80 幽霊の棲む神殿と、流浪の冒険者(3)

「まったく、もう二度とあんな目に遭うのはごめんだよ……」


 ブツブツ言いながら、ルーレイラは自分の額に、魔法が施された染料を塗って、紋様を描いた。


「ほら、エルツーもちょっと前髪を手でかき上げて、こっち向いて」

「これ、精神魔法用の防御陣?」

「そうだよ。先に準備しておけばよかった……済まないねえ、みんな」


 エルツーの額にも同じように紋様を描く。


「こっちにも、頼むぜェ」

「了解了解。ちょいとお待ちよ」


 同じように、ドラックの頭部にも。

 アキラは蛇神の加護があるため、とりあえず必要ない。

 しかしみんなの額の紋様がかっこいいとわがままを言って、結局ルーレイラに描いてもらった。


「それが良い。わらわもそう何度何度、心の中を見せびらかす趣味はないからの。事前に防げるのであればそれが一番じゃ」


 フレイヤは元々強固な精神魔法への耐性があるらしく、その手の防御行為は必要ないようだった。


「……そっちの、無口なお兄さんは?」


 ルーレイラに促されたティールは、首を左右に振る。

 なぜかはわからないが、彼にも幽鬼の精神魔法による攻撃は効かないのだろう。


 ルーレイラにとって、この遺跡の魔物たちより、フレイヤとティールの二人の方が謎が多すぎて頭をひねるばかりである。


 気を取り直し、一行は森の遺跡の奥を目指して、改めて地図を確認するなどした。

 アキラは手持ち武器のトンファーや防具の具合を確かめながら、ルーレイラに相談する。


「さっき、ティールさんが幽鬼って魔物を倒してたんだけどさ、殴ってダメージを与えられるものなの?」

「いや、普通に殴ったり蹴ったりしても無理だよ……あの無口男が、なにか魔法の力が乗った攻撃でもしたんだろうさ」


 精神を侵されていたさなかとは言え、ルーレイラはそんな精霊魔法が発動した気配を微塵も感じなかった。

 それならどのようにして幽鬼に攻撃を通したのだろうと、謎は深まるばかりだった。


「しかし、僕らも攻撃手段はどうにか確保しなければね……幽鬼の気配も、なんだか多い気がするし」

「なんとかできるの、ルー?」

「見くびらないでくれたまえ。こちとら、無駄に長生きしてないよ」


 あてつけのようにフレイヤの方を見て、ルーレイラが言った。

 

「エルツー、アキラくん、ドラック。ちょっと三人で輪になって、僕を囲むように立ってくれたまえ。めいめい、自分の武器を手に持ってね」

「う、うん。わかった」


 アキラはトンファーを両手に。

 エルツーは小型ボウガンとナイフを。

 そしてドラックは自慢の得物である大ナタを持ち、言われたとおりにルーレイラを取り囲んで構え、立った。


「久しぶりだなァ、博士サマの”付与魔法”はよゥ?」

「そうだね。前にやったのも、確か冬の、カイト王国での討伐だったねえ……」


 以前の記憶を懐かしむようにドラックとルーレイラは話す。

 アキラにはなんのことやらわからないが、付与魔法という言葉からそのなんたるかを軽く想像だけはした。


 眼を閉じて、ルーレイラが精霊に語りかける。


「朝に生まれ、夜の帳と共に眠る我らが愛しき隣人、汝の名は光、今その輝きを以って刃と為し、悪を滅して魔を払う、聖なる力を貸し与えたまえ……」


 ルーレイラの周りに立つ三人が持つ武器が、柔らかな光に包まれる。

 実体のない魔物を討滅するための、光の精霊の力が、彼らの武器に宿ったのである。


「……ルーレイラ、アンタやっぱり凄かったのね」


 両の手の中で光を放つ自分の武器をまじまじと眺めて、エルツーが感嘆の声を漏らす。

 ルーレイラは自分で武器を行使すること、自分で魔法攻撃を撃つことができない。

 しかしその反面、それ以外の魔法を幅広く使えるのが冒険者としての強みであった。

 こう言った「持っている手段の多彩さ」にかけて、長く生きているエルフの右に出る種族は、この世界にはいない。


「これ、日が沈むと効果が切れるし、空が曇るとそれだけ力が弱まるからね? あまり過信しないでくれたまえよ?」

「なら今日は陽が沈む前に、調査や討伐を続けながら安全な拠点を確保しなきゃならないわね」


 エルツーの言葉通り、ただでさえよくない魔物がひしめいている森の遺跡の中、暗くなってから行動するのは危険極まりない。

 行動の方針が決まり、六人は再び歩みを進めた。



 その行く道で、先を進んでいたのであろう別の冒険者の集団が、お互いに武器を振るって争っていた。


「う、うぉあぁぁ!! 来るなあ!」

「やめ、やめろ! やめてくれぇ……!」


 チッ、とフレイヤはその様子を見て舌打ちする。


「いかんの、完全に魔物の瘴気にあてられておる。こうなってしまっては、わらわが少し怒鳴ったくらいでは直らぬぞ……!」


 その言葉を聞いて、アキラは猛然と駆け出していた。


「お前ら、やめろーーーっ!!」


 恐慌を来たして同士討ちを始めている冒険者たちに、ダッシュ一番、猛烈な飛び蹴りをかます。

 剣で斬られそうになっていた男の一人を、既のところで助けることができた。


「こっちは俺が抑えてるから、その間に魔物を退治してくれ!」


 暴れる冒険者たちの剣をトンファーで受け弾きながら、アキラが叫ぶ。

 彼らの中に犠牲者が出る前に、魔物を倒してしまえばいいのではないかとアキラは判断したのだ。

 そしてその考えは正解だった。


「アキラァ、頼もしくなったじゃねーかァ!?」


 ドラックもアキラの加勢に入り、混乱している冒険者たちの攻撃を押しとどめる。


「右の樹の陰に、一匹おるぞ!」

「わかったわ!」


 まず最初に幽鬼を見つけたのはフレイヤであり、その指示に反応してエルツーがボウガンから矢を放つ。


<キシャァァ……>


 光の付与魔術が功を奏し、まずは一匹の幽鬼を仕留める。

 精神汚染を防ぎ、こちらの攻撃が効いてさえしまえば、脅威となるような魔物ではないのだ。


「まだおるぞ! 小娘の頭上じゃ!」

「フッ!」


 エルツーの体を幽鬼からかばうように、ティールが割って入って拳を突き出す。

 ティールの十八番、正拳突を食らって幽鬼は蒸発するように姿を消す。


「アキラくん! 殺さない程度に冒険者連中を殴ってくれ!」

「らじゃっ!!」


 自分に襲い掛かってくる冒険者の剣を、アキラはトンファーを横から払って叩き折る。


「痛いだろうけどゴメンね!」


 そのまま棍棒の様にトンファーを縦一閃に振るって、相手の頭部を殴り、気絶させた。


「力加減が、難しいなァ!?」


 ドラックも平手打ちで、暴れ狂う冒険者たちをベチンベチンと打ち据えた。


「ハッ!!」


 最後に残った一人に、ティールがみぞおちへの掌底突きを放って大人しくさせた。

 魔物もすべて退治され、混乱の現場は収まった。


「他の地点にばらけた冒険者もこの調子じゃと、これは骨が折れる仕事になるぞよ……」


 ふー、と呆れるように溜息をついて、フレイヤが言った。

 ルーレイラも全く同じ感想を持っていた。


 仕事始めにフレイヤが言った通り、分散せずにまとまって仕事にあたった方がよかったのだ。

 冒険者の数が多ければ、その中には精神防御の魔法が使えるものや、幽鬼への攻撃手段を持っているものが存在する確率も高まる。

 対抗する手立てを持っていないまま突入したパーティーがいたら、彼らは後続の冒険者にとって、今回のように敵に変わってしまうのだ。

 いちいち他の冒険者と戦い、こうして無力化しながら進んでいては、自分たちの気力や体力がいくらあっても足りない。


「あー、ちくしょうめ! いっそもう引き返して、橋で待ってるバカ兵たちに、この任務は無理だって伝えようか!?」


 イライラが爆発したルーレイラ。

 それをなだめるように、フレイヤが言った。


「少し待て。周りの様子を探ってみるでな。ここと同じように、他にもトチ狂っておる連中がいてそやつらを置き去りにしては、夢見が悪かろう?」

「様子を探るって言ったって、どうするつもりだい。一人でむやみに歩き回らないでおくれよ」

「静かにしていてくれれば、それで十分じゃ」


 フレイヤはその場に座り込んで、目を閉じて精神を集中させる格好に入った。

 しばらくそうしたのち、ブツブツとなにかを呟きはじめた。


「……南、地図上では丘を越えた先かのう、並人(ノーマ)が四人、ドワーフが一人、ここは大丈夫じゃな。誰も錯乱している気配はないの」

「は?」


 まるで、魂だけ飛んで見て来たかのように。

 フレイヤは遠く離れた場所の有様を、周りの仲間に言って聞かせた。


「東じゃ。魔物がひしめいておる。地図に記されておる、一番大きい神殿じゃな。敵の本丸と言ったところじゃろう。さっさとここを叩けば、こちらの勝ちと思うぞよ。どうする、老先生どの?」

「ど、どうするって……いや、今の力は……」


 ルーレイラは、自身が魔法に長けているだけあって、フレイヤがなにをしたのかを理解し、戦慄した。

 フレイヤは周囲に存在する霊的な力、生き物や魔物という「精神を持った存在」の居場所を感知したのだ。


 その力はおそらく、自分の精神の中身を他者にぶつけるような、規格外の精神系魔法の応用的な使い方なのだろう。

 フレイヤという年端もいかない黒エルフの少女は、こんな短時間で、かなりの広範囲で。

 しかも並人やドワーフを識別できるほどの精度で、その魔法を行使したのだ。


 魔法に才能のあるエルフの少女が、なんとなく生きていて身に付く次元の力ではない。

 共に戦う仲間の士気を保ち、想いを統一させる魔法も。

 敵や味方を識別し、居場所を察知する魔法も。

 フレイヤはきっと、必要にかられて、毎日のように磨き続け研ぎ澄ませて、この力を得るに至ったのだと、ルーレイラは確信した。


 目を開けたフレイヤは周囲の仲間たちをぐるりと一瞥し、こう言った。


「こちらには優秀な戦士もそろっておる。博識な老師もおる。戦力的には、十分に片付けられる仕事じゃと、わらわは思うがの?」


 涼しい顔で言ってのけたフレイヤに、ルーレイラはこう尋ねずにはいられなかった。


「フレイヤ。きみは一体、なにものなんだい……?」

「少し器用なだけの、ただのエルフの、小娘じゃよ」


 こんな細腕の、あどけない顔をした華奢な少女が。

 心の中に色濃く地獄を抱き続けて、身に余るこんな力までをも手にしてしまう。


 その日々を想像すると、ルーレイラは心の底から恐ろしくなる。


 と、同時に。


 フレイヤという少女に魅入られてしまっている自分を強く自覚して、さらに恐ろしくなるのだった。


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