54 ラウツカ市秋祭り、本祭りの初日

 ラウツカの街は、東と西に大きな川が流れている。

 この二つの川は、いわば天然の水濠(すいごう、みずほり)である。

 北の城壁と合わせて市内に魔物が侵入してくることに対する、防御機構の役割を果たしているのだ。


 もちろん川の利益はそれだけではない。

 生活用水としても産業用水としても、運河としてもラウツカに広く深く恵みをもたらしている。


「サテ、橋で渡るか、船で渡るか」

 

 ラウツカの秋祭り、前夜祭から明けて翌日のこと。

 その東の川を前に立つ男が一人いた。

 維新の日本からこの世界に転移してきた剣士、コシローである。


 向こう岸にはドワーフが集団で働いている大きな工房がある。

 その一部、金属加工の作業場をコシローは一度自分の目で見たいと思い、ここに来た。

 刀や防具を補充する際に、どのような現場でどのような職人が作業をしているのか知っておけば、注文も付けやすいと思ったからだ。


 対岸には幾筋かの煙が立ち上っているのが確認できた。

 秋祭りの最中であっても、作業場自体はなにかしら稼働しているのだろう。

 金属加工の現場においては、かまどの火を絶やさない方が合理的なので、作業がなくても燃料だけは炊き続けているのかも知れない。


「兄さん、渡りますかい? 船はもうすぐ出やすよ」


 川を渡す船の船頭がコシローに尋ねる。

 船と言うよりは、いかだに近い形状だ。

 船頭は片目が半分閉じかかった、背中の曲がったドワーフの男性だった。


「いくらだ」

「これは政庁の公船で、渡し賃は取らねえやね。時間ごとに往復して人を渡してるって話でさあ」


 要するに公共の渡し船である。

 横断歩道ならぬ横断船道だろうか。


 見れば、コシローの立っている近くに、高く細長い鉄の柱が立っていた。 

 船着き場の目印になっているのだ。

 ここで待てば、時間ごとに対岸へ渡る船に乗ることができる仕組みになっている。


「便利なもんだな」


 川には橋もあるが、本数が少なく間隔が遠いので、渡し船を使うものも多い。

 コシローは江戸の街を思い出しながら、その船に乗ってみることにした。

 青春時代にコシローが親しんだ江戸も、河川を渡す船が多くある街だった。


「落ちないよう気を付けなさって。ちかごろ、立て続けに何人か溺れて死んでやすからね」

「こんな、流れも激しくない川でか」


 ラウツカ東を流れる川は、標高差がほぼない最下流と言うこともあって、非常に流れが穏やかである。

 よくよく目を凝らして水面を観察しないと、川の水がどちらの方向に流れているのかわからないほどに。

 波が高いときなどは、海から川に水が逆流することも珍しくない。


「へえ、しかも若くて元気なモンばかり。不思議な話でさあね」

「焼け死ぬのも苦しいと聞くが、溺れて死ぬのもさぞ苦しいだろうな」

「ぞっとしねえや」

 

 話しているうちに船は対岸に着く。


「日が沈むころに船は終わりですんで、それに間に合うようにお戻りくだせえ」

「ああ」


 無料とは聞いたがそれでもコシローは船頭に銀貨を何枚か与え、工房の煙のもとへ向かった。


 あれはひょっとすると、無職者や生活困窮者のための雇用対策なのかもしれない。

 コシローは公共船に対してそう考えたからである。


 彼は富農の生まれであり、剣を握って幕府軍に参加すると志したときから、自分は武士であるという矜持を持っていた。

 わずかでも憐れみを持った相手には自然に施してしまう習慣が、体に染みついているのだ。



「ん、なんじゃお前。仕事が欲しいのか?」


 木の柵で囲まれているドワーフの工房一帯。

 入り口らしきところを見つけて入ろうとしたコシローに、一人のドワーフ作業員が声をかける。


「そういうわけじゃない。ここで武器を作ってると聞いてな。見られるか?」

「見学か、なにか注文した客か。それならほれ、入る前に火の神さんに挨拶してからじゃ」


 言って、ドワーフはコシローをほこらのような建物に案内した。

 石造りの小さな建物があり、その中で木炭が燃えている。


「火の神の社(やしろ)か」

「かまどの仕事場は一応、神聖な場所じゃからな。出入りはまず火の神さんに無事を願わんとな」


 コシローはこの世界の精霊信仰に対して、なにひとつ知りも理解もしていない。

 しかし日本人としてあるいは武人として、仕事場で神仏の加護を祈り願うこと自体に疑問もない。 


 ドワーフが手につまんだわずかばかりの白い灰を、コシローは体にパパっとかけてもらう。

 こういうしきたりか、とコシローは思う程度でそれ以上の感慨もなかった。


「武器と言ったの。小さめの石弓でも欲しいんか?」


 ドワーフはコシローの体格と、腰に帯びているサーベルを見て、軽騎兵かなにかなのかと思い、訊いた。

 

「いや、刀だ。こんなナマクラでない俺の刀を、ここで働いているというジジイに預けた」

「ああ、珍しいもんを昨日の夜中に持って来たやつが、確かにいたのう……」


 コシローの刀はすでに工房に持ち込まれているようだ。


「じゃがあいつは今日も街中の祭りで、店番をしとるはずじゃ。刀の作業場には他の者しかおらんぞ」

「あのジジイ、すぐに取り掛かるようなことを言ってやがったくせに」


 いないのなら仕方がない、とコシローは思った。

 今日はもともと見て回るだけの予定だったので、別に構わないのだ。


「それならワシが案内しよう。お前さんがこれを機にいい客になってくれりゃあ、ワシの手柄じゃからな。ふぉっふぉっふぉ」


 仕事熱心で気さくなドワーフにコシローは案内されて、刀剣の鍛冶場にやって来た。

 研ぎ場も隣にある。

 熱した鉄を打つ音は聞こえず、今日は研ぎの仕事だけ、人手が出て作業しているようだった。

 立ち上っていた煙は、他の場所で鋳物を作っているからだという。


 じぃっ、とドワーフたちが刃物を研ぐ様子を観察し伺うコシロー。


 刃物を自分で研ぐことがコシローにもある。

 一度街を離れて戦場に出てしまえば、武器のメンテナンスも自分でやらなければならない。

 細かいことはわからないまでも、コシローの目から見てドワーフたちが熟練の職人であることくらいは理解できた。


 ひとまずはそれで十分。

 預けたことも間違いではないだろうとコシローは確認できて、それでよしとした。

 

「刀鍛冶の方は、人が減ってしまったからのう。お前さんの注文も、長くかかるかもしれんぞ」


 ドワーフの口から、作業場が今、全体的に人手不足なのだとの言葉が出た。


「まさか溺れて死んだというやつか? それのせいで人が足りないのか?」

「知っておったか。この工房で働いてた若いやつが、二人。市内で働いてる若いもんも死んだそうじゃなあ。将来ある若いもんが、痛ましい話じゃなあ……」

「若いってのは、どれくらいだ」


 コシローの質問に、ふむとドワーフの男性は少し考えて、こう答えた。


「二十五か六か、七のはずじゃ。言われてみると似たような年頃ばかりじゃわい。たまたまかのう……」


 自分と同じ年頃か、とコシローは思った。

 だからどうだ、と言うわけではなかったのだが。


「刀の仕上がりが遅くなるのは、面白くないな」

「おぬしも歳の頃はそれくらいなんじゃろう。出かけるときは気を付けることじゃ」


 ドワーフにそう心配され、コシローは工房を後にした。

 念のために、出る際にも火の精霊神のほこらで、一つまみだけ灰を浴びた。



 その日の夕方過ぎ、フェイは北城壁の一番東の端にある城門で、閉門作業の準備にあたっていた。


 陽が落ちれば祭り期間中であっても、市の内外を隔てる城門は閉ざす決まりになっている。

 と言ってもそこは魚心あれば水心で、日没を確認してから、衛士たちもわざとのんびり目に閉門に取り掛かるのが長年の慣例であった。


「あ、ああ~~! 衛士さん、大変だ、大変なんだあ~~~!!」

「どうした、慌てなくていい。まだ門は開いている。それともなにかあったのかな?」


 慌てて城門に駆け込んで来る、並人の男性をフェイはなだめすかす。

 その背の低い人物にフェイは見覚えがある。

 確か、ここから東北に向かった山のふもとにある、果樹園の主だった。


「う、うちの息子が、息子が、川にぃ~~! 早く、早く助けてくれえ~~!!」


 フェイのほか、それを聞いていた隊士が険しい表情になり、大急ぎで川岸へ走った。


 その日、北城壁東門のすぐ近くの川べりで、新たな溺死者の死体が一つ、上がったのだった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る