67 ラウツカ市ギルド、陰謀に巻き込まれる(2)

 数か月前を境に、初級冒険者向けの依頼が激減した。

 それは政庁がギルドに出していた、市内での簡単な業務の依頼が、ほとんどなくなったからだ。


 その事実を整理して、リズは一つの、暗い記憶に向き合うことになる。


「初級の方向けの依頼が減り始めた時期に、アキラさんたちは『あの』商人護衛の依頼を受けたんですよね……」


 確かにあの時期、アキラたちは依頼が少なくて困っていた。

 そして、本来では中級者向けの危険な依頼を、ホプキンスというギルド職員に斡旋された。


「もしも今まで通り、依頼が十分に舞い込んできていたなら、アキラさんたちは無理してあの仕事を請けることも……」


 彼らが危険な目に遭った遠因の一つは、政庁から回って来る依頼の減少だ。

 もっとも、それはあくまでもリズの主観による判断でしかないのだが。 

 リズはそう考え結論付けたことで、この件を徹底的に調べ抜いてやるというモチベーションを、さらに高めることになった。



「リズ、最近なんか、顔が怖いわよ……受付の基本は笑顔だって言ったの、アンタじゃないの」


 ある日などは、隣で仕事をしているエルツーに、そんなツッコミを入れられる始末である。


「あら、いけないいけない」


 ほっぺたをむにむにと揉みしだいて、リズはにっこりと笑顔を作り直した。

 ちょうどそのとき、制服姿のフェイがギルドの受付を訪れた。


「あらこんにちは、フェイさん」

「フェイねえが仕事中にギルドに来るなんて、珍しいわね」


 フェイの管轄は市内の北端、城壁付近である。

 ラウツカ市の南端近くに位置しているギルドに仕事で訪れることはめったにない。


「港の作業者同士で、少し大がかりな喧嘩があってな。制圧の応援に呼ばれたんだ。もっとも私が来た頃にはほとんど沈静化していたが」

「物騒な話ね。ちょっと待ってて、お茶淹れてくるから」


 エルツーがフェイをねぎらい、給湯室に向かう。


「港湾の荷下ろしの作業中だから、てっきり冒険者と船員が喧嘩をしていたのかと思ったが、違ったな」

「ええ、最近はその手の港湾作業の依頼も、たまにしかこっちに来ないんですよ」


 リズはフェイの肩を揉みながら、そう話す。

 

「も、と言ったな? 他の作業依頼も減っているのか?」

「ええ、特に政庁から来る市内の軽作業依頼は全滅状態です。困ってます。なんとかしてください、フェイさん」

「私に言われてもな……」


 広い意味ではフェイも政庁の役人には違いない。

 しかし市の内政業務と、いわゆる警察組織である衛士の業務とでは、まるで世界が違う話だった。


「じゃあ、政庁のお偉いさんがよく行く飲食店とか、知りませんか?」

「ええ? いや、知らないわけではないのだが……それを聞いて、どうするんだ」

「別にどうもしませんよ? そういう人たちがひいきにしておるお店なら、きっと美味しいだろうなと思って」


 そんな理由で店の情報を知りたいわけでは、もちろんない。

 リズが政庁幹部について、なんらかの情報を探ろうとしているのはフェイにも明白だった。

 しかし、笑顔でひたすら肩を揉み続けるリズの無言の圧力に負けて、結局フェイは折れた。


「西横丁の南の端にある『幌馬車の駅舎』という店が、評判がいいらしいな。ただし、一人では入れないぞ」

「ありがとうございます。ふふ、どんなお店か、楽しみです」

「くれぐれも、おかしなことに首を突っ込むんじゃない。いいな?」


 フェイが心配して言っていることは、リズの耳を素通りした。


 

 後日、エルツーが家族の用事で仕事を休んでいる日のことだった。


「アキラさん、クロさん。少し協力してほしいことがあるんですけど」


 退勤時間、帰り支度をしていたアキラたちに、リズがニコニコ笑ってそう言ってきた。


「え、なにかな?」

「俺らでできることなら、何でも言ってくださいッス」


 美女の笑顔は場の空気を柔らかくする。

 その内容がどうであれ、リズの頼みを聞き入れることは男二人にとって確定しているのは明らかだった。


「じゃあ二人とも、とりあえずこれに着替えてください」


 そう言って、リズは二人に着替えを手渡した。

 アキラやクロが普段着にしているような、いかにも肉体作業者、金欠冒険者が着るような質素で楽そうな服ではない。

 ちょっとしたパーティーにでも出れるような、お洒落で上品なジャケットと、ウール製のスラックスパンツだった。


「え、え? どゆこと?」

「俺、こんな高そうな服着るの、はじめてっス……」


 リズはろくに説明もせず、戸惑う二人をえいえいとギルドの休憩仮眠室に押し入れて。


「じゃあ、着替え終わったら正門前に来て下さいね」


 と言い残し、外へ出て行った。



「二人とも素敵ですよ。よく似合っています」


 着替えを終えて、小ざっぱりした身なりになったアキラとクロ。

 リズもいつもより華美で、セクシーなドレスに着替えていた。

 防寒のために獣の毛皮マフラーや裾の短いジャケットは羽織っているものの、やはりどこかのパーティーにでも出るのかという格好だ。

 化粧もいつもとは若干違い、ぐっと大人っぽく見える。


「リズさんも、すごく、似合ってるけどさ……」

「一体、なにが始まるっスか、こんなカッコして!?」

「まあまあ、とりあえず、まずは一緒に来て下さい」


 やはり二人の質問に答えず、リズは乗合馬車を拾う。


「多めに払いますから、他にお客さんを乗せないでください」


 御者に対して、リズはそう注文した。


 一行は貸し切り状態の馬車に乗り、ラウツカ市の中心繁華街、西横丁へ。

 そこにある「幌馬車の駅舎」という名の高級飲食店が、どうやら目的地であるらしかった。


 少し離れた場所から、彼らは店構えや出入りする客を観察する。

 立派な建物と、そして出入りしている身なりのいい客たちを見て、アキラもクロも冷や汗をかく。

 末端労働者気質が骨の髄まで染みついている二人にとって、そこは全くの別世界であるように思えたのだ。


「今日はギルドからの奢りです。ボスが、たまにはいいものを食べて社会勉強して来なさいって言ってくれたので、お金は気にしないでください」

「お、俺、お腹が痛くなってきたッス……」


 わけがわからないことが続き、クロが音を上げつつあった。


「リズさん、もう少し説明してくれると嬉しいかな……」


 ただの楽しい会食ではなさそうだと、さすがのアキラにもわかる。

 自分はともかく、クロが可哀想だと思い、そう言った。


「そうですね……簡単に言うと、探偵ごっこです。このお店で、調べたいことがあるんですよ」

「だからそんな、ボンドガールみたいな恰好なんだね……」


 ドレスからちらちらと覗くリズの胸の谷間、及び太ももの眩しさに、ついついアキラの視線は奪われる。

 

「ちなみにこの格好は『奔放なお金持ちのお嬢さまが、用心棒を連れて夜の街に遊びに出てる』という設定です」

「なんスかそれ?」


 クロは相変わらずわかっていないようだった。

 しかしアキラはそれを聞いて、なるほど言うような表情を示す。


「リズさんは、この店に来た客の会話を盗み聞きしたいんだね」

「それで俺が呼ばれたっスか。でもなんのために、そんなことをするっス?」

 

 クロの質問に、リズは表情を引き締めて、力強い眼差しで答えた。


「ギルドと、冒険者のみなさんのためにです」

 

 その言葉に、嘘はなかった。

 リズの気迫と覚悟が、二人にも伝わる。

 本気で言っているのだ。

 遊びのように見えるが、これは遊びではないのだと。


「それじゃあ、お付き合いするっスよ」


 さっきまで気乗りしていなかったクロだが、ことここに及んで、ころりと態度を変えた。

 元々人を疑うことをあまりしない純朴な性格に加えて、リズのことを深く信頼しているからだった。


「ギルドのためなら、仕方ないね。でもこういう店って、客の会話が漏れないような魔法が仕掛けられてるんじゃないの?」


 アキラの言う通りであった。

 いくら聴覚が鋭い狼獣人のクロであっても、魔法で消音、防音が施されていたら、他の客の会話を聞き取ることはできない。 

 

「はい、ですからちょっとズルをさせてもらいます。クロさん、この小石を、片方の耳の穴にはめてくださいますか?」


 そう言ってリズは、小指の爪ほどの大きさの石をクロに手渡した。

 同じような石が、もう一つリズの手元にある。


「なんスかこれ」

「私の持っている石と、クロさんに渡した石の間で、音が行き交う魔法がかかっています。この石を怪しい客のいる部屋に仕掛ければ、消音の魔法を通り越して、クロさんの耳元に音が届くんです」


 魔法の力を付与されて作成された、小型の無線マイクとスピーカーであった。

 ルーレイラが作った魔法のアイテムの中でも、この国、キンキー公国においては違法ギリギリの代物だ。

 拾った後に聞こえる音量がとても小さいので、よほど耳のいい獣人たちでないと実用性がほとんどない道具でもある。


「でも、どこの部屋にそのもう一つの石を仕掛けるんスか?」


 クロの疑問はもっともである。

 貴重なアイテムを無駄遣いしないためにも、あてずっぽうで仕掛けるわけにはいかない。


「目的の相手が今日、お店のどこの部屋を予約して会食しているかは、前もって調べてあります。二階の一番奥です」

「そこまで準備してるんだ……」


 改めて、このミッションにかけているリズの熱意が尋常ではないことを、アキラとクロは知った。

 いつもは緊張感に欠けるクロも、さすがにただ事ではないと腹をくくって、口を引き結んだ。


 リズを先頭にして、三人は店に入る。


「予約してたエリザベスだけど」


 リズはもう演技を始めている。

 アキラとクロは緊張を通り越して、リズの振る舞いに笑ってしまいそうになる。

 なんとかこらえて、憮然とした表情を貫いた。

 二人はこの場において、ワガママお嬢のボディガード。


「はい、二階の見晴らしのいい部屋をご用意しております。本日はご来店、まことにありがとうございます」


 店員に丁寧に対応され、一行は個室席に案内された。

 集音機能を持つ魔法の小石が、リズの手からアキラの手に渡される。


 二階の一番奥の個室。

 標的たちがいるであろうその部屋の戸板と床の隙間に、アキラは滑り込ませるような形で小石を投げ入れた。

 店員には、気付かれていない。


 ひとまず席に着き、料理や飲み物をアキアとリズが注文する。

 品物が運ばれてくる間も、クロは演技の仏頂面をしながら、問題の部屋の盗聴に集中している。

 渋い表情で黙っていると、無口でクールな狼獣人に見えた。


「クロちゃん、なにかわかった?」


 今まで盗み聞きした相手の会話を聞かれ、それらをまとめてクロは伝えた。


「……エヴァンス局長、って呼ばれてる男と、それを囲んで、四人。部屋の中には、全部で五人の話声がするっスね」

「ビンゴ!」


 リズがグッと拳を握り、ガッツポーズを取って小さく叫んだ。

 狙っている相手の会食の場に、見事、盗聴を仕掛けることに成功したのだった。


「その局長って、何者?」

「市の政庁の、市内整備部署の、責任者です」


 アキラの質問に答えたリズの眼光が、鈍く光っていた。


 エヴァンス局長と呼ばれる、ラウツカ市政庁の幹部。

 その人物こそが、ギルドに出される市内整備の依頼を、激減させた責任者なのだった。


「ん……?」


 聞き耳を立てつづけているクロが、疑問の声を漏らす。


「どした、クロちゃん」

「今、別の男が部屋に入って来たんスけど……本当に、役人っスかね、こいつ?」


 その後もクロは集中して、相手の会話や室内の音を聞き続けて、言った。


「しゃべり方のガラも悪いし、なにより、武装してるっスよ。帷子(かたびら)を着込んでるっスかね……金属がこすれる音が鳴りっぱなしっス」


 役人の集まりに不似合いな、武装したガラの悪い男。

 その印象を、しばらく会話を聞いたのちに、クロは端的にこう表現した。


「やくざものじゃないっスかね、こいつだけ。どうも話しぶりからして、カタギじゃないっぽいっス」

「クロさん、その男の名前はわかりますか?」


 怪しい人物の登場に、リズが食いついた。


「……先生、先生って呼ばれてるっスね。あ、今その先生ってやつ、便所に行くみたいで席を立ったっス」

「俺、どんな奴か顔だけでも見てくるわ」



 アキラは先生と呼ばれている男を確認するため、部屋を出て店のトイレに向かった。

 ついでにトイレに行きたかったというのも、実は正直なところであった。


 さすがの高級店だけあって、トイレも豪華な造りをしていて、清潔に保たれている。

 用を足す場所は完全個室になっていて、先に入っている「先生」が出てこない限り、アキラはトイレに入れない。


 さほどの時間はかからずに、相手はトイレから出て来た。

 アキラやクロよりは背の低い、しかしがっちりとした体つきの男だ。

 耳が多少、尖っているので、ドワーフかなにかの血が混じっているのかもしれないとアキラは思った。


 その男、先生はトイレが空くのを待っていたアキラを見て。


「兄ちゃん、どこのモンだ? 見ねえ顔だなあ」


 そう言って、にやりと笑った。

 自分のことについてなにかを聞かれるという想定を全くしていなかったアキラ。

 動揺しそうになるのを必死でこらえて、口から出まかせでこう言った。


「お嬢は今日はお忍びですんで、家名はご容赦ください。とある方のもとで下働きをしている者です」

「そうかい。肝の据わった、いい顔をしてやがる。うちの若いモンにも、見習ってほしいぜ」


 ガハハと笑いながら、先生と呼ばれる謎の男は部屋に戻った。


「こりゃあ、クロちゃんの見立ては大当たりかな……?」


 どう見ても、普通の勤め人ではない雰囲気を、相手からは強烈に感じた。


 自分たちは、蛇のひそむ藪をつついているのではないか。

 そんな不安を持ちながら、アキラもリズとクロの待つ部屋に戻った。

 いつの間にか、便意が引っ込んでいたことに、アキラ自身も気づいていない。

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