北の年代記~日本人民共和国戦記<序章>
葛城マサカズ
1.遅れた終戦と稲垣行雄少尉
太平洋戦争末期
大日本帝国は追い込まれていた。
海軍は艦艇の多くを失い、全国の都市が焦土と化した。
日本政府と軍部はようやく降伏する為に動き始めるが、戦争を終わらせまいとする軍の一部が動き出す。
八月十五日に日付が変わった深夜、反乱は燃え上がった。
天皇が住まう宮城(皇居)を守る近衛師団が決起し、まず宮城を占拠した。それから放送局や総理官邸を占拠する。
更に茨城県から来た水戸教導航空通信師団が加勢に加わり鎮定が難しくなった。
だが反乱軍が頼みとする阿南陸軍大臣の自決や他に将官で同調する者がおらず反乱軍は行き詰った。
行き詰まりから反乱軍から離反する部隊が出て十七日朝には首謀者が自決した事により反乱は終わった。
こうして終戦阻止の反乱は終息したのだが、政府が機能を回復したのは翌日十七日朝からで玉音放送は十七日昼に流された。
この混乱した二日間は連合国軍側も部隊に終戦だと告げるのを遅らせた。
それは戦争状態が二日間伸びる事を意味した。
伸びた日を利用した国があった。ソ連である。
ソ連は八月九日に中立条約を破り対日参戦をした。ソ連に隣接する日本の勢力圏である満州や朝鮮・南樺太に加えて千島列島にもソ連軍は進軍した。
スターリンは日本列島にもソ連の旗を立てよと命じた。
その意を受けてソ連海軍は艦隊と輸送船団を仕立て陸軍は兵を準備した。
駆逐艦数隻に掃海艇や敷設艦などで護衛された輸送船団に運ばれたソ連陸軍の五〇〇〇名は八月十七日朝に北海道の小樽港から北海道に上陸した。
樺太と千島からソ連軍が来ると思っていた北海道の日本軍は虚を突かれた。
そこへ玉音放送による終戦の報せに自衛以外の戦闘停止命令が飛んで来た。一個師団と独立混成旅団一個で二万名以上の将兵はある北海道の日本陸軍
北海道や千島列島での作戦を指揮する第五方面軍の司令官である樋口中将はソ連軍を北海道から追い出す為に自衛戦闘を拡大解釈して戦闘を続行した。
そこへ大本営から梅津参謀総長が飛来して戦闘停止を命令した。樋口は「ソ連軍を今、追い出さねば悔いが残るぞ」と警告した。
「逆賊となってまで国民を巻き込んで抗戦してはいかん。捲土重来を期して降伏に応じてくれ」
梅津の言葉に樋口は逆上して「馬鹿野郎!」と梅津を一喝する。
梅津は黙って樋口の思いを受け止める。
戦力としては勝てたかもしれない。だが戦争が終わり軍の反乱を何としてでも抑え込む情勢の中で北海道の戦争は終わらせられた。
八月二十日になると津軽海峡に突入したソ連艦隊と船団が大湊海軍警備府の目前で上陸を行い、大湊の海軍部隊を武装解除させた。
ソ連軍は大湊の軍港や青森港を掌握すると後続の輸送船で更に陸上兵力を揚げた。その兵力で青森県の進駐をすると共に青森県より南への進駐を試みようと動き出す。
さすがにソ連軍が先んじて日本本土に進駐するのをアメリカは黙って見ていない。
マニラで連合国軍の日本進駐について協議をする前に米軍は急いで手を打つ。
秋田県能代市と大館市に空挺部隊を降下させ、輸送機で青森県の八戸陸軍飛行場と三沢飛行場に強行着陸して乗せていた陸軍歩兵を展開させた。
更に輸送艦で運ばれた海兵隊が八戸港から展開し、輸送船が各種機材や物資を降ろす。それが八月二一日の一日で行われた。
米軍の急な展開にスターリンは日本への進駐を現在地で止まる様に命じた。
間もなく、米ソで青森県東部と秋田県との県境を境にしたソ連の占領地域と米英連合国軍の占領地域を分かる境界線が引かれた。
この境界線が日本を南北に分かつ始まりになったのである。
一九四五年(昭和二十年)八月十七日 満州
「総員気をつけー!」
先任曹長の号令で将兵が整列する。
「諸君、日本は降伏をしたがソ連軍の前進が続いている」
整列した将兵の前で中佐の将校が訓示をする。
二週間以上前の八月九日に日ソ中立条約を破り対日参戦したソ連は満州や南樺太に侵攻した。
八月十五日に日本が降伏の意志を示したがソ連軍は構う事無く前進し戦闘を続けていた。
「ソ連軍の前に同胞を来させてはならない、我らは民間人の避難を掩護すべくこれより前進しソ連軍を待ち構える!」
中佐はそう命じた。
この中佐の前に立つ将兵は各地から後退して来た雑多な集まりである。中佐自身もある師団の参謀だったがソ連軍の前進が早く戻る事ができず雑多な部隊の長となっていた。
そんな雑多な部隊は関東軍主力が展開する満州南部へ向けて後退を続け、途上で開拓団の民間人達と合流した。
雑多な部隊は民間人を守る役目が自然とできた。
共に満州南部へ向けて移動していたが、ソ連軍が既に行き先を占領しているのが斥候により分かった。
更に悪い事にソ連軍の斥候がこちらに接近して来た。
見つかったかは不明だがソ連軍が来るのは間違いなかった。そこで中佐は部隊でソ連軍を足止めして民間人を先に逃がす事にした。
「どこまでやれるだろうか」
中佐の指揮下で戦う一人に稲垣行雄少尉が居る。
彼は戦車小隊の小隊長を務めている。
ソ連軍の襲来による混乱で原隊は散り散りになり稲垣は自分の小隊と補給段列の小隊を率いて雑多な部隊と合流しここまで来ていた。
稲垣は戦う事に躊躇は無いが守るべき存在を後ろにある状況だと思う所がある。
その思う所は稲垣が乗る小隊の戦車だ。九五式軽戦車ハ号それである。
六トンまたは七トンの軽い小型の戦車である九五式
武装も三十七ミリ砲と小さな砲だ。
ソ連軍の重戦車とやり合うのに力不足は否めない。
「接近して敵戦車の懐に飛び込んで履帯を撃ち抜くしか方法がない」
小さな三十七ミリ砲でソ連戦車の装甲を撃ち抜くのはできないだろう。
そこで稲垣が考えたのは小さな三十七ミリでも貫ける部分、履帯もといキャラピラを壊して走行不能にさせるのだ。
稲垣の部下である小隊の将兵も同じ考えだった。
「無茶な作戦をやらせる事になるが、生きて皆で日本へ帰ろう」
もはや日本が降伏して帝国陸軍も消滅しようとしている。今までのように命を投げ出せとは稲垣は言わない。
この戦いはお国の為ではない。自分達が生き残るための戦いなのだから。
雑多な部隊は歩兵中隊に砲兵小隊・兵站部隊の作業隊・鉄道部隊の集まりに稲垣の戦車小隊で四百人ほどの将兵達だ。
鉄道部隊の二十人ぐらいを民間人の護衛に残して他は全てソ連軍を迎え撃つべく前進した。
コーリャン(モロコシの一種)の畑に陣取る雑多部隊
兵站部隊の兵達も歩兵となり配置に就く、そんな雑多部隊が頼りにするのは砲兵小隊が持つ改造三八式野砲が二門と稲垣の九五式軽戦車が三両だ。
強力とは言えないが貴重な火力である。
この戦力で部隊指揮官である中佐は待ち伏せによりソ連軍を混乱させ、近距離または肉弾による戦闘で出血を強いてソ連軍を後退させる作戦を命じた。
何にしても火力も兵の数も足りないのであれば奇襲による混乱を起こして近距離での白兵戦により混乱を長引かせるしかない。
その時を一.五メートルも伸びているコーリャンの茎や葉に隠れ待つ。
「来たぞ!敵だ!」
見張りの兵士が叫ぶ。
稲垣は戦車を連ねて迫るソ連軍の影を見た。
「あれが敵戦車か…」
稲垣にとってはこれが初めて直に見る敵の戦車だった。
資料としてアメリカのM3軽戦車やソ連のBT‐7の写真を見た事はある。だが迫る戦車は敵情についての資料に添えられた絵のT‐34と同じように見える。
(装甲は最大で四五ミリか、こっちは最大で十二ミリ…泣けるね)
情報で入って来たT‐34の情報から九五式と比較するとより自分達の非力さを痛感する。
稲垣はそれを口にはしない。士気を下げるような事を言っても得は無い。
「敵戦車は歩兵を乗せてか。これなら一度に打撃を与えられそうだ」
ソ連軍の列が近づくにつれてどんな陣容か見えて来た。
T‐34-85は後部に歩兵を乗せるタンクデザントで進撃をしていた。ドイツとソ連の独ソ戦ではお馴染のソ連軍戦車部隊による光景だ。
歩兵と戦車がひとまとめになっているなら射撃で一度に多くの損害を与えられると稲垣には見えた。
「まだか…まだか…」
撃ちたいが敵を引き込んでから撃つ作戦であるから敵をより近づける。
また射撃開始は砲兵が撃ったのを合図にしてからだ。稲垣にとっては焦れる思いだ。
T‐34が目の前を進む。
稲垣はT‐34-85の大きさに圧倒される。
(小さなハ号でこいつの履帯に噛みつくのか)
はっきり見えるT‐34の姿に夏の暑さとは違う汗が流れる。
そうして凝視している時に砲兵の野砲が放たれた音を聞いた。
「攻撃開始!撃て!」
待ちにまった砲声を聞いて稲垣の戦車小隊や歩兵達が撃ち始める。
砲兵の砲弾は榴弾しか無いせいでT‐34に着弾してもT‐34の撃破はできなかったが、乗っている歩兵達を爆風と破片で死傷させる。
また歩兵の銃撃はソ連兵達をT‐34から強制的に降ろす。
「戦車前進!前へ!」
敵歩兵をほぼ無力化したと見た稲垣は戦車小隊を前進させた。
「突っ込め!履帯に噛みつけ!」
隠れていたコーリャン畑から飛び出した三両の九五式は一目散に目の前のT‐34へ激突するように突進する。
「くらえ!」
稲垣は砲塔の三十七ミリ砲をT‐34の履帯に撃ち込む。
九五式では車長が砲手を兼ねているからだ。
稲垣の放った砲弾は連続して放った二発目にしてようやく履帯を貫いた。
「やった!」と一瞬思うがすぐに「下がれ!」と命じる。
他にもT‐34は居るのだ。一両撃破できただけでは終わらない。
「戦車がやったぞ!突撃!」
稲垣小隊の奮戦により士気を高めた歩兵達がコーリャン畑から突撃する。
突撃する歩兵達は日本軍の砲撃や銃撃を生き残ったソ連軍歩兵を追い立て火炎瓶や手榴弾を持つ歩兵はT‐34を撃破しようと肉薄攻撃を図る。
「く、一両やられた!」
だがソ連軍もただやられている訳では無い。
履帯を壊されたとはいえ乗員も砲も車載機銃も無事なT‐34は砲塔を動かして反撃を始めた。
歩兵こそ追い散らしたがT-34は動けなくとも砲台となって抵抗を続ける。
「この野郎!止めだ!」
火炎瓶を持った日本軍歩兵が履帯を壊され動けなくなったが砲台として戦い続けるT‐34に迫る。
だが別のT‐34が車載機銃で銃撃してその日本軍歩兵を倒した。
「くっそう、履帯だけではダメか」
九五式が履帯を壊す事ができてもT‐34そのものを壊せていない。
ドイツ軍との戦いを潜り抜けたソ連戦車兵の士気も壊せない。
九五式の手から逃れた五両のT‐34が戻って反撃に転じた。
たちまち二両が爆砕された。
「くそ、突っ込め!」
部下の仇を討たんと稲垣は九五式を突撃させる。
しかし複数のT‐34から放たれた砲撃で九五式は転倒する。
「くそ、脱出だ!」
転倒した九五式から稲垣は砲塔から這い出る。他の二名も車体から脱出する。
T‐34は転んだ九五式から歩兵へ攻撃目標を変えて攻撃する。
士気高く突撃した歩兵達は今やT‐34に追われる立場になった。
「ここまでだな」
形成が逆転したのを見て稲垣は諦める。
「よくやった。大人しく降伏しよう」
部下は渋々稲垣の最後の命令を聞いた。
稲垣達は到着した後続のソ連軍歩兵に両手を上げて降伏した。
一カ月後
稲垣は日本海を航行する船上にあった。
降伏した稲垣達は他に降伏した将兵達と共にトラックに乗せられ満州国の首都であった新京の駅まで運ばれた。
新京の駅にはソ連軍に降伏した他の日本軍将兵が屯するように大勢居た。
だれもが無気力に座り込んでいる。
そこへ同じく不安と疲れで生気を失った民間人達が加わる。
日本が作った傀儡国家の首都で日本人達が重く路上に群れる様は稲垣に自分達は転落した敗者である事を嫌でも思い知らされる。
「列車へ乗れ!急げ!急げ!」
ロシア語の分かる日本兵がソ連兵の通訳として日本人達に呼びかける。
ソ連兵に急き立てられながら日本人達はゾロソロと列車へ乗り込む。列車に乗り込んでも重い空気は変わらない。
その空気がかわったのは列車がソ連極東の都市であるウラジオストクに到着してからだ。
港へ連行されるとソ連の政治将校が日本人達に話した。
「ソビエトの指導者である同志スターリンは敵国人である日本人に対して恨みはない。よって同志スターリンは寛大なる心でお前達日本人を帰国させる。祖国で再建の為に働くように」
この言葉に消沈していた日本人達の顔が晴れやかになった。
日本に帰れると意気揚々にソ連が用意した船に日本人達は乗り込む。
ウラジオストクを出港すると誰もがお互いに自分の郷里について話をして和やかに過ごしていた。
だが稲垣は違った。
一人だけになり思いにふける。
「今度戦車に乗れるなら非力じゃない戦車に乗りたい」
九五式は一九四五年の主力戦車と戦うには非力だった。
戦車自体を壊せない戦車では意味が無い。勝利はできない上に友軍にとっても被害を発生させる。
それを体感しただけに敵戦車を撃破できる非力じゃない戦車に乗りたいと切望した。
「だが、降伏した日本で戦車に乗れるだろうか?」
大日本帝国は連合国とソ連に降伏した。
これから占領される日本が軍隊を持つのだろうかと疑問が頭に浮かぶ。
「戦車がダメなら実家で大根でも作るか」
稲垣の実家は東京練馬にある農家の次男だ。軍隊での仕事が無かったら家業を継ぐしかないと思っていた。
そんな稲垣達日本人を乗せたソ連船は北海道の小樽港に入港した。
船から降りるやソ連兵に整列を命じられて誰もが小樽の埠頭で大人しく並ぶ。
「北海道がソ連に占領されていたのか」
稲垣はその事実に驚愕した。周りも同じ様子で戸惑っているが大人しく並ぶ。
「同志諸君!帰郷を歓迎する!」
並ぶ日本人達の前に一人の綺麗な開襟シャツを着込んだ中年の日本人が現れた。
「皆さん、今日からここが新しい故郷になります。戦争で荒廃した新たな故郷を再興し、更に発展させましょう!」
男の熱弁に対して聞く方は冷めていた。
どうやら自分達を故郷に返してくれない。ソ連の領土となった北海道で暮すのだと。
稲垣も故郷へ帰れない失望を感じた。
「スターリンに騙された!」と誰もが感じた。
「同志の皆さん、古い故郷は捨てて、新しい故郷での生活に励みましょう!」
男の演説が終わると「移動する!前へ!」と元兵士の男が号令をかける。
小樽の港から歩く日本人達
日本であるが日本では無い土地を歩く皆の顔はまた新京の時と同じく重く沈む。
「これじゃ戦車にまた乗るどころか家に帰れんな。どうなるのか…」
これからが予測できない状況に置かれて稲垣も心が暗くなっていた。
稲垣達はほどなく建国される日本人民共和国と言う新国家の国民となる。それは引き裂かれた家族の悲劇と米ソ冷戦と言う新たな戦乱に巻き込まれる悲劇に直面する事となる。
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