73 ラウツカ市ギルド、陰謀に巻き込まれる(8)

 その日の夜中。

 アキラは政庁舎の隣にある、衛士本部の医務室にいた。

 ここで傷の手当てを受けいる最中であり、それが終わったら取調べである。


 医療職員たちに薬を塗られたり、包帯を巻かれたりしているアキラ。

 その横で、フェイが申し訳なさそうにうつむいた顔で立っていた。


「今回のことはその……衛士隊の中でも色々あってな。そのことでギルドに大きな迷惑をかけた。本当に、すまない」

「色々って?」


 リズがろくでもないやつにさらわれて、乱暴されるところだった

 アキラはそんな一面でしか、この事件を理解していないので、疑問に思ってそう聞いた。


 そこに隠された事情はもっと複雑なものであるようだった。


「私も市内のややこしい事件に関しては得意分野ではないのだが……」


 そう前置きして、フェイは言葉を選びながら慎重に語った。


「後輩や知り合いの市中衛士に聞いたところ、スタンという男とその手下たちの些細な悪事を、市中の衛士はわざと見逃していたんだ。それがなければ、リズをさらったことも衛士たちがもっと早くに解決したかもしれなかったんだ」

「それは、スタンってオッサンが政庁の偉い局長だかと裏でつながってるところを、抑えようとしてたってこと?」


 ギルドでもそのことは調べていたのでアキラは知っている。

 スタンや政庁重役のエヴァンス局長の間に黒い取引があったとして、その証拠を押さえればギルドから奪われた仕事を取り戻す材料になるからだ。


 アキラの言葉にフェイは頷く。


「その通りだ。エヴァンスの前任の開発局長は、病気や体調不良という名目で職を退いたんだが、そこに阿片が絡んでいると政庁本部は見ているらしい」

「麻薬かあ」

「ああ、前任者を薬漬けにして政庁から引退させることで、エヴァンスは局長の座に収まった。他にもエヴァンスの出世に絡んで、何人かが体調を理由に政庁を去っている」

「政庁の他のライバルを蹴落とすために、エヴァンスってやつが薬をばら撒いてたかもしれないってこと?」

「うむ。その薬の出どころ、ラウツカへの出し入れの役回りを、スタンの商会が取り仕切っていたのではないか、そう衛士たちは見ている」

「それは確かに、デカい事件だね……」


 アキラは暗澹たる気持ちで呟いた。


「エヴァンス局長やスタンに調べを入れているギルドの存在が煩わしくなったというのはわかる。しかし、リズがここで身柄を捕えられたというのが私にはいまいちわからないんだ。どうして奴らは、そんな強硬手段に出たのか、とな」 

「それは俺も疑問に思ってたよ。ギルドを敵に回してまで、どうして奴らはリズさんを攫ったんだろう?」


 事件が大きくなれば、それだけ不利になるのはスタンの商会である。

 頭目のスタンという男がそこまで短絡的、無思慮な男にアキラには見えなかった。

 こんな軽率な真似をする理由があったのだろうか。


 フェイとアキラが頭をひねるその問題に、答えを示したのは別の人物だった。


「そこから先は私が話そう。アキラくん、今回は本当に、危ない目に遭わせてしまい、申し訳ない」

「あれ、え、リロイさん!?」


 脱税などの罪で取り調べを受けているはずの、ラウツカ市ギルド支部長、リロイが医務室に現れたのである。

 フェイもリロイが現れたことに驚き、疑問を口にした。


「保釈されたのか? それとも疑いが晴れたのか? こんなに早く取り調べが終わるわけはないだろう」


 ギルドという大きな組織の、膨大で細かい金銭にかかわる調査である。

 だいたいは長くかかり、取り調べの後で簡易法廷が開かれるというのがこの街の仕組みとしては通常のはずだった。

 

「実は、私が取り調べを受けて衛士本部に拘束されるというこのことも、衛士本部がスタンやエヴァンスの動きを調べるためにあえて描いた絵なのだよ。元々、私やギルドにはなんの嫌疑もなかったんだ」

「なんだと!?」


 そんな馬鹿なという表情でフェイが叫ぶ。

 フェイの勢いを制するように、リロイは両の掌を広げて説明を続ける。


「私が脱税だのなんだのの疑いで長く拘束されれば、ギルドの権益を削ぐためにエヴァンスやスタンが大きい動きに出るかもしれない。衛士本部はそう考えたようで、私に架空の嫌疑をかけたのだ。ここで敵がボロを出してくれることを衛士は期待したのだろう」

「それで、どうしてリズさんがあんな目に遭わなきゃならないんですか!?」


 若干の怒気を孕んでアキラがリロイに詰め寄る。

 傷口があちこち痛むが、気にしていられる場合ではなかった。


「連中がリズくんの身柄を抑えたのは、取り調べや簡易法廷での私の弁護を滞らせるためだろう。リズくんと弁護人先生の連絡が上手く行かなければ、私はラウツカ市の簡易法廷で無実を証明できずに、首都の高等法廷に召喚されるかもしれないのだからね」


 大きな事件で取り調べや裁判が紛糾した場合、被疑者や弁護人、関係者は首都に召喚され、さらに高位の法廷で裁かれることになる。

 ギルドの会計業務に深く通じているのはリズ。

 そのリズが身柄を拘束されて、リロイの弁護に携わることができないとなると、リロイが無実を証明するのはそれだけ先延ばしになる。

 ラウツカ市のギルドはトップ不在の期間が長引き、正常な運営にも大きな支障が出る。


 もっともそれは、リロイにかけられた嫌疑がブラフの作りものであると、敵が知らないからこそなのだが。

 リロイの取り調べや簡易裁判は本部が仕掛けたフェイクなので、リロイが有罪になったり首都に召喚されるということはないのだ。


「なんだよ、それ……!」


 当然、そんな話でアキラが「はいそうですか」と納得できるわけがない。

 本部が描いたその図面の上でスタンもギルドも踊らされ、リズはその身に危険を負ったのだ。

 

 もちろんその怒りは、散々に辛酸をなめさせられていたフェイも同じであり。


「支部長どの。そのつまらない絵を描いて遊んだ本部の責任者は、いったい誰だ。まさか衛士長ではあるまいと思うが。貴殿は知っているのだろう?」


 凄んだ表情で、そう尋ねた。

 責任者から納得のいく説明をされない限り、フェイの気が収まるわけもないのだ。


「それは私の口からは言えないよ。いくらウォン隊長どのであってもね。それを軽々しく言ってしまえば、今度は衛士本部がギルドの敵になる。私は組織を守らなければいけないから、これ以上の情報を明かすことはできないのだ」

「貴殿は、リズにもしものことがあったとしても、そんな風に平気でいられるのか……!!」


 フェイは怒りの頂点に達してしまった顔でリロイを睨みつける。

 しかし、リロイは哀しげな顔で俯くのみで、その問いに答えなかった。


「フェイさん、もういいよ」


 アキラはやるせない感情をそのまま溜息として吐き出し、そう言った。

 リロイはギルドという大きな組織の長である。

 きっとだれにも言えないことをたくさん抱えているのだろう。

 

 だからと言ってなんでも笑って許すことはできないが、悲しみをたたえたリロイの瞳は嘘ではないと、アキラは信じたかった。 


 アキラが怒りを引っ込めてしまったので、フェイもやるせない気持ちを抑えるしかなかった。


 あちこち包帯を巻かれた姿のアキラが痛々しい。

 フェイはアキラの隣に座り、骨折の治療を施された右拳を見て、力なく言った。


「……すまない。私がもっと、物を分かっていて、力があれば、決してこんなことにはならなかった」

「いいんだよ。リズさんが無事で、よかったじゃん。ちょっと怪我したみたいだけど」

「大したことはないといいが、心配だな」


 自分の仕事に向かう時間ぎりぎりまで、フェイはこれから取り調べを受けねばならないアキラに寄り添った。

 もっとも相手は集団で、武器を持っていて、仕事仲間であるリズに不埒を働こうとしていた。

 アキラの暴力は正当な防衛とみなされて無罪になるだろう。



 そうでなければ、怒りのあまり、自分がどうなってしまうか、フェイにはわからない。

 

 悪い奴らを懲らしめて、大事な人々を守るために衛士になったはずなのに。


 志を貫くことの難しさを、フェイは改めて思い知ることになったのだった。  



 衛士本部の別室で行われていたリズへの聞き取りが終わったのも、夜中であった。

 自分の部屋に帰るリズを、連絡を受けたルーレイラが迎えに来た。


「ああ、リズ……大丈夫だったかい? 痛いところはないかい?」

「口の中を、ちょっと切っただけです。大丈夫ですよ。心配してくれてありがとう、ルー」


 ルーレイラはリズの体を抱きしめ、よしよしと優しく頭や頬をなでる。


「まったくひどいことに巻き込まれたねえ。普段から気を付けろっていうフェイの小言が、ばっちり的中しちゃったね」

「はい。私も軽率でした。これからはもっと気を付けないと……」


 しかし、そう言ったリズの表情は、思いのほか暗くはなかった。

 元気そうなのはなによりだとルーレイラは思う。

 しかし、あまりの恐怖におかしくなってしまったのではないとも思い、さらに心配してこう言った。


「今日は僕の部屋に泊りなよ。お風呂を入れてあげるから、ゆっくり寝て明日は仕事を休みたまえ。話したいことがあるなら、いくらでも聞くよ」

「んー、話したいこと、ですか……」


 リズは目を伏せて、少し考えて。

 それを口に出すのはやはりやめようと思い、首を振った。


「特にありません。ゆっくり、お風呂に入りたいです」

「そっか、うん、久しぶりに一緒に入ろう。僕が背中を流してあげるよ。今夜も、明日も、ゆっくり休もう。そうしなきゃダメだ」


 自分を元気づけるために、ルーレイラが笑みを絶やさないことに、リズは罪悪感で胸が痛くなった。


 リズは、あの場で「嬉しい」と感じてしまった。

 もうダメなんだと覚悟をしたときに、アキラの叫び声が聞こえたこと。

 自分のためにアキラが、あんなに怒ってくれたこと。

 ボロボロの傷だらけになりながらも、アキラがリズの身を案じて叫んでくれたことを。


 自分のせいでアキラをあんな目に遭わせてしまい、申し訳なさと心苦しさで胸がいっぱいなのに。

 リズの無事な姿を見て涙を流すアキラの姿に、嬉しくて泣いてしまいそうになったのだ。


「アキラさんの怪我、早く治ってくれるといいですね……」

「そうだね。僕も方々からいい傷薬をかき集めるよ。任せてくれたまえ」


 屈託なく笑うルーレイラを見て、リズは少し泣きたくなった。

 アキラをあんなに危険な目に遭わせたのに、周りのみんなに心配をたくさんかけたのに。

 助かった今、それを嬉しいと感じてしまうなんて。


 ああ、自分はダメで、嫌な女の子だなあと、リズは自分を責めるのだった。

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