55 本祭り初日の夜から、二日目

 ラウツカ市の秋祭り、本開始日が終わろうとしている、その夜。

 北門衛士、東の詰所は愁嘆場であった。


「ちょっと、ちょっとの間、息子は手を洗いに川岸に行っただけなんだ、それなのに、息子が、ああ~、俺の息子がぁ……」


 衛士の手によって、丁重に川原から詰所へ運ばれた、青年の死体。

 まだ若く、体つきも丈夫そうな男性が、波の穏やかな川で溺れ死んだ。

 青年の父と名乗る男性が、哀しみの涙を、ずっと流し続けている。


「これで、五人目だぞ……」


 北門衛士、一番隊隊長のフェイが見せる顔は、苦虫を噛んだあとのようだった。


 秋になり、ここと同じ川の城壁より南側、ラウツカ市域内で一人が溺れ。

 立て続けに川を挟んで向こう岸、ドワーフの工房が位置する郊外エリアで二人が溺れ。

 その後また市内で一人溺れ。

 今回は、市域に近い北城壁のすぐそばで一人が溺れた。


 同じ川で、若者が五人も溺れ死んだ。

 被害者全員、世代が近い、健康な若者だ。

 過失で溺れ死んだ、そんな偶然の事故が重なったとはどうしても考えにくい。


「最初の一人が溺れた頃から、市内河川周辺の見回りも強化しております。あり得ませんよこれは」


 北城壁、東の一の門詰所には、市内で警邏活動を行っているスーホと言う衛士もいた。

 フェイの後輩であり、涼しい顔をしたエルフの美青年である。

 市内の衛士と城壁城門の衛士は、特に警戒を強めていた最中なのだ。

 お互いに連絡を取り合いながら、祭りの治安活動、及び連続して発生している溺死事故の対応へと。


「あり得ないと言ったって、現にこうして死んでいるんだ。しかも、私たちがいる詰所の、目と鼻の先でだぞ……」


 明らかにイライラしているフェイを見て、スーホが緊張した表情を浮かべる。

 後輩や部下に当たり散らすタイプではないが、フェイの機嫌が悪いというのは周囲の者にとって大きな脅威なのだ。


 亡くなった若者は、郊外にある果樹園の主の、息子である。

 悲しみと混乱に暮れる父親を、衛士たちがなんとかなだめて、話を聞いた。



 父と子はその日、二人で同じ馬の背に乗って市内の祭りに訪れている途中だった。


 街に入る前に、息子は顔と手を洗いたいと言ったので、馬を停めて川岸に向かった。


 ほんの少し、そのほんの少しの間、馬を見ていた父は、息子が溺れる瞬間を見ることができなかった。



「戻って来ないと思って、おかしいと思って、川岸を探したんだ。数十歩も行くか行かないか、その程度の下流に行ったところに、息子が寝そべっていたんだ……」

「どうか、お気を確かに。心中お察しします」


 果樹園の主を落ち着かせるため、詰所で休んでもらうことにしたフェイ。

 彼女は情報を整理してスーホと話し合う。


「事故か? 事件か? どちらにも取れるな」

「はい。自分は事故ではないと思っておりますが……情報が少なすぎるので、なんとも」

「死体は損壊されていない。魔物の瘴気の匂いもなかったのだろう?」

「水辺は瘴気の匂いがそもそもわかりにくいものですが……自分は、なかったものと思います」


 スーホも苦く渋い顔をしている。

 わからないことが多すぎるのだ。


 事件だとするならば、この場合もっとも怪しいのは果樹園の主、被害者の父親である。

 第一発見者や、被害者の身内を真っ先に疑ってしまうのはフェイたち衛士にとって、哀しい職業病のようなものだった。


 しかし他の一連の被害もあり、果樹園の主とはおよそ繋がりのなさそうな人物も死んでいる。

 またフェイの勘は、果樹園の主であり被害者の父親である男性の悲しみと涙は、嘘や演技ではないと告げていた。 


「どの件も、ハッキリとした目撃者がいないという話だったな……」


 フェイはため息をついて天を仰いだ。

 まずは、現場を徹底的に洗うしかない。

 そしてそれは、言うまでもなく現在もしっかり行っていることだった。


「共通点は被害者の年代だけ。全くの同い年と言うわけではなく、二、三歳の開きはあるようですが」


 他にも現在わかっている限りの様々な情報をスーホもまとめ、フェイと確認し合う。

 

 被害者の内訳は並人が三人、ハーフエルフが一人、ハーフドワーフが一人。


「その情報が意味のある共通点かどうかも疑わしいぞ。まずは現場から確かな手掛かりが出ないことには」

「はい。新しい情報がわかり次第、すぐにでもご連絡いたします」


 そう言って、いったんスーホは市中衛士の本部に戻って行った。


「なんだって、こんなめでたい祭りの最中に……」


 本当ならば、皆で祝い、楽しみ、笑顔で酒を飲み、生きる喜びを神と分かち合う日のはずである。

 明日からフェイも非番、休みのはずだった。

 しかしこうおかしな事件事故が起こっている最中では、小隊長として休んで遊んでいるわけにもいかない。


「待てよ。アキラどのも、ほぼ同じ年頃か……あのコシローとかいう奴も」


 被害者たちとアキラたちに繋がりや関係があるとはフェイも考えていない。

 しかし、一言注意を促すくらいはしておこうと思った。

 市中を見回っていれば、祭りの期間中にいつか会うだろう。



 翌日、本祭りの二日目。


 アキラ、クロ、エルツー、そしてドラックの四人が固まって行動していた。

 飲食物を買い歩きながら、中央大通りに設置された舞台の催し物を見物する。

 舞台の上では一人の踊り子が、楽団の鳴らす音楽に乗せて踊りを披露していた。


「あの子、色っぽいっスね! どっかの店に出てるんスかねえ? 見たことないなあ……」


 犬系獣人の女性が、ぴょんぴょんリズミカルに跳ねて舞う光景を見て、クロ、ご満悦。

 薄衣に包まれた柔らかく大きめの胸が、ぷるんぷるんと弾む様子が魅惑的である。


「クロちゃんって欲望に素直だから好き。男子たる者こうでなきゃって感じがするわ」

「単純バカがこれ以上増えても困るのよね、あたし的には」


 そんなクロに感心するアキラを、エルツーが冷めた目で見ていた。


「まァそう言うなァ、せっかくの祭りなんだからよゥ。それより、小遣いやるからよォ、酒もう一杯、買って来てくんねえかァ」


 ドラックは先輩で年上の威厳を見せたいのか、アキラとエルツーにお金を渡して使いっ走りに行かせる。


「ってこれ、お酒買ったら、ほとんどお釣りなんて残らないじゃない……」

「よくあるパターンだな。先輩ってそんなもんだ」


 二人は追加の飲み物や食べ物を買い込み、ついでだからと並んでいる出店も少し覗いて行く。


 ドワーフが出している、金属小物の店がある。

 小物類の他にも、いくつか武器になりそうないかつい品物が目に入った。


「あたしもさあ」

「ん、なに?」


 エルツーは今まで自身が冒険に使っていたナイフより、一回り大い小刀を見ながら、言った。


「もうちょっと、武術とか身につけた方がいいかなって、思ったのよね。冒険者やってるんだし」


 エルツーにとって、前回の仕事の失敗は精神的にかなり、こたえる出来事だった。

 なにせ依頼者を二人も死なせ、金品を盗賊に奪われたのだ。


 物質的な被害は、その後に盗賊団を壊滅、捕縛したことでいくらか取り戻すことはできていた。

 しかし失われた命は、もう永遠に戻らない。


 依頼主の商人も、その護衛役だったハーフエルフの青年も、人当たりの良い好人物だった。

 彼らの笑顔が、エルツーはいまだに夢に出るのだ。 


 気晴らしも必要だと周りに言われたから、今日は祭りの場にも来ている。

 しかしそう言われなかったら、ずっと家に引きこもっていたかもしれないほどだ。


「得意分野はそれぞれ違うからな。でもエルツーが武術習いたいって言うなら、俺は嬉しいけど」

「そうよね、その方が絶対、仕事の役に立つものね」


 顔を引き締めてそう言ったエルツーに、笑ってアキラは答えた。


「いや、一緒にフェイさんに習ったら、きっと楽しいって意味で言ったんだけど、俺」

「な、なによそれ。アンタの楽しみのためにやるわけじゃないわよ」

「ははは、ごもっとも……」


 頭をポリポリとかくアキラにエルツーは。


「ホントにわかってんのかしら」


 と、聞こえない声の大きさでつぶやいた。 



「オゥ、遅かったじゃねえかよォ。喉が”カラカラ”だぜェ!?」

「フェイさんが来てるっスよ」


 ドラックとクロが待っている場に戻ったアキラたち。

 衛士の制服姿のフェイが、その場に加わっていた。

 今日は非番だと聞いていたが、仕事が忙しいのだろうか、とアキラは少し心配した。

 

 言語の精霊の加護を失っている今のアキラには、フェイが喋っている中華の言語がわからない。

 しかしエルツーをはじめとしたリードガルドの住人は、フェイの言葉がなぜか普通に理解できる。

 だからアキラとフェイの会話を他の者が仲立ちすることができるのであった。


 まったくややこしい話であり、アキラもなにがなんだかさっぱりわからない。

 もう、そういうものなのだと思うしかなかった。

 自分だけ、言語と知恵の精霊さまにいじめられているのではないかと、アキラは疑問に思う。

 

「やあアキラどの。すっかり良くなったようでなにより。ところで聞くが、泳ぎは得意か?」


 主にエルツーの翻訳を介して、アキラとフェイは話している。


「え、いきなりどうしたの? 海水浴には寒い季節だと思うけど……」


 唐突な質問を投げられて、マッハで水着姿のフェイを想像する健康な男子、アキラであった。

 スポーティースレンダーの引き締まった水着姿も、実に味わい深い。


「アレだろォ? 最近、東の川で”溺れ”死んじまう奴が”増えてる”ってェ話じゃァねェかァ」

「俺は泳ぐの好っスよ! こんな流れの遅いラウツカの川で溺れる気なんか、ちっともしないっスね!」


 クロは確かにそうだろうな、とアキラはほっこりした。


 フェイの話は川の事故についてのことで、くれぐれも注意しろと言うこと。


「得意でも苦手でもないけど、川の辺りは俺はあんまり行かないからな」


 アキラは正直にそう答えた。

 東の川の周囲に特に用があるわけでも、知り合いが住んでいるわけでもない。

 釣りが趣味と言うのであれば川や海岸沿いに頻繁に足を運んだかもしれないが、アキラにその手の趣味はなかった。


 ひとつ、思い当たることと言えば。


「川の上流、山の方に行ったところに、果樹園あるよね? あそこの息子さん、俺と同い年だって言ってたな。会ったことはないけど」


 アキラは半年ほど前の春の時期に、ウィトコに連れられて果樹園の防護柵を修繕する仕事に行ったことがある。

 そのときに果樹園の主から、同じ年頃の息子がいるという話だけ聞かされていた。


「……昨日の夜、溺れて亡くなったのは、その果樹園の息子だよ」


 沈痛な表情でフェイがそう告げて、一同は固唾を飲んだのだった。

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