05 冒険者のお仕事の一つに、魔物退治があります!

 中庭の端の一角、ギルドの建物の影になっていて暗い場所。

 そこに小さな牧場のような、柵に覆われた芝生のエリアがある。


「ギィィ……キー!」


 人に姿の似た、しかし人では無さそうな、青紫色の肌を持った生き物が、何匹か鎖で縛られていた。

 そのうち一匹がリズやアキラたちに気付いて、唸りを上げる。


「オォ、オンナ! ニ、ニクィィ! クイタイ! クワセロォォ……!」


 背丈は人の子供くらいである。

 しかし、言葉のようなものを放ち、明らかにこちらに敵意、殺意を向けている。

 目の前のクリーチャーが危険な存在であることは、ぼんやりと生きて来た日本人の一般男性、アキラにもはっきりわかるほどだった。


「な、なに、こいつ……サル、じゃ、ないよな……?」

「こいつは『怨鬼(えんき)』と呼ばれる類の魔物だ。この世界で、恨みを抱いて死んだ生き物が魔力を帯びて、死してなお動き回り、人に害を加える、と言う存在だな」


 特別なことではないように平坦な口調で、フェイが説明した。


「力を封じる鎖でつないであるから、弱いし大した危険はないよ。近寄るとうるさいだけで」


 補足説明をルーレイラが続ける。

 危険はないというものの、目の前の怨鬼と呼ばれる存在が、今にもこちらを食い殺そうな表情で睨んでいるのが、アキラにとって恐怖だった。


「噛まれたり引っかかれたりすると、傷口から良くないモノがこちらの体に流れ込んで来ます。注意してくださいね。お薬や魔法で治すことはできますけど、経費がかかります」


 そう言って、リズはある物をアキラに手渡した。

 素材は樹木。形状は円柱。

 片方の端が若干太めで、反対側の端は若干細くなっており、革の帯が螺旋に撒いてある。

 持ち柄ということだろうか。


「見ての通り、ヒノキの棒です」

「つよそう」


 小学生並の感想をアキラは漏らす。

 一見して、野球のバットに似ていた。

 それほど長く重い物ではないので、野球用、細めの木製バットに近い。

 大人であり、体格体力十分なアキラが振り回すとすれば余裕の代物だ。


「で、これでなにをしろと?」


 答えが半ば予想のつく質問を、それでもあえてアキラは口にした。

 まさかね、そんなこと、言わないよね。

 たった今、目が覚めたばかりの、勝手知らない自分にそんな無茶なことを言わないよね。

 心のどこかでは、そう思っているのである。

 しかし、その期待は金髪巨乳のギルド受付嬢、リズのなまめかしく可愛らしいピンクの唇から放たれた言葉により、見事に粉砕される。


「このヒノキの棒で、アキラさんに目の前の怨鬼を、撲殺して欲しいんです」

「ですよね」


 美少女からゴツい木の棒を手渡され、撲殺と言う殺伐とした単語を聞いたアキラは少し放心。


「念のために言っておくけれど、僕は悪い魔物ではないので攻撃しないでくれたまえよ」

「はあ」

「これでも善良な知的生命体を自認しているんだ。ボクハ、アナタノ、ミカタデス。トモダチ、トモダチ」

「どうも」


 ルーレイラが場を和ませようと放った冗談も、アキラの意識にはほとんど届かなかった。

 アキラは棒を握ったまま視線を移し、柵の中で右手と右足を鎖で縛られている、怨鬼と呼ばれるモノを凝視する。

 奇怪な青紫の「それ」は、見ようによっては、人の子供にも見える。

 小さい頃に昔話、絵本で呼んだ「餓鬼」という類の妖怪を髣髴とさせる容貌だった。


「ギィィグゥゥ……シ、シネェェ……コロスゥゥゥ……オカスゥゥゥゥ……」


 先ほどから、害意に満ちた言葉しか発していないようだが。

 それでも、言葉を話す存在である。自分たち人間に近しい生き物に、見えないこともないのだ。

 アキラには詳しいことはわからないが、こいつにも家族や仲間がいるのかもしれない。


「え、こ、殺すの……? こいつを?」

「はい。そうしていただけると、当ギルドとしては喜ばしいです」


 堅い表情で、リズはアキラにそう告げた。


「できないことは別に恥ではないぞ。誰にでも向いている仕事というわけでもない」


 見守るように優しい目で、フェイが言った。


「その通りです。実際、私にはできません」


 リズはそう告白した。

 彼女は武力暴力をもって、魔物を屠ることが、どうしてもできない。

 体力に乏しいとか運動神経が良くないとか、身体的な問題も勿論ある。

 元々の性格、気質として、痛い話や流血映像、事故現場などが極度に苦手ということもある。

 だからアキラが自分の死因を語っていた時も、光景を想像してしまい体が固まり、気分が悪くなった。

 そしてそれ以上に、なぜかリズは「魔物」と相対すると、ひどく気分が害され、息切れが起こるのだ。

 心臓の鼓動が激しくなり、脂汗が体中に湧き出て、へなへなと膝の力が抜ける。

 実際、今こうして小さな怨鬼を視界に入れて立っているだけで、ひどい頭痛と悪寒と嘔吐感にリズは襲われている最中だった。

 荒くれ冒険者にカウンターでクレームを入れられても動じない精神力の持ち主だが、ひとたび血を見ると動転し脱力する。


 加えてリズは、この世界の魔力を持った害悪に対して、痛みや血を伴わないうちから全くの能無しになってしまうのだった。

 リズのそんな性質をわかっているフェイは、リズの傍らで体を支えるように立ち、時折肩や背中を優しく撫でて気を紛らわせている。

 ならばリズだけ席を外せばいいではないか、という話にならない事情もある。


「冒険者登録、資格試験は必ず、試験監督者認定を得たギルド職員立ち合いの元で行うこと」


 そんな規約があるために、リズはこの場から離れることができないのだ。

 この場でギルド冒険者の監督者認定を受けているのはリズだけなのだから。


 地球からの転移者に事情を説明しギルドの試験を受けさせる。

 その仕事を速やかに遂行できる人物のは、今のラウツカ市ギルドにおいて自分しかいない。

 リズはそのことを強く深く理解していた。

 アキラの着ていた服やアクセサリーは、大別してアメリカンカジュアル。

 いわゆるアメカジやロカビリーと言うジャンルに属するものだ。

 アメリカ人である自分に少しでも親近感を持ってもらえるなら、試験も登録もきっとうまく行くとリズは信じている。


 しかし、自分の体の不調をリズは決してアキラに伝えない。

 それを武器としてアキラの決断をせかすようなことは、リズの職業倫理上、決してできないことだった。


「今にも倒れそうな自分の為にさっさと決断してほしい」


 なんてことは、言えない。

 ただ、組織の一員として、人材登用、採用担当業務の従事者として、これだけはハッキリと言った。


「私が苦手なことだからこそ、得意な人を見つけたいし、仲間として一緒に働いてほしいと思っています」

「ついでに白状するけれど、僕も荒事自体は得意じゃないよ」


 ルーレイラが口を挟んだが、リズは構わず続けた。


「その代わり、私は冒険者の方々ができないこと、苦手としていること、アキラさんのの望むことを、日々の業務で手助けして行きたいと思います」

「俺の、望み……」

「それが、組織で仕事をすることの本質だと、私は強く信じています」


 毅然とした表情を無理矢理作って述べたリズの言葉は、アキラの胸にすとんと落ちた。


「だよな。わかる」


 アキラも日本で、会社員、工場労働者として働いていた身だ。

 誰にでも得手不得手がある。

 総務の人と現場の人とで同じ労働をする意味はないし、その必要はない。

 協力し合って分担し合って大きな仕事を成し遂げればいい。

 なにしろ、アキラは目が覚めていきなり、知らない世界にいるのだ。

 なにかをするためには、ここで生きていくためには、どうしたって誰か他の者の協力が必須である。

 ただその前に、これだけは知っておきたいと思い、アキラは口を開く。


「こいつは、この怨鬼ってやつはさ、なにか悪さをしたわけ……?」


 一番大きく、重要な疑問をアキラは周りにいる面子に投げかける。

 どうしてこいつは、殺されなければならない存在なのだろうかと言う、その疑問を。

 その問いにフェイが表情を崩さずに答えた。


「数日前に城門付近を襲った魔物の群れの一匹だ。あらかた殲滅したが、数匹は生け捕りにしてギルドと政庁でこうして繋いでいる」


 それに続けて、ルーレイラとリズも説明した。


「調査や研究のために確保してあるんだ。街の外で大群が発生したんだろうね。郊外の牧場が襲われて、作業員が怪我をしたし家、畜が何頭かやられたよ」

「フェイさんの部下の若い男性が一人、この魔物に噛まれて、今でも高熱で寝ているはずです。命に別状はないと思いますけど。治療が遅ければ、危なかったと思います……」


 フェイが目を伏せ、アキラは言葉を失った。

 結局のところ、彼女ら三人をを信じることができるかどうか、と言う問題なんだなとアキラは思った。

 その言葉を信じるのであれば、敵は本当に、こうして目の前に、いるのだ。

 彼女たちが自分の身柄を保護して助けてくれた。

 そして彼女たちは、魔物と言う危機と日夜向き合って暮らしている。

 リズとフェイが見つめ合ってなにやら小声で話合っている。

 リズは首を降り。


「彼には後で話しましょう。今話すのは、フェアではありません」


 と言った。

 それを見て、アキラは一つ、ほんの小さなことに気付いてしまった。


「ひょっとしてリズさんと、フェイさんも、俺みたいに地球で死んだ人なのか……? それでこの世界に飛ばされて、こういう魔物と戦う仕事をしてるのか……?」


 アキラの質問に、極めて慎重に言葉を選びながらリズは答える。


「はい。私は1999年のカリフォルニアの生まれで、3年前にこの世界に来ました。フェイさんは中国の元と言う時代の人で、この世界で10年間暮らしています」

「10年も……その間に何度も、こういう連中と」


 アキラはフェイの顔を見る。


「私はギルドの冒険者ではなく、街の衛士だがな。魔物の相手をすることもあるが、人間やエルフやドワーフ、獣人たちが街や郊外で起こした事件を取り扱うことの方が多い。本業は城壁城門の番兵だ」


 まだ若い。自分より若いかもしれない。20代中盤というところだろう。

 10年前にここに飛ばされてきたとしたら、そのときのフェイは少女だ。

 リズやフェイは自分たちの死因を話さなかったが、きっとそれぞれ悲惨な最期を地球で経験して、この世界に来たのだろうとアキラは確信した。

 アキラは改めて自分の手にあるヒノキの棒と、怨鬼と呼ばれる魔物を見やる。

 ギィギィと相変わらず呪詛のようなうめきを繰り返していた。


「ごめんなあ……お前に恨みはないんだけどさ……ほんと、ごめんな……」

「アキラさん、今でなくても、後日でも」


 リズはそう言ったが、ギュッとアキラは力強くヒノキの棒を握り。


「ウゥ!? キィィィ!!」


 敵意を向けて叫んでくる怨鬼の延髄あたりに、力いっぱい振り下ろした。


「グゥィ!」


 体勢を崩した怨鬼に、もう一度同じ場所へ、同じ打撃を、力いっぱい。


「キヒッ……」


 力ない断末魔を上げて、怨鬼はその場に血の色の泡を吹いて倒れた。


「……どうせやるなら、今でも後でも、同じだからね。もっと念入りに、トドメ刺したほうがいい?」

「急所への見事な攻撃だったね。十分だよ、よくやった」


 ルーレイラにそう言われて、アキラは涙を流し、膝を落とす。


「ガキの頃は虫とかいっぱい殺してたはずなのに、なんでだろ、キツイなあ……」


 こんなに大きな動くものを殺した記憶は、アキラにはない。

 息絶えた怨鬼の体は、どこでどのように処理されるのだろう。

 弔われることはあるのだろうか、ただ打ち捨てられるのだろうか。

 そんな疑問も生まれたが、今それを誰かに聞く気分ではなかった。


「少し休んだら、アキラさんがギルドに登録するための書類作成に入りたいのですけど、構いませんか?」


 震えるアキラの体に優しく手を置き、リズが言った。


「オーケー。ギルドに冒険者登録、するよ」


 リズの体も震えていることに、アキラは気付いた。

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