39 ああ、いったいどうして、こんなことに……
それはアキラたちが商人の護衛に出て、三日目の日の出前のことだった。
馬に乗った衛士が、北城壁を前に叫んだ。
「並人(ノーマ)が魔物にやられてる! 通用門を開けてくれ!」
ラウツカ郊外を担当し、山林での治安業務を主に行っている衛士だ。
彼は背中に、気を失ったアキラを縛り付けていた。
大急ぎで開かれたラウツカの城門の通用口を、馬がくぐる。
市民が普段使う大きな門ではなく、深夜などに出入りするための小さな門だ。
夜間でも誰かしら詰めている医院の一つに、怒涛の勢いで衛士はアキラを背負って駆け込んだ。
夜陰と混乱に乗じて、まったく別の者が通用門をすり抜けたことに誰も気付かなかったのは、また別の話であるが。
「見たこともない傷だ! まるでカビが生えたように肉と骨が変色してる! 鼓動も遅い!」
「わ、わかりました! すぐに治療法をあたってみます! まだ、息はありますね!?」
アキラが巨人に噛まれた患部は、不吉な緑色に変色していた。
医院の当直担当者はすぐさま上役に連絡を取ったが、到着するのはいつになるか。
その医院にもう一人、徒歩であるというのに、馬や狗(いぬ)と思うほどの速さで駆けこんで来る者がいた。
「なにがあった!? 急患か!?」
「ウォン隊長! そうであります! 並人の男が一人、重症です! 野盗の類に襲われたものと思われます!」
フェイはこの日、出張から帰って来たばかり。
本来なら非番であるが、北城壁の上で警戒業務に自主的に当たっていた。
北の山道で囚人護送の隊が襲われた、という情報を聞いたからだ。
寝台で横たわる人物を見て、フェイは力なく声を漏らした。
「あ、アキラどの……」
アキラが問題になっているルートで商人の道中護衛をするということを、フェイはこの時まで知らなかった。
出張から帰り、リズからの伝書鳩の情報を確認する前に、仕事場に向かってしまったのである。
「隊長、お知り合いですか」
衛士にそう尋ねられ、キッと表情を締め直し、フェイが答える。
「そうだ。まさかギルドの仕事か? 彼はなにかの依頼で山を通っていたのか?」
「先だって囚人護送車襲撃を起こした犯人どもに、ギルドの依頼任務のさなかに襲われたものと思われます」
アキラを連れてきた衛士はフェイに端的に、状況を説明した。
北の山道に事件があった。
その情報を、山の中に点在する村々に連絡して回っている途中で、狼獣人の悲痛な遠吠えが聞こえた。
慌てて行ってみると狼獣人の男が一人、並人の男女が一組倒れていた。
並人二人は気を失っていて、会話がままならなかった。
狼獣人も虫の息だったが、盗賊に襲われた、おかしな巨大な化物がいたと衛士に話した。
「一番の重症者がこの並人の男だと判断し、設備や薬が整っているラウツカの医院に急行いたしました」
「そうか、よくやってくれた。適切な判断だと私は思う。他の二人は?」
震えそうな声色を必死で制御し、フェイが聞いた。
「はっ、自分どもが駐在している山間の衛士詰所にて、休ませております」
ひとまずこの場合にあっては妥当な対応だとフェイは思い、衛士をねぎらった。
「ご苦労だった。医院の者と相談し、他に気が付いたことを、なんでもいいから話しておいてくれ。治療の役に立つかもしれん」
「かしこまりました!」
医院の建物の中で、あわただしく人が前後左右する。
フェイは、横たわるアキラの右手を強く強く、握りしめた。
深い傷のためか、アキラの手は熱を持っていた。
空が白み始めて、朝が近くなった頃。
「クソッ、入れ違いだった!! どけどけ、みんなそこをどけ!!」
医院の処置室で治療を受けているアキラのもとに、ウィトコとルーレイラがやってきた。
まるで周囲の者をなぎ倒さんとする勢いと剣幕である。
「ルーレイラ、貴殿、今までどこに行っていた」
一睡もしていないフェイが、据わった瞳で凄んで質問する。
「アキラくんが行った道で厄介な奴が出たって聞いたからね! ウィトコの馬で一緒に迎えに行ったんだよ! でも道が一本違った! ドワーフどもの村じゃなくて衛士の詰所に保護されたんだってね! ちっくしょうめ!!」
早口でルーレイラがまくし立てる。
北の警戒情報を受け取ってすぐに、ラウツカ市ギルドの面々は動いていた。
リズは各所に鳩の手紙を飛ばし、ルーレイラとウィトコはアキラたちに知らせるために山へ。
ウィトコの馬はラウツカ市の中で最も速い駿馬である。
アキラたちがいる場所の当てが外れたとはいえ、この時間までに往復して帰って来られたというのが驚くべきことだった。
「北の山を通っていた囚人護送車を襲ったのは、ファル盗賊団だ」
おそらくはギルドも同じ情報を持っているだろうとは思った。
それでもフェイはウィトコとルーレイラにそれを伝えた。
ファル盗賊団は元々、ラウツカ市内地域を中心に活動していた。
しかしフェイたち一番隊の執拗な追求があり、市域の外へ幹部たちが姿をくらましたという経緯がある。
「ああそうらしいね! しかしなぜ盗人が、囚人の乗った馬車を襲うんだい! こんな意味の分からないクソみたいなことをする連中は僕は大嫌いだ! バーカ!!」
「おそらくは手勢を増やす為だろう。囚人の中に、盗賊団の元々の仲間がいたんだろうな」
ルーレイラの怒りの混じった質問にフェイが答えた。
盗賊が手勢を増やしたがると言うことは、なにか大きな仕事をする予定があると言うことでもある。
「収穫の祭りが終われば、年一回の収税の季節だ」
ウィトコがぽつりと言い、フェイが頷く。
秋の祭りとその後の税の支払いのために、今はどの村も金銭や食料、資材を貯め込んでいる時期だ。
盗賊にとっては一番美味しい獲物と言える。
ラウツカ市のような都市に暮らしている者は年に四回、分割して税を払っている。
しかし都市の政庁から遠い山奥の村は、年に一回の納税で済ませることが多いのだ。
敵の輪郭が少しずつはっきりしてきたが、今はまだ情報が少なすぎた。
この場で推測しすぎるのは、かえって危険だろうとフェイもウィトコも考え、この話をやめた。
「治せるのか」
ウィトコが、細い息で眠るアキラの姿を見つめながら、ルーレイラに聞いた。
「今調べて考えてる! ちょっと黙ってておくれよ!」
ルーレイラは、分厚い辞典のような本をベラベラベラベラッとめくり、効果的な治療法があるかどうかを探っていた。
病気、怪我、そして魔物の呪いに効く薬草や鉱石、あるいは虫や動物から作る薬などが網羅されている辞典だ。
「あーもう、ここまで出かかってるんだ! なんか聞いた気がするんだこの症状、くそっ、くそうっ!!」
バアン、と辞書を床に投げつけて、ルーレイラが頭を抱える。
焦り、苛立ち、悔恨、そして、罪悪感。
さまざまな感情がルーレイラを襲っているのは、誰の目から見ても明らかだった。
この仕事にアキラが行くのを止めておけば。
もしくは自分が一緒に行くことにしていれば。
しかし今、それを考えて嘆いても、意味はないのである。
「し、失礼。上級冒険者の博士どのがいらっしゃったと聞いて……」
そこに、アキラを運んできた衛士がやって来た。
彼も今まで医院に詰めて、怪我人であるアキラの状況を説明していたのだった。
「きみが運んで来たのか! よくやってくれたねえ! それで、どういうことなんだい! 応急処置はしたのかい!?」
「は、はい、あの」
喰ってかかりそうな剣幕でルーレイラに詰められ、衛士は説明もままならない。
ルーレイラの肩にポンと手を置いて、フェイが制しに入った。
「落ち着け。みんな、貴殿を頼りにしている」
ウィトコも続いて言った。
「そうだな。俺のときも、そのおかげで助かった」
過去にウィトコが魔物に深手を負わされたときは、一緒に行動していたルーレイラの処置があったからこそ、命を取り留めた。
「お前がいなければ、俺は今、歩けていない」
表情を変えず、まっすぐに、ウィトコはルーレイラに感謝の念を告げる。
「ウィー……すまない、うん、すまない」
ルーレイラは深呼吸し、落ち着きを取り戻し、若い衛士に謝り、訊いた。
「きみも悪かったね。それで、どうだったって?」
「はっ、狼獣人の青年が言うには、その、みどりいろ、と……」
「みどり……?」
ルーレイラは親指の爪を噛みながら、黙考した。
少しの間、そうして。
「大緑(おおみどり)……魔人の類か!!」
「知っているのか、ルーレイラ!?」
なにかを思い出したようなルーレイラの言葉に、フェイが目を見張った。
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