03 まだ混乱されているようですね。落ち着いてお話しませんか?

 

「ちょっと、待って……え、なんだよ……?」


 目と口を半開きの有様で寝ぼけた男の目に改めて入ったのは、巨乳。

 若くて可愛い金髪女性の、巨乳。

 西洋人、白人だろうとアキラは思ったが、血色が良く柔らかそうなふっくらした頬と、人のよさそうな太めの眉毛に、親しみのようなものを感じる。

 そして清楚な白いシャツと、えんじ色のベストに包まれながら、大きさと弾力と、そしてなにがなんでも重力に逆らうんだと言わんばかりの強い意志を感じられる、張りのある大きな、胸。

 いわゆる、おっぱい。

 我を忘れて凝視していると思わずよだれが出てしまうほどだった。

 単に夢から醒めていないだけとも言える。

 寝起きで頭がガンガンする上に体もだるい。

 金髪巨乳美女に横目で見られて、男も相手に視線を返して、というか凝視して、ぷいと目を背けられた。

 美女にそっぽ向かれて少しショックを受けたからか、徐々に男の意識が覚醒する。


「なんで俺、こんな恰好?」


 自分は上半身裸で、下はパンツ一枚である。

 周囲を確認すると巨乳美女の他に、への字口でこちらを睨みつける、巨乳ではない黒髪おさげの女性。

 そして「こんな妖怪、子供のころに絵本で見たことある……」と思うような、耳の長いボサボサ赤髪。

 何度見ても、耳が長い。

 顔の横から肩幅近くまでひょろんと伸びて、先端が尖っている。


「ハロウィンもコミケもまだ先のはずだけどな……原宿や秋葉原に来た覚えなんかないぞ……」


 自分の置かれている状況を理解できないながらも、とりあえず男は裸の上半身を隠すように毛布をかぶった。


「まだ寝ぼけてるのか。いい加減に目を覚ませ。そして私たちの質問に答えろ」


 常にこちらを真っ直ぐに睨んでくる三つ編みの女に、男はあくびを連発しながら答えた。


「彼女はいないよ。絶賛募集中。ちなみにO型です」

「わけのわからんことを言うな。貴殿は倭国……じゃない、東夷……でもない、なんだ、その、日本と言う国の者なのは確かか? 大陸の果ての海に浮かぶ、小さな島の?」

「あの、近い、近い……」


 眼前にオデコの綺麗な委員長系女子が迫って来て、それほど女性慣れしているわけではない、どちらかと言うとナードやギーク、オタク属性の持ち主であるアキラはドギマギした。

 胸が大きくなくとも、美人との距離が近いと純情な大和男子は混乱するのである。

 なにより今の自分はパンツ一丁に毛布をかぶっているだけなのだ。

 しかし話している内容がなにやらけったいであることに突っ込まずにはいられなかった。

 日本を倭国や東夷呼ばわりするのは、場合によって差別、蔑称になりうる。


「お姉さん、大中華思想の漢民族至上主義? 個人でそう思ってるのは自由だけど、あんまり余所でそう言うこと言わない方がいいと思うよ。最近色々国際的に問題あるし」

「栄光の漢も唐も今は遠くに過ぎ去りし、だ。私たちだって馬に乗る北方の民に侵略され支配されたんだからな」

「マジで中国の人なのね。騎馬民族は、ロマンだよね。世界史上最大の帝国を作ったんだからね」


 歴史の雑談は好きな分野の話題なのでアキラとしては乗らない理由は特にない。

 しかしどうして自分の状況もわからない寝起きのこんな状態で、騎馬民族がユーラシア大陸を席巻した歴史雑談をする羽目になっているのか、男には理解できなかった。

 そこにリズが割って入り、益体もないやりとりを一旦止めた。


「ごめんなさい、アジアのご同輩同士、積もる話もあるとは思いますけど、とりあえずあなたのお名前を教えていただけませんか?」


 リズは、自分の胸が男からたびたび注視されていることを自覚している。

 だからこそあえて、若干前かがみになって、胸のふくらみと立体感を強調する姿勢を取り、アキラに話しかけたのだった。


「お、俺? 東山暁(とうやまあきら)って言います。よろしく……ところでお姉さんは?」


 凝視したくなる胸から辛うじて目を逸らし、自己紹介する、アキラと名乗る男。


「アキラさんですね。はじめまして、よろしくお願いします。私はエリザベス・ヨハンセン。リズと呼んでください。ところで年齢と出身と生年月日も、よければお教えねがいますか?」


 にこやかに、しかし事務的な挨拶と質問と確認を口にするリズ。

 完全に仕事モードであり、今日のリズが自分に課したタスクは、ほぼ決まっていた。


「この転移者男性、アキラの個人情報を可能な限り聞き出し、あるいは能力を試験し、ギルドに有用な人材であれば専属契約を結ぶ。そうでなければ政庁に引き渡す」


 それが本日のリズの目標になった。 


「歳は26だよ。出身は横浜。住んでるのは川崎のアパート。誕生日は1984年の……」


 なんの疑問も持たず、リズの笑顔と柔らかそうな部分にほだされて(アキラの名誉のためにも、籠絡されて、と言う表現は控えておく)、すらすらと自分の素性を話すアキラ。


「年上か。私の名はウォン・シャンフェイ。周りからはフェイと呼ばれている」


 なんとか話が通じて進んだ、とフェイも安心した表情を見せ、自己紹介を返す。


「そして僕がルーレイラ。見ての通り怪しい者ではない、赤エルフの末裔だ。他の種族の血もどこかで混じっているんだろうけれどね」


 赤エルフとか他の種族とか言われてもアキラはピンと来なかったが、とりあえず口を挟まず保留した。


「なにかお仕事はされていましたか?」

「工場で働いてたよ。その辺にいる、一山なんぼの労働者ですよ。製造業、機械工作関係ね」

「肉体労働と技術労働と言う感じでしょうか?」


 アキラの話を聞きながら、リズは鬼のような速さで情報を紙に書きとめている。


「そんな感じだね。重い物も運ぶし、機械も操作するし、工具を持って機械の修理やメンテナンスもするし、バイトも含めたらそれ以外にもいろいろやったよ」

「例えばどのような?」

「新聞配達とか、年賀状配ったり、運送屋の倉庫で仕分けとか。バイク便もやったなあ。ラーメンの出前バイトが長かったかな」

「よくわからんが、配って運んでばかりだな。なぜ運び屋稼業をそのまま長く続けなかったんだ?」


 フェイが疑問に思って口を挟む。


「バイト先のラーメン屋が潰れちゃったからさ、ちゃんと就職探して工場で働くことになったんだ」

「苦労したんだねえ。でも地道に勤める場所をきちんと決めたのは立派なことだ」


 わかっているのかわかっていないのか、うんうんと頷きながらルーレイラは感心している。


「ありがとうございます。では次の質問ですけど……」


 他愛ない質問を重ねてアキラのプロフィールを確認するリズが、途中で、ふーっと大きな息をついた。

 溜息ではなく、緊張をほぐすための深呼吸である。表情も硬く、暗い。

 しかし、リズの緊張を察して、ルーレイラが代わりにアキラに対し、投げかけるべき質問をぶつけた。


「で、きみはどうやって死んだんだい? 天災かな? それとも、殺されたのかな?」


 赤毛の妖怪から投げかけられたぶしつけな言葉に、アキラは真顔で固まった。

 そして、なにかを悟り、諦めたようにこう言ったのだった。


「そっかあ……やっぱり俺、死んだんだ……」


 そう。

 リズも、フェイも、そしてアキラも。

 地球で生まれ、生きて、そして不慮の死を遂げた若者であるという共通点があったのだ。

 おそらくはリードガルドに転移した、すべての地球人が、そうであるように。

 尋常ではない、安らかとは決して言えない死に様を、彼ら彼女らは、その身で体験したのである。

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