59 本祭り三日目の夕方から、深夜にかけて

 ラウツカ市ほぼ中心部にある政庁。

 そこには街を守る衛士隊の、本部施設も併設されている。

 その衛士隊の中で、市内で発生している連続溺死について、捜査や警戒活動の陣頭指揮を執っているのは市中警邏衛士の特設チームだ。


 フェイは彼らが詰めている本部の一室に足を運んだ。

 ルーレイラが下水道を使ってやろうとしていることを説明するためだ。


「下水道出入り口の見張りということであれば、了解しました。そのくらいの人数なら、すぐにでも出せるでしょう」


 歳は若いが将来を嘱望されている、スーホというエルフ衛士もその特設チームに加わっている。

 フェイとは仕事の付き合いも長くツーカーなので、話はすんなり通った。


「うむ、頼んだぞ。それと並行して調べたいこともあるんだがな」

「被害者たちに関係しそうな者、ということであれば、気になる情報はいくつか、出てきましたよ」


 スーホたち衛士も遊んでいるわけではない。

 入念な聞き込みや現場検証、過去の資料の洗い出しの中で、重要と思われる新情報をいくつか、すでにピックアップしていた。


「当ててやろうか。被害者たちが幼少の頃、同じ学舎の仲間で事故かなにかで死んだ子がいるんだろう」

「その通りです。よくわかりましたね、隊長」

「クソッ、ルーレイラの予想通りだな……当たって欲しくなかった」


 ルーレイラは、事件のいきさつを次のように予想していた。


 被害者たちが子供の頃、一緒に学舎で遊び、学ぶなかで、イジメかなにかで命を奪われた者がいたのではないか。

 連続溺死の被害者たちは、そのイジメの加害者であるのだろうと。


「事故が起きたのは今から十七年前の、秋祭りの時期ですね。当時は入り江で子供が足を滑らせた、事故として処理されています」

「子供が遊んで溺れたということ自体は珍しくないからな。事件ではないと当時の捜査では思われるのも無理はないか。家族は今どうしているかわかるか?」

「子を亡くしてすぐに、ラウツカから引っ越して、出て行っています。今年の祭りに来ているという情報もないので、犯人ではないと思っているのですが」

「遺族ではなく、本人だ」

「は?」


 フェイの言葉に、スーホは素っ頓狂な声を上げる。 


「おそらくは事故ではなくイジメ受けて死んでしまったのであろう本人が、魔物に成り果てて恨みを晴らしているんだ」

「そんな馬鹿な」

「馬鹿とはなんだ、貴様」


 後輩の失言にフェイ隊長、軽くご立腹。


「も、申し訳ありません。しかし、十七年も前に死んだ者が、明確に因縁のある相手だけを狙って、今になって魔物に変わり果て行動しているなど……」

「私もそこは疑問だ。そんなことがありえるのか、とな。そうでないことを願う気持ちの方が強いよ」


 もしそんなことがあるのなら、魔物の発生条件や能力が、いよいよわからなくなる。

 それは治安維持にあたる衛士にとって、極めて大きな問題になりうる。

 魔物は知能が低く単純な行動しかしないというのが、防衛構想の基本にあるからだ。

 こそこそ隠れる知恵を持った魔物が大量に発生したら、盗賊などよりもよほどタチが悪いのだから。


「下水道に水を流して、なにかハッキリとしたことがわかってくれればいいのだがな……」


 一刻も早い事態の収束を想い、フェイはそう呟くのだったが。

 そのときふと、気にかかったことがあった。


「十七年前の、ラウツカの学舎……?」


 異世界リードガルドに転移してきたフェイを保護し養育してきた、フェイにとっては親とも言える老夫妻。

 その二人は、過去にラウツカの街で教職の任に就いていたことがあるのだ。

 夫妻の勤め先はラウツカ市内の別の学舎であり、問題となっている学舎で養父母が働いていたことは、確かなかったはず。

 しかし念のために話を聞いておこうと思い、フェイは一度、家に戻ることにした。



「入り江で溺れた子供ねえ。どうだったかしら、おじいさん?」


 フェイの自宅。

 話を向けられたフェイの養母に当たる女性は、すんなり思い出せないようで首をひねって、夫に聞いた。


「北東の学舎の子だったか。それならなんとなく覚えているよ。ワシらが仕事を引退する前の年じゃないかな」

「ああ、そうそう思い出しましたよ。確か、目がよくない子だったはずですねえ。見えないとか、見えにくいとか」

「それが原因で周りの子たちから、しょっちゅうからかわれているという話じゃなかったかな」

「ふびんなことですねえ」


 老夫妻は当時の様子を思い出し、フェイに話して聞かせた。

 入り江で足を滑らせて海の中に落ち、溺れて死んだこと言うのは衛士の調査と同じだった。

 その子は目に疾病を持っていて、同じ学舎の子供たちとの関係も上手く行っていなかったというのは、新しい情報だった。

 

「おじいちゃんたちが働いていたときも、そういう子供たち同士の嫌がらせとかは結構あった?」


 フェイの質問に、苦笑いして夫と妻が答える。


「それは、子供のすることだからな。どうしてもそう言うのはある。見かけるたびにできる限り注意はしていたが」

「大人がどこまで子供たち同士の付き合いに口を挟んでいいのか、昔から難しい問題でしたねえ」


 いつの時代、どの世界でも子供は無邪気であるぶん、残酷である。

 フェイも自分がこの世界、リードガルドに飛ばされてきた少女時代を少し懐かしく思った。


「私も近所の男の子たちに、ずいぶんちょっかいかけられたしな。よそ者だとか、拾われ子だとか」


 それはフェイにとって真実であるが、それを理由にからかわれるのは、やはり不愉快なものであった。


「フェイなんか、自分をからかってくる男の子たちを、自分で打ちのめしちゃうから、やり過ぎないかばかり私もおじいさんも心配してましたよ」

「まったくだ。若いときのように職場の上官と喧嘩なんかしてないだろうな?」

「あ、仕事がまだ忙しいし、もう行くから……」


 なにやら自分が長々と説教される気配を感じ取り、フェイは逃げるように家を出た。

 鬼の北門衛一番隊隊長さまにも、このように弱点はあるのだ。


「後輩たちにあまり厳しく当たるんじゃないぞ」

「怪我をしないように、気を付けるのよ」


 そう声をかけて、養父母は仕事に戻るフェイを見送った。



 すっかり日は沈んだ。

 しかしラウツカの街、中央大通りは祭りの露店が出続けており、光も人出もまだまだ多かった。

 

 その真下に位置する下水道の内部では、相変わらずコシローが執拗に敵を追い回していたのだが。


「やっこさん、俺に気付いてやがるな……?」


 敵の気配を感じ取ってコシローが距離を詰めても、一向に出くわさない。

 相手はコシローに追われていることを自覚していて、なるべく遭遇しないように、逃げ回り続けているのだ。


 コシローは幾多の戦場を潜り抜けた経験から、身を隠し自分の気配を殺すこと、同時に隠れている敵の気配を感じ取ること得意中の得意としている。

 だから視界の悪い暗い下水道の中でも、相手の位置を把握し追いかけることができている。


 しかし微妙に濡れて湿った下水道内を歩いている以上、ほんのわずかだが足音や衣服の擦れる音は発生する。

 敵はそのわずかな音を頼りにコシローとの位置関係を把握しできるほど、優れた聴覚を持っているということである。


「ずいぶん耳のいい奴ってことか。こりゃあ、かくれんぼしてても、ラチが明かねえな」 

 

 コシローは気配を殺して相手に忍び寄ることを諦め、方針を完全に転換した。

 敵が自分に気付いて逃げているのなら、足を速めて追い付くしかないと思ったのだ。

 追いかけ続けてプレッシャーをかけ続けることで、敵の動きに何らかの乱れを生み出せたなら御の字である。


「その前にこっちが倒れるか。会津にいた頃を思い出しちまうな」


 コシローは軽い携行食以外のものを口にしていない。

 荷物を増やして自分の物音が下水道内に響くのを嫌ったから、水筒のようなものも用意していない。

 暑くも寒くもない秋の季節だからいいものの、夏であればとっくに限界を迎えていただろう。


 コシローが幕府軍の兵士として参加していた会津方面での戦いは、暑い、真夏の盛りの出来事だった。

 そのことを思い出すと、今はずいぶん過ごしやすい時期であり、まだまだ余裕を持てる。


 コシローが足音を立てて、駆け出す。

 ぎらついた殺意を隠すことなく、暗い穴の中をひた走る。

 そのコシローの行動に、明らかに敵が動揺したことが、気配からもわかった。


「ほおら、逃げろ逃げろ。追いつかれると食われるぞ」


 狂気の笑みを浮かべた転移者、並人(ノーマ)の侍が、魔物を狩るべく追い立てる。

 どれだけの間そうしていただろうか。


 外はすっかり真夜中になり、


 しかし間の悪いことに、コシローの追跡行を阻害する者が突然、その場に現れてしまった。

 コシローの視界の先に、ランプか提灯かを下げた人物が二人、姿を見せたのだ。


「う、うわっ! なにをしている、お前!」

「ま、魔物!?」


 彼らが驚いて声を上げた。

 一人はフェイと同じく衛士隊の制服を着ている、並人の男性だった。

 いたずらをする子供や、バカな酔っ払いが下水道に入っていないかを見回っていた最中なのだ。


 もう一人の男性は、サーベルを持ったコシローを見てすっかり萎縮してしまっている。

 彼は道案内役の下水道作業員であった。


「邪魔だ! せっかくここまで追い詰めたのに無駄になっちまうだろうが!」

「な、なに……? お前はなにを追っているというんだ? や、やはり本当に、この中に魔物が潜んでいるのか?」


 魔物への対処として下水道を封鎖することの意味を、この衛士はまだ半信半疑だったのだ。

 上からの指示なので、仕方なく見回りをしていただけに過ぎない。


「わからんならすっこんでろ! 他の誰も中に入れるんじゃねえぞ!」

「お、おい待て! 明日の昼には、ここに大量の水が流れるんだ! お前も出るんだ!」


 それを聞いて、コシローはぴたりと脚を止める。


「鉄砲水で押し流すってことか? まるで韓信の水計だな。それなら明日の昼なんて言わず、今すぐにやるように偉い奴らに言いに行け」

「な、なんだと?」

「お前らが騒いだせいで、やっこさんがこの穴ぐらから逃げ出すかもしれん。明日の昼なんて悠長なことを言ってたら、死体がまた増えるぞ」

「し、しかし……」


 言われた衛士は迷っていたが。


「シャンフェイとか言う、シナ人の小娘先生がいるだろう。コシローがそう言っていたと伝えればわかる」

「北門のウォン隊長と知り合いなのか……? ウォン隊長に、そう言えばわかるんだな?」

「ああ。だからさっさと行け。これ以上、俺の邪魔をするな。お前も斬っちまうぞ。ここなら誰も見てないからな」

「ひっ」


 コシローは軽い冗談のつもりで言ったが、衛士と作業員の二人は本気で恐怖してしまい、脱兎のごとく下水道から出て行った。

 一人残ったコシローは、かすかに残る敵の気配を捕えて、追跡を再開する。

 

 そのうち、この下水道内部を濁流が襲ってくる。

 しかし衛士が大声で話してしまったせいで、敵がその前に逃げる可能性がある。

 なんとか敵を補足して、その動きを止めなければいけない。

 これからの追いかけっこには、わずかの余裕もないことをコシローの勘は告げていた。


 なにより、相手は釣り人を海の中から襲って溺死させようとしたことを、コシローはその目で見て知っている。

 魔物に詳しくないコシローだが、相手をタチの悪い河童のようなものだと考えているので、鉄砲水だけでは斃すのに足りないと考えているのだ。


 自分の手で斬って殺したいから、そう言う考え方になるということをコシロー自身も自覚しているのだが。


「時間に追われる仕事が多くて、嫌になるな」


 ドワーフの村で盗賊を切った時のことを思い出し、そう愚痴をこぼすコシロー。

 しかしその顔には、まだ見ぬ敵との決戦が近いことを確信した高揚と微笑が浮かんでいた。



 その後、地上にある下水道管理施設の中。

 フェイとルーレイラが、難しい顔をして腕を組んでいた。


 傍らには、先ほどコシローに出会った衛士と、下水道作業員もいる。

 その四人で、卓上に広げられた下水道の地図を囲むように立っている。


「嫌な予感はしていたが、やはりあの男、勝手に動き回っていたか」


 溜息をついて、フェイが呟く。


「フェイ、ちゃんと狂犬には首輪と鎖をかけておくなり、檻に閉じ込めるなりしておいてくれたまえよ……街を守る衛士さまの仕事だろう」

「私に言うな。そもそもあいつはギルドに登録した冒険者だろう。あなたたちの監督不行き届きだ」

「あいにくギルドはお祭り期間中、営業をお休みしているからね……」 


 コシローの無軌道な動きに対して責任を擦り付け合う二人であった。


 しかしそんなことを言っていても事態は進展しない。

 ルーレイラは地図を前に、作業員に質問した。


「カタナ男に会ったのはどのあたりだい?」

「へえ、中央南東の作業入口からずいぶん歩いたところだから、このあたりですね……」


 地図上の一点を指して作業員が説明する。

 コシローと敵が今どのように動いているかの詳細はわからないが、この短時間で長い距離を移動したとは考えにくい。


 ルーレイラは、地図上の「敵とコシローが追いかけっこをしているであろう場所」に印をつけていく。


「ここに向かうように堰を開け閉めして水を押し流して、最下流の排水口で待ち構えればいいってことか」


 敵のおおよその位置が把握できたことから、どの水門を操作するべきかがはっきりわかったことは、ルーレイラにとって助けになった。

 地図を見ながら、フェイもルーレイラに助言する。


「コシローに会った二人が戻ってきた出入り口の付近、このあたりも候補から除外していいだろう。ここに奴らはいないよ」

「どうしてそう思うんだい?」

「追跡を続けている間に同じ場所を堂々巡りするということは、おそらくあいつはしない。下水道の下流へ、下流へと相手を追いつめる形で動くはずだ」


 フェイは盗賊と魔人を討伐する際に、一度コシローに「試された」ことがある。

 喫緊の状況で、死線を目の前にしたときに、どのように合理的に将兵は動くべきかという問題を出された。


 そのとき、コシローに落第の判定を受けたことを、フェイは決して忘れていない。


「狙いが絞れたのは、僕としてはもちろん嬉しいのだけれど。さあここで水をドカンと大放出してしまって、あのカタナ男はどうするつもりなんだろうね?」


 流すべき水量、動かすべき水門を確認し計算しながら、ルーレイラが言った。 


「生きて戻れる自信や算段があるから、早く水を流せと言ったんだろう。ルーレイラが気にすることではない。さっさと流してしまえ」

「ひどいことになっても、僕は知らないからね。責任は衛士隊の方で取ってくれたまえよ……」


 ルーレイラは心配しながら下水道作業員たちに水門の開閉を指示する。


「敵の居所がわかりそうな今となっては、私が行って魔物を倒したいんだがな……」


 フェイは心の中でそう漏らしたが、隊の指揮や他の衛士との連絡業務もあるからそうそう勝手はできない。

 立場や背負う物がなく、自由奔放に動いているコシローと自分の身を比べると、複雑な気分になるのだった。


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