40 私にできることは、これくらいしか……

 敵の素性になにか思い当たることがあったのか、ルーレイラは「大緑(おおみどり)」という魔人の名前を出した。


「何十年も前に、他の国のギルドと衛士が共同で討伐した魔物だよ。ギルドにある魔物の目録には詳しいことが載っているはずだ! ああもう、なんで持ってこなかったんだ僕は……」


 ボサボサの髪がなお一層そうなってしまうかのように、頭をかきむしるルーレイラ。


「落ち着け、取りに行く」


 それをウィトコがいつもと変わらぬ口調でなだめる。

 しかし、ウィトコが出て行くには及ばなかった。


「ま、魔物の目録なら、ここに……!!」


 はあはあ、と息を切らして処置室にリズが駈け込んで来た。


 昨夜からずっとギルドで情報交換の鳩を飛ばし続けていたリズ。

 しかし支部長のリロイが配慮して、アキラを見舞うために馬を出してくれたのだ。


 外から医院の中の処置室に来るまで、たったそれだけの距離を走るだけでも、リズの息は上がってしまっている。

 アキラの体に残る瘴気の気配、たったそれだけのものであっても、リズの体を苛むのだ。


「アキラさん、アキラさんは大丈夫なんですか!? ただの盗賊ではなく、魔物にやられたかもしれないと思って、急いで目録を持って行かなきゃと思って……!」

「ご苦労だった、最高だよリズ! ここにたしか、なにか手がかりがあったはず……」

 

 目録をひも解いて、ルーレイラが大緑の情報を当たる。


 しかしページを開いて当該記事を読みすすめ、そのまま言葉を失ってしまった。


「どうした、ルーレイラ、しっかりしろ。なにが書いてあった」


 問いかけたフェイに、ルーレイラは力なく目録を手渡した。

 そこには、こう書いてあったのだ。



「大緑(おおみどり)。

 

 主に並人(ノーマ)や、毛を持つ獣人に似た、巨躯の魔人。


 禁忌の呪術を用いて、魔に魂を売った者が造り上げる、人の姿をした魔物。


 膂力(りょりょく)に優れるが、獣や並人のような敏捷性はない。

 

 知能は低く、並人の幼児と同等か、それ以下と思われる。

 

 青緑色の肌を持ち、大半の武器による攻撃が効かない、あるいは効きにくい。


 加えて毒や炎にも耐性が強い。


 捕縛して高所から落とす、水に沈める、埋めて殺す。

 

 あるいは閉じ込めて煙などで燻し、窒息させるのが効果的な討伐法と思われる。


 実際の討伐では、大人数で鎖で捕縛し、崖から落とす戦術を用い、成功した例がある。

 

 この魔人から受けた傷は、特定の薬でなければ治癒が困難である。


 薬は『大緑の新鮮な血』を、地と水の精霊の力で浄化し、作成できる」



 魔物を倒さなければ、新鮮な血を手に入れなければ、アキラは治らない。 


 そして相手は、武器も毒も、炎も効かないのであった。


「そ、そんな……」


 フェイと一緒に目録を読んでいたリズも、がっくりと膝を落とした。


 たくさんの人数と、大がかりな道具。

 そしてそれを用意するための長い時間。


 今、彼女たちの前には、そのどれもが、存在しなかった。


「ああ、アキラくん……アキラくん……許しておくれ……僕のせいだ……僕が悪いんだ……」

「ルー、あなたのせいじゃありません、誰のせいでもないんです! いいえ、むしろ、私たちギルドが……!」


 アキラの体に、ルーレイラが泣いてすがりついた。

 そんなルーレイラを、リズが抱きしめる。


 痛ましいアキラの傷口を見てしまい、気を失いそうになるリズ。

 しかし今ここで倒れるわけにはいかないと思い、全力で気を確かに持ち、ルーレイラに寄り添う。


 そのとき、高位の医師が処置室に姿を見せ、こう言った。


「左腕を肩から切り落とし、瘴気の溜まった血肉を除去しましょう」

「き、切る!?」


 ルーレイラが蒼白の面相で聞き返した。


「はい。そのうえで切り口を精霊のお力で浄化するのが最も効果的かと思われます」

「あ、アキラくんの、この、逞しい、これからラウツカのギルドを支えて担う、この腕をちょん切ってしまうだって!?」


 医者の意見に涙に濡れた顔で愕然とした表情を浮かべながら、ルーレイラは悲嘆の言葉を奏で続ける。


「それでも助かる可能性は半々ですが、そうするしかありません。あとは並人の方で、血液の相性の合う方のご協力もいただかなければ、血が足りなくなります」


 その説明を聞いて、フェイが医者に尋ねた。


「具体的に、どれくらいの間、持ちそうなんです」


 無理して無表情を作っているものの、瞳を血走らせ額にも血管を浮かせている。

 その迫力に医者は身震いしながら答える。


「な、何日とは言えません。瘴気がこれ以上、体に侵食するのを今は薬や魔法で抑え込むことはできています。しかしそれを長く続けていると、患者の体力が尽きてしまいます」

「腕を切るのはもう少し、もう少しだけ待ってくれませんか。なんとかします」

「す、少しであれば……」


 医者は不安げに答えたが、今日、今すぐの危難である、と言うわけではないようだった。

 わずかでも猶予は、ある。


「アキラどの、もう少し頑張るんだ。私が何とかする」


 眠るアキラの顔にそう優しく語りかけ、フェイは処置室を出た。

 そのときである。

 

「な、なんですかあなたは……今は関係者以外……きゃあっ!」


 医院の入り口で、騒ぎが起きていた。


 どす黒く血に染まった服で身を包んだ一人の若い男。

 そんな人物が、医院の職員に刃物を、刀を突き付けていたのだ。


 長さのある片刃の、刀身が緩やかに湾曲した、青黒く美しい鋼の刀剣であった。

 フェイがほんの一瞬だけとは言え、その刃物の輝きに目を奪われてしまうほどに。


 しかしすぐに我に返って、闖入者に叫ぶ。


「なにをしている貴様! その長物ををひっこめろ!」


 フェイは腰に下げている打撃鞭を、提げ輪から抜きざま横なぎに振るい、男の小手を狙う。

 相手の武器を手から落とすためである。


 しかし、迅雷とも言える速さのフェイの打撃を、男は「刀の柄」の部分、ほんの少しだけ動かし受け止めて、弾いた。


 決して手を抜いていたわけでも侮っていたわけでもない。

 そのフェイの打撃を、この男は初見で防いだのである。


「あっつつ……やるな、お前」


 しかし完璧にとはいかなかったらしく、左手を少し痛めたようだ。

 その痛む部位を手さすりながら、ニヤッと笑って男が言った。


「おい、ここはなんだ? 箱館(はこだて)はどっちだ?」

「なにぃ……貴様こそ、いったい何者だッ! 名を名乗れッ!」


 こんなことをしている場合ではないと思いながらも、フェイは目の前の男から視線を外すことができなかった。

 こいつは危険だ。

 目を逸らせば、やられる。


「はは、いいな、名乗り上げか」


 男は笑って、口上を述べた。


「こちとら生まれは上総(かずさ)の、市原(いちはら)は五井(ごい)。大河内(おおこうち)の四男坊、名は虎四朗(こしろう)ってネ。なんのことはねえ、その辺の百姓の息子だ」

「貴様、ふざけているのか……?」


 上総五井というのは、現在の千葉県市原市にある地名だ。

 もちろんその地名を、フェイは全く知らない。

 

 男の口調は軽い。

 しかし少しでも気を緩めたら、なにを仕掛けてくるかわからないと、フェイは思った。

 男が放つ殺気、剣気はそれだけ鋭利で、激しかったのだ。


「フェイさん、なにがあったんですか……?」


 リズが慌ててやって来て、男とフェイが対峙している様子を見る。

 ルーレイラには、心配せずアキラの側にいてくれ、と言ってある。


 男の持っている武器、刃物を見て、リズは唖然として呟いた。

 あんなに妖しく艶やかな刀剣は、他に存在しようもない。

 古今東西、それは地球であっても、こちらの世界リードガルドであっても。


「に、ニホントウ……サムライ!?」

「日本!?」


 決して男に隙を見せないまま、リズの声にフェイが反応した。


 突然現れたこの人物。

 彼は1860年代、江戸幕府末期から明治時代の始まりを戦った、攘夷の志士。

 侍の時代、その終わりを生きた男。


「なんだ嬢ちゃん、亜米利加(アメリカ)か? 英吉利(イギリス)か? それとも、阿蘭陀(オランダ)か?」


 上総の剣客 大河内虎四朗がラウツカの街にたどり着いた、そのとき。

 同じく転移者日本人であるアキラは、医院の処置室でどのような夢を見て眠っているのか。

 それは誰も知らない。

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