インターミッション05 小隊長の割とヒマな休日
秋は深まる。
さほど寒くならないラウツカにも冬の気配が訪れつつある、そんな日の朝。
ラウツカ市が誇る北門衛士一番隊、その小隊長であるウォン・シャンフェイが、自宅で目を覚ました。
親しい者たちからは、フェイさん、あるいはフェイ隊長と呼ばれることが多い、街の人気者だ。
仕事から解放された非番の日はいつもそうであるように、少し遅い時刻の起床だった。
「……むー」
寝床から起き上がったものの、まだ意識ははっきり覚醒していない。
何度も大きなあくびをかます。
やっと顔を洗うために、離れである自室から出て、中庭にある井戸に向かった。
「おはよう、フェイ。朝ごはんできてますよ」
「おばあちゃん、おはよー」
庭では、フェイの養母が庭の花に水をやっていた。
冬が近づき、色のある花はめっきり少なくなった。
それでも庭は常に綺麗に手入れされている。
井戸の手押しポンプのレバーをガコガコと上下する。
清澄で冷たい水が、桶にどんどん溜まってゆく。
のらりくらりとフェイはその水で顔を洗い、思った以上の冷たさにビクッと体を震わせた。
「おじいちゃん、おはよー」
「おはよう。もうちょっとしゃっきりしなさい。ほとんど目が閉じてるじゃないか」
「眩しいからだもん……」
母屋の食卓に行くと、養父が本を読んでいた。
食事はすでに終わらせているようで、朝食を済ませていないのはフェイだけだった。
「庭の井戸、動きが少し重くなかったか?」
「うん。ルーレイラに話して、直してもらう……」
寝ぼけ眼のまま、もさもさと朝食を食べてフェイと養父は世間話を交わす。
朝食は甘いイモをふかしたものと、魚の塩漬けの切り身だった。
イモの上に魚を少しだけ乗せて一緒にかじると、さまざまな味が口の中で渾然一体となる。
もぐもぐと咀嚼していると、徐々にフェイの意識もはっきりとしてきた。
「おじいちゃんとおばあちゃんは、今日はどこか行くの?」
「ああ、お隣さんに誘われててね。買い物とお食事に出かけるよ」
老夫妻はエルツーの祖母と一緒にお出かけするようだ。
「じゃあ夜ご飯いらない。私も外で食べてくる」
「わかったよ。気を付けて行ってきなさい」
朝の身支度を済ませて、フェイは自分が飼っている伝書鳩の様子を確認する。
リズたちからの連絡は、特に入っていなかった。
「ギルドにルーレイラはいるだろうかな……」
まずは調子の悪くなった庭のポンプの話をしに行こうとフェイは思った。
庭では花の手入れをひと段落した養母が、椅子に座ってドングリの皮むきをしていた。
「行ってきまーす」
「フェイ、今日は髪を結ばないの?」
「面倒臭いから、このまま行く」
「遅くならないうちに、帰って来るのよ」
「うーん、わかんない」
そんなやりとりをして、腰まである長い髪を風になびかせながら、フェイは家を出た。
ギルドに着いたフェイは、正門前でクロに出迎えられた。
「やあ、おはよう。今日もご苦労さま」
「あ、フェイさん、おはようっス!」
クロは漆喰らしきものが入った手桶と、コテを持っている。
建物の壁の穴埋め補修でも行っているのだろう。
「ギルドになにか用事っスか?」
「ルーレイラにちょっと話がな。中にいるか?」
「ルーさんは今日はまだ顔を出してないっスね」
「そうか……」
せっかく来たが、空振りであった。
リズに聞けば、ルーレイラが来る予定があるかどうか、わかるかもしれない。
そう考えて、とりあえずフェイはギルドの中に入った。
ギルドロビーの片隅の席に、コシローが座っていた。
テーブルの上には将棋盤が拡げられている。
どうやら一人で詰将棋をやっている最中のようだ。
「相手がいないのか?」
「ほっとけ。気が散るから話しかけるな」
「エルツーは強いぞ」
「知ってる」
どうやらコシローとエルツーはすでに将棋で対局したことがあるらしい。
果たしてどちらが勝ったのだろうか。
と、そんなことを話したいわけではないのだった。
「西にあるエルフの村に、依頼で行ったそうだな? 散々な目に遭ったそうじゃないか」
「ああ。クソッタレな仕事だった」
先日、コシローとウィトコは西の森の中で、熊の魔物と、盗賊の一団を退治した。
かなりの激闘だったらしいと、衛士隊にも概要は報告されている。
戦いの細部や詳細を本人たちの口から、まだきいていないと思い、尋ねた。
「お前の眼鏡にかなうくらいの使い手はいたか?」
「いねえ。数だけやたら多かった。熊が一番手こずったな」
「物足りんのだったら、私が稽古の相手をしてやろうか?」
「要らん」
「そうか。気が向いたらいつでも言え。私から一本でも取れたら、酒をおごってやる」
「うるせえ、どっか行けつってんだろ、このヒマ人が」
そっけなく袖にされて、フェイは引き下がることにした。
去り際、コシローが腰に差している刀をフェイは見る。
よくできている、使いやすそうな、そしてそれ以上に美しい曲線だと思う。
自分の古くなった打撃鞭も、そろそろ新しいものに替えようかな、などと考えた。
「いらっしゃい、フェイさん。あの、あまりコシローさんを挑発しないでください。怖いんですから」
受付カウンターのリズを訪問するなり、出会いがしらに小言を貰った。
「別にそんなつもりはない。世間話をしただけだ」
「フェイさんとコシローさんが話し始めて、他の人たちが一斉に離れたのに気付かなかったんですか?」
確かにそんな雰囲気を感じた。
そこまで危険物扱いされていたのかと改めて自覚して、フェイは少し居心地が悪くなった。
「ところで、ルーレイラは今日来る予定はあるかな」
「どうでしょう。部屋には行ってみました?」
「いや、まだだ。ここにいなかったら行こうと思っていた」
「自分の部屋か、政庁にいるとは思うんですけどね。政庁から依頼されてる研究に、今はかかりっきりですから」
ルーレイラは今、効果の高い肥料の開発を政庁から依頼されている。
研究用の素材は他の者が集めているので、ルーレイラ本人は少なくとも市内から出ていないはずだとリズは伝えた。
「わかった。ところで、そう言えば、その、なんだ」
「はい?」
言いよどんでいるフェイの後ろから、別の者が来た。
フェイの隣人であり妹分、赤茶髪の魔法使い少女、エルツーだった。
「あら、フェイねえ。来てたのね。アキラならいないわよ」
「やあエルツー。いや、別に、そんな、アキラどのの様子を聞きたかったというわけではなくてな?」
「はいはい。そういうことにしておくわ」
「おい、違うんだ。話を聞け」
アキラはこの日、休みを取って出かけている。
どこに出かけていてなにをしているのか、フェイは知らない。
ギルドの関係者でも、ごく限られた者たちにしか知らせていない、少しばかり秘密の作業。
その準備にアキラは取りかかっていたのである。
「そうだ、フェイねえ。ルーレイラに会ったらこれ、渡しておいてくれない?」
エルツーはそう言って、カラの小瓶をフェイに預けた。
「なんだ? なにかの薬の瓶か?」
「ルーレイラに貰った薬なんだけど、もう飲み終わったのよ。瓶は返してくれって言われてたから」
「エルツー、どこか体調でも悪いのか?」
「心配しないで。そう言うんじゃなくて、気休め程度の栄養剤みたいなものだから」
可愛がっている妹分のことなので、どうしても心配性になってしまうフェイであった。
ともあれ、フェイはギルドを後にして、政庁に向かうことにした。
ルーレイラの部屋よりは政庁の方がギルドに近いので、先に行ってみようと思ったのである。
ラウツカ市の行政関係もろもろを取り仕切っている、政庁本部。
正門の守衛に、フェイの後輩であるエルフ族の若手衛士、スーホという青年が立っている。
「これは隊長、お疲れさまです」
「うむ。今日はスーホが守衛か、珍しいな」
スーホは市街地の警邏任務が主な担当であり、政庁施設の門衛に立つことは滅多にない。
「本来の担当の者が長期休暇を取っておりますので、少しばかり衛士の配置が変わっております」
「なるほど。ところでルーレイラを見なかったか? 赤毛エルフの、片目の隠れた」
「ああ、博士どのですね。先ほどまで政庁にいらっしゃってましたが、もうお帰りになられました」
「またか……」
ここでも肩透かしを食らい、フェイは露骨に溜息をついた。
たかが庭のポンプの話ひとつをするのに、どうしてこうも上手く行かないのか。
それは別として。
フェイはスーホに会ったら聞こうとしていたことがあったことを思い出した。
「ところでお前、北門の二番隊の新人女子隊員と付き合っているらしいな?」
「は!? い、いや、その、それは……」
唐突にそんなことを言われて、スーホは激しく動揺した。
「別に責めているわけじゃない。隊員同士の交際を戒める規則なんてないのだから、堂々とすればいいだろう」
「ご、ご理解、ありがとうございます」
「結婚の予定はあるのか?」
「ゆ、ゆくゆくは、と思っておりますが、その、恥ずかしい話、先立つものが……」
スーホも相手の女の子も若い衛士隊員である。
決して高給取りではなく、生活がカツカツなのはフェイも十分に理解している。
「スーホは確か一人暮らしだったな。二人用の貸家を探すつもりがあるならいつでも言え。うちの大家に相談して、いい物件があるか聞いてみてやる」
「た、助かります! すぐにでもお願いできますか?」
「ああ。明日にでも大家に話してみよう。一緒になる話が固まったらなるべく早いうちに知らせろ。隊のみんなからお祝いを用意するからな」
「なにからなにまで、申し訳ありません」
「うむ、頑張れよ」
話の分かる先輩というアピールをたっぷりかまして、フェイはその場を後にした。
フェイも新人時代は苦労した。
それでも周りの協力もあって、今では落ち着いて養父母と一緒に暮らすことができている。
後進たちのために自分ができることは、なるべく協力してやろう。
そう思う気持ちが、日々強くなっているのであった。
少し前までは後輩たちへの過干渉になるのではないかと、遠慮することも多かったフェイ。
しかし、小隊長の職に就いて四年を過ぎた今では、行動や言動が変化してきていることを自覚している。
そんな自分に対して、少し老けたかな、と思う気持ちが、ないわけではない。
フェイはルーレイラの部屋に向かった。
その途中、テイクアウトできる店で昼食を買う。
パンやサラダ、野菜の漬物、揚げた魚、焼き菓子などが詰め込まれたランチバスケットだ。
「おーい、いるかー」
部屋の鍵は開いていた。
ルーレイラの作業部屋は、入ってすぐが玄関兼物置の土間になっている。
研究室や寝床はその奥だ。
ルーレイラは、作業机に座り、薬品の入った杯を持ったまま、眠っていた。
「おい、大丈夫か」
「はっ!? はい、大丈夫だよ! 期日までにはきっと!」
声をかけると、なにやら混乱した状態で目覚めた。
「しっかりしろ。私だ、フェイだ。仕事の依頼主じゃないぞ」
「なんだ、きみか。依頼を出してきた役人どもが、夢の中にまで出てきて早くしろとせっついて来た。最悪の気分だ」
「忙しそうだな」
「まあね。でもいい匂いがするな。お昼を買って来てくれたのかい?」
「私のなのだが……まだ昼を食べてないなら、一緒に食おう」
二人は食事を採りながら、庭のポンプについて話す。
「可動部分に作業油を差したまえよ。それくらいきみでもできるだろう」
「なんの油でもいいのか?」
「細人(ミニマ)の道具屋に相談すれば、適切なものを売ってくれるよ」
「わかった。それで直らなかったら?」
「分解修理になるかなあ……今の仕事が片付くまで、僕は行けそうにないね」
「そのときは他の業者をあたるさ」
食事を終えて、フェイはエルツーから預かっていたものがあったことを思い出した。
「お前に返してくれと頼まれていた薬の瓶だ。いい栄養剤なら活力剤なら、私にも分けてくれ」
「ああ、その薬ねえ。まあ栄養剤なのはそうなのだけれど……」
「なんだ。おかしなものじゃないだろうな。法に触れるようなものなら見過ごせんぞ」
友人知人が相手であっても、ケジメはケジメである。
ルーレイラは髪の毛をボリボリとかきむしりながら、やれやれといったふうに答えた。
「胸を大きくする薬、らしい」
「は?」
想定していなかったことを言われて、フェイは素っ頓狂な声を上げた。
「僕が作ったのではなく、知り合いのエルフが送って来たんだ。主に並人(ノーマ)用で、女性らしい体つきになる効果がある、胸やお尻がふっくらする、とか、なんとか」
「ふむ、そんな薬が……」
わずかだが、フェイも興味を持ってしまった。
「僕は興味がないので飲まなかったのだけれど、エルツーに話したら、欲しいと強くせがまれたのでね。瓶だけは可愛いから、返してもらおうと思ったのだよ」
「なるほど。エルツー、そんなことで悩んでいたのか……」
「成分を調べてみたところ、ほぼただの豆の粉だったのだけれどね。エルツーに言った方がいいかなあ」
「いや、そっとしておけ……」
その後、小休止を終えたルーレイラは研究作業に戻った。
邪魔をしては悪いなと思い、フェイは部屋から出ようとしたが。
「懐かしい匂いだな。火薬か?」
ルーレイラが扱っている素材の中に、硝石と硫黄があるのに気付いて、フェイが何気なく言った。
フェイの地球での生家は、中華の軍人の家系である。
父たちに火薬を用いた兵器がどのようなものか、フェイも実際に見せてもらったことがある。
フェイの口から火薬という言葉を聞いたルーレイラは、目を大きく見開いて驚いていた。
「いや、これは肥料なのだけれど……」
「そうか。それでも硫黄の取り扱いには気を付けろよ。髪が燃えてなくなるぞ」
それほど警戒することもないかと思い、フェイは深く追求せずにその場を去った。
ルーレイラが大いに肝を冷やしていたことを、フェイは知らない。
ポンプのことをルーレイラに話し終えて、フェイは予定がなくなってしまった。
しいて言うなら油を買いに行く用事が残っている。
道具屋はフェイの家から近いので、帰る前でもいいし明日でも特に問題はない。
夕食までの時間が、ぽっかり空いている。
ギルドの面々はまだ勤務時間であり、用もないのに冷やかしに行くのは気が引けた。
「川原で稽古でもするか……」
結局、フェイにとって自分一人でできることと言えば、それが第一であった。
ラウツカ市の東を流れる川原に着いたフェイ。
まずは柔軟体操、準備運動をしてしっかりと体をほぐす。
次に、走る。
ひたすら走る。
川釣りをしている者たちが驚き、ついには不安になるほどの速度で、長い距離を走り続ける。
適度に体が暖まった後、突きや蹴りのフォームを確認する。
打撃鞭での打ち込み、突きや払いを何百回と繰り返す。
「やあ隊長さん。今日も精が出まさあね」
稽古というよりも一流の演武のごときフェイの動きを見て、川を渡している船頭が声をかけた。
背中の曲がった、ドワーフの男性であった。
「こんにちは。天気もいいし涼しいから、絶好の稽古日和だよ」
フェイもにこやかに挨拶を返した。
この船頭は随分と長く、この川を渡す仕事をしている。
川原で一人稽古をすることも多いフェイにとっても、顔なじみであった。
「そういや今日の朝早くに、若い並人の兄さんも、ここでそうやって体を動かしてらしたぜ。隊長さんのお知り合いですかい?」
「ふむ、どうだろう。どんな男だったか覚えているか?」
「背が大きくて、並人にしちゃあいい体つきをしてやしたな。人のよさそうな顔をしてやした。衛士さんの新人かと思ったが、どうやら冒険者さんだそうで」
その話を聞いて、フェイはすぐにそれがアキラであると確信した。
アキラもここで稽古に励んでいたのかと思うと、フェイは不思議と胸の奥が温かくなるのを感じた。
「確かに、それは私の友人だ。彼は他になにか話していたか?」
「へえ、向こう岸の鉄の工房に用があるってんで、あっしが渡し船で連れて行きましたさ」
対岸では、ドワーフたちが集まって作業をしている大規模な鉄工所が稼働している。
アキラが休みの日にその場所へ行くというのは、珍しいなとフェイは思った。
「おっと、そろそろ船の時間だ。お勤めに戻りやす」
「ああ。気を付けて」
船頭は仕事に戻り、いかだ状の渡し船を向こう岸へと運んだ。
そろそろ夕方になる。
今の時期、渡し船は日没で終わり、船頭も家に帰るはずだ。
ここで待っていれば、用事を済ませたアキラに会えるのではないか。
そう思ってフェイは稽古を続けた。
稽古に熱が入りすぎて、フェイはあっと言う間に空腹に襲われた。
昼食の大部分をルーレイラに奪われたせいもある。
渡し船の最後の往復。
夕焼けを背に、一人の並人の男が、向こう岸から渡って来るのが見えた。
「ありがとう、船頭さん。これ、少ないけど取っておいて」
「こりゃあすまんこって。またごひいきにしておくれや」
アキラはそう和やかに船頭に別れを告げ。
フェイに気付かず、その場から立ち去ろうとした。
「無視するな!」
フェイの走り飛び膝蹴り――もちろん全力ではない――が、アキラにヒット。
「ぐわっ! あ、あれ? フェイさん!?」
「傷つくじゃないか。待っていたんだぞ」
「あ、ああ、髪をおろしてるから、わからなかったのか、あと、ごめん、フェイさんの話してる言葉は、まったく俺にはわからないんだけど……」
リズとアキラであれば、なんとかアキラは英語を聞き取りながら会話することはできる。
しかしフェイの話す中華の言語は、アキラにとって全く未知のものだ。
通訳になる者が介在していない今、二人の意思疎通には大きな障害があった。
もっとも、フェイはそのこと自体を特に問題視してはいない。
「気にするな。私のほうでは、アキラどのの話していることはわかる」
「でも、ストレートヘアも似合ってるねえ。髪の長い綺麗なお姉さん、いいよね……」
二人の間に、脈絡のある会話は成立していない。
しかし真っ直ぐに髪型を褒められて、フェイは返す言葉に詰まった。
顔も熱く赤くなってしまったが、夕暮れなのでアキラにはわからない。
「あ、アキラどのの方が、年上だろう。なぜお姉さん扱いされなければならんのだ」
もちろんのこと、そのクレームもアキラには伝わらないのだが。
「ところでフェイさん、夜ご飯はどうするの? 俺は戻る途中でどっか食べに行こうと思ってたんだけど」
「さっきからずっと空腹で倒れそうだ! 早く行くぞ!」
言葉が通じなくとも、その叫びが意味していることは、アキラに正しく伝わった。
街中へ移動し、適当な飯屋に入る。
二人は卓を挟んで飲み、食べ、そして話す。
「鉄の工房で、なにか工作でもしていたのか?」
「今日は一日中、天気がよくて過ごしやすかったよね」
会話はちぐはぐで、半分以上は噛み合っていない。
フェイの言いたいことは、半分もアキラに伝わらない。
聞かれたことの意味内容を正しく理解して、適切な答えを返すことが、アキラにはできない。
「フェイさん、このなんかわかんない動物の内臓煮込み、めちゃくちゃ美味いんだけど」
「私が頼んだ、なんだかわからない魚の練り物が入った汁、これもなかなかだぞ」
それでも、通じ合える、分かり合えるものがたくさんある。
二人は笑顔でそれを確かめ合う。
酒も進み、箸も進み、夜が更ける。
二人とも、すっかりご機嫌の有様にまで酔っ払っている。
「アキラどの!」
「なに?」
「なんでもない!」
「なんだろう?」
「なんでもないんだ!」
「わかんないな……お酒のおかわり?」
「アキラどののバカ!」
「あ、褒めてくれてる?」
アキラの都合のいい受け止め方に、フェイの腹筋が崩壊した。
ちぐはぐでも、伝わらなくても、通じなくても。
二人の間にある笑顔は本物で、疑う余地はなかった。
翌朝、フェイはひどい二日酔いに見舞われていた。
それ以上に、酔って醜態をさらした後悔に襲われ、昼まで布団から出なかった。
「でも、楽しかったな……」
乙女のような顔をして、布団の中でそんなことを思っていたら。
「あらあ、井戸の汲み上げ機が、とうとう動かなくなりましたよおじいさん」
「それは困ったねえ、おばあさん」
養父母のそんな会話が、中庭から聞こえて来たのであった。
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