60 本祭り四日目の未明から、夕方にかけて
下水道の内部を探索し、敵を追うことほぼ丸一日。
「見つけたぜ。ずいぶん疲れさせてくれたな」
「ギ、ギギギ……」
コシローが、魔物の姿をその目にやっと捉えた。
その顔は木製の仮面で覆われており、手には小さな手斧が握られている。
背格好はコシローと大差ないほどで、立ち姿からも人間であるよう見えた。
しかし敵が放つ異常な気配から、コシローは目の前の相手が人間ではなく、鬼や物の怪の類なのだろうと確信した。
日本にいた頃、話に聞いたことがあるだけで、鬼や妖怪など一度も見たこともないのに。
目の前の相手が一目でそれとわかるのは、我ながら不思議なものだと、コシローは少し面白く思った。
「ジャマ、スルナ……! オマエ、チガウ!!」
コシローは魔物についてほぼ何も知らない。
しかし、相手にも知性や自我があるのだろうということは、言葉を発していることから推察できた。
「やっぱり誰彼かまわず襲ってるわけじゃないんだな」
もっとも、コシローとしては相手と会話することに、特に重きを置いていないのだが。
「どのみちもう終わりだ。このヘボ刀の試し斬りに付き合ってもらうぞ」
サーベルを手に、コシローが駆けて敵に挑みかかる。
初撃、上段からの斬り降ろしは仮面の魔物に躱された。
しかし、コシローとしてもそれは想定内である。
ただの様子見、ポジションの調整作業なのだ。
この下水道から相手が逃げるのを防ぐため、出入り口へ至る梯子から敵を遠ざけることにコシローは成功していた。
「カンケイ、ナイノニ! ドウシテ、ジャマスル!」
うめくような叫びを魔物が上げる。
確かにコシローは街の衛士でもなければ、被害者たちの知り合いでもない。
コシローもなんとなくは理解していた。
この仮面で顔を隠した化物は、なんらかの恨みを晴らすために、街の住民を殺しているのだろうと。
しかし、魔物の問いに対するコシローの答えは、明確であり、冷徹な物だった。
「悪いな。俺の勘は、お前を斬らなきゃダメだと告げてるんだよ」
理屈もへったくれもあったものではないのに、コシローの中でそれは決定事項だったのだ。
会話に見切りをつけたコシローが、さらに攻撃を仕掛ける。
剣を振る、しかし今度も躱されてしまう。
このサーベルで動く標的に斬りかかるのがはじめてであるために、間合いを見誤ったのだ。
もちろん視界の悪いことも影響しているが、それ以上に相手の聴覚が優れているようだ。
「喝ーーーーッつ!!!!」
突如、コシローは雄たけびをあげた。
その残響が消えないうちに、再び敵に対して切りかかる。
耳が良すぎる相手なら叫んでやれと言う、単純な戦術。
バカにしたものではなく、わずかながらに効果はあった。
「ギィ!」
敵の肩口にコシローの振るう刃がヒットした。
相手は手に持った斧をぶんぶん振り回してコシローを遠ざけようとする。
コシローは難なくそれを避けて、脛に斬撃を食らわせる。
手ごたえはあるが、浅かった。
「クッソ、見た目通りのナマクラかよ」
舌打ちしながら、コシローはさらに面を打つ。
相手が防御に出した斧の柄と、固い木の仮面にその斬撃は防がれる。
それだけで、コシローのサーベルは刃こぼれを起こしてしまった。
見た目だけが派手な粗悪品の刀を掴まされたのだろう。
そうコシローは思い、心の中でこの刀を自分に渡したドワーフの職工に悪態をついた。
「手間はかけてられねえんだがな……」
じきに、彼らが戦場としているこの下水道内部を、大量の濁流が襲う。
コシローは下水道と地上をつなぐ出入り口を、常に視界にとらえながら戦っている。
流水が自分を飲みこむ前に地上に出る自信は十分にあるが、敵を仕留めた手ごたえがないまま、下水道から脱出するのは面白くない。
じりじりと間合いを詰め、仮面の魔物を壁際まで追いやる。
そのとき、うめくように、本当に苦しそうに、魔物が唸った。
「ド、ドウシテ……」
「あん?」
逃げ道をふさがれた魔物は、もうコシローに向かっていくしかなかった。
「ドウシテ、ボクバッカリ、コンナメニ!!」
両者の体が交差する。
斧を振りかぶって襲い掛かってきた魔物の腕を、コシローが刃を走らせ、斬り飛ばした。
「知らん。お互いさまだ」
時間切れだな。
そうコシローは予感して、梯子を上り下水道から脱出しようとした。
しかし魔物はまだ攻撃の意志を止めずに、コシローを追う。
コシローは相手の膝の皿を蹴り割って、その喉元をサーベルで、突いた。
「ギィ、ギャゥゥ……」
そして、いつもしているように「突き刺した刀を、抉るように捻りながら」相手の首から引き抜こうとして。
バキン。
「折れやがった……」
サーベルが魔物の首に刺さったまま、折れた。
魔物はうつ伏せに力なく倒れ、動かなくなった。
轟音と共に、瀑布が下水道の中を襲ったのは、そのすぐ後だった。
その日の夕方。
「今回は助かった。礼を言うよ、ルーレイラ」
下水道の最下流である排水口から、人種の姿をした魔物の骸が発見された。
分類的に「怨鬼」という類のモノか、それとも「魔人」と呼ばれる種なのか、それは政庁でこれから調べるという。
そのことを、下水道管理施設で待っていたルーレイラに、フェイが伝えた。
「で、あのカタナ男は? 死んだの?」
「いや、風呂屋に行くと言って消えたよ。まだ取調べが色々と残っているんだがな」
魔物の首に刺さっていた刀剣と、コシローが持っていたサーベルの折れた部分が一致した。
そのことから、コシローがトドメを刺した後に、下水道内で濁流に流されたということが証明された。
市内を騒がせた魔物を倒した者には政庁からの報奨金が出る。
なにより、衛士たちはコシローから魔物の情報も聞かなければならない。
自分勝手にふらふら動いているコシローに、フェイは気疲れの溜息を漏らすのだった。
そしてフェイを憂鬱にさせたことが、もう一つ。
「……震えながら、衛士の詰所に駈け込んで来た並人の男がいたよ。助けてくれ、助けてくれ、と叫んでな」
「やっぱりかあ。当たって欲しくない予想ほど当たってしまうね」
魔物に襲われ溺れ死んだ者たちは、過去に「誰かの命を奪った」者たちではないかというルーレイラの推理。
そのときに奪われ失われたと思っていた命が、今こうして魔物になって復讐を果たしているのだと。
「ああ。自分も、魔物に襲われて溺れ死ぬかもしれない。そう言って」
「それが十七年前に、同じ学舎の子を殺したか、事故で死なせたかした犯人の一人、ってことだね」
「そのようだ。目の悪かった子を、からかっていたぶる形で、崖から海に落としたらしい」
むごすぎる話に、ルーレイラは力なく首を振った。
「どうしてそんなことができるんだろうねえ……」
「落ちても簡単に助けられると、思っていたそうだよ。しかし海に落ちた子の姿は見つからなかった。潮の満ち引きや海流の加減なのか。それとも最初から、探して助ける気がなかったのか……」
今になっては、わかるはずもないことであった。
「その事件をわざわざ調べ直したり、ほじくり返したりは」
「しないと思うぞ。当時の資料が事故で完結しているし、仮に事件だとしてもそのときの加害者たちは子供だ。この国の法では裁けないしな」
やはりそうなるか、と合点してルーレイラは力なく笑った。
「なにより加害者の大半も死んじゃってるからね……」
「ま、どうするか決めるのは、上の連中の判断だ。今の私にはわからん」
乾いた無表情で、フェイが言った。
達観しているのか自嘲しているのか、こういうときのフェイの感情は読みにくい。
しかし、役人の先輩としてルーレイラはこう言うのだった。
「いつかフェイも出世して偉くなったとき、そう言う面倒臭いことを考えて、判断して、決めなきゃならなくなるんだよ」
「む……」
「みんな忘れたような昔の出来事をひっくり返してさ。同じ街に住んでる誰かを疑って、裁くべきか、見て見ないふりをするのか」
「気の滅入る話はやめてくれ。私はそう言うのには向いていない」
悪いやつを追いかけて、迎え撃って、叩きのめして、縄をかけて、牢にぶち込んで。
みんなが笑って暮らせる街を守り続けて。
長く衛士を続けてきたフェイだが、初心や行動規範はそんな、シンプルなものなのだ。
ルーレイラはそんなフェイを好ましく思っている。
それでも年上として、人生の先輩として、この日は珍しく説教めいたことを言うのだった。
「向いてなくても、今の仕事を長く続けていたら、自分で決めなきゃらないときが、いつか、きっと来るよ」
「やれやれ。そういうものなのか、やはり」
「役人なんて、そんなもんだよ。どっちを選んでも正解に思えないことを、それでも選んで、責任を取らなきゃいけないときが来るんだ。僕は詳しいんだ」
フェイにとってもルーレイラにとっても、今回は気疲れの多い、後味の悪い事件だった。
魔物に狙われ、殺されてしまったものの家族たちが真相を知ったときに、どれほど心の傷を抱えるだろうか。
また、狙われながらも生き残った者は、どのように過去の自分が犯した罪と向き合うのだろうか。
フェイとルーレイラはそのことを想像し、深く長い、疲れた溜息を吐くしかなかった。
それでも、祭りの最終日を残して事件を解決に導けた。
休日を返上して働き詰めだったフェイも、明日ばかりは休もうと固く心に誓った。
他の衛士隊員たちも働き詰めだったことには違いないので、丸一日は休めないかもしれないが。
「最終日は、アキラどのたちが店を出すんだったな」
「うん。ウィトコの手伝いでね。僕は手伝わないのだけれど、そこでダラダラと飲み食いする予定だよ」
明日はラウツカの秋祭り、最終日。
楽しむときはしっかり楽しまないといけない。
心にわだかまるものを無理矢理追い出して、フェイはそう気持ちを切り替えるのだった。
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