インターミッション06 ラウツカのヌシ釣り
温暖な気候で知られるラウツカも、ほぼ冬と言っていい季節になった。
一人の武人が、浜辺の岩礁に腰を下ろして釣り糸を垂れている。
日本の幕末期に生まれ育ち、この世界に転移してきた剣客のコシローである。
ラウツカ市の南東に位置するこの海岸は、波も穏やかで快適な釣りスポットになっている。
しかしコシローの釣果は正午になろうとする今現在、ゼロであった。
「場所以前に、エサが悪いのか……?」
先日は西の海岸で釣りを楽しんでいた。
その日も獲得できた魚はゼロであり、場所を移して再挑戦した今日も、朝から粘っているが成果は出ていない。
魚釣りと同じく、コシローの暮らしは若干、停滞していた。
元々、青春時代のほぼすべてを剣の修行と人斬りに捧げていた男である。
敵を見つけ、戦い、斬り殺すという生活サイクル。
それが失われた現状、彼はアイデンティティの見つめ直し作業に向き合わなければならなかった。
「入り江の方に場所を変えるか……」
遠巻きに見ると、河口付近でトビウオのような魚が水面を跳ねているのが見える。
場所を移したコシローは、飛んでいる魚をじっと睨んで観察する。
「トビウオじゃねえな……ボラ見てえな顔つきしてるが……」
バチン、ばちゃんと水面をはねて飛び上がる魚たちがいくつか見えた。
トビウオの様にむなびれが大きく発達し、それを羽のように使って海面を滑空している。
しかしトビウオよりは随分大きく、体の色や姿はボラに似ていた。
「トビボラって言ってね、身も美味いけど卵も美味いよ」
近くで釣りをしていた、並人(ノーマ)の女性がそう教えてくれた。
質素な綿の衣服に身を包み、頭には日除けの麦わら帽子をかぶっている。
ラウツカでソウルフードになっている魚のミンチの揚げ物、その主原料はこのトビボラの身であることが多い。
そう彼女は語った。
「兄さん、見ない顔だけど、ラウツカに越して来たばかりかい?」
「ああ。ちょっと前にな」
河口エリアを釣り場に定め、女性と軽く挨拶をしてコシローは手ごろに飛び出た岩に座る。
糸を投げたらして間もなく、手ごたえがあった。
「結構暴れるな」
「私、網で捕まえてあげる。そのまま頑張って引いてなよ」
女性の協力もあり、コシローは久々に釣りでの成果を得た。
しかし、上げた魚は狙っていたボラではなかった。
丸々としたフォルムで、頭部や背中に小さなツノ状の突起がいくつもある魚だ。
「なんだこりゃ、フグか?」
丸い身体、丸い瞳、丸く半開きの口。
どことなく愛嬌のあるマヌケな表情で、口をパクパクさせている。
全身は黒っぽく、大きさは小さめの鞠(まり)と言ったところ。
細かい突起物の手触りが、気持ちいいような、気持ち悪いような。
「あちゃ、残念だね、こいつはクマフグっていって、毒があるんだ」
「毒フグか……」
コシローは千葉の浜辺近くで生まれ育ったが、フグを食べる習慣はない。
彼の生きていた江戸時代、フグ食は忌避されていた。
地元ではこっそり食う者もいたが、コシローの知り合いにはそれが原因で、毒に中って死んだ者がいる。
そのこともあり、自分でフグをさばいたり食ったりすることをしないのだ。
「もう少し大きいやつなら、上等な料理屋に売れるけどね。でもこいつは体が小さいから、売れないだろうな」
特別に認められた専門店や高級料理店なら、このクマフグという魚を捌いて販売することができるようだ。
しかし女性が言うように、釣れたフグの体は小さい。
身の部分の肉厚を確かめるために、コシローがフグの体をムギュっと掴む。
「キュプイッ」
奇妙な声を上げて、フグはその可愛らしいおちょぼ口から大量の水を、ばろばろばろと吐いた。
水をすっかり吐き出したフグの体は、見違えて痩せて小さくなった。
「こりゃあ確かに、食うところはほとんどなさそうだな」
コシローはそう言って、海面にフグをポイっと投げ捨てた。
釣り餌として使うことも考えたが、毒があると言うからには素人が下手に扱わない方がいいと判断したのである。
その後もコシローは根気よく釣竿を構えて、当たりを待つ。
しかし景気よく飛び跳ねているトビボラを得ることはできず、小さいフグが当たるばかり。
フグではないものが釣れることもあったが、手のひらより小さいサイズの、ブサイクな小魚だった。
「お、エルフハゼ。内臓を取って素揚げにすると美味しいよ。子供のおやつとか、お酒のつまみにいいかな」
三角形の左右に飛び出したむなびれが、エルフの耳のように見えるからその名がついた魚である。
見た目が醜い魚にエルフの名を冠しているのは、一種の皮肉であろう。
ハゼの内臓処理と皮むきなら、コシローにとっては慣れたものである。
ドワーフに作らせた鋼の短刀で魚の腹を裂き、内臓を指でかき出す。
頭を折ってむしり、そのついでに皮を尻尾の方まで引っ張って剥ぎ取る。
尾びれ、魚肉、脊椎だけがのこり、あっという間にハゼは開きの状態になった。
「上手じゃないの、兄さん」
「ハゼならガキの頃から釣ってるからな」
そう言って、下処理したミニサイズのハゼを、コシローはかぶりと丸かじりした。
釣ったばかりの魚を、加熱もしない生のまま、味付けもなしでいきなり食べるコシロー。
それを見て、女釣り人は目を丸くして驚いた。
「ちょ、ちょっと、いくらなんでも、そのまま丸かじりなんて……」
「毒はないんだろう?」
「確かに毒はないけどさ、普通は焼いたり、揚げたりするもんじゃ……」
ラウツカ市は、過去に魚介類がらみの毒死や食中毒が多発したこともあり、魚の生食が避けられている。
地域の法令で、過熱していない魚介類を飲食店が客に提供してはいけない決まりになっているほどだ。
ちなみにその法を定めたのは、役人時代のルーレイラである。
「まあ、確かに揚げた方が旨そうだな、これは」
骨ごとハゼを咀嚼、嚥下して、コシローは満足げに目を細めた。
彼が幕府軍の尖兵だった頃、コシローの上官、組織の長だった人物は、焼いた鯛を骨ごとバリバリと食うような豪放な男だった。
そんなことをコシローは思い出し、少し笑った。
身に歯ごたえがかなりあったので、刺身として食うにしてもかなり薄く切った方がよさそうだと思った。
しれっとした顔で釣りに戻るコシローを見て、女性は呆れながらも笑った。
彼女は改めてコシローを観察する。
コシローがその腰に帯びている二振りの刀を珍しそうに眺めて、言った。
「兄さん、国の兵士か、お金持ちお抱えの用心棒、ってところ?」
「違う」
「あら、外れちゃった。武器が立派だから、その辺のごろつきじゃないって思ったんだけど」
「どうでもいいだろ、んなこと」
女の会話にそれほどコシローは付き合わず、釣りを続ける。
しかし女性はコシローの首から下げられている冒険者証を見て、彼が冒険者であることに気付いたようだ。
その一方、コシローは女が釣り道具意外に奇妙なものを横に置いていることに気付いた。
「なんだそりゃ、三味線か」
コシローの目には、それが弦楽器に見えたのである。
「あれお兄さん、ギタラを知らないの?」
「知らん」
そもそもコシローは楽器に興味すらなかった。
女性が持っている楽器はギタラというものであるらしい。
五本の弦を指で抑えたり弾いたりすることで、音を奏でるタイプの弦楽器であった。
音階を調節するための節、フレットは存在しないので、その点は三味線に似ている。
「私はこれでも結構な弾き手なんだよ。お近づきの印に一曲、披露しちゃおう」
「要らん。騒がしくしたら魚が逃げるだろう」
「まあまあ、お金は取らないから黙って聴いてみなさいって」
ケラケラと笑いながら、女はギタラという楽器を構えて、じゃらんと弦を鳴らした。
テンポの速い、情熱的な律動(リズム)の曲に合わせて、透き通るような高い歌声が響く。
音楽の素養がないコシローでも、それが下手ではない、不愉快でない調べだということはわかる。
しかし精神を落ち着かせて釣りをしている間のBGMとして、これはどうなのだろうと苦い思いを覚えた、その矢先。
「お」
コシローの竿が、かなりの手ごたえを返した。
今までにないくらいの大物がかかったのだ。
「あ、ボラが食ったかな? 兄さん、慌てないでじっくり寄せなよ!」
「重いな……」
かなりの大物であり、竿を引き寄せる手にも力が入る。
いつの間にか、コシローとギタラ弾きの女性と、二人がかりで竿を引いていた。
見事に釣り上げることができた魚は、しかし狙っていたトビボラではなかった。
全長50cmを超えるサイズの、青黒い肌を持った、鱗のない魚である。
「わあお! ハラグロマグロの若子じゃない! こんなに近海でかかるなんて運がいいね!」
「マグロかこれ。しかし重いな……」
ずんぐりむっくりとした体型に、肉がミチミチに詰まっているような重量感。
狙った魚ではないにしろ、かなり価値の高い収穫物であるようだ。
「ハラグロマグロは、この時期リヴァイアサンに追われて南の海から逃げて来るんだよ。でもこんなに近海の入り江で釣れることはないんだ。こいつは群れからはぐれた迷子だね」
「リヴァ……なんだって?」
「ものすごく大きな、蛇みたいな魚さ。鯨くらい大きい。リヴァイアサンの肝は、リードガルドの七大珍味って言われてるよ。私は食べたことないけど、いつか食べてみたいね」
リヴァイアサンというのは、いわゆる大海のヌシ、と言っていい魚だそうだ。
ともあれ、コシローが釣り上げたハラグロマグロなる魚、幼魚と言っても重さがかなりある。
持って帰ることを考えると、今日の釣りはここで打ち止めにするしかない。
「その魚、どうするの? 料理屋に売る? それとも自分で食べちゃうのかな?」
「料理屋に持ってって、食える分だけは自分で食うさ」
魚はざっと見積もっても重さ10kg前後はありそうだ。
食べられる部分だけで少なくとも5kgを超えており、コシロー一人で消費するのはまず無理である。
「山猫亭に持って行けば、上手いことやってくれると思うよ。私もご相伴にあずかっていいかな?」
「勝手にしろ」
なしくずし的に、コシローと女はギルドの近くにある居酒屋旅館の「眠りの山猫亭」に行くことになった。
コシローが仏頂面で黙っている間に、女は関の手配や料理の注文、余った魚の身を店に売り渡す手はずを全部済ませてしまう。
そして、食事の席に着くと、女はコシローに、ここではじめて自己紹介した。
「改めて、私の名前はカレン。あちこちプラプラしてるわ。流しの吟遊歌人、って言って、わかるかな?」
「よくわからんが、いい身分だな」
方々を渡り歩いて、芸を売り物にして生活をしているのだろう。
それくらいはコシローにもかろうじて理解はできた。
実際、コシローも剣の腕を売ってその日暮らしをしているようなものなのだ。
まったく理解できない生き方ではない。
「気付いたんだけどさ、兄さん、ここ最近魔物や盗賊をバッタバッタと倒しまくってる剣士さんじゃないの? その立派な刀といい、噂に聞いてた特徴にぴったり合致するんだよね」
「だったらなんだ」
剣の腕の立つ冒険者が最近になって大いに売出し中である。
そのことはギルドの中だけではなく居酒屋、飲み屋の中でも噂になっていた。
もちろんそれはコシローのことである。
巷では、フェイとコシローが勝負をしたらどちらが勝つのかという、賭けの対象にまでなっているほどだ。
「私、海岸線に沿っていろんな街を回って曲作りのネタを集めてる最中なんだけどさ。もしよかったら兄さん、しばらく私の用心棒をやってくれないかなあと思って」
「仕事なら、組合(ギルド)に頼め。条件が合えばやってやる」
コシローは専属冒険者ではないため、必ずしもギルドを通して仕事を請ける必要はない。
しかしカレンと名乗るこの女性の素性が、今はわからない。
ギルドを通して仕事の授受をした方が、間違いがないだろうとコシローは思った。
話している彼らの席に料理が運ばれてきた。
マグロの頭の部分を塩焼きにした、いわゆる兜焼き。
そしてあばら骨の周り、いわゆる中落ちの魚肉を集めて「つみれ」に仕立て、たくさんの野菜やキノコと一緒に鍋で炊いた料理。
魚を売って現金を少しでも多く手にしたかったコシローは、自分が食べる分を「アラ」の部分ばかりにしたわけである。
アラといても新鮮なマグロであり、その味は格別だった。
鍋の中には尻尾の近くの身も入っており、弾力があって旨味も濃い。
こんなに美味いマグロを生で食べられないのはどうにかしていると、心の中で強く不満に思うほどだ。
「それで、仕事の話なんだけどさ。ちゃんとギルドに依頼出せば、受けてくれるってこと?」
料理を楽しみながら、カレンは引き続き仕事の話をコシローに振る。
旅の用心棒をして欲しいというのはどうやら本気らしい。
「条件次第だって言ってるだろ」
「それは多分、大丈夫」
流しのフーテンなのに、金を持っているのだろうかとコシローは疑問に思う。
どうも、とらえどころのない人物だった。
邪気や邪念のようなものは感じられない。
もしもコシロー相手にそう言った悪い気配を隠し通せているのなら、それはそれで大したものである。
「しかし、流しの歌唄いとはな……」
コシローは酒を舐めながら、面白そうにつぶやいた。
「なにか、おかしい?」
「そういう奴が、たいてい公儀の間諜だったりするもんだ」
コシローはカレンを、スパイかなにかだと思ったわけである。
街から街を風来坊のように渡り歩きながら、不穏な情報を集める。
領主や国王に反旗を翻す動きがないかを、草の根から探り当てる仕事なのではないかと。
日本でも江戸時代の俳人、松尾芭蕉などが幕府の命を受けて各地を調査する任を負った、忍者だったのではないかと言われている。
「もしそうだったらどうする? 仕事は断られちゃうのかな?」
いわくありげな笑みを浮かべて、カレンがコシローに問うた。
コシローはそれに直接の返事を出さずに、ぐびりと杯の中の酒を飲み干して。
「しばらく、同じ場所で釣りをしてる。準備ができたら言え」
それだけ言い残し、席を立った。
翌日、コシローは先日と同じく、入り江の岩礁で釣り糸を垂らしていた。
「言われたとおり、ギルドに依頼票、出して来たよ」
カレンがそこに現れて、用心棒の仕事をコシローに頼んだ。
「ちょっと待て」
コシローは振り向きもせずに、そう答えた。
釣竿が、大きくしなっている。
大物がかかったのだ。
「お、今度こそ、トビボラが食いついたかな?」
カレンが竿を引き上げる助太刀に入った。
ぎりぎりぎり、と釣り糸の先で暴れる魚と格闘しながら、コシローは思う。
さて、この怪しい女が持ってきた仕事は、面白い獲物を引き寄せてくれるのだろうか、と。
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