2.安達三郎飛行兵曹

 一九四五年(昭和二十年)四月 奄美大島沖の東シナ海

 一九四五年四月一日に沖縄に米軍が上陸すると、沖縄周辺の米軍の艦船を攻撃するべく九州と台湾から日本軍の航空部隊が出撃を続けていた。

 ここ奄美大島近海の東シナ海の上空では今日も空中戦が繰り広げられていた。

 「くそ、数が多い!」

 海軍一等飛行兵曹である安達三郎は愛機である零式艦上戦闘機五二型甲を操縦しながら苦闘していた。

 空母から飛んで来たであろうグラマンF6F艦上戦闘機は安達が居る日本軍航空隊を優位な位置と数で待ち構えて襲い掛かる。

 いつも攻める側であるのに先手を取られて掻き回される。

 編隊を組んでいた僚機と離れ離れになり単機での戦いになるのも常だった。

 「いつもこれじゃ勝てんぞ」

 安達は自分一人が生き残る事で精一杯な空戦になるのを憂いていた。

 空中戦は自分一人だけでおこなっている訳では無い。味方の援護もしながら戦う。だが、今回は護衛しなければならない存在があった。

 それは特攻機だ

 前年の一九四四年(昭和十九年)秋から敵艦への体当たり攻撃を行う特別攻撃隊が出撃していた。

 この日は爆弾を装備した零戦二一型と九九式艦上爆撃機が特攻機として敵艦隊へ向かう。その道中を護衛するのが安達の役目だった。

 しかし、雨のように降って来たF6Fによって日本軍の編隊は千切られた。

 爆弾の重さで軽快さを失った特攻機の零戦と旧式の艦上爆撃機である九九式艦爆はたちまちF6Fの餌食となってしまった。

 もはや残る特攻機があるのか分からない。

 「ならば、せめて一機でも落として仇を討たねば」

 安達は敵の射撃をかわしながら撃墜できるF6Fを探す。

 隙ありと見えたF6Fへ安達は突進する。ぶつかるのではないかと思うぐらいに迫る。

 昭和十七年から零戦乗りとして戦い続けた安達は敵機へ至近まで迫る事に躊躇は無い。

 正面がF6Fの機影でいっぱいになると銃撃を浴びせる。

 頑丈を謳うF6Fも至近からの二十ミリ機銃の連打に火を噴いてガクリと落ちていく。

 「しまった!」

 安達は撃墜に喜ぶ事は無かった。

 すぐに後ろを確認する。

 やはり自分の背中を狙う敵が近づいている。

 右へ反転して背後のF6Fからの射線から外れながら降下して離脱する。

 だが逃げる先でも別のF6Fが安達へ手を伸ばす。

 六連装もの十二.七ミリ機銃が安達の零戦を引っかく。撃たれた衝撃に安達は青ざめる。

 安達はまた急降下で脱しようとする。

 右の主翼から火が出ていた。この火も消すためだ。

 急降下に入るや振動が大きい事に安達は気づく。何処かを撃ち抜かれて安定が無くなりつつあった。

 安達の零戦を撃ったF6Fは安達を撃墜したと思ったらしく追って来ない。

 「さて、どうするか」

 敵が追って来ないのは幸いだが愛機はガタガタになっていた。

 火は消しきれず燃えたままだ。何よりいつバラバラになるか分からないような震えをしている。

 安達はそれでもエンジンは十分回るのだから空戦に戻りF6Fのどれかを道連れにしようかと思った。

 だがその前に零戦は空中分解するかもしれない。

 「海に突っ込んで自爆か・・・いかんいかん」 

 愛機と共に東シナ海で散華とも思ったがすぐに撤回した。

 身体は無傷なのだ。何処かに不時着して基地へ帰り戦いへ戻るのだと安達は決心した。

 安達は近くに見えた島の砂浜に不時着を試みる。

 だが砂の下に隠れた岩にぶつかり零戦は主翼を折りながら回転しひっくり返って止まった。

 この不時着で安達は頭を切り、脇腹と右足を骨折した。

 「基地へ戻りたい。連絡はつかんか?」

 安達は帰還する方法を探ったが軍が居ない島で、島外の連絡は船による郵便しか無かった。

 また悪い事に米軍の沖縄襲来で漁船でさえ米軍機が攻撃するせいで日中は誰も船を出さなかった。

 島民による治療を受けながら一ヶ月が過ぎた。

 骨折した箇所は痛むが歩けるまで回復した安達はようやく海軍に連絡をしてくれた島民により船で送り出された。

 夜の内に軍の駐屯する島へ向かい、そこから不時着して帰還を望む他の陸海軍搭乗員達と共に陸軍の輸送潜水艦で本土へ運ばれた。

 「生きておったか!よく帰った!」

 九州の基地では安達の帰還を皆が歓迎した。戦闘機搭乗員の消耗が激しいせいもあり安達のような熟練の帰還はより歓迎された。

 「すぐに戦死公報を取り消さないとな」

 上官は二週間過ぎても帰還しない安達を戦死と認定してしまっていた。

 「傷もまだ完全に治っておらんだろう。郷里へ帰って家族を安心させてやれ」

 上官は安達を気遣う。

 「いえ、沖縄の戦いはまだ続いております。そんな時に郷里へ戻る暇はありません!すぐにでも搭乗割に加えて下さい!」

 安達の熱意に上官は前線復帰を許可した。

 沖縄は六月下旬に陥落した。

 安達は辞令を受けて神奈川県厚木基地の第三〇二航空隊に異動する。

 関東防空の部隊である三〇二空に着任して安達はある騒動に巻き込まれる。

 八月十五日に玉音放送が流れて敗北による終戦を迎えると早い時期から知っていた三〇二空

 司令の小園大佐が徹底抗戦を決心した事もあり、十五日以降も搭乗員も厚木の近くを飛行する米軍機の迎撃に出撃した。

 安達もそんな戦争継続を望む一人だった。

 「ここで終わって死んだ皆に顔向けできない」

 だが海軍上層部や三〇二空内部からも抗戦継続を押さえ込む動きが進むと戦う意志が残る搭乗員達は関東北部の飛行場へ機体ごと飛び立った。

 だが乗る飛行機が無い搭乗員達は銃火器を持ち出しトラックに乗り込むと厚木基地を飛び出した。

 このトラックに安達は乗っていた。

 血気に走りそのまま飛び出した一同だったが行くアテは無い。

 金を出し合い旅館に泊まり一週間過ごした後で誰とも無く「帰ろう」と言い出してから各々それぞれの故郷へ帰った。

 安達は不案内の関東地方の何処かから帰郷する事になり迷いながら九月半ばにようやく故郷の新潟に帰った。

 そこで彼は驚く事となる。

 二年前に結婚した妻が弟の妻となっていた。

 五月に安達三郎の戦死公報が届くと安達家では後妻となった三郎の妻を弟の四郎に嫁がせた。

 四郎は蒸気機関車の運転士として新潟の路線で働いていた。三郎と比べれば会う日数は多く三郎を失った悲しみは薄れた。

 そんな時に三郎が帰ってきた。

 「生きてよう帰った」と両親は喜ぶが四郎と妻は浮かない顔をしていた。

 その理由は妻の身体に四郎の子供ができていたからだ。

 「あの時、上官の言うとおりに帰っておれば・・・」

 帰郷を勧めた上官の思いがようやく理解し後悔した。

 安達家は長男の源太をはじめ四人の男兄弟が居る。

 次男の芳郎こそ陸軍兵士としてビルマで戦死したが他の三兄弟は戦争を生き残った。

 長男の源太も陸軍に召集されていたが、終戦時には栃木県にあってすぐに復員して家に戻った。

 三郎は源太と共に米農家としての安達家を継げた。

 次男の芳郎が存命であれば継ぐ水田が無いから叶わなかった。

 しかし三郎は家を出た。

 妻は弟に嫁ぎ、妻は弟の子を産む。三郎は四郎を恨む前に家を出たのだ。

 三郎は東京に来た。

 空襲で破壊されたとはいえ何か仕事があるだろうと

 だが終戦から三ヶ月過ぎたとはいえ復興が進んでいる訳では無かった。思うような仕事にありつけず、食うや食わずの日々が続く。

 十二月に入り懐の寒さが痛いほどに感じるようになった。

 「我慢して実家で米作りしてれば良かったんかな」

 久々の収入で入った居酒屋で安達三郎は隣の席に座る男と話しをしていた。

 偶然、隣同士となった上山と名乗ったその男も実家を出て東京に出て来たと言う。

 「どうだろうかね。食えて生活できても弟と仲が悪くなったら居づらいんじゃねえか?」

 上山は安達三郎と意気投合して心の内を話し合う。

 「そうだな。実家が居づらいのは苦しいよ」

 意気投合してしんみりとした話になったが溜まった愚痴を吐き出す事ができて三郎はすっきりした。

 「また会おう」

 「ああ、またな」

 気分よく分かれた二人

 だが三郎はすぐに現実に引き戻される。

 気分よく顔が綻んだ三郎に懐の寒さから苛立っていた男の目に留まってしまう。

 「この酔っ払いが!」と三郎は殴り掛かられた。

 「何すんだ!」と三郎も殴り返しケンカとなった。

 「海軍戦闘機乗りを舐めるな!」と息巻いた。だがその拳は空を切り外れた。

 「海軍?もう無くなったじゃねーか!」

 男は三郎を見下しながら腹に拳を叩きこむ。三郎は昏倒して路上に倒れた。

 三郎が目覚めたのは雨が身体を濡らしたからだった。

 殴って来た男はもう居なかった。

 殴られた身体の痛みを感じながら三郎はゆっくりと立ち上がる。

 「何だアイツは?」

 「特攻崩れらしいぜ。それで野郎とケンカしてた」

 「戦争が終わったのに収まらんのかねえ。情けない」

 三郎を見て周囲が囁く。

 謂れの無い言葉に三郎の心は沈む。

 (何故、こう惨めな思いをしなければならない)

 海軍の第三種軍装を着て略帽を被って日々を過ごす三郎は時折、軍人だったとして後ろ指を指される。

 かつては敬う対象が今では嘲笑や嫌悪で見られる。

 国を敗北させたのだから仕方ないと三郎は思っていたが理不尽さに心を痛めるようになって来た。

 「よお、安達さんか?」

 三郎に声をかけたのは傘をさして立つ上山だった。

 「酷いな。どうした?」

 「上山さん。俺は軍人だからそんなに世間から冷たくされるんですか?」

 「今の時勢じゃ軍人の風当たりは強いよ。俺も出て来た田舎で冷たい目で皆に出迎えられた」

 「あんたは平気なのか?」

 三郎は雨に濡れながら問う。

 「平気ではないな。今でも士官だった事を後悔するぐらいに」

 「耐えるしかないんだな。どれだけ言われても・・・」

 三郎は顔を下に下げる。

 「耐えなくていい。馬鹿にされない所へ行ける」

 「そんな所があるものか」

 「少なくとも、元軍人、元将校で差別はされんよ。お前が望めば連れて行ってやる」

 三郎は雨に打たれながら顔を上げて上山を見つめる。

 「そこへ俺を連れて行ってくれ」

 三郎は上山へ頭を上げて頼み込んだ。

 上山は傘の中に三郎を入れて「ようこそ新しい故郷へ。古い故郷を捨てよう」と告げた。

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