09 体はほぐれましたか? これで準備万端ですね!
「カラテというものを私は知らないので、とりあえずどんな技があるのか教えて欲しい。得意な技、好きな攻撃を遠慮なく打ちこんできてくれ」
場所は、中庭。
怨鬼などの魔物が繋がれている一角とは離れた広い空間に、アキラとフェイが正対している。
アキラが屠った怨鬼はすでに片付けられたようだ。
「いやいや、最初から遠慮なくって、危ないだろ、いきなり」
好きなようにかかってこいと言われるも、そうもいかないと思うアキラ。
空手技は、基本的に相手の身体を破壊する能力を持った技術だ。
いくら稽古、練習とは言え、そしてフェイがいくら達人とは言え、華奢と言えるような体格の女性に拳や蹴りを打ちこむ。
それはさすがに日本人男性として当然の躊躇がアキラにあった。
しかしそう思って迷っているアキラに、少し離れたところから見ているリズとルーレイラが声を飛ばす。
「アキラさん、フェイさんなら本当に大丈夫です。格闘技(マーシャルアーツ)に関して、地球や日本の常識をフェイさんに持ち込む必要はありませんよ」
「むしろ僕はフェイがぎゃふんと言わされる場面を見てみたい! アキラくん、ぜひとも全力いっぱい、全身全霊でやってもらいたいね!!」
「んなこと言われてもな……」
なんなんだこの人たちはと思いながらも、アキラは学生時代を思い出し、試合や練習で多用していた構えをとった。
実際、社会人になって道場に通わなくなってからも、一人稽古や筋トレなどのトレーニングは日課として続けていた程度に、アキラは空手に思い入れがあった青年なのだ。
オタクの中には格闘技愛好者も多いのである。
左手と左足を少し前に出して膝を軽く曲げる、右利き用の格闘技の構え。
脚の開きは肩幅より若干広め、両手は「フェイの肩の高さと自分の顎を結ぶ直線上」ほどの位置に、拳を軽く握って構える。
相手のパンチから自分の顎や鼻先、口周りの急所を防ぐためのオーソドックスな構えだ。
左手は若干下げているが、これはフェイの蹴りでみぞおちや金的を狙われたときにとっさにさばけるように、という意図である。
対するフェイは、まともに構えをとっていない。
手首足首をプラプラさせ、肩をぐるぐる回しながらアキラの構えを観察しているだけで。
「ふむ、打撃主体か。距離があるうちは前方向へのつま先蹴りや、右足での大きな蹴りを使うんだな」
「いや、なんでわかるんだよ」
「踏み込んでの拳打もあるようだが、相手の出方がわからないうちは出しにくいか、なるほど」
と、アキラが脳内でシミュレートしていた戦術を言い当てた。
「実は空手知ってるだろ!?」
「知らないと言うのに。ならこの距離だとどうする?」
そう言うなり、フェイは素早く一歩だけ間合いを詰めた。
両者の蹴りが届く位置。
体格差があるためアキラの拳は相手に届くが、フェイの拳はアキラに届かないという距離だ。
「牽制と目くらまし的な左ジャブから、打ち降ろしの右……」
「と見せかけて、本命は右足で私の下肢を蹴るのか。私の体勢を崩すためか? いや、防御の意識を下に向かせるためかな。ほうほう面白いな」
やはり完全にアキラの思惑はバレてしまう。
「なんなのこのカンフーマスターは。チートなの? 壊れキャラなの? 完全にバランス失敗のクソゲーですねこれは。初心者狩り良くない。早くアプデ来い、俺の」
体を動かすもへったくれもなく、動く前からすべての動作がフェイに読まれている。
「貴殿の構えや目線、体重の掛け方からなんとなくそう思っただけだ」
「なるほどそういうことね完全に理解、いやできませんって」
「それに、貴殿が出そうとした下半身への蹴り、あれはよくわからん。どうやるのか打って見せて教えてくれ」
アキラが出そうとした右でのローキックにフェイは興味を持った。
キラキラした目でせがまれる。
アキラは寸止めの要領で向かい合ったフェイの右足の内側、あるいは左足の外側に、右のローキックを打つ、真似をする。
「うちの道場の基本のローは、相手の膝関節横の肉が薄い部分を狙って、斜めに打ち下ろす感じの蹴りを出すんだ」
「寸止めでなく、当ててくれて構わないぞ。基本というからには、別に類似した技があるんだな?」
アキラが放つ蹴りの軌道を興味深く注視し、フェイがさらに深く知ろうと質問する。
「そ、そうね。鉈みたいなイメージで打ち下ろすローは、相手にダメージを与えるための攻撃。相手の脚を壊して機動力を奪うのね。相手の軸足に打ち下ろせば、衝撃を逃がせないから」
「敵の動きからまず奪うのは合理的な戦術の一つだ。他には?」
「同じ下段蹴りでも打ち下ろす軌道じゃなくて、相手の太ももをバチーンって蹴り上げるのもあって」
若干だが蹴りの軌道と当てる部分を変え、アキラはパンとフェイの太ももに足を当てる。
微妙な違い過ぎて、なにが違うのかギャラリーであるリズやルーレイラにはさっぱりわからないが。
「足の甲を使って平手打ちのように叩く感覚か。こちらは太もも全体が的だから当てやすいし、攻撃そのものの速度が速いのはいいな。興味深い」
フェイにはその違いと、それぞれの技が意図するところ、狙いなどがほぼ完璧に理解できていた。
「肉体的なダメージよりも相手を痛みで混乱させたり牽制する感じね。あと他には……」
ぽん、ぽん、とあくまでも軽く蹴りを当てながら、ローキックを中心に空手の技を説明するアキラ。
「痛い蹴り、重い蹴り、速い蹴りがあるぞと相手に嫌というほど思い知らせて、足をひっかけて相手の体を崩す蹴りにも転じるのか。膝から下だけで考えることが山ほどあって嫌になるだろうな、これは楽しい」
いつの間にかアキラも蹴られる側に回っている。
ぱん、ぽん、ぱん、と若い男女が桜舞い散る中でお互いに蹴りを当てながら笑っているという珍妙な光景が出来上がった。
「お、今の蹴りはいいじゃないか! 下段蹴りと同じ姿勢、同じ初動から中段や上段に打ち分けられるんだな? 小癪な真似をする!」
自分が打ったことも喰らったこともない蹴りを目の当たりにして、フェイは心底楽しそうである。
「俺が若い頃に流行ってた蹴り方で、必死で真似して練習したんだ。ローと思わせてハイ、ハイと思わせてミドル、ミドルと思わせてローと思わせてやっぱりミドル、みたいなね」
「一瞬、どこを蹴るのか全く分からなかったぞ。よほど練習したと見える」
「初見で余裕で避けあんたはちょっと、いやかなり異常だけどね!?」
「そんな痛そうな蹴り、喰らいたくはないからな」
組手を始めてからこれまでずっと、アキラは下段蹴りの動きしか見せていなかった。
そのさなかで少し驚かせようと思って出した、予告なしの上段蹴り。
それをフェイは両腕で受け止める姿勢をとりながら、横に飛んで逃げたのだ。
アキラが驚いたのは、フェイの上段蹴りの対処が完璧だったからである。
いくらお互い軽く当てるという意志疎通の元で行われる練習であっても。
もしアキラが勢い余って蹴りを全力で振りぬけばどうなるか。
フェイの筋力と体重では、体格で勝るアキラの上段蹴りを完全にブロックしてノーダメージでやり過ごすということは難しい。
ちょっと間違えば事故が起こる可能性があり、実際に練習中のその手の事故は多いものだ。
もちろんアキラは蹴りを途中で止めるように細心の注意を払った。
しかしフェイは自分が見たこともないはずの攻撃に対して、完璧な危機管理を発揮した。
そのことにアキラは言葉を失った。
これは次元が違うと、格闘技経験者だからこそ理解して。
フェイの技術と才能はそれほどのものなのだと、背筋に冷たい汗が流れた。
それでも、次の技を、次の技をと夢中でせがむフェイにアキラもすっかり気分が良くなる。
蹴り以外の技も、拳での突き技や肘の攻撃も繰り出していく。
蹴りのときよりずっと近い、睨みうような間合いで。
それでも両者は、笑って殴り合っている。
「アキラどの、こちらも面白いものを見せてやろう。ちょっと離れて構えてくれ、もう少し。ああ、その辺り。最初は顎に行くぞ!」
二人は4メートルほど距離をとって構え直し。
「え、顎?」
「とぉうっ!!」
掛け声、そしてパァンというなにかが破裂したような踏み足の衝撃音と共に、フェイが飛び込みのパンチを打って来た。
「おわぁっ!?」
一瞬で、一回の飛び込みで両者の距離はゼロになり、フェイの右縦拳がアキラの顎先に届く。
助走もなしの一足飛びで、まるで空間を切り取ったかのような猛烈な速度の踏み込み飛びだった。
目を丸くしながらもアキラは攻撃にちゃんと反応し、フェイの拳を両の掌で受け止めるものの。
「隙あり」
がら空きになったアキラのみぞおちに、フェイが笑って左掌底をポンと置いた。
痛さもなく、軽く触られただけのフェイの手のひら。
しかしアキラはそれに尋常ではない質量とエネルギーを第六感で感じ取った。
本気で打ち抜かれたら、内臓が上下表裏にひっくりかえるような衝撃を受ける代物だと。
「あんた、デタラメ過ぎだよ!」
「ははは、貴殿もいい腹筋をしているぞ。良い感じに体が温まってきた、他にはどんな技がある?」
「いい加減説明するのもバカバカしいけど、やっぱ空手男子としてはまず正拳中段突きかな。あと頭突き」
「頭の固さなら私も負けるつもりはないぞ!」
「いや、あんた頭以外のどんな技でも他人に喧嘩で負けることないと思うよ?」
時間も疲労も忘れ、二人は文字通り夢中で格闘の技術交流を続けるのであった。
「あれまあ。すっかり楽しんでしまっているよ、彼女」
「フェイさんにとっては、仕事と離れたところで趣味の近い友人ができた、という感じなのでしょうか」
アキラとフェイの青空修行を見物しているリズとルーレイラは、これは時間がかかるぞと諦めてお茶を淹れて飲んでいた。
「それもあるかもしれないね。アキラくんとフェイって、歳も近いだろう?」
「はい、一つか二つしか違わないはずです。生きて来た時代が違いすぎるので、年齢の近さはあまり関係ないと思いますけど。気は合いそうですよね」
「僕らはフェイのああいう部分に付き合うだけの体力も運動神経も、まったくないからねえ」
リズほどではないがルーレイラも運動や格闘が苦手な方ではある。
能力的にと言うよりは、本人の興味がまずそちらに向いていない。
フェイは仕事仲間である街の衛士と、意図的にプライベートでは距離をとって暮らしている。
だから私的な時間に仕事仲間と一緒に体を動かして運動をするということが、ほぼない。
見どころのある若手が仕事場にいたとしても、私的な時間までちょっかいを出すのは、過干渉で相手にも迷惑だ。
誰からそう言われたわけでなく、フェイ自身がそう思って、遠慮してしまっているところがあった。
フェイなりの部下への配慮と言えよう。
しかし、そんな日々を過ごすことで蓄積される鬱屈と言うのは、どうしてもあるのだ。
老人や子供に健康体操を指南するだけでは味わえない爽快感を、今まさにフェイは堪能している最中なのだろう。
可能な限り高速で蹴りや拳を打ちあって、それを腕や足でお互いに防御して。
「アキラどのの手足は適度に長くて太くて羨ましいな! 私ももう少し背丈や体重があればなあ!」
「それ以上強くなってどうするの!? なにを目指してるの!?」
心から楽しそうに、二人は言った。
「フェイさんもかなり手加減していると思いますけど、あれだけフェイさんと一緒に体を動かせる人は珍しいですね。獣人の方々ならともかく」
アキラとフェイは子供のように笑ってはしゃぎながら、蹴ったり殴ったりの練習を続けている。
二人で桜の樹を蹴って、どちらが大きく揺らせるかという勝負まで始まっていた。
「彼のあれも、きみたち転移者に与えられた『精霊の加護』だと思うかい?」
「おそらくは、そうかなと。私やフェイさんに起こって、アキラさんにないとは考えにくいですし」
そのあたりの話もついでにしてやるか、とルーレイラはアキラを見て思う。
アキラはそのとき、桜の木を蹴って落ちてきた毛虫の雨を浴び、フェイにけらけらと笑われていた。
髪の毛に乗った毛虫を払い落としながら、アキラは思う。
こんなに自分は自由自在に力強く、体を動かせただろうか。
こんなに体の調子が良かったことが、今まであっただろうか。
アキラ本人が後で、訝しく思うほどに。
一度横浜の海岸道路で死の事故に遭い、異世界で目覚めてから不調気味だったアキラの体であった。
しかし今、昼過ぎにはすっかり元気になっている。
フェイと一緒に体を動かして、アキラはなんだかレベルが上がった、ような気がした。
自分の体に起こっていることが、転移者特有の現象だということに、もちろんアキラは気付いていない。
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