第2章 ラウツカ市内だより
インターミッション04 スタンド・バイ・ミー
アキラが医院から退院するその日。
「おはよう、アキラくん!」
病室から出るアキラの身支度を手伝うため、ルーレイラが医院にやって来た。
アキラは左腕がまだ完全に癒えていないので、身の回りのことに少し不便があるのだ。
「ルー、おはよう! ありがとう、来てくれて」
簡単なあいさつ程度の会話なら問題なく伝わる程度には、アキラはこの世界、この地方の言語を習得していた。
もっとも、若干たどたどしいところはまだまだあるのだが。
「今日は、ヒマだからねえ。ここを出たら、ギルドの、中庭に、行こう。髪を、切ってあげるよ」
ルーレイラはゆっくりと発音し、自分の指でチョキを作って、アキラの髪を触り、切る真似をする。
「え、ルーが、食って、くれるの?」
単語を間違えて発音してしまうアキラ。
それでもルーはバカにせず、ゆっくり、丁寧に。
「僕が、切って、あげるよ。ずいぶん、伸びた、だろう?」
「助かるー。片手でも、できるけど、やりにくい、から」
クロたちは今日、山のふもとでウィトコと一緒に狩りをしている。
農園や果樹園の付近に獣が多く出る時期になったため、その駆除の依頼があったのだ。
そのうち、丸々と太った鹿をお土産に持って帰るだろう、とルーレイラは話した。
「その腕で、料理、できそうかい?」
「なんとか、なるよ」
「ウィトコに、聞いたよ。アキラくん、料理が、上手いんだって。僕は鹿肉、食べないのだけれど、なにか、作っておくれよ」
「エビは、好きだろ? それ入れて、キノコの、スープとか、作るよ」
「それは、最高だね!」
ゆっくり、それでもしっかりと二人は話しながら、医院を出た。
通りで馬車を拾って、ギルドに向かう。
乗合馬車から街の景色を見るのも、ずいぶんしばらくぶりの気がするとアキラは思う。
実際にはアキラは十日ほどしか入院していないので、久しぶりと言うほどのこともない。
しかし、どうしてなのか、この街が遠くなってしまうのではないかと言う不安があったのだ。
目覚めて、医院を出てから見渡す街は、いつものラウツカであった。
そのことにアキラはとても気持ちがほぐれて行くのを感じた。
アキラとクロ、エルツーが冒険の途中でファル盗賊団と大緑(おおみどり)の魔人に襲われた事件。
その処理はアキラの入院中に関係者が進めてくれていたので、アキラ自身は今は特にすることがない。
少し調べることがあるからと言うことで、アキラたちの冒険者等級が降格になる処分は、まだ保留されていた。
金銭のやり取りと言うシビアな問題に直結するので、いろいろ複雑な手続きが必要らしい。
リズたち職員に気苦労を負わせてしまっているのを、申し訳なく思うアキラであった。
「余り、気にしすぎちゃ、ダメだよ。まずは、体を、ゆっくり、休ませないと」
馬車を降り、ギルドまでの短い道のりを、二人、歩く。
ゆっくりと、ゆっくりと。
ルーレイラの言うとおりだとアキラは反省する。
もっと役に立たないと、もっといい仕事をしないと、みんなのためにもっと頑張らないと。
そんな焦りと気負い、勇み足が今回の結果を生み、周囲に大きな負担をかけた。
依頼主とその護衛、二人をも死なせてしまった。
ギルドに与えてしまった損害は働いて取り戻せるかもしれないが、亡くなった二人はもう戻らない。
こうやって、歩いて帰ることが、彼らにはもうできないのだ。
「あの、人たちにも、待ってた、人が」
「いい、今は、いいんだよ、アキラくん」
ぽんぽんとアキラの頭に、子供をあやすようにルーレイラが優しく掌を置いた。
「しばらく、休もう」
「ルー……」
いつしか、アキラは泣いていた。
病室には常に人がいて、気を張っていたのかもしれない。
好きなだけゆっくり、思う存分涙を流したのは、傷ついて帰って以来ではこのときが初めてだった。
ギルドの受付はこの日の午後から、秋祭り前後の休みに入る予定だった。
しかしなんだかんだと経理の残務や連絡、調整業務があるので建物自体は開いている。
リズやリロイの姿は建物内にないが、ナタリーほか、総務庶務系職員もせかせか働いていた。
中庭を訪れる者は他に誰もおらず、ルーレイラはアキラをベンチに座らせて、体に布をかぶせた。
「ルー、髪、着られるの?」
「うん、切られるよ。手先は、器用だ」
また言い間違えたアキラ。
切るという動詞を意味するこの国の公用語は、アキラにとって発音が難しいのだった。
巻き舌を使うためであろう。
ルーレイラは普段から細かい作業を自宅、研究室の中で、もう何十年も繰り返して生活している。
そのためにドワーフや細人(ミニマ)の職人に負けず劣らず、手先仕事は達者であった。
実際に、ルーレイラが自作したという魔法器具、道具をアキラも仕事上でいくつも見せてもらった。
どれも丁寧に作られ、美しく仕上げられている。
普段の態度から想像するのは難しかったので、アキラもそのギャップに当初は驚いたものだ。
「始めに、会った頃の、髪で、いいかな?」
「で、できるんだ!?」
アキラはこの世界に飛ばされてきた当初の髪形と言えば。
横と後ろが短く刈られていて、上部や前髪だけ伸ばすというスタイルだった。
しかしラウツカに来てしばらくの間、床屋を探しそびれ、いつしかボサボサ伸びた髪を自分でハサミで切るようになった。
だから、あのとき自分がそうであった髪形を、アキラはもう二度と再現できなくなっていた。
自分でも忙しさと日々の過ぎ去りによって、忘れてしまっていたのだ。
「よく、覚えて、いるよ」
「じゃあ、お願い、します」
今更当時の髪形に戻るのは気恥しいアキラであったが、ルーレイラがせっかくやってくれるというのだから、喜んでお願いした。
ちゃき、ちゃき、しゃき、しゃき。
しゃりしゃり、ちゃちゃちゃっ。
ハサミとカミソリを巧みに使って、ルーレイラがアキラの髪を切っていく。
髪の隙間に入り込む、ルーレイラの細く優しい指が、アキラの頭部に気持ちよく当たる。
静寂の中に髪を切る音だけが鳴る中で、アキラは思う。
ルーレイラのことを、女性なんだとはっきりわかったのはいつ頃だっただろうかと。
きっかけや、明確にこれだということはなかったのだ。
ただ、なんとなく、一緒に居る時間の積み重ねから。
いつしかアキラは、ああ、そうなんだな、と確信するようになった。
「アキラくん」
「うん?」
「なにか、歌を、歌って、くれたまえよ」
「え」
急なリクエストに、アキラは驚いて、そして考え込んだ。
ルーレイラにわかる言葉で、ルーレイラが喜ぶような歌は、無理だ。
歌詞を頭の中で翻訳すると同時に歌うなどと言う芸当は、今のアキラには不可能である。
「この国の、言葉でなくて、いいよ。好きな、歌を、歌いたまえよ」
「それじゃあ、わからない、だろ?」
「異国の、わからない、言葉の歌も、いいものだよ」
言われてみれば確かにそうだった。
アキラも英語が達者なわけではないが、アメリカの歌が好きである。
歌詞を知る前、歌詞が聞き取れない状態でも、いい歌は、伝わるのだ。
「では、失礼、しまして」
ゴホン、と喉を開くための咳払いをし、アキラは歌い始めた。
元々の世界、アキラのいた地球では、おそらく何億人、何十億人に親しまれた、ポピュラーな曲。
日本のではなく、アメリカの、古いと言っていい歌だ。
歌詞の内容は、以下のようなものである。
「夜のとばりが降りてきて、暗さが大地を染めるとき。
月の輝く光だけ、それしか見えなくなるだろう。
けれども僕は恐れない、そう、恐れるものはないんだよ。
そこにきみ、ただきみだけが、そばにいてくれるなら。
愛しい、ああ僕の愛しい人、そばにいて。
だからそばにいておくれ、ぼくのそばにいておくれ」
とても好きな歌だったので、英語が得意でないアキラも歌詞を最後まで暗記している。
そのためしっかり歌いきって、やっぱり恥ずかしくなって、髭の伸びた顎をポリポリとかいた。
「拍が偶数なんだね。歌の最初から終わりまで、一定してる。二つ刻みか、いや、四つ刻みかな?」
「は?」
ルーレイラが感想に漏らした言葉の意味を、アキラはまだ知らなかった。
ふふふとルーレイラは笑って、なんでもないよ、という意味で首を振る。
「いい曲だね。優しい、気分になる」
「地球じゃ、すごく、有名な、歌だよ。たくさんの、国で、有名」
しかしその歌を歌っているのは、このリードガルドで自分一人だけかもしれない。
そう思うと切ない気持ちもあるが、こうしてルーレイラに聞いてもらえた。
この歌を知っている者は、少なくともこれで二人になったのだ。
アメリカの歌を、日本人である自分が、異世界で歌っている。
そのスケールの大きさを思うと、アキラはずいぶんと気分が良くなった。
「歌詞は、どういう、意味だい?」
「あ、えーと」
ルーレイラの質問に対する答えとして、アキラは、少しだけ嘘を吐いた。
しかしその嘘は、かえってアキラの心の内を、正しく言い表していた。
「仲間が、いれば、なにも、怖く、ない」
「うん、その通りだ。冒険者の、歌なのかな?」
散髪が上手く仕上がったアキラの頭を、ルーレイラが優しく撫でた。
アキラとルーレイラがベンチに座って談笑している、ギルドの中庭。
そことギルドの建物の境目である戸口の陰に、一人、立っている者の姿があった。
リズだったが、二人のいる中庭に出て会話に混ざろうとはしていなかった。
まだ残った仕事の関係で、ギルドと政庁の建物を往復していたリズ。
小休止しようと中庭に向かったが、そのときに耳に流れてくる歌声があった。
アキラが、リズの故郷の歌を、もの悲しく、切ない声で歌っていた。
足を止めてリズはその歌を、終わるまで聞き続けた。
歌が終わったとき、リズは自分の両目から涙が流れているのに気付いた。
慣れ親しんだ、ふるさとの歌に。
アキラが、歌声に込めた思いに。
優しい笑顔でアキラを見つめながら耳を傾ける、ルーレイラの思いに。
すべてに胸をはせて考えると、リズは自分でも驚くくらいに、少女のようにぽろぽろと涙を流すのだった。
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