74 アキラ、神頼みに行く(1)
冬至と年越しを前に、アキラは困っていた。
先日、リズを助けるときに右の拳を痛めてしまったせいで、日常生活が不便なのである。
「アキラさん、そういうことなら、いい店、紹介するっスよ! 一緒に行こうっス!」
「いや、下半身の話じゃなくてね……」
利き手である右手が不自由ということで、確かにそっち方面も不便であったのだが。
クロはその手の楽しいお店についても詳しい。
しかしアキラはリードガルドに来てこの半年以上、そういう大人の遊びをする店に行ったことはない。
金が勿体ないというのが理由ではある。
それ以上に、そういう店に行っても心から楽しめないだろうと自分で思っているからだった。
ギルドに降りかかった災難もそうだし、火薬の開発に関しての悩みもある。
精神的に居心地の悪い思いを、アキラはここ最近ずっと抱えているのだった。
二人は今、アキラの部屋にいる。
最低限の寝具と衣類しかないような、男の一人暮らしらしい部屋だ。
炊事場と井戸は共同スペースにあり、部屋の中は本当に殺風景と言っていい。
そんな中にあって、壁にかけてある鳳凰の刺繍が入ったスカジャンだけが異様を放っていた。
「おっと、俺、もう仕事に戻らなきゃっス。またあとで来るっスよ!」
「ありがとうクロちゃん。頑張って」
クロは昼休みを利用してアキラのお見舞いに来ていたのであった。
アキラとクロ、そしてエルツーは年を越すまでギルドの内勤をすることになっている。
怪我が治るまでアキラは業務を免除されているが、クロは相変わらずギルドの掃除をしたり、建物のメンテナンスをしたりの日々を送っている。
リズを助けるとき、アキラは左腕と胸板に刀傷を負った。
それはごく浅いものであり、縫うまでもなく傷口はもうふさがりかけている。
しかし敵をしこたま殴って砕けた右の拳は、治るのにまだしばらくの時間を必要としていた。
「一人になると、つらいな……」
誰もいない部屋でアキラは呟く。
悪漢たちの魔の手からリズを見事に助け出した。
そのことは誇るべきことに違いない。
しかしアキラは物事をそこまで単純化できる性格ではないのだ。
怒りに任せて大暴れし、自分も怪我を負ってしまった。
体が癒えるまでギルドの仕事をこなすこともできない。
もう少しスマートなやりようがあったのではないかと、アキラは自分で自分を責めてしまう。
部屋の中に一人でいると、余計にそういう考えに支配されるのだった。
「お、目が覚めたかな?」
「……あ、あれ、ルー? いつ来たの?」
鬱屈した時間を過ごすアキラのもとに、別の来客があった。
先輩冒険者で、赤い髪を持ったエルフのルーレイラである。
アキラの元気がないようだとクロに聞いて、見舞いに訪れたのだ。
アキラはそのとき、寝台で眠っていた。
ルーレイラはアキラが起きるまで、部屋の中で黙って待っていたのである。
「ついさっきだよ。怪我の調子はどうだい?」
「まあ、ジンジン痛むけど、ずいぶんマシにはなったよ。ゴメンな、お茶も出さないで」
来客をもてなそうと飲み物の準備に立ちあがりかけたアキラを、ルーレイラがやんわりと制する。
「いいよいいよ、大人しくしていたまえ。さっきまでギルドでお茶ばかり飲んでたからね。お腹の中がタプタプなんだ」
「ギルドに行ってたんだ。みんなはどうしてる?」
「事務方は忙しそうにしていたねえ。ほら、政庁と、スタンとか言う男の商会がつるんで悪だくみをしていただろう? そのことに関してギルドが負った損害を請求しなければならないからね」
事件の糸を裏で引いていた政庁重役のエヴァンスという男は、姿をくらましてしまった。
衛士たちもその足取りを追っており、事件の全容を明らかにするのは難しいようだった。
「なんだか、すっきりしないことが続くね……」
アキラは深いため息をつきながらそう言った。
「そう気を落とすんじゃないよ。明るい報せだって少しはあるんだから」
「どんな?」
「前に調査に行った岩山があるだろう、蛇の神さまがいた地底湖の」
「うんうん、覚えてるよ」
神獣と言っていい偉大な存在を目の当たりにしたことは、アキラにとってもかけがえのない思い出である。
「岩山の地主が、蛇の神さまを祀るために小さな祭壇をこしらえたらしいのだけれどね。それ以降、周辺の作業場で事故が激減したらしい」
「そんなわかりやすいご加護ってある!?」
仕事の無事を祈って神を祀るという文化はいたるところにあるものだが、それにしても直接的過ぎるだろうとアキラは思った。
「相手は神さまだからねえ。僕らの理解を超えた力が、あたり一帯に働いているのかもしれない。どうだい? アキラくんの快癒と僕たちの運気向上をお祈りに、久しぶりに蛇神さまの顔を覗きに行くというのは?」
激しい運動をしないのであれば、多少の遠出くらいはアキラの体に障ることもない。
しかし別の心配事がある。
「もしも行き帰りで魔物とか盗賊とか凶暴な獣が出たら、俺、ろくに戦えないよ今」
「それは心配ないよ。腕の立つヒマ人に護衛を頼むからね!」
ギルドが忙しくしている中、そんな人物がいるのかとアキラは疑問だった。
数日後、ラウツカ市の北、中央の城門。
「というわけで、道中よろしく頼むよ、フェイ。僕とアキラくんは戦力に数えないでくれたまえ」
「冒険者らしからぬ物言いだな……」
アキラとルーレイラは、フェイと合流し、岩山へ出発した。
「フェイさん、お仕事はお休みなんだね」
「年度末だからな。溜まっていた休暇を消化中なんだ」
彼らの住むキンキー公国は冬至を一年の区切りとしており、政庁の役人や衛士の仕事もその時期が年度の締めとなっている。
フェイは与えられた休暇を使い切っていなかったので、この時期にまとめて休みを取っているのだ。
せっかくの休みなのだから少し羽を伸ばそうかとフェイは思っていた。
ちょどいい具合にルーレイラから、岩山へお出かけしようと誘われたのである。
三人を乗せた馬車が、野を越え山を越え、林を抜ける。
アキラは今回、珍しく宝物のスカジャンを羽織っている。
せっかく神さまのところへご挨拶に行くのだからと、一張羅を着てお参りすることにしたのだ。
「あ、アキラどの、すまないがもう少し、背中の刺繍を詳しく……」
もっとも、馬車の中でスカジャンはフェイの手に奪われ、じっくり観察されてしまったのだが。
子供のように目を輝かせて、鳳凰の刺繍に見入るフェイ。
「その鳥は、きみたちの世界では不死や蘇りの象徴なんだってねえ」
馬の手綱を握りながら、ルーレイラが会話に混ざる。
相変わらずフェイとアキラの間は言葉の問題があるので、仲立ちしないと会話が成立しないために常に二人の言葉には耳を傾けている。
「そうらしいな。私も詳しくはないのだが、とにかくめでたい鳥らしい。将来有望な人物や神童のことを、鳳凰の雛、と呼ぶことがあるな」
「あ、龐統(ほうとう)だね」
フェイの説明にアキラが笑って付け足した。
古代中国、三国志の時代に活躍した劉備の配下、蜀の軍師が、龐統である。
史上名高い諸葛孔明の学友としても知られる人物だ。
「さすがアキラどの、知っていたか」
「うん、個人的には孔明よりも徐庶とか龐統の方が好きだな。もっと好きな軍師キャラは陳宮とか郭嘉だけど」
「陳宮って……呂布の軍師ではないか。うーん、呂布はなあ……」
どうやらフェイは三国志最強の武将と言われる呂布を、あまり好きではないらしい。
「フェイさんはやっぱり、蜀の武将が好きなの?」
「ああ。特に趙子龍を尊敬している。あんな風に立派に生きたいと、心から思うよ」
フェイらしい好みだな、とアキラは面白く感じた。
道中、三国志のことがわからないルーレイラに対して、アキラとフェイがその物語を詳しく聞かせながら楽しんで進んだ。
アキラの傷に差し障りがないように、馬車はのんびりとその旅路を往く。
今回の旅にあたって、フェイは自前の武器である中尺の打撃鞭の他に、一本の槍を用意していた。
フェイの身長ほどの長さがある持ち柄の先に、三十センチほどの片鎌の刃がついた槍だ。
馬車の後部には長柄武器を立て掛けることができる支え器具がついており、移動中はそこに収まっている。
「ルーレイラ、馬を停めろ」
和気あいあいと話していた森の道中、急に真剣な口調になってフェイが言った。
「魔物だね……しかも、集団だ」
緊張した面持ちでルーレイラは馬を停止させる。
魔物の持つ瘴気を感じ取る能力で言えば、この中ではルーレイラが最も高い。
敵は一匹や二匹ではないと、ルーレイラはハッキリ感じ取っていた。
「二人とも、馬車から降りて警戒してくれ。なるべく身を小さくしていろ」
「わ、わかった」
フェイが槍を手に構えて、周囲に睨みを利かせる。
アキラはルーレイラの前に、壁になるように立って構える。
ザワザワ、ガサガサ、と木の枝や草が音を鳴らし、数多の殺意が三人を取り囲んだ。
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