22 街の中でも油断なさらずに!

 雑踏と言ってもいい商店街の人混みを見物しながら、なおもアキラは散策を続ける。


「兄ちゃん! ちょっとだけでいいから見てってくれよ! 安くしておくよ!」

 

 威勢のいい物売りの呼び声。


「あの”店”は失敗だったなァ……可愛い顔してるくせに、股ぐらから”ドブ”みてェな匂いがしてよォ……」


 立ち飲み屋の軒先で交わされる卑猥な会話。


 屋台から漂う肉を焼く煙。

 転んで泣く子供と、それを抱きかかえる親。


 ドリンクスタンドで買ったミルクを飲みながら、アキラは故郷の横浜を思い出す。

 食感が良い、果肉か澱粉かわからない謎の粒々が入ったこの飲み物を、アキラは知っているような気がした。


 アキラの地元も柄の良い街ではなく、性風俗店が多く、道には酔っ払いやチンピラが数多く歩いていた。

 しかしいつも賑やかだった。


 少し歩けば有名な観光地、歓楽街に行くことができ、そして、海に近かった。

 港越しに夕陽や夜景のよく見える公園で、友人たちとタピオカドリンクを飲んだことがあった気もする。

 そうだ、そのとき飲んだ奴にそっくりだなコレ、と思いながらアキラはミルクを飲み干し、少しだけ泣いた。



 街の中にどんな店があるのか、それを詳しく探索して知ろうと思って歩き続けていたアキラ。

 しかし大通りからずいぶん離れて、細かい路地に入りこんでしまった。


「やべ、あんまり路地の中まで入るなってみんなに言われてたんだ……」


 薄暗く不穏な狭い道。

 建物の配置が入り組んでいて、どちらが大通りだったか咄嗟にはわからない。

 悪い予感は当たるもので、アキラの耳に悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。


「ぎゃうん!」


 犬と人間の中間のようにも聞こえる叫び声だ。


「クロちゃんか?」


 よせばいいのにと心の片隅で思いながらも、アキラは声のする方向に小走りで向かってしまう。

 知り合いの冒険者でもあるクロの声にとても似ていたからだ。


 路地のどん詰まり、袋小路になっている箇所にその声の主はいた。

 黒髪の獣人男性が、三人の並人の男に囲まれてしゃがみこんでいた。

 口から少しだけ、血を流している。殴られたのだろうか。


 クロは銀に近い白髪が特徴的な狼獣人なので、人違い、獣人違いだった。


「違ったか……」


 そのことにはひとまず安堵。

 しかし獣人青年に危害を加えていた男三人から見れば、アキラは邪魔な闖入者でしかない。


「なんだぁ、てめえ?」

「通りすがりの者で、それ以上でもそれ以下でもないです」


 アキラはなるべく穏やかな口調で、真実を告げるのみ。


「だったら引っ込んでろ! カンケーねえだろうが!」

「まあ、確かにそうだけどな……」


 不逞の男たちに凄まれ、両手を胸の前に上げて後ずさるアキラ。

 その直後に、あたりに響く大声で、力いっぱいに叫んだ。


「火事だーーーーーー!! 火が出てるぞーーーーーー!!!!」


 路地の中にアキラの大声が響き渡り、いくつかの建物の窓が開く。

 その窓の奥から、近隣住民がなにごとかと疑問に思って様子を伺っている。


「こ、こいつ!! 余計なことするんじゃねえ!!」


 チンピラの一人が殴りかかって来たその拳を、アキラは後退しながら左手で回し受けた。

 いわゆる空手の回し受けである。


「はい、レフトサークルね、ダニエルさん。猫足立ち、苦手なんだよな……」


 後ろに下げた右足に体の重心を預け、前になった左足を軽く自由に動かすための、空手の構えが猫足立ちである。


 アキラにこの三人を打倒する意思はそもそもない、と言うかその自信がアキラにはない。


 火事だと叫んだのは、近隣住民に窓を開けさせるのが目的だ。

 誰かがこの状況を見てくれれば、そのうち衛士を呼んでくれる者もいると期待してのことである。


 その後は衛士が来るまで時間稼ぎをしながら、暴行を受けている黒髪獣人青年を守れればいい。

 防御重視の体勢を取ったのもそれが理由だ。

 しかし猫足立ちよりも、得意としている前羽の構えを選択すればよかったかな、とわずかに後悔した。


「チッ、このクソ野郎が!!」


 しかし暴漢のうちの一人が、光る物を出して迫って来た。

 アキラが腰に下げているおもちゃのようなナイフよりも一回り大きい短刀だ。


「あーもう、こっちから手を出すつもりはなかったのに! 足ならいいかな!?」


 アキラは左足の前蹴りで相手の短刀を持っている手をはじく。


 最初に襲いかかってきた男が、アキラの横に回り込んでなおも殴りかかってくる。

 それを右手で回し受けし、もう一人の男の攻撃も上中下段の受け技を駆使してなんとか防ぐ。


「お、色っぽいお姉さんが裸で」

「そんな手に引っかかるか!」

「残念、足元良いか? ヨシ!」


 効果のない眩惑の言葉を述べながらアキラが地面を蹴る。

 路上に捨てられていたゴミを土埃と一緒に蹴り上げて、相手の視界を妨害したのだ。


「鬱陶しい野郎だ!」

「くたばれや!」


 挟み撃ちを狙って来た二人に対し、アキラはその片方だけに反撃突進するそぶりだけ見せて。


「おっと地面に小銭が」 


 急にしゃがみこんだと思ったら、斜め方向に前転した。


「おぶ!」

「あああぶねっ!」


 アキラを二方向から攻撃しようとしていた男たちが、お互いに正面から激しくぶつかる。


「デカいナリしてちょこまかと逃げ回りやがって! 大ネズミかてめえは!!」

「生まれ変わったらカピバラになりたい系男子です」


 暴漢三人の頭にたっぷりと血液を上昇させることに成功したアキラだが、そのあとのイケてる作戦はない。

 次第に壁際に追い込まれて、囲まれてしまう。


「昔の偉い人は言いました、話せばわかる、ってね?」

「問答無用だゴルァ!!」


 アキラの理性的な平和主義思想は頭に血が上った男たちに聞き入れられることはなかった。


 いつぞやの日本国総理大臣のように自分は殺されてしまうのだろうかとアキラは思った。

 しかしそうはならなかった。


「お前たち、そこでなにをしている!! 頭の後ろに手を組んで膝をつけ!!」


 フェイが仕事中に着ていた制服によく似た格好の、若い並人の男性に加えてもう一人。

 おそらくはエルフと思われる耳の長い美男子がその場に現れた。


 アキラの叫び声が届いたのか、近隣住民が知らせたのか。

 間一髪で市内を巡回警邏している衛士が二人、駆けつけてくれたのである。


 そのときアキラは突進してきた男の攻撃を避けながら相手の腕をつかみ、お互いに押し合いへし合いしている状況だった。

 衛士が止めに入らなければ、他の二人にアキラは攻撃されていたかもしれない。


「はぁ~助かったあ。って、あれ?」


 安心して周囲を確認したアキラだが、被害を受けていた黒髪獣人の姿がない。

 アキラが大立ち回りをしている間に、逃げおおせたのだろうか。


「おいお前もだ! 抵抗をやめて大人しくしろ!」

「最初から抵抗してないです。温情あるお裁きをば……」


 不幸にも暴漢どもと一緒に取り押さえられたアキラ。

 縄までかけられて、衛士詰所まで連行される羽目になってしまった。


「喧嘩で補導されるなんて、いつ以来だ……」


 アキラは自分から喧嘩を売ったことなどないのに、しばしば横浜や川崎の街でお巡りさんのお世話になったことがある。

 青春時代を思い出して、自嘲気味にふふっと笑っていたら、衛士二人に気味悪がられた。


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