと、その両方に包まれながら、ただ泣き続けた。


 ぐい、と袖で涙をぬぐい、アキラは気合いを取り戻す。


「トオルにいちゃん、一つだけ、約束してくれないか」

「なんだい」

「この仕事が終わったらさ、トオルにいちゃんとフレイヤさんはまたきっと、どこかへ行っちゃうんだろ」


 フレイヤとトオルは、わけあって身を隠し、各地を転々としている。

 一つのところに長居しているわけにはいかないことを、アキラも感じ取っていた。


「ああ、そうなると思う」

「また次に会えるときは、すべて解決して、思う存分、二人で喜び合おうって、約束だ」

「わかった。約束するよ、アキラ」

 

 静かな夜の森の中で二人の男、遠山暁と佐田透はそう誓い合い。


 次の瞬間から、ラウツカに住むアキラと、流しの冒険者ティールの関係に、戻ったのだった。

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