第8話

 僕らは夜通し歩いて海岸まで向かい、迎えに来たソネルのボートに乗って、日が出る前に島を脱出した。その間、追手の影はちらりとも見えなかった。昼前には隠れ家に戻り、簡単な食事とシャワーを済ませて、泥のように眠った。なんだか、ひどく疲れていた。


「ノア、起きて」


 オリビアの声に起こされる。窓の外はすっかり闇に包まれていた。


「どうしたの」


 なかば覚醒しきらない頭をどうにか持ち上げて尋ねる。


「居間にきて」


 オリビアはひどく慌てた様子で僕の手を引いた。それを見て、またなにかまずいことが起きたのだと悟る。昨日の今日でいったいなにが起きたのか。頭が急速にクリアになっていく。


「ノア、これ……」


 しかし、居間でトレバーの指差す先を見て、またもや僕の想像を遥かに越える事態が起きていると知った。


『昨夜未明、キプロス島西部のオリンポス山でテロ事件が発生し、国連の研究施設が爆破されました。施設では医療用ナノマシンの研究が行われており、実行犯はそれを狙ったものと思われます。本日明朝、国連から発表された内容によると、施設は全損し、継続した研究開発は不可能とのことです。また、爆発に巻き込まれ死傷した研究員は千人を越える見込みです』


 テレビに映し出されていたのは、昨夜忍び込んだ研究施設だった。映像のなかで、施設は崩れ落ち、全体が火に包まれて派手に燃えている。しかし、僕らはあの施設全体を爆破できるような爆発物は仕掛けていない。これほどまでに盛大に燃え上がるはずがない。それが指し示す事実は、ひとつだ。


『合わせて発表された実行犯について、組織名は公表されておりませんが、全員が国際指名手配されており、以下四名に関する情報提供を求めるとのことです』


 そして、その映像を背景にして、アナウンサーが名前を読み上げる。それはオリビアを除く、僕ら四人の名前だった。


「やられたよ。これで僕らは、世界に喧嘩を売った、歴とした悪党だ」


 読み上げられた名前の上には、ご丁寧にも顔写真が表示されていた。どこかの監視カメラ映像から切り取ったものだろう。ひどく不鮮明ではあったものの、顔つきがわからないほどではない。トレバーの言う通り、僕らは世界を敵に回してしまったようだ。国際指名手配されてしまったら、僕らを追うのはマーシャの関係者だけではない。文字通り世界中が僕らを探す。そこには能動的であるか受動的であるかの差しかない。


「どうする」


 壁に背を預けてニュースを聞いていたテメルが呟く。

 振り返ると、その目は僕に向けられていた。それに釣られるように、トレバーの視線が僕に向けられる。視界の隅でソネルが僕に目を向けたのがわかった。みんなの視線が僕に突き刺さる。それらは、僕に選択を求めていた。選択肢はどこにも提示されていない。答えは僕が自分でひねり出す必要があった。答えなんて誰も教えてくれない。


「ノア……」


 呼ばれて振り返る。クロエが不安そうな目を向けていた。アナウンサーはオリビアの名だけは読み上げなかった。彼女だけは指名手配されていない。つまりは、この指名手配はオリビアを取り戻すために仕組まれたものだろう。マーシャは葬り去ったのに、まだこんなことが続くのか。どこまでいっても逃げられない。逃げ切ることなんてできない。


 もしかしたら、マーシャを殺したのは悪手だったかもしれない。マーシャを殺さなければ、追ってくるのはマーシャだけだった。それが、今や世界中が僕らを追っている。単純に追手が増えただけだ。加えて、テロリストなんて悪名もついてしまった。大人しく隠れていればよかったかもしれない。トレバーになら、それができた。間違いだったのか……。


 ……いや。

 そこまで考えて、頭を振る。今回のことがなくても、いずれは同じ状況になっていたかもしれない。しびれを切らしたマーシャが同じ手段に出ないとも限らないからだ。それに、トレバーとソネルも合わせて指名手配されているところを見ると、なんらかの情報漏れがあったということだ。サイバーテクニックに関して右に出る者がいないとはいえ、トレバーとて完璧ではないだろう。最新鋭の電子機器で力押しされたら、守りきれるとは限らない。それなら、もう手段はひとつしかない……。


「トレバー。撮影機材の準備、頼めるかな」


 僕を見ていたトレバーの目がひそめられる。


「……なにをするつもり」


 僕はそっとオリビアの手を握った。この手を離さないためにどんなことでもすると決めた。それは今でも変わらない。だから、そのためにできることをやる。それに、マーシャが語った、この世界の行く末。確かに、いろいろな問題は解決するかもしれない。しかし、人は選ぶことができる。生きるために選び、選ぶために生きる。選ぶことはすべての人に与えられた権利だ。この構想は、人々の選択を奪う行為だ。選択する権利を奪われることを、僕は容認できない。だから。


「宣戦布告する」


 僕は戦う。クロエを、オリビアを守るために。この馬鹿げた構想を破壊するために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る