69 ラウツカ市ギルド、陰謀に巻き込まれる(4)
ギルドの支部長、リロイ・ジャックウェルが衛士に連行された、その翌日。
険しい顔をしたフェイが、ギルドの受付を訪れた。
今日は仕事が休みなので、平服である。
「リズはいるか?」
受付カウンターに座るナタリーに、挨拶もそこそこにフェイはそう尋ねる。
リズもエルツーも別の仕事をしているのか、受付窓口やロビーにはいない。
「おあいにくさまですわね。リズは朝から、リロイの弁護人の先生とお話があるために席を外しておりますわ」
ナタリーは無表情でそう答えた。
深く慕っている支部長、リロイという男をいきなり連れ去った衛士という存在に対して、敵愾心を隠す様子もない。
フェイはナタリーから冷たい態度を向けられていることを重々承知している。
心苦しく思いながらも、しかし、ナタリーにかける言葉が見つからない。
衛士たちは、組織としての仕事を全うしているだけなのだから。
「そうか。野暮用を済ませてから、また来る」
「リズまで、連れていくつもりですの? わけのわからない罪をでっち上げて!?」
冷静な表情を必死で保っていたナタリーの目つきが、ぐしゃっと歪んだ。
その瞳には、うっすらと涙が混じっていた。
フェイにそんなつもりがあるわけはない。
しかし、大事な仕事仲間をろくな説明もなく連れ去られたのだ。
ナタリーの悲憤を痛いほど理解できるフェイは、なにも言い返さずにギルドを後にした。
フェイはその足で、政庁内の衛士本部に向かった。
ギルドの件とは別に気になっていることがあり、その連絡や確認を市内警邏の衛士と話し合うためだ。
衛士本部にフェイが足を運ぶと、いつも場の空気が緊張する。
ラウツカの衛士隊員は誰であっても、大なり小なり、フェイという人物を恐れているからだった。
そして、そんな腫物扱いであるフェイの相手をするのは決まって、若手のエルフ衛士、スーホの役割だったりする。
「お、お疲れさまです、隊長。今日はどうされましたか?」
「市内の西にある商会にな。近いうちに私の隊で強制捜査を行う。その報告に来た」
フェイが言っているのは、スタンという男が取り仕切っている、日雇い労働者の寄場であった。
リズやアキラたちがスタンという男の調査をしているのとまったく別の件で、フェイはそこを調査する必要を感じていたのだ。
「そ、それは一体どういうことでしょうか。基本的に市内の取り調べであれば、私たちが行いますが……」
スーホの言い分はもっともである。
衛士隊にはそれぞれ所轄が定められており、フェイのような北門衛士は門番と、門の周辺の警戒が主な任務だ。
しかしフェイの方にもそれなりの言い分があった。
「お前らの仕事が遅いからだ! 北の門で、禁忌薬物を持ち運ぼうとした奴を、秋祭り以降、三人も取り押さえた! そのうち二人が、その商会に関わっている人物だったんだぞ! いつになったら摘発するんだ! 組織ぐるみで運び屋をやってるに決まってるだろう!!」
怒りのあまりフェイは叫んだ。
先ほど、ギルドでナタリーにつらく当たられてストレスが溜まっていた、その八つ当たりかもしれない。
フェイの仕事は門番である。
ラウツカの街に門を通って出入りする人間を見定め、怪しい人物がいたらその都度、取り調べをしている。
その過程で、同じ組織に関わっている人物が二人、違法薬物をラウツカ市内へ持ち込もうとしていたのだ。
「城門を通過している奴らだけでこのありさまだ! 船便も合せたらどれだけの薬が街を出入りしているのか、知れたものではない! いくら市内警邏に報告を上げても一向に動く気配がないから、私の隊で行くんだ! なにか文句があるのか!?」
「そ、それは……」
スーホは言葉に詰まり、助け船を求めるように周囲の隊員たちを回し見た。
やれやれといった溜息を吐きながら、市内警邏の上役が二人のところに来て、説明した。
「ウォン小隊長、その商会に関しては、こちらでもちゃんと調査を入れている」
「ほお、で、どのような結果を得られたのです?」
相手を睨みつけながらフェイは言った。
「組織ぐるみではなく、たまたま被疑者に関係者が重なっただけで、個人の犯行だと結論が出ているよ。北門には今日にでも知らせようと思っていた。連絡が遅れて済まなかったね」
「抜き打ちの強制捜査はしたのでしょうか? 単に書類の上で、身元の照会をしただけではないのですか?」
「それは……」
まったく引き下がる気配のないフェイの勢いに、上役も言葉を詰まらせた。
この様子だと深く調べてはいないのだろうとフェイは確信を持つ。
「話になりませんな。明日、一番隊で立ち入り捜査を決行します。私の隊の者はこの件で皆、頭に血を昇らせております。巻き添えで怪我をしたくなければ、現場に近づかぬよう」
そう言って本部詰所を去ろうとしたフェイを上役の男が大声を上げて制止した。
「ま、待ちたまえウォン小隊長! 上からの指示なのだ! もう少し深く調べながら泳がせろ、と!」
「……どういう意味です?」
「詳しいことは、ごく限られた関係部署にしか言えん。しかし、その商会はもっと大きな事件に関与している疑いがあるのだ。その証拠が固まるまで手を出すなと、上層部から厳命されているのだよ」
ギリリ、とフェイは歯噛みした。
衛士の仕事は、いわば街の警察である。
業務上、どうしてもこういうことが発生する。
大きな悪を糺すために、小さな悪にあえて目をつぶるということが。
その意味は長く衛士を続けているフェイにも当然、理解できるところではある。
しかし頭で理解できることと、心が納得するということは別問題だった。
触れれば切れそうなほどにイライラの気を発しているフェイと、誰も目を合わせようとはしない。
怒りを鎮めるため、フェイは何度か深く深呼吸をして、こう言った。
「泳がせている間に、取り返しのつかないことが起こらなければいいですがね」
「それはこちらも重々注意して警戒しているよ。安心してくれ」
事実、ろくでもない薬が現在進行形で、この街を出入りしているではないか。
その対応にどれだけ自分たち、北門衛士が神経をすり減らしていると思っているのだ。
心の中でそう吐き捨てて、フェイはその場を後にした。
「あ、フェイさん」
ギルドへ戻る道すがら、フェイはアキラと出くわした。
アキラの手にはランチバスケットが二つも抱えられている。
これからギルドの面々と、昼食なのだろう。
「やあ、アキラどの。このたびは、その、大変だったようだな」
気まずい。
ギルドのボスであるリロイを、フェイの仲間の衛士たちが強制連行してしまっている。
先ほどナタリーに向けられた敵意を思い出し、フェイはどんな顔をしていいのかわからない。
なにより、フェイ自身の機嫌が悪い。
やり取りの中で不快な思いをさせてしまうのではないかと、フェイは心が重くなる。
しかしアキラは相変わらず、いつも通りの穏やかな表情を浮かべていた。
「ギルドに用事? リズさんはまだ戻ってないけど、エルツーならいるよ」
「そ、そうか。リズはまだか。アキラどのは、これから昼か?」
「うん。事務の人たちが忙しいみたいだからさ。俺がお使いで昼飯買って来たんだ。たくさんあるから、フェイさんも一緒にどう?」
「いや、山猫亭で食べようと思っていたところでな。せっかくだが今回は遠慮させてもらうよ」
ギルドの職員から針のような目つきで見られながら、昼を食べるのはフェイとしても気の進まない所であった。
「そっか。でもなんか元気ないみたいだけど、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。気を遣わせてしまって、済まない……」
まったく、どこまで人がいいのだろうか、この男は。
フェイは苦笑いしながらそう思った。
リロイが連行されて、心配事や忙しいことが増えているのは、自分たちだろうに。
フェイは食事を終えた後、もう一度こっそりとギルドの受付の様子を覗き見た。
相変わらず、リズは帰って来ていないらしい。
夕方の仕事終わりに合わせて、もう一度確認に来よう。
そうフェイは考え、別の用事を済ませるために移動した。
フェイの別の用事。
それは、スタンが営んでいる商会の様子をこの目で確認することだ。
市内警邏の衛士たちには手を出すなと言われた。
しかし私服姿の今、ちらっと見に行く分には問題あるまい。
場所はあらかじめ調べて知っている。
馬車を拾ってその場に行くと、小屋と呼ぶには大きい、倉庫のような建物があった。
土壁とわらぶき屋根で作られた、看板も表札もない建物だ。
「あれ。フェイさんじゃないっスか」
「おや、クロどのか」
ちょうどそこで、クロに出くわした。
クロは引き続き、リズの指示を受けてスタンの商会に怪しい動きがないか、観察していたのである。
もちろんそのことをフェイは知らないので、クロがたまたまここを通りがかったのだと思った。
同時に、しまった、とフェイは唇を噛む。
建物から出入りしている労働者たちの様子を、まじまじと睨んでいるところをクロに見られてしまった。
「あの建物に、なにか用っスか?」
「いや、特にそういうわけではない。ただの散歩だ」
治安上の機密を、いくら知り合いであっても漏らすわけにはいかない。
適当な言い訳でクロを騙すような形になり、フェイはやはり心が重い。
今日は散々な日だと思った。
「そっスか。なんでもいいから知ってることがあれば、教えて欲しかったんスけどね」
クロの緊張感が薄いのか、それともフェイという人物を信頼しているのか。
おそらくはその両方の理由から、クロはあっけらかんと話してしまった。
自分たちギルドの面々が、スタンの営む商会について秘密裏に調査を行っていることを。
「ギルドが、いったいなんの理由であそこを調べているんだ?」
「俺らの商売敵だからっツーか、そんな感じっス」
「商売敵か。労働者の元締めというなら、ギルドと仕事を奪い合う関係ではあるな」
「奪い合うどころか、市内の小さい仕事はほとんどここに取られちゃったんスよ。とほほっス」
そんな大変なときに、ギルドの責任者が逮捕されてしまうのだから、ついていないとフェイは同情した。
しかしフェイはここで、ふとした直感を得る。
色々ハッキリしなかったこの問題についての糸が、徐々に繋がって行っていることを。
奪われたギルドの依頼。
身元の怪しい作業者を多く抱える商会。
バラバラに見えるその糸の根元には、ラウツカ市の行政をつかさどる、政庁上層部の誰かがいる。
おそらくは市内整備局長のエヴァンスだ。
衛士本部は、スタンの商会は大物に繋がるから泳がせろ、と言ってフェイの突入捜査を制止した。
繋がっている大物というのは十中八九、エヴァンスのことだろう。
違法薬物の持ち込みを見逃せと言うような、なにか大きな犯罪にエヴァンスという政庁の重役が絡んでいる。
「前の整備局長は急病を理由に退いて、その後釜がエヴァンスだったな……」
「フェ、フェイさんどうしたっスか? 顔が怖いっスよ」
フェイが険しい顔をしてぶつぶつ言いだしたので、事情が分からないクロは不安げな顔を浮かべた。
「ああ、すまないな。クロどの、あの商会の様子を調べるのはいいが、危ないことはするなよ。相手もギルドについて、よく思ってはいないだろうからな。喧嘩になどならないように」
「わかったっス。ちらっと見に来ただけなんで、もう帰るっスよ」
「そうか。リズに会ったら、鳩を飛ばして連絡するように言っておいてくれ」
結局、この日はリズに会わずにフェイは自宅に戻った。
フェイにはもう一つ、気にかかることが残っている。
このタイミングで、どうしてギルドの支部長であるリロイが、疑いをかけられて捕えられたのか。
不正が見つかったから連行したという単純な話だろうか。
それを超えた、嫌な政治的な気配があるようにフェイは思った。
一方で、ギルドの内部は職員たち、アキラたちが不安な顔を浮かべて集まっていた。
「弁護人の先生は、リズはもう帰ったと言っておられますわ……」
リズの戻りが遅いので、ナタリーは弁護人の邸宅に確認に向かった。
そこにはリズはいなかったのだ。
ギルドにも戻って来ていない。
リズが暮らしている部屋にも、帰ってはいない。
そこに、クロが戻って来た。
クロは匂いや話し声から、リズが戻って来ていないことを建物に入る前から理解した。
「心配っすね。俺、探すっスか?」
「そうだな、行こう、クロちゃん」
クロはある程度なら匂いで相手の追跡ができる。
もちろんリズのことが心配で胸が張り裂けそうなアキラは、リズの捜索にすぐにでも飛び出して行きたい。
「あたしも行くわよ。なんだかヤな予感がするし、人数は多い方がいいでしょ」
「いや、エルツーは帰って、フェイさんにこのことを伝えてくれ。もしも事件だったら、衛士さんたちの手を借りないと」
アキラの判断は妥当なものだが、ナタリーは苦い顔をしていた。
それも無理のないことだ。
リロイが連れ去られたことで、ナタリーの衛士に対する印象は、最悪にまで落ちていたのだから。
アキラ自身は、衛士が仕事で誰かを捕まえるのは、それはもう仕方のないことだと割り切っている。
それでもリロイを慕うナタリーの、どうしようもない気持ちも理解できる。
みんながみんな、ぶつけるあてもない気持ちを抱えていることが哀しかった。
「リズさん、無事でいてくれよ……」
クロに先導され、アキラは夕焼けに染まった街を走る。
疲れからではない、嫌な汗が全身を伝うのが、アキラにはわかった。
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