12 冒険先でなにか、珍しいものは見つかりましたか?

「ここを宿営地とする!」


 ルーレイラがそう宣言したのは、木々がまばらに生えている、いわゆるなんてことない田舎の山林の真っただ中でしかなかったが。


 ドォン、ドーン、ドシーン。


 なにやら不穏な物音が辺りにいくつか聞こえる。

 赤茶髪の少女、エルツーが嫌そうな顔をして、言った。


「え、まさかここ、猪樺(シシカバ)の森!?」

「そうだよ。諸君らにはここの森の中に無数に生えているシシカバの樹に傷をつけて、樽の中に樹液を採取してもらいたいんだ。できるだけ沢山、馬車に積める限りね!」

「うわ、本当にあったんだ……」


 がっくりと肩を落とすエルツーの横、馬車の荷台には確かに木の樽が用意されていた。

 なにに使うのかとアキラは疑問だったが、なるほど樹液を集めたかったのかと納得する。


「木の肌に鉈やナイフで深い傷をつけると樹液が染み出してくるから、それを樽に入れるんだ」


 まず一つ、実際にやって見せながら、三人にルーレイラが説明する。


「染み出してる傷口から、棒とか布なんかで樽の入り口まで樹液を導いて流してやれば、勝手に樽に樹液は溜まる。満杯になったら樽を取り換える。それだけの仕事だよ」

「単調ッスね……」


 ルーレイラの説明に、クロが暗い顔をして返した。

 クロのような犬系、狼系の獣人は動きの少ない、時間のかかる作業を得意としていない傾向にある。


「そんなに疲れないみたいだからいいけど……イノシシが突っ込んで来るんじゃないの、この樹って!?」


 逆にエルツーは地道な樹液採集に不満はなさそうだ。

 しかし一つの大きな不安、不満を口にした。

 周囲でドンドンと鈍い音を鳴らせている犯人は、樹木に体当たりしているイノシシなのである。


「そうだね、このあたりに住むイノシシは、この樺の樹に体当たりして、木の実や枝にいる虫なんかを落として食べてるからね」

「虫、落ちるよね、この季節は……」


 ギルドの中庭で桜の木に右回し蹴りをぶちかまし、大量に毛虫が落ちてきたことをアキラは思い出した。


「要するにイノシシどもから身を守りながら、ちゃんと樹液も集める仕事ってことっスね。それならちょっとやる気出てきたッス」


 クロは樽を抱えて運び、めぼしい樺の木にがつっとナイフの刃を打ちこんで傷をつけた。

 じわじわーっと傷口から樹液が溢れてくるのを見てアキラは驚いた。


「結構な勢いで出るんだな?」

「飲んでもまあまあ美味しいよ。ちょっと木の香りと言うか、おがくず臭さはあるけれどね」


 アキラも試しに、ルーレイラが用意した鉈でがつんと樹木の表面に傷をつける。

 自分でもナイフを持っているが、小さすぎて樹皮を刻むのには向かない。

 出てくる樹液を恐る恐る舐めたところ。


「あ、ほんとだ。クセはあるけどほんのり甘くて美味い」

「美味しい以外にも中々使いどころのある樹液なんだよこれは! でもいくつかの木々は痩せて枯れかけてるなあ……せっかく植えたけどそろそろ限界かな」


 愛おしむような目で樺の木を眺め、優しい手つきで樹皮を撫でるルーレイラ。


「え。ルーが植えたの? この林、全部?」

「うん。七十年くらい前かな。僕がラウツカに来てすぐのころだね」


 そんなにも昔から、ルーレイラはラウツカの街に住んでいるということをアキラたちは知った。


「ラウツカ近辺にはシシカバが生えてなかったからね。故郷の山から苗木を取り寄せて、頑張ってここに植樹したんだよ。僕の魔術に有用な素材として、この樹液は欠かせなかったからさ」

「シシカバの樹なんて絵本でしか読んだことなかったわよ。こんな近所に変わり者のエルフがわざわざ個人的に植えてたなんて、知らなかったわ」


 ルーレイラの思い出話に、エルツーが呆れた。


「シシカバの樹液は木と水と風と土と光の精霊魔術の、極めて効率のいい触媒になるからね。汎用性が高く、費用対効果がすごくいいんだ。もうじきこの木々は限界だろうけれど、手間に見合う仕事だったよ」


 ルーレイラが話している最中に、樹液を集めている最中の木が、イノシシの体当たりを食らった。

 樹液を樽に流して集めていた仕組みが、イノシシの体当たりによる衝撃でずれて崩壊してしまう。


「こンの豚野郎!! 覚悟するっスよォ!?」


 激昂してイノシシを懲らしめようとクロが走り出す、が。


「こらー! イノシシを刺激しちゃダメだ! 一頭でもこっちから危害を加えると群れで襲ってくるぞ!」


 ルーレイラがそう諌めて、クロの突進が止まる。

 グルグルグルル、と唸りながらクロはイノシシを威嚇するだけにとどまった。


「やっつけて肉として狩ってしまえばいいのでは……? イノシシ、美味そうだし」


 アキラはそう思って聞いたが、ルーレイラはフルフルと首を横に振った。


「この山の獣の狩猟権は、さっきの村に住んでいるドワーフたちが独占してるからね。僕ら冒険者がこのあたりで普通の獣を狩っちゃいけないんだ」

「なんですと。冒険者なのに、狩りができない?」


 アキラはそのことに軽く絶望を覚え、つい叫んでしまった。


「襲ってくる魔物から身を守ったり、依頼された獣を狩るのは大丈夫だよ。もしくは自分の山で狩るか」

「山なんて持って、ないです」

「営利目的の狩りや採集には、権利者から個別の許可を取らなければならないのさ」

「めんどくさぁー……でも、当たり前っちゃ当たり前か」


 冒険者と言っても好き勝手に野の獣を狩ってはいけないのだということを思い知らされて、新人三人が揃って表情を歪めた。


「と言うわけで、イノシシは適度に追い払うだけに留めて樹液をサクサクと集めてもらいたい! 二泊の予定だが樽が満杯になればそれより早く帰るからね!」

「早く終わったからその分日当も減らす、なんて言わないでしょうね」


 エルツーはお金にシビアなようである。

 雇い主に面と向かってこういうことを言えるメンタル、見習いたいものだとアキラは思った。


「もちろん報酬は満額払う! ……樽が満杯になれば、の話だけれどね」


 ルーレイラは新米冒険者の三人に発破をかけた。

 早く終われば早く帰れる、と聞かされたエルツーは露骨に作業への意欲が上がった。


 アキラがエルツーを見た第一印象は「やる気に欠ける若者」でしかなかったが。

 やはりお金は大事なようで、収入に直結する作業自体は真面目にこなすようだ。


 辺りに満ちる新緑の香りを楽しみながら、アキラも作業に汗を流した。

 しかしその途中でふと、意識に引っかかるものがあった。


「春の山ってことは、熊とか出たりしねえの?」

「出るかもしれないねえ」

「オイオイ、ちょっとそれは、オイオイですよ」


 冗談で済まされないぞ、とアキラは思った。


「大丈夫だよ、このあたりの熊は体も小さいし臆病で、せいぜいアリの巣や蜂の巣をほじって食べるくらい……」


 そう楽観的な見解を述べていたルーレイラが、話を途中で変える。


「イノシシが樹に体当たりする音が、聞こえなくなったね。どうしたことだ?」


 その言葉で全員、声や物音を控えて耳を澄ました。


 シシカバの林に満ちる静寂。

 そのはるか遠くから発せられる得体の知れない、低く鈍い振動を最初に感じ取ったのは、狼人間のクロだった。


「まずいんじゃないっスかね、これ」


 クロがそう言って、今まで明るい表情で話していたルーレイラが、アキラの見たこともない顔で、驚いたのだった。

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