38 なんとか、なんとしてでも、帰ってきてくださいっ!

 アキラの文字通り渾身の回し蹴り、三連発を食らい、青緑の肌を持った巨人は膝をついた。


「おいしっかりしろデカブツ!!」

「まだ仕事は終わっちゃいねーんだぞ!!」


 取り巻きの怒声が響く。

 まるで、子分に対して叱責しているかのように。


「うぐ、びぃぃぃ……」


 しかし巨人は片膝の状態でその場でしゃがみ込む。

 まるで泣いているかのように、打撃を受けた膝の横をさすっている。


「膝が弱点っスね!!」

 

 その好機を見逃さず、クロが自分の武器である棍棒を振りかぶる。

 無防備な相手へ、唸りを上げて、太くごつごつした棍棒の打撃が襲いかかった。


 がぎーん! と、妙な音が鳴った。


 殴ったクロが、驚いて目を見開いた。

 そして手におぼえた衝撃で、棍棒を地面に力なく落とした。


「な、なんで、弾かれ……」


 まるで鉄の塊を殴りつけたような衝撃をクロはその掌におぼえた。

 棍棒での打撃は、まったく効いていないのだ。


「い、いぬぅ、うるせぇーーー、きらいだ、あー」

「クロちゃんッ!!」


 呆然と立ち、竦んでいるクロの体を、巨人の大きな手が鷲掴みにしようとした。

 アキラはクロに向かって猛然とダッシュして体当たりし、クロの体を吹き飛ばす。


「うわっ! アキラさんッ!!」


 クロは横に倒れ込み、巨人の攻撃を躱すことができた。

 しかし、代わりに巨人の手に掴まれたのは、アキラだった。

 

「はら、へっだぁ~~~~~」


 巨人が、大きな口を開けて。


「あ……ぎゃぁああぁあぁっ!!!!」


 アキラの左肩に噛みついた。

 真っ赤な鮮血が飛沫となって、エルツーの顔にぽたっとはねた。 


「あ、あああああ……」


 エルツーは半ば絶望仕掛けて武器を手から落としそうになった。

 しかしかろうじてこらえ、ボウガンから矢を放ち続ける。


 すでにその両目からはとめどなく涙が出ているが、彼女の攻撃は敵の一人を仕留めていた。


「アキラさんを放すっスよ! こンの化物ォーーーーーーッ!!!!」


 雄叫びのような啼き声と共に、クロが飛びかかって巨人の手に噛みつく。

 ちょうど、巨人の親指の「腱」にあたる部分に喰らいつき牙を立て、必死でその肉と骨を咬む。


「ふぐ、ふぐぐるるるるるるる!!!! ガルルルルルゥ!!!!」

「いいい、いでぇぇええぇ、やべどぉぉぉぉぉ」


 ぶうんと巨人が太く長い腕を力任せに振り、クロは放り飛ばされた。


 同時にクロに噛まれた手の指も力を失い握りが緩まって、アキラの体がべたりと地面に落とされた。


 巨人の仲間たちは巻き添えを食うのが怖いのか、巨人の近くには寄っていないのが幸いした。


 敵の隙を咄嗟につき、エルツーが喉も破けよとばかりに、叫び聲をあげた。


『我の全身全霊を、天と大地に捧げ奉ります! この者たちに憐れみを! ご加護を! 御霊のご慈悲をどうかお与えください!!!!』


 エルツーが倒れたアキラとクロに駆け寄って、身体強化魔法をぶち込んだ。

 言葉の通り、その小さな体から放てる限りの、全力全霊で。


「く、クロ、走れる……?」


 たった一回。

 精霊に向かってたった一回、願い叫んだだけで、エルツーは立って歩けないほどに憔悴していた。


「当然っスよォォォ!!!!」


 クロは左の肩にエルツーを、右の肩にアキラを抱えて、その場から全速力で逃げ出した。

 人間二人を両肩に抱えてなお、その足の速さはまさに狼のそれであった。


「あん、待ってくださいよー。もっと遊びましょう、お嬢ちゃん?」


 敵の中にいた猫系の女獣人が、エルツーにナイフを投げ飛ばす。

 しかしクロの脚が思いのほか速かったこともあり、ナイフの狙いは逸れた。


「んー、まだ腕の調子が、戻りませんねえー」


 投げナイフを外し、不満そうな顔で猫女は呟く。


「いい、放っておけ! あいつらはただの用心棒だ!」

「金はこっちの馬車にあるからよ!」


 そんな声が、クロの背中から聞こえた。


 自分たちの仕事は、完全に失敗したのだ。

 依頼主とその関係者、二人もの犠牲を出して。

 

 森の中を、クロは必死で、死ぬ気で走り抜け続ける。


 涙がとめどなく溢れ、彼の眼はほとんど見えていない。


 それでも嗅覚、聴覚、獣人の勘を頼りに、もと来た道をがむしゃらにひたすらに走り続ける。


 どれだけの時間、走り続けたのだろう。

 陽もすっかり沈み、頭上には月が見えている。


「その道、右……ドワーフの村じゃなくて、衛士の、詰所に……」

「わかったっス!!」


 クロはエルツーの指示に従い、分かれ道を折れる。


 エルツーは仕事で通ることになる経路の、周辺地図を頭に叩き込んでいた。

 どこの道をどう行けば、村や衛士の詰所に近いのかということを熟知しているのだ。


 衛士の詰所に行けば馬があるはずだ。


 クロの体力が切れても、自分の魔法力が切れても、衛士に助けてもらえば、馬でアキラを街まで送り届けることができる。

 ラウツカに帰れば医院もあり、薬屋もあり、ルーレイラがいる。

 街まで戻れば、助かるに違いないのだ。

 

「二人で、逃げろって、言っただろ……」


 クロの肩の上で、アキラが力なく言った。


「喋んないで……街に着いたら、すぐ治療して、あげるから……」

「そうっス! 舌噛むっスよ!!」


 エルツーは嫌な予感がしていて、おそらくそれは当たっているだろうと思っていた。

 ただ噛みつかれただけだというのに、アキラの体力が急激に落ちているのだ。


 今にもこと切れそうなくらいにアキラは弱っている。

 それは身体強化の魔法をかけていても気休め程度の効果しか出ていない。


 呪いだ。

 魔物の、あの青緑の巨人の瘴気にあてられているのだ。


 フェイやルーレイラに、いつか聞いたことがある。

 魔の者から骨にまで達する傷を負わされた冒険者が、その後どうなるのかを。

 先輩冒険者であるウィトコの膝が、どうしてあれだけ痛々しい、不自由なさまになったのかを。


「絶対、絶対助けるから……諦めんじゃないわよ……フェイねえに、負けっぱなしで、いいの……」

「いや、勝てんて……」


 真っ青な顔で、アキラが無理矢理に笑って言った。

 そこでアキラの意識は途絶えた。

 

 エルツーも魔法の使い過ぎで、気を失った。

 


 月だけが照らす暗い道を、クロはひたすらに走り続けて、啼き、吠えた。



 そのクロの遠吠えが、山林の道を、連絡行動の為に馬で駆けていた衛士の耳に届いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る