42 あなたを助けるために、みんな、必死で最善を尽くしていますからね!
医院、アキラの治療が行われている処置室。
そこでは、職員の一人が応急の薬をその場で調合していた。
特効薬はまだ手に入らないので、瘴気の浸食をとどめるだけの対症療法である。
それと同時に他の医員が、アキラの患部に生じている膿(うみ)を小刀でちまちま削ぎ落したり、綿で血を拭ったりしていた。
アキラの体の足元には、ルーレイラが泣き腫らした目でへたり込んでいた。
ウィトコは作業の邪魔にならないところに、黙って立って控えている。
「なんだこの傷。腐ってんじゃねえのか」
「う、うるさい、なんなんだよ騒ぎやがって。アキラくんは治るんだ、助かるんだ……」
自分もここに来るなり大騒ぎしていたことを、ルーレイラはもう覚えていない。
「お前、その耳どうした、腫れてるぞ」
ルーレイラの細く長く尖った耳を見てコシローが突っ込んだ。
なにやらおかしいと思ったコシローは、改めて周りを見渡す。
鹿のような角を持った人間や、犬猫のように頭部に耳がぴょんと飛び出した人間が歩いている。
コシローは首をひねり、関節をポキポキと鳴らし、痛みと爽快さを覚えて。
ここに来てやっと、はっきりと明確に理解し、悟った。
夢ではないらしいと。
そして夢でもあの世でもないこの世界には、いや、この世界にも。
どうやら戦う敵がいるらしいぞと、彼の勘が告げていた。
そのコシローの心の中を知ることもないフェイ。
消沈するルーレイラの背中をさすりながら、優しく声をかける。
「大丈夫だ。私が、大緑(おおみどり)とかいう魔物を殺して、すぐに血を持って来てやるから」
ルーレイラが力なく、首をふるふると横に振った。
「きみが、きみが行けるわけ、ないじゃないか……衛士の、北門勤めのきみが……」
「今日と明日は休みだ。山に散歩に行ったついでに、魔物を殺して来るだけだ。ただの狩りだよ」
菩薩のように穏やかな笑顔で。
しかし底の知れない殺意を秘めてそう言ったフェイに、同じ部屋で話を聞いていた衛士の若者が意見した。
「た、隊長どの、それは、上の指示を仰がなければ」
「黙れ。口を挟むな」
フェイの迫力に、衛士の男は負けそうになる。
しかし彼にも職務への誇りと責任がある。
こらえて、反論した。
「しかしあの道は、すぐにでも立ち入りが禁じられるかと思われます。いたずらに公(おおやけ)の指揮を乱すのは、いかがなものでしょう」
彼の言うとおりであることは、フェイも理解していた。
郊外に強大な魔物が現れた場合、国や政庁はその地域を完全に封鎖する。
軍や衛士、ときにギルドの協力も仰いで、総がかりで討伐にあたるのが慣例である。
ラウツカのような大きな街が今まさに魔物の群れに襲われているというような、そんな緊急火急の防衛活動とは、状況が大きく違うのだから仕方がない。
被害を拡大させないために、今回の事件もそうなるのは明白だった。
もちろん、そんなことを待っていたのであれば、アキラの命が助かる可能性が、どんどん低くなる。
手続きや法規を無視して行動すれば、いくらフェイでも懲罰は免れないであろう。
「私の獲物だ。邪魔をされてたまるか」
しかし、多少の懲罰くらいは知ったことではないと、フェイはすでに思っている。
友人一人の命と天秤にかけられるはずもないのだ。
「なんだ、むしろ都合がいいだろ」
話を聞いていたコシローが、さもくだらないと言いたげに、かかと笑った。
ギリ、ッとフェイが歯噛みしてその言葉に返した。
「貴様、なにがおかしい」
怒れるフェイの気迫を受けても、コシローはあっけらかんとしている。
その上で言った。
「道を閉じるなり関(せき)を張るなら、鞭(ムチ)の嬢ちゃんが自分で行けばいい。よくわからんが、番兵が仕事なんだろ?」
コシローが何気なく言ったその言葉。
居合わせた一同が全員、驚きの表情を見せた。
気にすることなくコシローは話を続ける。
「その道すがら、たまたま敵に『出くわして』たまたま『身を護るために応戦して』たまたま『斃(たお)した』なら?」
「あ……」
コシローのその言葉を聞いて、ルーレイラの瞳に光が戻って行った。
「なにもおかしいことはないだろ。余計な邪魔も入らず、気持ちよく仕事ができるだろうな」
その通りだ。
フェイが行けば、きっと大緑には勝てる。
いや、アキラを助けるためには少ない人数で迅速に行動するしかないこの状況だと、フェイが行かなければ勝てない。
相手は火も、毒も、武器も通用しないのだ。
逆を言えば、素手で攻撃し、負傷させれば勝つことができるということでもある。
今のラウツカでそれができる数少ない人材。
それがフェイであるのは疑いようもなかった。
フェイもそれを理解し、郊外警邏の衛士に、こう指示した。
「政庁の東隣りに衛士長の公宅があるから、行って伝えてくれるか。私が山道に検問を張る業務に、協力に行った、と」
検問の協力という言葉を聞いて、若い衛士は明るく、安心した表情を見せた。
それならば衛士の正当な職務だ。
越権行為や法規の逸脱とは言えない。
公宅と言うのは役人用の公共住宅であり、政庁の重役の何人かはその手の場所に住んでいる。
衛士長はフェイたち、ラウツカ及び近郊衛士のまとめ役、警察署長のような存在だ。
「一番隊の面子にも同じことを伝えておいてくれ。今日は東の、二の門詰所にいる」
「承知しました!」
北門衛士の一番隊は、フェイの裁量である程度は自由に動くことが、普段から認められている。
フェイの独自判断でラウツカ郊外に検問を張るという仕事は、上官に嫌な顔こそされるものの、今まで何度もあったことだった。
もっとも、今回は過去にあった事例よりも、かなり距離が遠くはあるが。
「ついでにスーホと言う市中警邏の衛士に、馬をここに持ってくるようにも言ってくれ。今の時間は政庁衛士本部の当直についているはずだ」
スーホと言うのはフェイの後輩にあたる、市街地担当衛士のエルフ青年だ。
フェイのことを尊敬しているが、それと同時くらい恐ろしくも思っているような、ラウツカによくいる、若い衛士の一人である。
「はっ、では失礼します!」
「頼んだぞ」
フェイがスーホを呼んだ理由。
それはスーホが面倒を見ている白馬が、ラウツカの衛士隊の中で、最も脚が速いからである。
その見事なことはウィトコの栗毛の駿馬に勝るとも劣らない。
「俺も行くか。馬はまだ要るだろう」
話を聞いていたウィトコが、フェイに訊いた。
「そうだな、一緒に来てくれるか。山の中の詰所にいるエルツーと、クロどののことも心配だ。貴殿の馬でラウツカに戻ってもらった方がいいかもしれない」
「わかった。先に準備している」
相変わらず言葉は少ないが、それでも必要なことはハッキリと伝わるウィトコを、フェイは心強いと思った。
あと一つ残る問題は、コシローをどうするか、だが。
「お前、私と同じ馬に乗ってついて来い。楽しい狩りをさせてやる。どうせ好きだろう?」
フェイは、挑発するようにコシローに笑いかけて、そう言った。
どのみちここにコシローを置いて行くのは危険だ。
自分の目の届くところにいてもらうしかない以上、一緒に連れて行く他ない。
コシローはフェイにそう言われて、皮肉に冗談っぽく、軽く言った。
「一緒の馬に俺を乗せれば、背中側から首をかくかもしれないぞ」
「そのときはお前も落馬して死ぬ。それだけだ」
カハッ、と今度は本当に楽しそうにコシローが笑った。
「鬼退治について行くのははいいが、キビ団子が欲しいところだな」
「たまたま持ち合わせがある。食いたければ食え」
携行食としてキビ粉と小麦粉を混ぜた品を、本当にフェイは持っていた。
最終的にウィトコ、コシロー、そしてスーホの馬を借りたフェイの三人が、山道に向かった。
スーホと若い郊外衛士の二人は、北門衛士の詰所にフェイの動向を伝えに走った。
「うう、アキラくん、死んだら、許さないからな……」
「アキラさん、大丈夫、きっと大丈夫ですからね……」
リズとルーレイラが、必死にアキラに呼びかける。
「早く起きて元気になって、もっと沢山、他愛もない昔話を聞かせておくれよ……」
季節は秋。
ラウツカの街が、暁に染まる。
遠山暁(とおやま あきら)は、まだ目覚めない。
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