34 仕事だけではなく、趣味でリフレッシュも大事ですね!

「おっ?」


 翌々日の、ギルド中庭での稽古の最中。


 素手、打撃のみ、顔面なしというルールで組手を行っていたアキラとフェイ。

 そのさなかで、フェイが軽い驚きの声を上げた。


 このときは暇に空かせてエルツーもリズと並んでお茶を飲み、両者の稽古を見物していた。

 もっとも、参加はしようとしないのだが。


「フェイさんが、喰らった?」

「嘘でしょ……」


 フェイの中段蹴りをガードしながらアキラが放った、相打ち狙いのローキック。

 その攻撃が、フェイの軸足に決まった。


 全力で足を振ってはいない、寸止め気味の蹴りではあったが。

 アキラの左ローキックが、フェイの右太ももに、確かにぱちんとヒットした。


 いつもはいくら相打ち狙いでも、フェイの服にかする程度でしかなかったアキラの突きや蹴り。

 しかしこの時ばかりは疑いようもなく、衆人環視の中で見事に当たったのだ。


「すごいすごい、すごいですよアキラさん! フェイさんに当てるなんて!」

「いや、まぐれでしょまぐれ、フェイさんが気を抜いてたんだそうに違いない」


 リズも驚いたが、当てたアキラが一番驚いていた。


「そ、そうよね、たまたまフェイねえが手加減したかなにかでしょ。アキラの攻撃がフェイねえに当たるわけないわよね」


 自分の冒険者仲間を何だと思っているのか、それともお隣のお姉ちゃんを尊敬しすぎているのか、エルツーもそんなことを言っている。


「気を抜いたつもりはないぞ。アキラどの、今のは良い一撃だった。てっきり後ろに下がるのかなと思っていたが、前に出て受け止めて蹴り返すとは」


 フェイも素直にアキラを称賛する。


「本気で蹴られたら、俺じゃフェイさんの蹴りを受け止められないよ。相打ちにすらならないって」


 アキラは両手をぶんぶん振って謙遜する。

 自分でも何が起こったのか掴めずにいて、混乱している。


「それは私も同じだ。今の状況なら私もアキラどのの蹴りの衝撃を逃がすこともできない体勢だった。私の脚がへし折られてたさ」


 一本取られた、見事だった、とフェイは笑ってパンパンとアキラの背中を叩く。


「あと、アキラどの。前に教えてくれたあの拳の握り方、あれで殴って来てくれてもいいんだぞ?」

「前に……ああ、一本拳か。いやいや、女性を一本拳(いっぽんけん)で殴るのは、さすがに俺も抵抗が……」


 アキラは空手の拳の握り方の一つ、一本拳というものをフェイに教えたことがある。

 普通に拳を握るのではなく、中指の第二関節だけを若干突き出した状態で握る拳だ。


「それくらいの方が私も緊張感があっていい。あれは防いでも痛そうだからな」

「目的はそれだからね。ガードした相手の腕をさっさと破壊してしまおうって言う」


 一本拳での突き技は、面ではなく点の破壊攻撃である。

 鋭い物で突かれるわけだから、それだけ一点に攻撃の圧力が集中し、喰らった場合はかなり凄惨なものになるわけだ。

 いくらフェイが強くても、それを稽古で使おうという気持ちはアキラにはない。


「ともかく稽古を続けよう。済まないがアキラどの、実はこの組手は三本勝負の予定だったんだ」


 そう言って、その後もフェイはひたすらに、アキラを稽古につき合わせた。



 その日は後から来たルーレイラも交え、エルツーと入れ替わる形で四人で夕食に向かった。

 エルツーは家の用事があるのを忘れて遊んでいたようで、思い出して帰ったのである。


「ああもう最低、なんで忘れてたんだろ……お母さんに怒られるわ……」


 子供なのか大人なのか。やはり子供であるとアキラは改めて思った。



 中央西横丁の居酒屋「怨霊庵」という店にその日は入った。

 それぞれ料理と飲み物に舌鼓を打ち、楽しみながら会話を交わす。

 特にアワビを煮た物が絶品で、アキラもついつい酒がすすんでしまった。


 その会食のさなか、フェイが唐突にこんなことを聞いた。


「アキラどのは歴史が好きだと前に言っていたが、史上で最も強いのは一体誰だったのだろう。あ、私たちのいた世界の話で、だぞ」


 稽古でアキラに一本取られたのが、フェイとしてやはり引っかかっているのかもしれない。


 強さとはなんなのか、自分よりもっと強い者は、どこでどんな風に生きたのか。

 酒の力も手伝って、そんな世間話をアキラに振ってみたのだ。

 アキラは少し考え込んで、こう聞き返した。


「それは、タイマンでってこと? それとも軍を率いたボスとしてってこと?」

「面倒臭い男だなあ~。両方の分野で何人か、思い当たる人物をアキラくんから言って聞かせてくれよ。僕の知らない世界のことだから、簡単で分かりやすい略歴も欲しいところだね」


 ルーレイラが酔っ払って、お互いさまな面倒臭い注文を付ける。

 この状況でいろいろ紹介しても、どうせ一晩寝れば覚えてはいないだろうとアキラは思った。


「私も興味あります。やっぱりナポレオンとか、アレクサンダー大王でしょうか?」


 リズも、半ば仕方ないといったふうに話に付き合う。


 自分たちに直接関係のあること以外、リズはそれほど歴史について趣味傾向が強いわけではない。

 しかし食事の席で聞いておいて損な話でもないだろうと。


「そうだなあ……一対一で一番強いのは、項羽だろうね。秦を滅ぼして、漢と楚で中華を大きく分けて戦争した、覇王って呼ばれてた人だよ」

「項羽が!?」


 知っている名前が出て、フェイの顔がぱあっと明るくなった。

 紀元前の中華の覇王、項羽である。


「それは中華だけの話ではなく、他の国の歴史も含めてか?」

「うん。項羽はけた外れで規格外。他に類を見ないって言葉が本当にふさわしい」

「どんなふうに強かったんです?」


 誰でも訊ける当たり障りのない質問をする気遣いの子、リズ。


 もちろん、リズは紀元前の中国のことなどほとんど知らない、それほど興味もなかった。

 ただアキラの話しぶりは柔らかく聞きやすいので、聞いていて苦ではないと思っていた。


「自分の兵が少なくて相手が大軍でも突撃して勝っちゃうし、囲まれてても突破しちゃうし、最期の最期だって大軍が押し寄せて項羽の命を狙ってるのに、誰もトドメを刺せなかったんだ」


 アキラの説明にフェイも補足する。


「体格はドラックどのくらいの偉丈夫で、我々が座っているこの椅子より大きく分厚い、青銅の置物を持ち上げられたと伝わっているぞ」


 項羽が最強というのはもちろんアキラの主観であるが、主観を抜きにして頭の中を漁っても、結局は項羽が一番強いという結論になった。

 フェイもそれに賛同しているのか、うんうんと頷く。


「えーと、並人(ノーマ)の話だよね? 聞くところによると、ノーマって元の世界では、誰も魔法を使えないんだよね? 身体強化の魔法とか、ないんだよね?」


 歴史だから真偽は定かでないにしても、伝わり方というものがあるだろうとルーレイラは思った。


「そうだよ。項羽はおかしいんだ。下手すれば何十万人も殺してる。百万人には届いてないかな。もちろん軍を率いてだけど、だいたいの戦では項羽の方の軍勢が敵より少ないんだ」

「本当に、私たちと同じ人間なんでしょうか、その人……」


 ルーレイラだけでなく、リズも半ば呆れた。


「ふふふ、そうだろう。まあ私もうすうす、そうではないかと思っていたんだ。項覇王が全世界、歴史上最強かあ、はっはっは、やはりな!!」


 フェイのもの凄いドヤ顔がさく裂し、ルーレイラの方に自分の空いた杯を突き付ける。

 卓上にあるピッチャー状の容器から、酒をここに注げ、と言っているのだろう。


「わかったわかった、フェイのご同郷のコーゥさんとやらが最強でいいよ。じゃあ軍を率いた、将帥としての一番は誰なんだい」


 やれやれと言いながらルーレイラはフェイの杯に酒を注ぎ、フェイは一人でかんぱーいと言いながらそれを飲んだ。


「やっぱりナポレオンか、アレクサンダーですか?」


 リズはその二人くらいしか思い浮かばないようである。 

 二十世紀終盤のアメリカ生まれの彼女が、よもやヒトラー、スターリン、毛沢東、あるいはポルポトこそ最強であるなどと言い出したらどうしようか。

 そんなことをアキラは心配したが、そうでなくて安心。


「最強の定義自体がそもそも難しいし候補はたくさんいるけど、やっぱりチンギス・ハンかなあ」

「……」


 その名前を聞いて、さっきまでケラケラ笑っていたフェイが押し黙った。


 リズもアジアのことには詳しくないが、そう言われるとそう思えた。

 モンゴルがどういう国であるのかよく知らない欧米人の自分でさえも、数百年前のモンゴルの大王を知っているというのだから、よほどの大人物だったのだろうと。


「つまらん、その結論はつまらん」


 フェイは口をへの字に曲げた。


 フェイは中華の歴史で言う「元(げん)」時代の生まれ育ちである。

 チンギスは自国の皇帝の先祖なのだが、フェイたち漢民族はモンゴル族に征服され、支配された側の人間だ。


「つまらんって言われてもなあ……」


 よくわかっていないルーレイラが質問をする。


「僕はそのチンさんハンさんをもちろん知らないのだけれど、一人の並人の名前かな?」

「そうだよ。ハンは王の称号みたいなもの。チンギスが名前。そいつと息子の代で、世界の半分を征服したんだよ」


 アキラはテーブルの上の皿を並べて地球の地図に見立てて説明した。


「最初のチンギスの勢力は、この小皿の上に乗せた、一つまみの塩胡椒ね」


 チンギスが躍進する前と後で、世界の勢力図がどう変わったのか。

 アキラは皿を組み替えながら説明する。

 弱小部族でしかなかったチンギスの一党が、ユーラシア大陸のほぼ半分を征服していく、その過程を。


「チンギスは家族以外全員敵、敵対部族に囲まれて命まで狙われる弱小勢力からスタートした。それから爺さんになって死ぬまでの間に、これだけの土地を征服したんだ」


 モンゴルの大王、チンギス・ハンは死ぬまで最強であり続けた。

 死の病に伏していても、敵の国をどのように滅ぼすべきか、家臣や息子たちに説いて聞かせたと言うのだ。


「だからチンギスが最強だと、俺は思うよ」

 

 料理を食べ終え、カラになった皿が、テーブルの上に何枚も並んでいる。

 テーブル全体を世界にたとえるなら、空いた皿は全部、チンギスが征服した土地だ。


 アキラがそうまとめて、聞いたみんな、空いた口がふさがらなかった。


「そんな馬鹿な話は、ない。そんな生き方をしてたら、普通はジジイになる前に死ぬよ」


 ルーレイラが首を振った。

 普通じゃないから世界史上最大の帝王なのだが。


「飛行機も自動車もない時代ですよね? 移動するだけで何年もかかる気がするんですけど」


 リズが可愛い疑問を口にした。


「ふん、チンギスとその息子の代では、中華を屈服させることはできなかったんだぞ」


 そしてフェイが手酌で酒を煽りながら、哀しくボヤいた。



 その後、アキラが古代ギリシャ史、スパルタのレオニダス王の話をしたら、フェイの機嫌は簡単に直った。

 300人の精兵を従え、数万のペルシャ兵を相手にテルモピュライの隘路で戦い、散ったという、レオニダスである。

 もっともその数字は正確ではなく、実際には数千の勢力で数万の敵に対抗したということだが、それでも凄まじい戦いぶりである。


「うんうん、寡兵で強大な敵軍を押しとどめる、これぞ武人の誉れじゃあないか。私がその戦の将でも、同じく隘路で待ち伏せにするだろう」


 すっかりスパルタに感情移入していたフェイ。


 彼女が敵に囲まれ凌辱されるようなことがなければいいと、アキラは切に願ったのだが。

 

 憐れなことに、その願いはすでに破られてしまっている後なのだということを、アキラは知らない。

 フェイは自分が地球で過ごした最後を、この世界の誰にも話したことはないのだから。

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