インターミッション01 料理屋でエビを食い散らかす

 リズの仕事時間が終わった夕方。


 リズ、フェイ、ルーレイラ、そしてアキラの四人はギルドの近くにある飲食店「眠りの山猫亭」で卓を囲んでいた。

 春に漁獲できる美味なエビが今年は特に豊漁だという話で、それをみんなで食べようとルーレイラが提案したからだ。


「奢ってもらっちゃっていいのかな……」

「アキラくん、無一文だろう? 他人にタカって生きるしか道がないじゃないか」


 料理が来る前から酒を何杯も飲み下して、ルーレイラは愉快そうに言った。


「今日はルーがごちそうしてくれるって言うので、気持ちよく甘えましょう、アキラさん」


 遠慮のない間柄に、アキラも気分がほぐれる。

 フェイを含めたこの三人は、仕事を離れた時間でも良い友人同士なのだろうと想像し、自然と笑顔が出て胸が温かくなった。


「ところでその、アキラどの」

「はいな」


 中庭で我を忘れて格闘交流を楽しんでしまい、結局アキラがばてるまで付き合わせてしまったフェイが、今更申し訳なさそうな顔をしている。

 それでもフェイはアキラに聞きたいことがあるようで、こう質問した。


「アキラどのは、中華のことに詳しいようだが……孟浩然も知っていたな」

「ああ、春眠不覚暁ね。春どころか一年中眠いけどね俺」


 アキラがギルドの中庭で呟いた、中国の詩に由来する戯言をフェイは覚えていた。

 有名なフレーズなので、漢文に詳しくなくても日本人の多くは知っている。


「他にも何か、知っていることはあるのか?」

「本とかで読んだことくらいしか知らないけど」


 と前置きし、元王朝かあ、とアキラは顎で指をぽりぽりとかきながら考えて、言った。


「フェイさんが過ごしてたのは、フビライが生きてた時代?」


 フビライ・ハンはモンゴル民族が中華エリアを支配する王朝を、史上初めて打ち立てた人物である。

 大英雄チンギス・ハンの孫だ。


「いや、フビライ帝は確かに有名な大人物だが、私にとっては昔話だな」

「フェイさんは、もう少し後の時代を生きたんだね」

「ああ。と言っても私のひい爺さまが子供の頃に、フビライ帝が貴殿の祖国、日本と言ったか、そこに攻め込む兵を出したんだという話は知っているよ」

「文永の役が1274年で弘安の役が1281年だから……そのひいお爺さんって長生きしてた?」


 ぶつぶつわけのわからないことを言っているアキラを訝しく思いながらも、フェイは当時を思い出して答える。


「確かに長生きだったな。私が子供のころに、八十歳のお祝いを一族集まってした記憶がある。歳の割にはかくしゃくとしていた」

「そっか。フェイさんが子供のころ、ひいお爺さんは八十歳。そのひいお爺さんが子供のころに、元寇ね。時代的には、なんとなく、わかった」

「は?」


 アキラが納得した顔で「わかった」と言ったので、フェイは唖然としてつい高い声を出してしまった。

 普段、意図的に抑揚を抑え、低めの声で話すことを心がけているのだが。


「それだけの話で、いったい何がわかったんだい? 僕にはフェイのひいおじいちゃんが、並人(ノーマ)にしては長生きして、みんなからお祝いされたという思い出話としか思えなかったんだけれどね」


 同じ疑問を持ったルーレイラもアキラの結論に興味を示す。


「フェイさんは俺とかリズさんより、650年くらい前の人だと思う。フェイさんがこっちの世界に来るときにもう元王朝は限界で、反乱が各地で起きて次の王朝に変わる目前の時代だね」

「あ……」


 反乱、と言う言葉を聞かされて、フェイは「自分の、中華での暮らしが終わった時」を思い出した。

 飛び交う怒号、焼ける建物、暴れまわる牛馬、そして町を荒らす暴徒……。


「要するに元王朝は、内乱の果てに別の皇帝に『とってかわられた』んだな。私が許昌で死んだ、すぐ後に」

「年代的には、多分、そうだと思う。すぐ後って言うか、内乱がしばらく続いて、その後に」


 話を聞き、ルーレイラもリズも、少し神妙な面持ちで黙った。


 歴史に詳しくないリズでも、モンゴル民族が一時的に中国を支配していたということは、教養として軽く知ってはいた。

 だからフェイもリズとの話の中で、元王朝がいずれ滅びて別の王朝が中華に立つという情報自体は知っていた。


 フェイは胸の詰まる思いがした。

 大きな歴史事件が起きたのは、自分が生き、そして死んだすぐあとのことだと、今になって知ったからだ。


「そうか、元王朝はあの少し後に滅んだのか……」

「モンゴル部族そのものは、万里の長城の北に引っこんで存続してたから、滅亡したって感じじゃないけどね」


 話しながらアキラは、いくつかの推定を組み合わせる。

 フェイの故郷が河南の地、許昌という町であること。

 フェイが元王朝時代末期、許昌で悲惨な死を遂げてこの世界に飛ばされてきたのだろうこと。

 そして、一つの仮説にたどり着いた。


「……元王朝に反乱する軍が、フェイさんの地元の近く、開封(かいほう)の町で一度モンゴル軍にけちょんけちょんにやられてるはずなんだけど、ひょっとして」


 開封は河南の土地でもとくに重要な、大きな街だ。

 モンゴル民族の支配に対抗し、漢人の宗教結社から勃興した反乱軍は開封を自分たちの拠点として占拠した。

 しかしそこをモンゴル王朝が遣わした大軍に包囲され、大きな戦となった。


「開封が大変な戦場になったということは、私も知っている。当時の私はまだ子供だったから内容を詳しく掴めていなかったが、そうか、反乱軍と元軍が開封でぶつかったんだな……」


 そのとき、反乱軍は元王朝モンゴル軍に一度負けて、散り散りになった。

 反乱を起こす為に寄って集まった烏合の衆が、一度負けて指揮系統が乱れるとるとどうなるか。


 当然、一人一人の兵は生き延びるために必死で逃げる。

 捕まったら王朝にたてついた咎で死罪だから、そうならないようになりふり構わず、逃げる。

 逃げながら、腹を満たすために周辺の町や家庭から金品食料など略奪する。

 物資を供出しない町や村を、漢人に協力しないモンゴルの手先だと敵視して、焼いてしまう……。

 フェイの回想とアキラの想像は、その大枠において近似の形をとった。


「ご、ごめん。嫌なことを思い出させたかな……?」

「なにを言う。質問したのは私だ。むしろ長年の疑問に答えを得てすっきりしたよ。ありがとう」

「力になれたなら、良かったけど……」




 自分が地球で生きていた最期の日、14歳の小娘だったあの夜を、フェイは久しぶりに思い出した。

 開封でなにやら大事があったらしく、暴徒がこの許昌にも来ている。

 民家から物を奪って回っている、若い女が襲われたり攫われていると聞いて、勇んで家を飛び出した。

 家族が止めるのも聞かずに、一人で、着の身着のまま、木剣の一振りだけを手にして。

 そして、家から少し離れた裏路地で、女性に乱暴しようとしている男を見つけて、こう言ったのだ。


「この街を荒らす悪者は許さないぞ! 今すぐその人を離せ!」


 暴漢は、言葉も返さずにフェイに襲いかかる。

 手に持った刀剣を振りかぶって、走ってこちらに迫って来た。

 フェイは暴漢の一撃を軽く躱し、相手の顔面、鼻っ柱に横なぎで木剣を当てる。


「ぎゃぁっ!!」


 少女の頃の話である。

 フェイの体は小さく、筋力も非力と言っていい。

 しかし遠心力が完璧に乗った硬い木剣の一撃を食らい、暴漢の鼻は血を噴いて潰れた。

 続けざまにフェイは、隙を見せた相手の左眼を、親指で思い切り、突いた。


「い、いひぃぃ!! 目が! 俺の目がぁ!!」 


 視界を奪った相手の背中側に、素早く回り込みながらその髪や耳を、力任せに鷲掴みにする。

 流れるような動きで、フェイは跳躍しながら両手で暴漢の頭部を抱えるように掴む。

 しっかり掴んだまま、体重を預けて自分の体を急回転させ。


「びぎっ!?」


 相手の首の骨をひねって、折った。

 掴んだままの男の首を支点とし、フェイの体が風車の羽のようにぐるんと一回転したのだ。


 暴漢は力なく一瞬で倒れた。

 泡のような涎を垂らして、白目を向いている。

 首は自然ではない方向に曲がり、呼吸はもうなかった。


「もう大丈夫だお姉さん、立てるか?」


 襲われていた女性に、フェイは笑って手を差し伸べた。

 しかし、助けられたはずの、その女性は。


「い、いやあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」


 フェイの手を拒絶するように後ずさって、大声で叫んだのだ。

 大柄な体の暴漢を、一瞬で絶命させたフェイに対して、感謝や安堵より先に恐怖が走ったのか。

 その叫び声を聞いて、他の暴漢……おそらくは反乱軍の敗残兵の仲間が集まって来た。

 自分は夜の暗い路地で、体の大きな何人もの男に取り囲まれ、無数の槍や刀の輝きが、目前に――。




 ほんの少しの間、暗い回想に浸っていたフェイの眼前に注文した料理が届いた。


「お、料理が来たな。さあ食おう食おう。どうせルーレイラが払うんだ。アキラどのも好きなものを頼むといい。酒は飲む方か?」


 運ばれてきた料理は、小麦の練り物を堅めに焼いた生地を船の形の器とし、グラタン状のエビ料理が乗ったものだった。

 器ごと気軽に手で持って全部食べてしまえる、お洒落で気の利いた一品である。

 その他にも香辛料をたっぷりつけて揚げたエビや、ミンチにしたエビを丸めて成形して蒸した料理、茹でたエビに刻んだ漬物や酢や油を加えて和えたものなど、様々な品が卓に運ばれる。


「いやまあ、酒もエビも好きなんだけど……いいのかなほんと?」

「遠慮するなって言ってるだろ~~~なんだ~~~僕の酒が飲めないってのかぁ~~~?」


 べろべろになりかけているルーレイラがアキラの肩を組み、杯に酒を注ぐ。

 その光景を見て笑いながらフェイも酒を飲んでいる。

 珍しいな、と思ってリズは聞いた。


「大丈夫ですか?」

「明日は休みだ。問題ない」

「明日じゃなくて、今です」


 真面目な顔でそう聞いてくるリズに、フェイは苦笑いしながら少しだけ、弱音を吐いた。


「少しな。しかし飲んで寝れば、いつも通りの朝だよ、リズ」


 リズはフェイと親しい付き合いをしているが、フェイの死の状況を知らない。

 聞くことができないのだ。

 おそらくは自分よりも、よほど無惨な最期を遂げたのだろうという直感のようなものが働き、聞く機会がないまま今まで過ごしてきた。

 過去の話をアキラと交わし、悲惨なことを思い出したのだろうと思ったリズの勘は、悲しくも当たってしまっていた。


「こんなに美味いエビがあるなら、刺身や踊り食いで食いたいな……」

「サシミってなんだい?」


 バクバクとエビを口に放り込みながら放たれたアキラのぼやきに、ルーレイラが興味を示した。


「生で魚介類を食べる料理だよ。俺の故郷では名物って言うか定番って言うか。活きの良いエビなんて、生きて動いてるまま食べるよ」

「ははは、生で魚や貝やエビを食うような蛮族は、このラウツカにはいないよ」

「そうなの?」


 港町であるのに生の魚食文化がないことに、アキラは驚いた。


「そもそもそれは料理と言えないだろう。きょうび、龍族獣人ですらゴキブリを鉄鍋で炒めて食べるというのに! あははは!!」

「いや立派な料理だし。蛮族じゃねえし。刺身も寿司もうめえし。ってかゴキブリ食うのここの人たち?」

「僕は好んで食べないけれど、それなしじゃ落ち着かないという者がいるのは確かだねえ」


 リズは少し切ない気持ちで、実は苦手なエビ料理をちまちま突ついて過ごした。

 食べられないというほどではないものの、リズがエビやカニを苦手としている理由は、虫を連想させるからである。

 ゴキブリ料理の話題が出て、耳をふさぎたい気持ちでいっぱいだった。


 酔っ払い二人がエビやゴキブリの話で盛り上がってる中、フェイは静かに酒と料理を堪能している。


「さすがに魚や貝を生では食べないだろう。体にブツブツが出たりひどい下痢をしてしまうぞ。何日も熱が出て寝込むことになる」

「ほーら転移者の大先輩、フェイ隊長もこう言っておられる! アキラくんの地元はよほどの蛮地だったに違いない!」

「日本では生で食うんだよ! あんたら葉山のサバとか三崎のマグロとか食ってみろ!? 美味すぎて死ぬよ!?」


 アメリカにいた頃はスシをたまに食べることがあったリズ。

 しかし議論に加わると面倒だと思って黙った。

 フェイのコメントがやけに実感を伴っている気がしたが、そこはスルーした。


 その後も四人は食べ、飲み、話し、笑い、そうして夜は更けて行った。


「きみたちの世界にも、色々な歴史があったんだねえ……」


 へべれけのルーレイラが、寝言のようにむにゃむにゃと、それでも興味深そうな口調で、そう言った。

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