76 アキラ、神頼みに行く(3)

 翌朝、彼らは村を出発して蛇神の鎮座する地底湖のある洞窟へ向かった。


「私はこのあたりに来るのははじめてだが、街の方とずいぶん空気が違うのだな」


 洞窟の入り口近く、峡谷のあたりを歩いているとフェイがそんな感想を漏らした。


「海からずいぶん離れたからね、風に湿気がほとんどないだろう?」

「うむ。潮の香りがしないと寂しい身体になってしまったようだ。私の生まれ育ちは内陸の、海から遠い街だったんだがな」


 フェイが港町であるラウツカに赴任してから、およそ五年の月日が経っている。

 今ではすっかりラウツカが第二の故郷であり、海辺から遠く離れることが珍しい彼女にとっては新鮮な旅であるようだ。


 三人は世間話をしながら洞窟の中へ入り、奥へ奥へと進む。

 当然ながら魔物の気配らしきものは皆無であり、先日の巨ザルの群れは果たしてなんだったのだろうかと皆が首をひねる。


「フェイ、この奥の湖に蛇の神さまがいるのだけれど、くれぐれも、くれぐれも失礼、粗相のないようにね! 敬意を持って接しておくれよ!」

「わかったわかった。それくらい私も弁えている。偉大な聖獣さまなのだろう?」

「緊張してなくてすごいな、フェイさん。相手は一応、神さまなんだけど」


 そんなやりとりをして、アキラたちは隠し扉の部屋をさらに進み、蛇神のいる地底湖へ。

 湖の両脇には石を積まれた、なにかしらの祭壇が新設されている。

 アキラがよく見ると、この世界の文字で「神聖」だとか「鎮護」だとかいう文字が、祭壇の石には掘られていた。


 水面がざばりと波を立て、湖の中から大蛇が鎌首を覗かせた。

 おお、とフェイは恐怖ではない、珍しいものを見た純粋な好奇心による驚きの顔を浮かべた。


『……赤き髪を持つ、精霊の末裔よ。久しいな』

「ははー。我らが神聖なる大神(おおかみ)におかれましては、ごきげん麗しゅう」


 ルーレイラはが膝をついて叩頭し、蛇神に寿ぎとあいさつの口上を、長々と述べた。

 その様子にフェイは目を見開いたが、自分もそうした方がいいのだろうと理解し、膝をついた。

 頭を地面につけてはいないが。


「これ、お口に合うかどうかわからないけれど、お供え物というか、捧げもの的なアレです。どうか受け取ってください」


 アキラはそう言って、村で購入した大ネズミの肉や大ワシの卵を神へ捧げた。

 蛇の神はシュルシュルと舌を出し入れし、鎌首をヒュンと伸ばしてそれらを一息に、丸呑みした。

 フシュー、と満足げな息を吐いている。

 どうやら気に入ってもらえたようだ。


『ふむ……外人(そとびと)が、二人。一人は傷を負っているようだな』

「さようにございます。このたびは是非ともその神力とご威光にあやかりたいと存じまして、こうしてまかりこしました次第じございます」

『泉の水を以って、その傷を清めよ。さすれば瘴気邪気は払われ、傷の癒えるのも早くなろうぞ』

「ははー。まことにありがとうございまする」


 言われてルーレイラは手にわずかばかり、泉の水をすくって、アキラの傷口にちょん、ちょん、ちょん、と水を付ける。

 まるで神社の手水のように、儀礼的で形だけの行いにアキラは思えた。


「もっとじゃぶじゃぶやった方が、ご利益あるんじゃないの?」


 ついつい、小声でそんなことを言ってしまうほどに。


「こういうのは、欲をかいちゃいけないのだよ。ありがたいなあと心から思えばちゃんと神さまは応えてくれるものだよ」

「そういうものなのか……」


 確かにご利益のある聖水だからと言って、みんなが欲に駆られて求めてしまえば干上がってしまう。


 アキラの快癒を、蛇の神に祈願する三人の当初の目的はこうして果たされた。

 しかしルーレイラは神に対して、道中で魔物の群れが出たことも一応報告しようと思い、言った。


「村に来る途中の山道で、大猿の魔物の群れに遭遇いたしました。このあたりでは珍しいことでありますので、お耳に入れていただこうと思い、ここにお知らせ致します」

『ふむ。それは傷を負った黒き髪の男、そなたに原因がある』

「は?」


 いきなり、神さまから「お前のせいだ」と言われて、アキラは鳩が豆鉄砲を食らった顔をした。

 

「蛇神どの、それはどういう意味かな」


 フェイが若干、不愉快そうな顔をして聞き返す。

 ラウツカの街に暮らす、ただの善良な友人であるアキラが魔物を寄せ付けると聞かされて、面白くない思いを抱いたのだ。


「ちょ、ちょっとフェイ! 失礼のないようにって言っただろ! ちゃんと敬っテ! 聞きたいことがあるなら礼儀をわきまえテ!」

「それはそうだが……私はなにも、この蛇神とやらに帰依した信徒ではないぞ。必要以上にへりくだる理由がどこにある」


 こういうところ、フェイはハッキリ言って子どもであり、ワガママな素が隠せない性格をしていた。

 元々信心深い方ではないし、なによりフェイは仏教徒である。

 フェイは目の前の大蛇を、そのまま「言葉を話すやたらとデカい蛇」くらいにしか思っていない。


「フェイさん、この神さま本当に強くて偉大でありがたい神さまだから、俺からも頼むよ。仲良くしよう?」


 アキラは死の間際にあって、この蛇神から生命力を分け与えられ、命を永らえたという事情がある。

 そのことをアキラは記憶として鮮明に持っているわけではない。

 おぼろげな、ハッキリとしない夢と思っているが、この神さまを目の前にすると体が温かくなり、気持ちが上向いてくるのがわかる。

 この世界において、きっと自分にとって縁の深い、大事な神さまなのだとアキラは心で理解しているのだ。 


「まあ、アキラどのがそう言うなら……失礼があったようだ、蛇神どの。陳謝を受け入れてもらいたい」


 二人の嘆願に折れて、フェイは態度を軟化させた。


『面白い小娘であるな。まあよい。まずは聞け。そこな男は、この地において、大いなる変革のさなかに今、立っている。その男を中心とし、大きな力が渦を巻くように、いずれ集まって来るであろう』

「……どういうことですか?」


 アキラは身に覚えがないというように首をひねったが。

 隣で話を聞いていたルーレイラが、顔色を白くして固まった。


「まさか、アキラくんの作ろうとしてる、火の薬……」

「火薬? アキラどの、火薬なんて作っているのか?」


 しまった、という顔をルーレイラとアキラは浮かべた。

 火薬のことは、フェイには今まで秘密にしていたのだ。

 危険極まりない火薬の開発を、衛士のフェイに知られたらどうなるかを懸念していたからである。


 三人の気まずい空気を無視し、蛇神は話を続ける。


『そなたらがなにをしているのか、我は詳しいことを知らぬ。しかしその力は、この地における『生』と『魔』の均衡を崩すに足るものである』


 火薬というのは言うまでもなく大きな力であり、地球人類の歴史が火薬の力によってどのような変化を遂げたか、ここで語るまでもない。

 蛇の神は、アキラがこの世界にもたらそうとしている火薬の力が、この世界の生き物や魔物のあり方を丸ごと変革させる可能性がある、と告げていた。


『魔のものを統べる王は、地の果てにあって、自らを滅ぼしうる力の出現を恐れている。そのために黒き髪の男は、このたび、命を狙われたのであろう』

「じゃあ、火薬の開発をやめれば……?」


 アキラの問いに対しての、蛇神の返答は淡白なものであった。


『今となってはそれも無駄なこと。大いなる魔の王は、汝らの力をしかと捉え、忘れることはない』


 火薬を作ろうとしたことで、アキラは魔の王から命を狙われてしまっている。

 そんなことがあるのかとアキラは驚いたが、いつだかにルーレイラから聞いた話を思い出す。


 魔の王は、見えない糸を世界中に張り巡らせているのだと。

 それを介して怒りや憎しみ、絶望など、人々の良くない感情を吸い上げ、力の源にしている。

 アキラが火薬という力をこの世界に新たに持ち込もうとしていることが、魔王に筒抜けだとしても理屈にかなっているのだ。


「そ、そんなことになっちゃうなんて……考えが、足りなかったな……」


 アキラはうなだれて、小声でつぶやいた。

 大事な人たちを守りたいと思い、火薬を作ろうと決意したのに。

 それが原因で、今、目の前に命の危機を産んでしまっている。


『しかし、我のもとを訪れたのがそなたらにとって幸いである。我の力によって、魔のものたちの目をくらませることくらいはできる』

「ほ、本当でございますか、神さま!?」


 縋るようにルーレイラが叫んだ。

 アキラの命が助かるのであれば、どんなことでも頼りにしたいと、心から願っての声だった。


『簡単なことではない。我の神力の一部を、その黒き髪の男の中に宿らせる。神の威を背負うに値する代償を捧げよ』


 蛇神はそう言って、洞窟の中に落ちていた手のひらサイズの石の固まりを口に加え、アキラに持たせた。

 重さは1kgもない、せいぜい数百グラムほどのものであろう。


『そなたらの中で、誰でも構わぬ。三人、足してもかまわぬ。その石くれと同じ目方だけ、我にそなたらの、体の一部を贄として捧げるのだ。さすれば我の神力による加護を授けようぞ』

「体の、一部って……」


 言われてアキラは絶望する。

 たった数百グラム。

 けれど自分の体の血肉を削るとなれば、大きすぎる数百グラムである。

 三人足してもいいなどと神さまは言っているが、こんなことをフェイやルーレイラに頼めるはずがない。


 肘から指先まで、腕を切り落とせば十分に足りるくらいの重さではあろう。

 しかしアキラがその考えを持ったのを見透かしたのか、ルーレイラが涙目でアキラの手を押さえて、首を小刻みに横に振った。


「ダメだ、ダメだよアキラくん……! 早まっちゃダメだ! きみの体を五体満足にするのに、緑の魔人に負わされた怪我をどうにかするために、僕とフェイがどれだけ苦労したか……」


 そのことはアキラも、怪我が治ってから聞かされていた。

 一歩間違えばアキラは片腕を失っていたかもしれないのだ。

 周りの仲間の奮闘があったからこそ、今アキラは五体満足でこの地に立っていられる。

 

 しかし、なにも手を打たなければアキラは魔物に襲われ続ける。

 アキラがそんな状況に見舞われるということは、周囲の誰かに危害が加わる可能性も高いということだ。

 そのことを考えたら、天秤にかけたらと思うと……。


「ルーレイラの言うとおりだ。そんなことをする必要はないぞ、アキラどの」


 若干の怒気を孕んでフェイがそう言って、懐に忍ばせていたナイフを手に持ち。


 ブツリッ。


 自分の三つ編みにしていた、長くつややかな黒髪を、後頭部の結わえ根から、ざっくりと切り落とした。


「これで十分な重さだろう。体の一部には違いない。私の髪は長いからな。釣りがくるはずだ」


 切り落とした髪の毛束を、フェイは蛇神の前にポンと放り投げた。


「フェ、フェイさんの、髪……」


 いつも髪油を塗り、櫛を通し、美しく手入れされ結われていた、フェイの黒々とした、長い髪の毛。

 それが、失われてしまった。

 アキラは茫然として、膝をがくんと落とした。


『よかろう。黒き髪の男よ。今一度、泉の水を全身に浴びるがよい。我の加護がその身を包むであろう』


 蛇の神はそれだけ言って、フェイの髪束を口にくわえ、深い深い水の底へと姿を消した。


「あ、ああ……そんなあ……フェイさんの、綺麗な、長い髪が……」


 アキラは、突っ伏して泣いた。

 フェイの長い髪が、大好きだったのだと、このとき、強烈に思い知らされた。

 自分のせいでそれが失われてしまった。


「いいんだ、アキラどの。あの化け蛇の言うなりになるのは癪だが、髪はまた伸びる。私はこの通り、痛くも痒くもないんだ」


 そう言いながら、フェイの目にも涙が溜まっていた。


「……フェ、フェイのバカ! 髪でいいんだって思い付いたなら、先に僕に言いたまえよ! 僕のボサボサの髪なんて、いくらでもくれてやったのに!」


 ルーレイラも泣いて、フェイを抱きしめた。


 三人のすすり泣く声が、暗く冷たい洞窟の中に、しばらくの間、響き続けた。 

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