71 ラウツカ市ギルド、陰謀に巻き込まれる(6)

 時を同じくして、ラウツカ市内北部。

 リズの行方が分からないという知らせをエルツーから受けたフェイは、自宅を飛び出していた。


「た、隊長! どちらへ?」


 血相を変えて市内中央大通りを走るフェイを、呼びとめる声がある。

 警邏巡回中の、エルフ族の衛士、スーホだった。

 フェイは足を止めて、声の主であるスーホを見やる。


「スーホ、貴様、なにか知っているなら今のうちに白状した方が、身のためだぞ」


 フェイは怒鳴り散らしているわけでもなく、相手を威嚇して睨みつけているわけでもない。

 淡々と、まるで感情がないかのような、冷たく乾いた表情になってしまっていた。


 これは、フェイの怒りが頂点に達してしまっているときの特徴だ。

 フェイの下で新人時代を過ごしたスーホは、それを骨の髄まで理解していた。


「な、なにかとは、なんでしょうか」

「ほお、しらばっくれるのか。私も随分と甘く見られたものだな」

「誓って申し上げます! 本当に、先ほど本部でお話した以上のことは、自分は知らされておりません!」


 ちっ、とフェイは小さく舌打ちして、言った。


「私の友人が、行方知れずになった。ギルドの受付をしているエリザベスという女の子だ。お前も知っているだろう」

「は、はい。金色の髪の、並人の女性ですね。行方知れずというのは?」

「朝に仕事で外に出たきり、家にもギルドにも戻っていないらしい。ギルドの面々が方々を探し回っているそうだが、見つからなければ市中衛士に捜索願が出されるだろうな」

「そうですか……」

「リズは、スタン商会とかいう労働者の寄場について調べを入れているようだったぞ。その組織と、政庁のエヴァンス局長に黒いつながりがあるのではないかとな」


 言われてスーホは顔色を変えた。

 それは、市中の衛士たちがあえて泳がせて、まだ逮捕に踏み切っていない案件だ。

 なにかしらの大きな不正に関わっていることは、衛士たちの間でもほぼ確信している。

 しかし、小さな罪がいくつかあるだけで、大きな事件などの証拠がまだ出ていないのだ。


「大物が釣れるかもしれないと言って泳がせていたケダモノが、私の友人を傷つけるようなことがあってみろ。それ相応の代償を上層部には支払わせてやる」


 フェイはそう言い捨てて走り去った。

 手掛かりに乏しい彼女がまず目指した先。

 それは、市内西のはずれにある、スタン商会だった。


 昨日も訪れた、土壁の建物の前にフェイは来た。

 スタン商会の事務所兼寄場になっているその建物に、ずかずかとフェイは歩を進める。


「なんだ、ねえちゃん。なにか用か?」


 中には少なくとも十数人、並人やドワーフ、獣人たちがたむろしていた。


「頭目のスタンという男はどこにいる。話を聞きたい」


 フェイの質問に、男たちはニヤニヤしながら答えた。


「先生なら、まだ戻って来てねえよ。仕事の話かなにかかあ?」

「それより、なかなか可愛い顔してんじゃねえか」 

「乳も尻も、少し薄くて物足りねえけどなあ、ひゃひゃひゃ」

「なあ、先生が戻って来るまでの間、少し俺たちと遊ぼうぜ」


 ラウツカに来て日の浅い者、流れ者たちが多いという話は確かなようだ。

 市内では有名人であるフェイの顔を見知っている者がいない。

 この日、フェイは制服ではなく私服を着ているので、衛士とも思われていないようだ。


「あいにくと忙しいんでな、遊んでいる暇はない。なによりこの部屋は臭くてかなわん」

「ひでえなねえちゃん。ちゃんと風呂には入ってるぜ」


 不快な臭いにフェイは表情をゆがめて言った。

 しかし、その臭気には覚えがある。

 門衛の仕事をしている中で、何度となく経験したものだ。


「この匂い、阿片か?」


 禁忌の薬物、いわゆる麻薬の臭い。

 特に阿片は、独特の酸っぱい臭気を放つ薬物であり、獣人ほどの嗅覚がないフェイであっても判別は容易だった。


 やはりこの商会が、薬物の常習者や運び人の巣窟になっている。

 フェイの見立ては的中していたのだ。


「なんだあ、知ってんのか」

「質のいいもんが揃ってるぜ、一緒に楽しもうや」


 いつの間にか、出口は男たちにふさがれている。

 どうやらフェイをここからすんなり出すつもりはないようだ。

 

 男の一人がフェイの後ろから肩に手をかけようとするが。


 バキン。

 その場の誰も見えなかったほどの恐ろしく速いフェイの裏拳が、男の顎部分に炸裂した。

 たった一撃で男は脳震盪を起こし、その場にバタンと倒れた。

 音から察するに、顎が割れているようだ。


「急いでいると言っただろう。ここの取り調べは後回しにしてやる。怪我をしたくなければそこをどけ」


 男たちが唖然としている中、フェイはつかつかと出口に進む。

 しかし気を取り直した男の一人が、ナイフを構えてフェイに挑みかかった。


「て、てめえ! タダで帰れると思ってんじゃねえぞ!」

「うるさい」


 フェイは男の突進をひらりと躱しざまに男の後頭部を掌で掴み、勢いをつけて顔面を建物の壁に叩きつけた。


「ぶぐぅ!」


 男の顔面と、土の壁とが両方、凹んだ。


「い、一斉にかかれ!」


 部屋にいた男たちが、群れを成してフェイを取り囲み、襲いかかる。

 フェイはそれらの相手をせず、出口をふさいでいた男に、勢いをつけた飛び蹴りをかます。


「ぎゃあ!」


 人の大きさと重さを持った岩の固まりが、高速で飛んで来たようなフェイの蹴り。

 それを受けて、男は戸板ごと建物の外に吹っ飛ばされた。

 フェイもその勢いに乗って、そのまま外に出る。


「ま、待ちやがれ……へぶぼっ!?」


 フェイはいつの間にか抜いていた腰の打撃鞭で、建物から出てくるならず者たちを目にも止まらぬ速さで打ち据えていく。

 五人、十人と、出口の近くに倒れた男たちが重なっていく。

 建物から出てくる相手を一人ずつ叩きのめす程度のことは、フェイにとって造作もないことだった。


「あ、あわ、あわわわ……」

 

 倒れた者たちは皆、一撃で足の骨を折られてその場で悶絶しているか、もしくは急所に打撃を食らって気絶していた。

 鬼神のごとき強さのフェイの立ち回りに、残った者たちは戦意を喪失した。


「おい、もう一度だけ聞いてやる。スタンとかいう男はどこだ?」

「あ、み、港の、倉庫に……」

「まったく。最初から素直にそう言え。無駄な手間を取らせるな」


 フェイはそう言って、港へと走った。


「ああ、やはり、こうなったか……」


 そのすぐ後、白馬に乗って駆け付けた衛士が、現場の惨状を見て頭を抱えた。



 ラウツカの街を紅く染めていた夕日が、すっかり沈んだころ。

 酒や油を満たした樽が所狭しと置かれている倉庫の一角にリズはいた。


 目隠しをされ、両手を後ろ手に縛られて、椅子に座らされている。

 もちろん両足も縄で縛られていて、まともに身動きはできない。


 何人かの男が、こそこそと話している声がリズには聞こえる。

 恐らくは五人以上。

 男たちからリズが乱暴を受けた痕跡はないが、丁重に扱われているというわけでもない。

 喉は乾き、空腹も覚えているが、なにも与えられてはいない。


「先生、本当に大丈夫なんですかねえ……?」


 その場にいる男の一人が、不安げに言葉を発した。


「この嬢ちゃんが魔法を使えない『流れ者』だってのは調べがついてる。目隠しして縛っておきゃあ、なにも出来ねえよ」


 港からギルドへ戻ろうとしたリズは、得体の知れない男たちに囲まれて拉致され、この倉庫に運ばれた。

 視界は奪われているが相手の会話が聞こえる。

 先生と呼ばれている男は、まず間違いなく流れ者労働者たちの頭目、スタンだろう。


 なぜ、自分はこの男たちに、今こうして囚われているのだろうか。

 乱暴をすること自体は目的ではないようだ。

 となると、考えられる理由は一つ。


 自分たちギルドが、スタンの商会について調べを入れていることが、相手にばれている。

 関連して、ラウツカ市政庁の重役である、エヴァンス局長についても、ギルドは調査をしている。

 彼らはギルドとなんらかの取引をするために、今こうして自分を拉致しているのだろうか。

 リズはそう考え、そして相手にこう言った。


「市内整備局のエヴァンス局長は、いずれ失脚します。ついていても旨味はありませんよ。むしろ共倒れになる可能性が高いと思います」


 もちろん、ハッタリである。

 そこまでの確かな情報をリズたちは掴んでいない。

 リズのハッタリが通じたのか通じないのか、周囲の男たちがどよめき立った。


 しかし、頭目である先生と呼ばれた男、スタンはカカカと笑って、リズにこう言った。


「いい度胸だなあ、お嬢ちゃん。うちの若いモンより、よっぽど肝っ玉がふてえや。嫌いじゃねえぜ」


 そして、リズの頬を思い切り、平手打ちした。


「くっ!」


 リズの口の中が切れ、唇の端から血がにじみ出て来た。 


「ただ、その話はつまらねえなあ。お喋りするなら、もっと面白いことを言ってくれや、ガッハッハ」


 周りの有象無象はともかく、スタンという男にブラフは通じない。

 あまり挑発すると身の危険が増すと判断し、リズは黙るしかなかった。

 

 口の中が痛い。

 不覚だった、油断をしていた。

 まさか白昼堂々、ギルドからもそう離れていない場所で、こんな目に遭うなんて。

 どれだけみんなに迷惑をかけているだろう。

 どれだけ心配させてしまっているだろう。


 リズは自分の軽率さに、目隠しされた奥で涙を流しそうになったが、こらえる。

 今、自分がすべきことは、泣くことではない。


「俺はちょっと、寄場に戻るからよ。しっかり見張っとけよお前ら」


 スタンはそう言って、倉庫の外に向かった。

 取り残されたリズと、手下の男たち。


「な、なあ。この嬢ちゃん、ちょっとくらい可愛がっても、かまやしねえよなあ?」

「先生には、手を出すなって言われたけどよ、こんな色っぽい身体、我慢できねえぜ……」


 下劣な男たちの情欲が、自分に向いていることをリズは知る。

 泣くものか。

 叫ぶものか。

 許しなど請うてたまるものか。


 心の中で静かに、悲痛な覚悟を決めたリズのもとに。


「リズさーーーーーーん!! いるかーーーーい!? いるなら返事をしてくれーーーーッ!!」


 聞き慣れた声の主の、大きな声が届いた。

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