79 幽霊の棲む神殿と、流浪の冒険者(2)
ラウツカ市を出発し、馬車は海岸沿いの道を東へ東へと向かい続ける。
アキラたち一行はこのままキンキー公国とカイト神聖王国の国境沿いに近づいたのち、北上して目的地である神殿遺跡のある山林へ入る予定だ。
食事のために馬車を停め、みんなで休憩をしている際、アキラは疑問に思ったことをルーレイラに聞く。
「こんな大がかりな魔物退治ならさ、うちの国から衛士さんや兵士さんがカイト神聖王国ってところに、応援に行ったりはしないの?」
「キンキー国の衛士や兵士が、余所の国に出張って魔物を討伐したりするのは、手続きとか段取りが面倒臭いのだよ」
「やっぱりそういう縦割り行政的な事情なのね……」
どこの世界であっても、どこの国であっても、他国の軍隊を自国に招き入れるということは、とてもデリケートな問題だ。
別の事情もある。
これは遺跡や洞窟に魔物が出た際の慣例だが、先遣調査を任されるのは正式な軍隊や警察組織より先に、ギルドの冒険者である。
どこの国も、正規軍の人材を無駄遣いしたくないから、まず先にギルドの冒険者に露払いをさせることが多いのだ。
「あそこは同じ国の軍同士でも、管轄が分かれて喧嘩してたりするし、ちょっと事情が複雑なのもあるけれどね」
カイト神聖王国は、その国名が示す通り、宗教国家である。
多種多様な自然の精霊神を祀る神殿が国内のあちこちに建てられており、その神殿の周りに都市が広がっている。
街ごとに祀る神が違い、文化や生活様式も多彩だ。
同時に軍隊の権限も分散されて自主独立性が強いために、人の住んでいない郊外などで事件が起こった時に、所轄の違いでしばしば問題が起きる。
いわば古代ギリシャのような、別々の神を祀る都市国家の集合体のような性格をしている国なのだ。
ルーレイラの説明を興味深く聞いてたフレイヤも、疑問に思ったことを聞く。
「今回わらわたちが行く神殿廃墟とやらは、どのようないわれのあるところなのじゃ?」
「ずいぶん昔に放棄された街の、おそらくは太陽神の神殿だそうだよ。文字の歴史にも残っていないくらい、むかーし昔に誰かさんが建てて、そして忘れられた遺跡のようだ」
「なぜ放棄されたのじゃろうな?」
フレイヤは好奇心の強い性格をしているらしく、疑問に思ったことをなんでもルーレイラに尋ねていた。
「それは、僕もちょっとわからないのだけれど。今回の調査も、魔物を討伐するのに必要なこと以外は調べるなって言われてる。古い遺跡を、冒険者たちにあちこちいじりまわされたくないのだろうよ」
「しっかり調べねば、二度三度と同じことが起こるやもしれんのにのう。狭量な連中じゃ」
「まあ、そうだね……しっかり調べたい気持ちは、僕としてもあるよ」
フレイヤの言うことは至極もっともであるが、それゆえにルーレイラは複雑な気分だった。
ルーレイラの見立てでは、フレイヤはエルフ族として、まだ子供、少女と言っていい。
体に帯びる精霊の力、その気配がそれを物語っていた。
ルーレイラはそれを「魔力の色」として感じ取っている。
しかし、ただのエルフの子供であるはずの、そのフレイヤが瞳の奥に覗かせている「色」が、ルーレイラには得体が知れなかった。
一体この少女は、今まで生きて来てなにを見て、どのように過ごして来たのか。
ルーレイラの赤く明るい色の瞳とは対照的な、深夜の海のように昏く深い、フレイヤの蒼い瞳。
その底になにが眠っているのか、ルーレイラは深入りするのが恐ろしくなる感覚を抱いた。
馬車を動かす前にアキラは川の水でパシャパシャと顔を洗う。
同じく顔を洗いに立ったエルツーがその傍らに来て、言った。
「今回は絶対、無茶するんじゃないわよ。まあ、あたしもなんだけどさ」
「わかってるよ。絶対に、無事で帰ろう」
死線を共にした経験のある二人だが、もう二度とあんなことはゴメンである。
慎重に、確実に、安全に仕事をこなそうと意識を引き締め直した。
二人のやりとりを、遠巻きにティールが、相変わらずの無言で見ている。
アキラが視線を返すと、やはりふいとそっぽを向かれた。
およそ一日半、馬車を走らせて彼らは目的の神殿遺跡に到着した。
各地域から集められた冒険者が、およそ三十人。
そして今回の仕事の取りまとめ役らしい、武装したカイト王国の兵士が数人、古ぼけた大きな石橋の前に集まっている。
代表者らしきエルフの兵士が、冒険者たちを前に言葉を発した。
「この橋と川を越えれば、森の中一帯がいにしえの神域である。内部は大きく五つの区画に別れているため、諸君らも班に分かれて、おのおの調査していただきたい。我々の隊はここで待つ」
冒険者たちの代表に、簡単な地図が配られる。
大雑把な一帯の地形が描かれた雑で粗末な地図だ。
丘と森林の間に、五芒星のような配置で大小の神殿遺跡が点在している。
話を聞き、地図を見ながらフレイヤは口をへの字に曲げる。
「細かく五つ六つに班を分けるなどせずとも、大きく二つに分けて左右から潰して調べた方がいいじゃろうに」
「気が合うなァ、嬢ちゃんよゥ? 俺も同じ考えだぜェ。あの”大将”は、きっとアホか、荒事の素人だなァ?」
ドラックもそれに意気投合していたが、冒険者たちは細かく分かれてすでに出発を始めてしまっていた。
先遣調査、及び討伐に用意された時間は、これから一泊二日の間。
それまでに魔物を殲滅できればよし、手におえないようなら一度撤退してカイト王国軍の増援を呼ぶ、という段取りのようだ。
「仕方あるまい。ティール、しんがりを頼むぞよ」
フレイヤに指示され、こくり、と頷くティール。
そのまま行列の最後尾に陣取った。
「ちょ、ちょっとお嬢ちゃん、仕切らないでおくれよ。一行の責任者は、一応この僕ということになっているのだからね」
「わかったわかった。頼りにしておるぞよ、老先生どの。疲れたときはいつでも言うが良い、腰を揉んでやろうぞ」
「誰が老人だいっ。まだそんな歳じゃないよっ」
齢二百歳オーバーのルーレイラをからかい、フレイヤはそうケラケラと笑うのだった。
アキラはその様子を、なんだか親戚のお婆ちゃんと孫娘のやり取りのように思い、微笑ましく眺めた。
ドラックが先頭、その後ろにルーレイラとフレイヤ。
更に後ろにアキラとエルツー、そしてティール。
一行は六角形の隊列になって歩き、地図上に示された、最も奥にある神殿跡地へ向かう。
<呪え……>
錯覚か、とアキラは思った。
<憎め……滅ぼせ……>
いや、なにかが聞こえる。
幻聴か、木々のざわめきがたまたまそう聞こえたのか。
そうではなかった。
「う、うぅ、あァ……!?」
六人の先頭を歩くドラックが、頭を抱えて呻く。
「あ、だ、ダメ……!」
「ま、マズい、これは、幽鬼の……!!」
エルツーとルーレイラもその場に膝をついて倒れ込む。
「ど、どうしたみんな!? しっかり!!」
アキラがルーレイラの体をゆする。
なにか、おぞましい声が聞こえるが、アキラの体に特に変調はない。
しかしドラック、エルツー、ルーレイラの三人は顔を真っ青にして脂汗を流しながら、苦しみ悶えている。
アキラにとってはじめての体験であり、なにがなんだかわからなかった。
ルーレイラが、幽鬼、と言っている。
それは魔物の類なのだろうか、悪いモノになにかの攻撃を皆が受けているのだろうか。
アキラはそう考えたが、対処法が全く分からない。
恐らくそれを知っているのであろうルーレイラは、息も絶え絶えで体をがくがくと震わせている。
どうしたらいい、こんなところで、わけもわからず全滅してしまうのか!?
アキラの脳裏にそんな不吉な考えが浮かびかけた、そのとき。
「目を醒ますのじゃ!!」
フレイヤの大喝が、周囲に鳴り響いた。
大声という次元を超えて、脳裏と意識の奥底に飛んで来て、ぶつかってくるような叫びだった。
「せいやぁーーーーーッ!!」
そして隊の後ろを歩いていたティールが、正拳突きのように右のパンチで、空中を殴った。
<ギュゥオアァアアァ……>
アキラはそのときに、黒く大きな人の影のようなものが虚空に現れて、ティールの拳を受けて霧散する光景を見た。
そのとき、ティールの拳は白い輝きを放っていた。
「ゆ、幽霊……?」
消えて行った魔物らしき存在がいた空間を、呆然と見つめるアキラ。
実体のない、幽霊のような魔物を、ティールの光り輝く拳打が討ち滅ぼしたその光景に、言葉を失った。
いや、それよりも。
フレイヤの声を感じた瞬間、アキラの頭の中に、映像のようなものも入り込んできたのだ。
燃え盛る炎。
泣き叫ぶ男女。
飛び散る血しぶき。
音を建てて崩れる建物と、その下敷きになる大勢の者たち。
そして、引き裂かれる愛しい人……。
説明されるまでもなく、アキラは知り、理解した。
これは、フレイヤの心象風景だ、と。
声の主であるフレイヤの心の中の映像が、アキラの心の中に版画やフィルムのように、くっきりべったりと、貼り付けられて写し出されたのだ。
「……あ、ああ」
ルーレイラが、呼吸を落ち着かせて立ち直り、正気を取り戻していた。
エルツーとドラックも、どうやら無事らしい。
そして、アキラもそう思っていたことを、ルーレイラもその口から、言った。
「ふ、フレイヤ、きみの魔法は、心に直接、働きかけるのだね……幽鬼の呪いに浸されそうになっていた僕たちの意識に、無理矢理に『自分の心』をぶつけて、立ち直らせたんだ……」
「理解が速くて助かるのう。さすがに、長生きしているだけのことはあるな、老先生」
この森の中には、実体のない幽鬼という魔物がひしめいていた。
魔物が仕掛けてきた精神的な呪いを、フレイヤの一喝が退けて一行を守った。
加えてティールの正拳突きが、魔物を打倒したのだ。
幽鬼の呪いよりも、もっと恐ろしい地獄をその身に体験しながら、なおも正気を保っているフレイヤという黒エルフの少女。
彼女は自分の心の強さと明るさを、他者に「無理矢理押し付けて」立ち直らせるという、稀有な精神系魔法の使い手だった。
そんなに乱暴な、力押しな精神系魔法など、ルーレイラは聞いたことも見たこともなかったので、戦慄(わなな)いて驚いた。
「そこな並人の、アキラという男。おぬしは魔物の呪いに、あてられておらんかったのう? いったいどういうカラクリじゃ?」
「え、な、なんでだろうな、わかんないけど……」
幽鬼の呪いが効いていなかったアキラを、珍しがってフレイヤが言った。
「アキラくんは、ちょっと前にかなり強い神さまの加護を受けたからね……恐らくその影響がいい方向に働いたのだろうよ……」
額にべったりと浮いた自分の汗をぬぐい、ルーレイラが言った。
「それは頼もしいのう。良い徳を積まれたものじゃな」
フレイヤを知らなかった全員が、フレイヤの心の中を、一瞬で覗き見た。
いや、無理矢理に「その断片を見せられた」のだ。
友を殺され、家族を奪われ、愛する者たち、信頼する者たちと引き裂かれ。
故郷を滅ぼされ失った、フレイヤという女の子の、凄惨としか言えない過去を。
「お、おめェは、そのちっぽけな”ナリ”で、どんだけ心が”ツエー”ンだよゥ……?」
「あの程度の幽鬼がもたらす憎悪など、わらわにとっては朝飯前に、軽く飲み込めるわ。かかか」
平然と笑って歩みを再開するフレイヤ。
相変わらず、ティールが無言でその後ろにつき従っていた。
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