14 初討伐、お疲れさまでした!(依頼外なので無報酬)

 作業一日目の夜になり、エルツーとクロは幕舎(テント)の中で睡眠をとっている。

 少し離れた場所に焚火を起こしており、火の番、及び周囲の警戒のためにアキラとルーレイラは起きて、二人でちびちびと酒を飲んでいた。

 樽に集めている途中の樹液が、猪の体当たりや他の動物の接触によって台無しにされてはかなわない。


「今回の依頼ってさ、俺たち新米冒険者に仕事を教えるために、わざわざルーが考えてセッティングしてくれたんだろ」


 ルーレイラが手に持っている木のカップに酒を注ぎながら、アキラが訊いた。

 酒はルーレイラが自身の寝酒用に、革の水筒に入れて持って来ていた物である。


「うん? リズがそう言ったのかい?」

「いや、リズさんはハッキリそうは言わなかったけど、依頼者がルーだってわかったときに、そうなのかなって思ったんだ。ありがとな、ホント。ギルドに借金もあるし、助かったよ」


 真っ直ぐに感謝された照れくささを隠すように、ルーレイラはぐびっと酒を煽り、量の多い乱れた髪の毛をボリボリとかく。


「僕も慈善事業でやってるわけじゃないし、それだけの理由で仕事を依頼したわけではないよ。作業の手が欲しかったというのが一番だ。僕の都合する日に集まってくれる、そんな便利な手がね」

「ここのドワーフの村の人に、手伝いを頼んだりとかは?」

「それこそ、ない。ここの連中、意外とがめついんだ。報酬が安く済まない。村から人手を借りればそれだけ、この村の本来の作業の手を止めてしまうわけだからね。倍かかるよ」

「そんなにか」


 相変わらずドワーフへ悪態をつくルーレイラに、アキラが笑う。

 なんにしても、世話になっている。

 それはありがたいことでもあると同時に、アキラにとって責任でもある。


「それにアキラくん、この世界のことも、魔法のことも、まだちんぷんかんぷんだろう? ちょっと、これを使ってみたまえよ。これが、魔法で、精霊だ。論ずるより、見た方が早い」


 そう言ってルーレイラは、赤く色のついた、半透明のガラス板をアキラに手渡した。

 大猪の魔獣が出現したときに、周囲を透かして見ていたその道具である。


「これはなんなの?」

「その板を目に当てて、斃(たお)した大猪の死骸を見てみたまえ」


 言われたとおりにアキラはガラスを目の前に構え、ガラス越しに大猪の遺骸を観察する。

 ピピッと音が鳴り、ステータス情報が見えたり……はしなかった。

 その代わりに、大猪の体の周囲に、白く光る霧、蒸気のようなものが見えた。

 ガラス板を目から外してもう一度大猪を見ると、そんなものは微塵も見えなかった。


「え、なにこれ? なんかふわふわ光ってるんだけど!?」

「精霊たちの活動や、魔物の瘴気の流れを見ることができる道具だよ。天地の精霊たちが猪の体に満ちた瘴気を、優しく浄化している様子が見えただろう?」

「あの白く光った靄(もや)が、そうなのか……うん。見えたよ。精霊さんたち、頑張ってくれてるんだな」


 アキラは感嘆しながら何度も赤い板を目に当てて、もう一度観察した。

 ふわふわと波うった細かい光の粒が漂い、大猪の骸を囲んでいる。

 極小の蛍が無数に群がっているようにすら見える、美しい光景だ。

 この浄化という働きが、魔に堕ちた魂への、大地から与えられる弔いなのだろうかとアキラが思うほどに、柔らかく、優しく光が舞っていた。


「世界のいたるところには、水、火、風、土、雷、その他にも様々な精霊が存在して活動しているんだ。これは僕ら、リードガルドに生きる者にとっては、説明するまでもなく当たり前のことだ」

「信じてるっていう以前に、当たり前に、そこに、あるものなんだね」


 空気や水の必要性、ありがたみを頭で理解する前から、人は深呼吸の気持ちよさや清水の美味しさを理解する。

 アキラは精霊を理解するにあたり、そういう感覚でとらえようとしたのだ。


「その通り! けれども転移者の並人は、どうもそのことを上手く理解できないことが多い。すんなり感覚で理解する奴もいるけれど、稀だね。僕の知る限りでは数人しかいなかったよ」


 はぁーと感心しながらアキラはガラスの魔道具をルーレイラに返す。


「便利な道具があるもんだな」

「僕が作ったんだよ。僕の専門は魔法道具の作成で、冒険や戦闘じゃないんだ。この技術のおかげで長いことギルドからお仕事を貰い続けて、なんとか食いつないでいるというわけさ」

「え、それは、凄いというレベルを超えている、更に上のやつでは……」


 一緒に酒を飲んでいる赤い髪の愉快な耳長が、ただの物知りではないとアキラははじめて理解した。


「別に大したものじゃない。大猪相手だって、強かったら逃げてたよ。あれくらいの魔物なら、一人で倒せる冒険者はごまんといる。力自慢の中級冒険者なら、一撃だろう」


 自分程度はなんというほどの者でもない、とでも言いたげなルーレイラに向き合って、アキラは真剣に自分の考えを告げた。


「いやいや、こういうの作れるとか、それだけでスゲーことだよ。工場だったらマイスター認定だぜ!?」「そうかなあ」 

「そうだよ。ルーは、仕事の仕組みを丸ごと変えることができるってわけじゃん。イノベーションを起こせるエルフなわけじゃん。今まで無茶やって死んでた冒険者が、このガラス一枚で死ななくて済む状況ってのは確実にあると思うよ。冒険の結果にコミットしてるんだよルーは」


 興奮気味に意識高い言葉を並べるアキラ。

 自分でも何を言っているのかよくわかっていなかった。


 そんなアキラに褒められて、驚きながらも誇らしい気持ちを感じてしまうルーレイラ。   

 しかしやはり少し恥ずかしいようで、自分の頬をぽりぽりとかき、強引に話題を変えてかかった。

 野放図な享楽主義者の振りをしていながら、ルーレイラは案外と真っ直ぐな押しに弱い。


「あとは、リズから説明を受けたかもしれないけれど、きみたち転移者もこの世界に満ちている精霊の加護、祝福をちゃんと受けているんだよ」

「そうなの? これと言った自覚はないけど……」


 それほどわかりやすいギフトを神や大地から得ているとは、アキラも思っていなかった。


「具体的に言えば、僕らが不自由なく会話している言語の問題だ」

「あ、契約の説明のときに聞いたわ。精霊の力のおかげって。内容まで詳しく聞いてないから忘れてた」


 アキラにとっては、説明されても分からないかもしれない分野である。


「これは仮説で誰も実証できてはいないのだけれどね」


 そう前置きして、ルーレイラは以下のように語った。


「どうも『知恵の精霊』のような存在がきみたち転移者に祝福を与えているのではないか、と言う説が有力だよ」

「精霊さん幅広いね、仕事の分野」

「そのおかげできみたち転移者はリードガルドのどの国へ行っても、どの民族種族を相手にしても会話ができるのではないか、って説があるんだ」

「便利すぎるな。そんな都合のいいことってある?」


 アキラもさすがに驚く。

 リズはそこまで話さなかったからである。


「それ以外に考えようがない。だから転移者の多くは国をまたいで通訳や外交官、あるいは商人の仕事をすることが多いんだ。勉強しなくても各国の言語を駆使できるのだからね」

「言葉を勉強しなくていいんだからな……いろんなことが、いろんな国でできるだろうな」


 常識的に考えて、この世界もたくさんの国があり、民族がいて、言語も細分化されているはずだ。

 アキラ自身は韓国語、フランス語、スペイン語、ロシア語が分からない。

 英語だってそれほど得意ではない学生だった。


 それと同じく、ラウツカの街に住む人々は、リードガルドの他の国で使われている言語を十分に理解していないだろう。

 しかしリズやアキラたちのような転移者は、なんの苦労もなくその言語の壁をすんなり超えられるのだとしたら。

 選べる職業の幅や身の振り方は、一気に広がるというものだ。


「他には…、フェイやアキラくんを見ているとわかりやすいけれど、きみたちが元いた世界で得意だったこと、好きで興味を持っていた分野の才覚や素質が、転移してリードガルドに来ると更に大幅に引き上げられる、とも言われているよ」

「だから得意なことをしっかり聞かれたのか」

「そうさ。アキラくんもフェイと同様に、武術や格闘に造詣が深かったんだろ?」

「フェイさんみたいな超人と比べられても困るけど、確かに空手は真面目にやってたね。若い頃」


 アキラは社会人になって数年間、空手の道場での真剣な修練とは離れた生活を送っていた。

 いくら自己トレはしていたとしても、実践的にはブランクのある状態だったのだ。

 そんな自分がフェイと行った組手の際、そして今回の大猪との遭遇の際に「自分で思った以上によく動けている」のが不思議だったのは確かだ。


 しかしそれは異世界に飛ばされたことで精霊の加護を受けた結果なのだと思うと、納得せざるを得ない話だった。


「フェイは仕事でしょっちゅう危ない修羅場をくぐっているし、仕事以外の時間でも稽古を継続しているから、その能力がどんどん伸びているように僕の目には見えるよ」

「強さがフェイさん一人の中でインフレしてるなそれ」


 宇宙は膨張している、みたいな話になってきた。


「彼女と僕の付き合いはまだ二、三年といった程度でしかないけれど、最初に会った頃のフェイより、今のフェイの方が確実に強い。昔から鬼のように強かったというのに、この先もどれだけ強くなっていくのか、恐ろしい話だよ」

「ははは、確かに怖いけど、どこまで行っちゃうもんか楽しみでもあるかな……」


 一般女性の体格を逸脱していない、むしろ危ない仕事をしている割には小柄で華奢なフェイ。

 彼女があれだけ強いというのはその時点でアキラにとってファンタジー案件である。


「精霊もいるし、魔法もある、魔物もいる。きみたちの暮らしてきた世界と違うと言うのはご理解いただけたかな?」

「なんとなく、ぼんやりとは。魔物の類がどういう理屈でポンと出てくるのかは、いまいち掴めねー所だけどな。なんなのあいつらは結局のところ……」


 アキラの不安に、ルーレイラはなにもない宙を差して、指でスッスッスッと線を描く真似をした。


「リズに聞いた話だけれど、きみたちの住んでいた世界は、いたるところに見えない蜘蛛の糸が張り巡らされていて、それを通して世界中どこでも情報をやり取りしていたそうだね?」


 星空に線を描くような動作をしながらルーレイラが話した内容を、アキラはとっさには理解できなかったが。


「あ、インターネットとか電話か」

「そうそれ」 

「確かにそうだな。実際は地中とか海底にもケーブル引いてるんだけどな。でも電波とかで情報をやり取りしてるって意味では、見えない糸だわ」

「悪魔……と言うか、悪魔の親玉の魔王がね。そう言う、見えない糸を世界中、このリードガルド全域に張り巡らせているんだ。この世に生まれる悪意、絶望、怒り、悲しみなんかを感じ取るためにね」


 この話は少し長くなるよ、と前置きしてルーレイラは次のように語った。


 満天の星空の下、二人の夜は、まだ続く。

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